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買い物かごの記憶から(2017.12)

野生絶滅種「買い物かご」

ネットショップを眺めていて、ふと気がついて疑問がわいた。
「買い物かごに入れる」とあるが、「買い物かご」ってみんな知っているんだろうか。
スーパーで使う「かご」も「買い物かご」と言うのか調べてみると、
「買い物かご」と言っているところもあるが、
「スーパーかご」と言っているところが多い。
「スーパーかご」という言い方は、明らかに「買い物かご」と区別して言っている。

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「スーパーかご」(資料:三甲㈱ホームページ)

「買い物かご」は、左右の持ち手のついた籐や竹や縄で編んだかごで、
かつてはどこの家庭にもあった。
そう、サザエさんが買い物に行くとき持っていくやつである。
買い物に行く時は、お母さんはこのかごを持って出かけ、買ったものを何でも入れた。

写真を載せようとメーカーを探したが、「ショッピングバスケット」などと称し、
製造者不明のネットショップか東南アジアからの輸入物しか見当たらない。
ネットショップのキャッチコピーを見ていると、「レトロなインテリアに」というものまである。
「買い物かご」は、買い物という世界からは絶滅してしまったのだ。

昔の買い物

小生が子供の頃は、スーパーというものはまだなく、
お母さんたちは個別の八百屋、魚屋、肉屋を回って買い物をした。
「買い物センター」みたいなものはあったが、それは個別商店の集合体で、
その実態はいわゆる「市場」である。

八百屋は今でいうバラ売りで、買った大根やキュウリはそのまま買い物かごに入れた。
魚屋は基本的に一匹買いで、パックの切り身などというものは存在しなかった。
肉屋ではグラム単位で指定して肉を買い、買った肉は木を薄く削った「経木」で包んでくれた。
卵はどうやって買ったかよく覚えていないが、
豆腐は家から丼などを持って行って入れてもらったような気がする。

レジなどというものは当然なく、どの店でも天井からひもでザルがつりさげてあって、
売り買いしたお金はその中に入れ、お釣りもおじさんがその中から取ってくれた。
ザルの中に百円札(百円玉ではない!)や十円玉が躍っていたのを思い出す。

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これが「経木」。今でもお寿司屋さんなどで使われているが、昔は生ものを包むものとして、どこでも使われていた。
(資料:㈱大治ホームページ)


容器包装とスーパー

食品を包んだり、入れたりするもの・・・いわゆる容器包装に目を向けてみると、
卵パックが最初に作られたのが1963年(昭和38年)、
発泡スチロール製のトレイや納豆のパックが使われ始めたのが1960年代(昭和40年頃)、
レジ袋が使われ始めたのが1970年代(昭和50年頃)だそうである。
すべて石油から作られるプラスチック製品である。

一方、これらを扱うスーパーの歴史に目を向けてみると、
中内功が「主婦の店ダイエー」を興したのが1957年(昭和32年)、
価格破壊を旗印にダイエーが小売業売上高トップになったのが1972年(昭和47年)である。
広島でいえば、
広島で最初のスーパーマーケット「主婦の店ムネカネ」(現「フレスタ」)が誕生したのが1960年(昭和35年)、
いずみ(現「イズミ」)がスーパー1号店を開店したのが1961年(昭和36年)である。

昭和40年~50年に飛躍的な普及と躍進をとげたスーパーと、
食品の容器包装の歴史はほぼ重なるのである。
WindowsとIntelのように、両者は相互に関係を重ねながら発展してきた。
包めなかったものが包めるようになったということは、
商品として扱えなかったものが商品として扱えるようになったということなのである。
それは、大量生産、大量消費、そして大量廃棄を可能にした。
ほんの半世紀前のことなのである。

昔の入れ物

小生が子供の頃、広島には納豆という食べ物はなかった。
(だから、小生の妹は未だに納豆が食べられない)
記憶をたどっていくと、学生時代に帰省すると納豆パックを見かけるようになったと思う。
昭和50年代のことである。

納豆パックができて、納豆はどっと関西にも進出したのである。
それでは、それまで納豆は何に包まれていたか。
それは藁に包まれていたのである。
そもそも納豆というものは、蒸した大豆を藁で包んで(これを「藁づと」)という)置いておくと、
藁についている納豆菌が大豆を発酵させてできるのだ。
納豆の製造機はそのまま入れ物になったのだ。
納豆と藁は切っても切れないものなのだ。

藁といえば、僕は、米俵はすごいと思う。
その植物の本体でその植物の実を包んである。
こんなものが世界にあるだろうか
。これは、稲の本体、すなわち藁がすごいのだ。
藁は編むことによって、縄という紐にも、筵(むしろ)や薦(こも)という布にもなる。

