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「ない」ものから見えること(2018.2)

「ないものはない」

先月末、島根県は隠岐の島の小学校に出前授業に行った。
今年一番の寒波襲来の中、前日2日は波浪警報でフェリーが欠航した中での出航だ。

隠岐の島は、本土から60km離れた日本海に浮かぶ離島で、
ほぼ円形の形をした大きな島と、
そこから少し離れて小さな島が3つ集まっている2つの区域から成り、
前者を島後、後者を島前という。

島前にある海士町は、1島1町の人口2,400人の小さな町である。
小さな町であるが、全国的に知る人ぞ知るただ者ではない町なのである。

どうただ者ではないかというと、まず、過疎の代名詞のような離島にあって、
ここ10年間に400人のIターン移住者を集めているのである。
なんと、町の16人に1人が移住者なのだ。
県の人口が70万人(広島「市」の人口の6割)を割った島根県にあって、
海士町は、唯一の人口増加自治体なのである。

どうしてこんなことができたのか。
まず、島前唯一の高校である隠岐島前高校に特別進学コースと地域創造コースを設けるとともに、
公立の塾を作り、地域の最も貴重な資源である若者に対して魅力ある環境を創った。

一方、社会経済の基盤となる産業分野では、CASという最新の冷凍システムを整備し、
特産の岩ガキやイカなどを、鮮度を保ったまま首都圏などに出せるようにした。
40億円の財政規模で5億円の投資をしたというのだから、その決断と行動力はただ者ではない。
その他いろいろあるのだが、シビレたのは何といっても「ないものはない」宣言である。

「ないものはない」宣言は、
「海士町らしさ」を表現するCI(コーポレート・アイデンティティー)戦略である。
海士町によれば、「ないものはない」という言葉は、
①なくてもよい ②大事なことはすべてここにある という二重の意味を持っているそうである。

海士町は、モノは豊富ではないが自然や郷土の恵みは潤沢で、
暮らすために必要なものは充分ある。
そして、地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、
シンプルでも満ち足りた暮らしを営む真の幸せ、本当の豊かさがある。
素直に「ないものはない」と言えてしまう幸せが、海士町にはある。
と言いきっている。

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「ないものはない」のポスター。
このデザインで職員の名刺や役所の封筒なども統一されている。
コンセプトをこれほど象徴的・印象的に、かつ視覚的に分かりやすく訴求力をもって伝えるICはなかなかない。

無と有・空と色・陰と陽

「ない」―すなわち「無」―という言葉は、なかなか難しい言葉である。
あるインド哲学によれば、「無」は「虚」(うつろ)ではなく、「無」が満ちているという。
つまり、「無」がいっぱいに「有」(存在)しているということだ。
このような絶対的な「無」は、「ある」に対する「ない」ではなく、
「ある・ない」の存在論を超えているのだ。

有名な般若心経の「色即是空」の「空」がこれに近いイメージだ。
「空」には認識できる実体はないが、エネルギーのようなものが詰まっている。
エネルギーのようなものは見えないが、刻々と姿を変え、
何かのきっかけ(縁)があれば形(色)をもって現れる。
すなわち「空」とは、
きっかけによって事象が現れることができるような基礎的な平衡状態を言うのである。

宗教的な話からぐっと科学的に方向転換して、
ここで思うのが量子力学や宇宙の始まりの話である。

宇宙ができる前は、文字どおり「空」で、「空」間も、時間さえも「無」かった。
しかし、プラスとマイナスの素粒子が相殺し合って何も「無」いようにみえていた「空」が、
「ゆらぎ」によってその均衡が破れ、「無」から「有」が生じた。
そのとたん、空間の急激な膨張(インフレーション)とビックバンが起こり、
あっという間に宇宙が誕生した。
「無」から「有」が生じ、「空」は「色」となったのである。

本に書いてある宇宙誕生の話は、日本語としては理解できるのだが、
何とも実感の伴わないイメージすることが難しい話である。

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宇宙誕生から現在まで。
137億年前、素粒子の「ゆらぎ」により宇宙が誕生した。
「ゆらぎ」からビックバンまでの時間は10の-33乗秒で、その温度は10の28乗度だったそうだ。
数字を聞いても、全くイメージできない。(資料:Pixabay)

以上は西洋の現代科学による宇宙の始まりだが、
東洋の古代文明による宇宙の始まりもいろいろな示唆に富んでいて興味深い。

太極図というものをご存知だろうか。
下の図のようなもので、大韓民国の国旗の真ん中にあるやつである。
「太極」とは宇宙・万物の根源という意味である。
宇宙にはまず「陰」と「陽」が現れ、次にそれがそれぞれ2つに分かれ、
それがまたさらにそれぞれ2つに分かれて世界を創っていった。

この黒と白の巴型が「陰」と「陽」なのだが、
先程の「空」の中でゆらぐプラスとマイナスの素粒子と同じような話だ。
科学的な現象や真理は、昔から人間が沈思してきた思惟と思わぬ類似があるものである。
何千年もの昔から、東洋の人達は宇宙の真理を見つめてきたのだろうか。

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太極図。
始めは小さかった陰(陽)がだんだん大きくなり、やがてそれは陽(陰)に変わっていく
―「陰極まれば陽に変ず」。
しかも、極まった陰(陽)の中には陽(陰)がある(図中の小さな丸)
―「陰中の陽」。

今、そこにある幸せ

「ないものはない」の2つの意味のうち、1番目の「なくてもよい」は、
持たないものは失うことはないから、必要以上の無駄なものは持たないということである。
2番目の「大事なことはすべてここにある」は、
アニメのキン肉マンでラーメンマンが言った「ないもの以外はすべてある」を思い出させる。

「ないもの」は、大事ではないものなのである。
だから、「ここにあるもの」は、すべて大事なものなのである。
そして、大事なものは、あれもこれも、というものではない。

大事なもの―すなわち、真の幸せ、本当の豊かさは、慎ましやかなものなのだ。
だから、それは特別な場所にあるのではない。
毎日の生活の、今あるところにあるのだ。
気づかないだけなのだ。
僕たちの心の持ちようだけなのだ。
あなたの、僕の、すぐ横にあるのだ。

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満たすべき入れ物(2018.1)

みてる

学生時代、千葉の稲毛というところに住んでいた。
夏休みや冬休みに帰省した時、高校時代の友達と会い、
今どこに住んでるの?と聞かれ、
千葉の「いなげ」というところと答えると、必ず笑われた。

「そりゃほんまに地名か。いなげなところに住んどるんじゃのう」
広島弁で「いなげ」とは、「異なげ」であって、「変な」という意味なのである。
どこに住んでいるかとたずね、変なところに住んでいると答えられたら、
そりゃ相手はどんな変なところに住んでいるのかと聞いてみたくなるよね。

方言というものは、共通語とは全く違う意味を持つものがある。
それどころか、正反対の意味を持つものもある。
広島弁の「みてる」がそうである。
広島弁の「みてる」は、「満てる」の逆で、「なくなる」という意味なのだ。
「はや、みてた」は、「もう、なくなった」という意味である。
他所から広島に来て、「みてる」で戸惑った人や失敗した人の話は多い。

満ちれば欠ける

本来の「満ちる」という言葉については、「満ちれば欠ける」という諺がある。
この出典は2つあって、
ひとつは「月と恋は満ちれば欠ける」というポルトガルの諺で、
もうひとつは中国の史記の中の「月満つれば則ち虧く」という言葉である。
洋の東西を問わず、満ち欠けの象徴は月というのは不変のようである。

「満ちれば欠ける」という諺は、栄枯盛衰、盛者必