石油から作られるプラスチックが現れるついこの前まで、
藁は庶民の万能の容器包装だったのだ。
米俵や藁づとやお酒の薦被りだけじゃない。
あらゆるものを藁で縛り、藁で包んだ。
全国各地に「〇〇づと」というものがある。
以前ご紹介した藁の卵パック「卵つと」はその極みだ。何て美しい造形なんだろう。

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山形地方に伝わるという「卵つと」。
直感的に美しい。昔は貴重だった卵を大事にいとおしむ気持ちが伝わってくる。
(資料:岡秀行「How to wrap eggs」、「草と木で包む」月刊たくさんのふしぎ 福音館書店)

滅びゆくもの

想うのである。
この米俵を一つ作るのに、どれだけの時間がかかるのだろう。
藁を叩いて、編んで、形を作って・・・
夜なべ仕事だろうけど、いったいどれくらい時間がかかるのだろう。
そうやって時間をかけて作ったものは、用が済んだら捨てられるわけがない。
少し解体して、また別の他のものに使うだろう。
自分の大切な時間を使い、自分の手で作ったものだ。
もったいなくて捨てるわけがない。
それは、自分の時間と手間を捨てるということだ。

ケニアのワンガリ・マータイさんの言動で再認識された「もったいない」は、
実は、倹約とか節約だけの軽い言葉ではない。

「もったいない」は、「勿体(もったい)」が無いことで、
「勿体」とは、そのものが本来持っているあるべき姿のことである。
だから、本来持っていたあるべき姿を失うということは、とても残念なことである。
残念というよりも、かけがえのないものを失った悲しみは、
悲痛で悔しく、許しがたく、胸が裂ける思いである。
「もったいない」とは、本来そういうことなのである。

僕たちは、3個入っている納豆や10個入っている卵を手に取っても、
それは別段どういうこともない当たり前のことで、特に何も思わない。
「もったいない」と、とりたてて言う話ではない。

というふうにして、様々のことが「もったいない」という領域から離れていく。
それは社会の進歩であることは明らかなのだが、
僕にはぼんやりと引っかかり、釈然としないものがある。
それによって失われたものも少なからずあるのではないか、と。
そして、やがてそのことさえも気づかなくなっていくのでは、と。

還暦、初孫、母の死・・・生まれてくるもの、滅んでいくもの。
誰もが経験する人生の出来事にいやおうもなく流され続けた一年を振り返り、
ものが本来持っているあるべき姿について、漠然と考えている自分がいる。

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ニライカナイからの風(2017.11)

アメリカ世

思えばトランプさんが大統領になってから、はや1年が過ぎようとしている。
(まだ3年もある)
忘れもしない昨年の11月11日、ガラスの天井は破られず、
まさかまさかのトランプさんだった。
あの日、誰もが驚き、いろいろな人と話をしたことを覚えている。
「〇〇ファースト」
・・・何かおかしな雰囲気が、あれから世界中に蔓延したような気がする。
もちろん、日本も。
アメリカはいったいどこに行くんだろう。

ところで、「アメリカ世」という言葉を知っておられるだろうか?
4,5年前、沖縄のどこだったか忘れたが、歴史民俗資料館の展示を見ていたら、
なんじゃこりゃ?という資料に出くわした。
特に変わった資料ではない、ただの年表なのだが、こんな年表初めて見た。
近代のところに「アメリカ世」とある。
初めて聞く言葉だ。
沖縄では、これを「あめりかゆー」と発音するそうだ。

「アメリカ世」は、太平洋戦争で日本が負け、アメリカが沖縄を統治した27年間を言う。
正確に言うと、
サンフランシスコ平和条約により、沖縄・奄美・トカラ列島は日本から切り離され、
アメリカの「琉球列島米国民政府」の施政下に置かれたのだ。
沖縄は、正式に日本ではなくなったのだ。

沖縄がアメリカの統治下にあったことは誰でも知っていることだ。
しかし、冷静に考えればわかることだが、
日本ではなくなったと踏み込んで考えたことはなかったんじゃないかな。
僕がそうであるように。
沖縄は、アメリカが占領していたのではなく、はっきりとアメリカの国だったのだ。
近代の中に「アメリカ世」という時代がある年表を目の当たりにして、
僕は初めてそのことの重さを認識した。

琉球処分

沖縄の年表を見ていて、もうひとつ異質なことに気づいた。
明治時代の始まりの所だ。
年表の明治時代の始まりの線が日本の(本土の)のものとずれている。
これも沖縄で年表を見て初めて気づき、初めて知った。

「琉球処分」といわれることがあったのだ。
「日本の」明治時代の前は江戸時代なのは誰でも知っている、
というのはヤマトンチュー(本土人)の勝手な言い方で、
ウチナンチュー(沖縄人)からみれば、
明治時代の前は、なんと、日本ではないのだ。
琉球王国という独立国家だったのだ。

言われれば当たり前だが、そんなことそれまであまり考えたことがなかった。
明治政府は、明治5年 (1872年)に琉球王国を廃して琉球藩とし、
さらに明治12年(1879年)琉球藩を廃して沖縄県を置いた。
これを「廃藩置県」ということは学校で習ったとおりだが、
沖縄では「琉球処分」なのだ。
当時、琉球王国は清と従属関係にあった独立国家であったが、
明治政府が無理やり支配下に、すなわち日本に組み入れたのだ。

琉球の廃藩置県は、琉球王国と宗主国である清の強い抵抗でなかなか実現しなかった。
明治政府は、清に対しては、
台湾に漂着して殺害された琉球人に対する報復を名目に台湾出兵を行い、
被害者は日本国属民であり、琉球が日本に属することを認めさせた。
一方、琉球に対しては、武力を背景に廃藩置県を要求し、
琉球王の尚泰に首里城を明け渡させた。
これにより、琉球王国は崩壊したのだ。

この一連の騒動が「琉球処分」なのだ。
従って、一般的には廃藩置県は明治4年(1871年)なのだが、
沖縄では明治12年(1879年)なのだ。
従って、沖縄での明治時代の始まりは本土(日本?)より遅く、明治12年からなのだ。

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那覇の下町で見かけた超レトロな店。なぜか「琉球政府」という免税店だ。

何ともひどい話だ。
「琉球『処分』」という言葉にそれが如実に表れている。
琉球は「処分」されたのだ。
学校で教える日本歴史の廃藩置県は明治4年(1871年)というのは正しくないじゃないか。
沖縄のことは、本筋からそれた例外だという姿勢には、上から目線を感じる。
アメリカ世のことも、琉球処分のことも、知らなかったことを恥じ入るばかりである。
沖縄戦はもとより、昔から続くこのような仕打ちの積み重ねに、
沖縄の人のことを想うと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

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年表にすればこうなる。グレーの部分は、沖縄(琉球)が日本ではなかった時代だ。

「律する」文化と「許す」文化

沖縄に住んでいる本土出身の後輩が、最近共感した話として、次のような話をしてくれた。
ヤマトンチューの文化は「律する」文化であるのに対し、
ウチナンチューの文化は「許す」文化であると言うのだ。

彼は先日、家族で久しぶりに東京に行ったそうである。
そうすると、見知らぬ人から怒られっぱなしだったそうである。
子どもが泣いてうるさい。
奥さんの旅行バックが体にあたった。
本人が歩いていてぶつかりそうになった。
怖い顔をされ、時には罵倒され、とても怖く、嫌な思いをしたそうだ。
断っておくが、彼は首都圏の大学の出身で、都会を知らない田舎者ではない。

確かに、自分たちに落ち度はあるのだが、何もそこまで怒らなくてもいいじゃないか、
沖縄だとそういう反応はないのに、と思ったそうだが、
先の話を聞いて合点がいったという。

他人に迷惑をかけないようにすることは当たり前のルールで、
そのために自分の責任が及ぶ範囲のことはいつも気をつけてきちんと行うのが、
「律する」文化である。
これに対して、迷惑をかけようと思ってやっているのでないならば、
その人に非はないのだから、目くじらを立てるべきではないというのが、
「許す」文化である。

「自由と責任」を第一義とする神経質な小生は前者の典型であるが、
一方で、自分にはないおおらかさを持つ人が羨ましい。
沖縄の人の「なんくるないさー」な態度に接すると、
いいかげんだなと思うこともあるが、それ以上に、おおらかで心地よく、
せこい自分は小さく嫌な奴だと思われてくる。

悪意に満ちた人はなく、誰もが「許し」合えるなら、
どんなに平和で幸せな世界になるだろう。

その昔、「処分」されて無理やり日本に組み入れられ、
日本本土の捨て石とされて県民の4人に1人が殺された上に、
その後27年間も別の国になり、今も大きな負担を負わされている沖縄の人たち。
加えて、
それらのことをちゃんと認識できていない本土(日本?)のほとんどの人たち。
であるのに「許す」文化を脈々と受け継ぐ沖縄の人たち。

「ニライカナイ」は海の彼方にある沖縄の人の理想郷である。
魂はそこで生まれ、またそこに還っていくという。
「いちゃればちょーでー」(行き会えば兄弟)。
ニライカナイから来たウチナンチューは、あくまでもフレンドリーだ。

物事の本質を深く見つめて己を「律し」ながら、
人の身になり、人に寄り添い、「許す」ことのできる人間でありたい。
そうすれば、僕も「ニライカナイ」に還っていくことができるかもしれない。

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沖縄の亀甲墓。沖縄の人は、先祖をとても大切にする。
亡くなった沖縄の人の体はここに、魂はニライカナイへ。

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秋晴の空から大いなる無秩序へ(2017.10)

空はなぜ青い

延々猛暑日の夏から一転、「天高く馬肥える秋」である。
実に清々しい。
が、実はこの諺のいわれは大変な話なのである。
中国版「七人の侍」なのである。

黒澤明の「七人の侍」は、
収穫の時季になると農民を襲いにやって来る野武士と戦う話だ。
同様に、昔、中国では、秋の収穫の時季になると匈奴が略奪にやって来るので、
その季節は警戒しろというのがいわれらしい。

しかし、なぜ天が高く見えるほど空は青いのだろう。
太陽光は、赤橙黄緑青藍紫の七色が集まったもので、赤が最も波長が長く、紫が最も波長が短い。
大気中には水蒸気など様々なものが含まれていて、
波長が短い光ほどこれらにあたって散乱する。
だから波長の短い青藍紫の青色系の光がわれわれの目に届き、空は青く見えるのだ。

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朝焼けや夕焼けは、太陽の位置が低いため、太陽の光が長い距離を進む。
その間に青色系の光は散乱しきってしまい、残った赤色系の光が散乱されて起きる。

逍遥遊

天高く澄んだ青い空を見るといつも思い出すのが荘子の逍遥遊(しょうようゆう)である。
荘子内篇の最初を飾る物語、「北冥に魚あり、其の名を鯤と為す」で始まる逍遥遊篇は、
荘子という書物の何たるかを語る、荘子の巻頭を飾るにふさわしい壮大で自由な物語である。
逍遥遊は、ざっと次のような話だ。

北の果ての暗い海に鯤(こん)という魚がいる。その大きさは、何千里あるのか見当もつかない。
鯤は、時を迎えると姿を変えて鵬という鳥になる。その背の広さは、幾千里あるのか見当もつかない。
鵬が飛び立てば、その翼はまるで青空を覆う雲のようだ。
鵬は、海が荒れ狂う時、風に乗って天の池である南の果ての海に飛翔する。
地上では、陽炎やごみのように生きものがひしめきあって呼吸している。
その上に広がる大空の青々とした色は、大空そのものの色なのか、
それとも遠く限りがないからそう見えるのだろうか。
鵬が下を見下ろすと、このように青々と見えているに違いない。

秋のどこまでも青い空を見ると、いつもこの逍遥遊を思い出すのである。
荘子とは、とてつもないことを考える人である。
そもそも、「鯤」とはカズノコやイクラのような魚卵を意味する漢字だ。
微小な魚卵が何千里あるのか見当もつかない大きな魚になり、
その魚がさらに変身して大きな鳥になって、天にある海に行くというのである。
なんとまあ壮大かつ支離滅裂な話だ。

このように、逍遥遊はそのひとつひとつがとんでもない話だが、
中学生か高校生の時、漢文の授業で最初にこの文章に接した時、特にハッとしたのは最後の

「大空の青々とした色は、大空そのものの色なのか、
それとも遠く限りがないからそう見えるのだろうか」
(天の蒼蒼たるは其れ正色なるか、其れ遠くして至極する所なければか)

の部分である。

秋の天高く澄んだ青い空の不思議さを言い表したもので、これ以上のものに出会ったことはない。
なぜ空は青いのか、それは空の色なのか、それでは空とは何か、空はどこまで続いているのか。
2,300年も前に書かれたものが、現代の物理学的な色彩を帯びているのは面白い。

注意しなければならないのは、
鯤は、この限りなく広がる蒼蒼たる天を見上げているのではなく、見下ろしているのである。
これはとんでもない着眼点だ。
飛行機はもとより、地球や宇宙という概念のない時代に、
大空を見下ろすという発想がとんでもないと思うのである。
逍遥遊では、鯤が空の上から空を見下ろしても、同じように青々と見えているに違いない、と言っている。

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天の蒼蒼たるは其れ正色なるか、其れ遠くして至極する所なければか。
鯤は、この大空のどこまで飛翔したのだろう。

渾沌の話

逍遥遊篇で始まる荘子内篇は、應帝王篇で終わる。
従って、應帝王篇は荘子内篇の結論ともいえる。
荘子内篇の最後を飾るこの應帝王篇がまたとんでもないのである。
鯤に続いて小生の好きな渾沌(こんとん)の話である。
渾沌の話は、ざっと次のような話だ。

南海に儵(しゅく)、北海に忽(こつ)、中央に渾沌という3人の帝王がいた。
儵と忽は、ある時渾沌の地で出会った。そこで渾沌は2人を厚くもてなした。
儵と忽は渾沌のもてなしに報いようと、次のように相談した。
人には7つの穴(目2、耳2、口1、鼻2)があり、これらによって見、聞き、食べ、呼吸をしている。
しかし渾沌にはこれらがないので穴を開けてやろうではないか。
1日に1つずつ穴を開けていくと、7日目に渾沌は死んでしまった。

なんとまあ、福笑いのような突拍子もない話だ。
いったいどんな顔だったのか、一度渾沌を見てみたかった。
逍遥遊のところで物理学的な色彩を帯びていると書いたが、
荘子が愛読書だった湯川秀樹は「本の中の世界」で次のように言っている。

「儵も忽も素粒子みたいなものだと考えてみる。
それらが、それぞれ勝手に走っているのでは何事もおこらないが、
南と北からやってきて、渾沌の領土で一緒になった。素粒子の衝突がおこった。
こう考えると、一種の二元論になってくるが、
そうすると渾沌というのは素粒子を受け入れる時間・空間のようなものといえる。
(中略)今から二千三百年前の荘子が、
私などがいま考えていることと、ある意味で非常に似たことを考えていたということは、
しかし、面白いことであり、驚くべきことでもある」

一般人から見れば現実離れした一見奇妙な理論である量子物理学と渾沌のイメージは、
確かに何か共通のものがあるような気がする。

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湯川秀樹著「本の中の世界」岩波新書。
自然の力は圧倒的に強く、人間の力ではどうにもならない自然の中で、
人間はただ右へ左へふり廻されているだけという真理に、
反発しつつも同時に強く惹かれると湯川秀樹は語っている。

あるがままに

渾沌、即ち混沌、カオスである。
渾沌の話は、物事に無理に道理をつけることの戒めとか、
人間の浅知恵による自然破壊とかに一般的には解されるが、
道教での解釈はもっともっと深淵なものである。

渾沌は、まさにカオスなのだが、単に無秩序という意味ではなく、
価値や分別を越えた根源的な本質、真理なのである。
人間の五感や考えなどというものは、ちっちゃな秩序でしかなく、
それによって世界や物事の真理や本質を見ることはできない。
所詮ちっちゃな人間の分別や作為が、真理や本質を見失せてしまうのである。

あるがままの形ですべてを包含したものは、大いなる無秩序だが、命がかよっている。
どこまでも青いこの大空のように。

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失われた物・失われた時(2017.9)

どいつもこいつも、どうしてこうなんだ

1年前、引越しの後片付けでバタバタしていた時、
それを見越して出入りの電気屋のおじさんが「最近の掃除機はすごいですよ」
とロボット掃除機(固有名詞は出せないので、こう表現することにする)を持って現れた。
「置いて帰りますから、ちょっと使ってみてください」
そう、あのほっといても自分で動き回って掃除をするやつ、座敷犬や猫の天敵のあれである。

仕事から帰って妻に「あれはどうだった?」と聞いたら、
「あれはダメ」と言う。
「何で?」と聞くと、とにかく家具にぶつかりまくって、見ていて気の毒になるという。
「コマーシャルで写ってるようなフローリングの広々とした部屋は普通の家じゃないよね」
と妻は言いつつさらに続けて「それにね、あれには最大の弱点があることが分かったの」と言う。
「ロボット掃除機は、吸い込んだゴミの処理が大変なのよ」
おいおい、ロボット掃除機を掃除する掃除機がいるってことかよ。

熱帯魚のライトの蛍光灯の端が黒くなり、
お化け電気になって点滅し始めたのをしばらくほっておいたら、ついに全く点かなくなった。
で、ホームセンターに観賞魚用の蛍光灯を買いに行ったのである。
ところが、どこを探してもないのである。
前は、「魚をきれいに見せる」蛍光灯とか、「自然光に近い」蛍光灯とか、
観賞魚用の蛍光灯でもいくつかの種類があったのだが、それがまったくないのである。

で、店員さんに聞いてみたら、
「蛍光灯なんかもう全く置いてないですよ。今は全部LEDですよ」と言われてしまった。
仕方がない、LEDを買うか、と手に取ったのはいいが、これが高いのである。
たかが熱帯魚の水槽のライトが5千円近くする。
蛍光灯は1本数百円だったのに。

バカチョンデジカメが、スイッチONしてもレンズが出なくなった。
で、メーカーのサービスセンターに持って行ったら、修理センターに送るという。
「修理代は?」と聞くと、「わかりませんが、4,5千円ぐらいじゃないでしょうか」と言う。
おいおい、1万円ちょっとで買ったカメラの修理に4,5千円かよと思い、
バカバカしいので新しいデジカメをまた1万円ちょっとで買った。

昨年、引越しでたくさんのものを処分したのだが、
その際、古いデジカメと新しいデジカメの箱を取り違え、
うかつにも新しいデジカメの方の箱を捨ててしまったようだ。
デジカメのバッテリーが少なくなったので充電しようと思い、
はじめて箱を取り違えてバッテリーチャージャーを捨ててしまったことに気がついた。

で、バッテリーチャージャーだけ取り寄せることができるかとメーカーに問い合わせると、
家電量販店で購入できるという。
で、家電量販店に問い合わせてみたのだ。
店員「在庫はあります」。小生「おいくらですか?」。店員「4,500円になります」。小生「・・・」

おいおい、またかよ。
バカバカしいので新しいデジカメをまた1万円ちょっとで買おうとはさすがに今回は思わず、
自分に腹を立てながら、結局、リサイクルショップで適当なものを5千円で買ったのだ。

使われなくなったもの・使われなくなった技術

会社の暮れの大掃除の時に、いつも捨てられなくてずっと持っているものがいくつかある。
もう使うことは多分ないのだけど、捨てるに捨てられないのだ。
その代表は、マーカーだ。
マーカーといったってただの色付きペンではない。
何十色もあるデザイン用のマーカーだ。
30年近く前、入社した頃は会社にランドスケープの計画図などを描く者などおらず、
計画平面図の着色のため順次買い揃えていったものだ。

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スピードリーマーカー。図面のカラーリングの必需品(だった)

なぜ使われなくなったか、それはパソコンの普及のためだ。
あらゆる図面はCADで描き、デザインワークはIllustratorとPhotoshopだ。
手で描く時代ではないのだ。

死に絶えた道具はマーカーだけではない。
ロットリング、スクリーントーン、レトラライン等のデザイン用品、
平行定規や勾配定規、雲形定規に鉄道定規、様々なテンプレートやコンパス、
字消板に芯削器、サンスケ(三角スケール)などなどの製図用品。

社屋の引越しの際、ドラフターとライトボックス(透写台)を廃棄すると言われた時は、
さすがに胸が痛んだ。
図面を描くのにドラフターを使っていたのは、もう僕だけだったのだ。
当時、自費で買ったドイツの老舗筆記具メーカー・ファーバーカステルの72色の色鉛筆は僕の宝物だ。
しかし、ここ20年使ったことはない。

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ドイツの銘品ファーバーカステル72色

小生が社会人になったころは、
これらのデザイン道具をいかに扱えるかというのがひとつの重要なスキルだった。
マーカーにせよ、スクリーントーンにせよ、微妙なテクニックが必要なのだ。
マーカーは滲むことを頭に入れて、塗るラインの少し手前で止める。
スクリーントーンはデザインナイフでライン上でぴったりカットする。
そんな技術はもうどこかへ行ってしまった。

図面を描く時は、
A1のトレペ(青焼きするので第一原図は必ずトレペに書くのだ)全体の割り付けを考え、
基準となる線や部分から描き始める。
今から思えば、ここが実に重要なところで、考えながら描くという動作が自然に身につく。
手描きの図面は、CADで描いた図面のようにレイヤーに分けたり、
グループ化して移動やコピペ、拡大・縮小や回転はできないのだ。
一発勝負なのだ。

図面というものは、一つひとつの線にすべて意味がある。
敷地境界から植栽枡を〇mの幅で設け、そこから縁石や側溝も含めた道路幅は〇mで、
法面の法尻まで〇cmの余裕幅をみて・・・というふうに色々な事を考えながら線を引いていくのだ。
何か問題があれば、そこまで戻って、それまで描いたものは全部消しゴムで消さなければならない。

CADは便利だ。
機能性、効率性、利便性、汎用性、あらゆることで手描きは足元にも及ばない。
しかしだ、あの真っ白なA1の用紙に対面した時のときめくような一発勝負の気概と深い思考は、
たぶん、もう、ない。

時間と引き換えにしたもの

使われなくなったものや使われなくなった技術に代わるものは、
その対価として時間を得た。
得た時間は、機能性や効率性、利便性や汎用性など様々なものを生み出した。
しかし、そのことにより失われた大切なものもある、と思うのである。
ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す。
「モモ」は、ざっと次のような時間泥棒の物語である。

ある日、「時間貯蓄銀行」の男たちが街にやってきて、人々に時間を節約することを勧め、
人々の時間を盗み始める。
その結果、人々は時間に追われるようになり、心もギスギスするようになった。
人の話を聞いてあげることにより、その人が本来の自分をとりもどす能力を持つモモは、
街の異変に気づき、時間をつかさどるマイスター・ホラの力を得て、
時間の貯蔵庫にある盗まれた時間をみんなのもとへ解放した。
モモの活躍で盗まれた時間が元にもどり、
人々は時間に追われることなく、以前のように楽しく過ごせるようになった。

時間をつかさどるマイスター・ホラは、時間についてモモに次のように語る。

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、
きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じとるために心というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ」

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ミヒャエル・エンデの「モモ」
時間を感じとるために心があり、心の上に人の命は成り立っている。
「時間とは、生きるということ、そのものだからです。
そして人のいのちは心を住みかとしているからです」

箒を手にした妻が言った。
「結局、これが一番使い勝手がいいわ。
部屋ごとにコンセントを差し替えなくていいし、思ったときに思ったところですぐ使える」

どうやら妻は時間を味方につけ、時間を自由に操れるようになったようである。

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ドラクエとウルトラマンが教えてくれた(2017.8)

平和公園の異空間

また夏が来た。去年の夏の日を思い出す。いつものように暑い日。
元安橋。平和公園のど真ん中。
原爆資料館で沈痛な衝撃を受け、原爆慰霊で素直な気持ちで手を合わせ、
その気持ちを胸に抱いたまま、平和の灯や原爆の子の像から原爆ドームに向かう元安橋。
あの日、その下を亡くなったおびただしい人が流れていった元安橋。

その元安橋の橋の上や橋のたもと。
スマホを手にしたたくさんの人。
ある者は地べたに座り込み、ある者は車座になって、
みんなそれぞれ別々の方向を向き、物も言わずにスマホに見入っている。
原爆の日を間近に控え、この連中をどうするんだ。
平和公園でこんなことが許されるのか。
そんな異様な、場違いな光景がなくなって久しい。

ついにゲームは野外でやるものになった。それ自体はいいことだと思う。
引きこもりを外に引っ張り出し、運動不足の人に適当な運動を与え、いいことだと思う。
TPOをわきまえ、人に迷惑をかけなければ。

しかし、たかがゲームがここまで進化するとは。
ゲームの創成期が青春時代と重なる小生達の年代は、
ゲームとともに歩んだ世代と言えるかもしれない。
大学生の頃登場したのが、ブロック崩しとインベーダーゲームである。

当時の喫茶店には必ずインベーダーゲームのゲームテーブルがあった。
1人もしくは2人がけのブラウン管が埋め込まれた小さなテーブルで、
100円を入れてゲームをするのである。
今の若者は知らないだろうなあ。
熟達者がやる必殺技「ナゴヤ打ち」には目を見張った。
当時出始めた150円のポカリスエットを飲みながらやったもんだ。

そして、次に登場したのが、ファミコンである。
エンジとクリーム色の今から思えばちゃっちいゲーム機だった。
ファミコンと言えば、まず、スーパーマリオだろう。
しかし、こちらは手先の器用な子どもたちに譲って、ファミコンと言えば、
それはもう、ドラクエだ。

そして伝説へ・・・

小生は友人から勧められ、ドラクエⅢから始めたのだが、これは、はまった。
ロールプレイングというスタイルがぴったりはまった。
自分の分身である主人公と一緒に様々な街や城を訪ね、
様々な人と話をし、山や森や洞窟を冒険し、
様々な体験を通じて主人公を成長させていく。
これには、はまった。

あのテーマソングが耳に入ったり、「アリアハン」(主人公の故郷の街)と聞くだけで、
今も胸が熱くなる。
ラスボス(実は違うのだが)魔王バラモスを倒して「やったー」と思ったら穴に落ち、
別の世界が広がり本当のラスボス・ゾーマとの戦いが始まるという、
9回裏の逆転ストーリーにも感心した。

Ⅲをやった後、Ⅰ・Ⅱをやったが、落ちた穴の下の世界はⅠ・Ⅱの世界だと後から知った。
Ⅰ・Ⅱをやった人がⅢをやったら、感動することは容易に想像できる。
そして初めて「そして伝説へ・・・」というサブタイトルが腑に落ちる。
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲは勇者ロトの伝説物語なのだ。

しかし、Ⅰ・Ⅱの「ふっかつのじゅもん」は辛かったね。
書いた紙きれをなくした経験は、やった人ならみんな持ってるんじゃないかな。
今じゃありえんね。
しかし、それがまた、ゲームを大切にすることにつながるんだよね。

攻略本は決して買わず、
落とし穴のあるタンジョンは何回も歩いて落とし穴から落ち、
すべての落とし穴の位置を自分で探し出して方眼紙に記録したり、
武器を持たず、素手でラスボスに勝てるまで成長させたりとか、
信じられないことをやる尊敬すべき猛者がわが社にはいる。

それと、主人公の名前は自分の子供の名前にし、
パーティーは自分と妻の名前にしていた人が多かったね。
懐かしいなあ。

ドラクエに惹かれるのは、戦いや謎解きだけじゃない。
そのストーリー展開やちょっとしたセリフにある。
ドラクエⅤで、主人公と妻が石にされ、10年間ほっておかれる場面がある。
石となってうち捨てられた彼の上に淡々と雪が降り積もるシーンは、
たかがゲームとはいえ、胸が張り裂けそうになった。

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ドラクエⅢ。僕の中では最高のゲーム。
CGやVR全盛の今でも、RPGの要素が詰まった原点、バイブルだ。

ドラクエだけでなくFF(ファイナルファンタジー)はもちろん、
当時はいろいろなRPGをやったけど、
特に心に残っているのは「MOTHER」である。
「MOTHER」は糸井重里の作品で、
アメリカの田舎町を舞台にした宇宙人襲来という異色のストーリーだ。
随所に糸井重里流のウィットに富んだ社会批評や言い回しがある。

各家庭に置かれたテレビ風の侵略者の配布物を「幸せの箱」といったり、
戦闘でモンスターに勝利すると、
「○○はわれにかえった」とか「○○はおとなしくなった」など表示され、
敵を殺したわけではないことを示唆するのも心憎い。
「MOTHER」は、ずいぶん前に「MOTHER3」が出た後続編はなく、
ぜひ続編を作ってもらいたいシリーズだ。

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「MOTHER」1・2・3。
「指輪物語」をその源流とするような勇者や魔法が活躍するファンタジーではなく、
現代社会に宇宙人が襲来するというストーリーは、斬新である。
さすが、糸井重里。


ウルトラマンの苦悩

RPGにせよ、シューティングにせよ、アドベンチャーにせよ、
モンスターが登場する映像の原点を遡ると、ウルトラQとウルトラマンにたどり着く。
ウルトラQやウルトラマンには、一筋縄ではいかないいくつかの物語がある。

そもそもウルトラマンは、地球を救うためにやってきたのではなく、
宇宙の正義を守るためにやってきたのだ。
従って、もし、人類が結果としてこれらに反するような行動をとれば、
ウルトラマンは自分の行動と宇宙の正義の狭間で苦悩するのである。
だからウルトラシリーズは、単純な勧善懲悪の物語ではなく、
怪獣を含む他の生物や環境問題に対する人間のエゴのありようをにじませるのである。

最も心に残る話が「故郷は地球」のジャミラである。
ジャミラは元々人間の宇宙飛行士だった。
宇宙飛行士はある惑星に不時着するが、
宇宙開発競争にしのぎを削る祖国に見捨てられ、
水のない惑星に順応するうちジャミラという怪獣に変身し、
復讐のために地球にやってくるのだ。
ジャミラは、科学特捜隊本部の指令により、
元人間だったということは秘され、怪獣として葬り去られる。

ウルトラマンシリーズに登場する様々なウルトラマンは、
時に怪獣との戦いを後悔したり、戦いの中で大切なものを失ったりして苦悩する。
ひとつの命の中に、人間とウルトラマンの二つの命を有するウルトラマンは、
二つの体と心のギャップに苦悩するのだ。
ウルトラマンは、地球では孤独だったろうと思う。

自立と自由

日本語では単に「孤独」だが、英語では「loneliness」と「solitude」がある。
この2つは明らかに違う。
「loneliness」は、疎外され、孤立して、友達や仲間がおらず、
「一人ぼっち」なのであるが、
「solitude」は「solo」、つまり「一人」なのである。

「一人ぼっち」は自分でその状況を改善することはなかなか難しいが、
「一人」は自分が希望すれば二人にも大勢にもなることができる。
逆に言えば、一人でいたいから「一人」なのだ。

「一人」とは即ち「群れない」ということである。
自分のやりたいことを自分の意志と自分の責任でやるということだ。
すなわち、自立と自由ということである。
自立した自由な人とはなんと素晴らしいことだろう。
だから僕は「孤独(solitude)」を愛する。
それは決して一人ぼっちじゃない。

「おひとりさまの〇〇」・・・最近よく聞く言葉である。
晩婚化の中で、シングルの人だけが「おひとりさま」のように言われるが、それは違う。
人は誰も自分の意志で生まれてはこれない。
自殺以外は自分の意志で死ねない。
そして、どんなに多くの家族に囲まれていても、生まれてくる時と死ぬ時は一人である。
「おひとりさま」で生まれ、「おひとりさま」で死ぬのだ。
だったら、せっかく生まれてきて生きている時は自立した自由人として生きたい。
「孤独(solitude)」な人間で生きていたい。

大丈夫だ、ウルトラマン。
君は誉れ高き「孤独(solitude)」にあったのだ。
決して「一人ぼっち」なんかじゃなかった。
ゼットンとの戦いの後、君は、そして伝説になったのだ。
ドラクエとウルトラマンは、僕に自立と自由、そして「孤独(solitude)」を教えてくれた。

もちろん、7月29日発売のドラクエⅪは発売日に買い、
一人「孤独」な楽しみに浸っている。

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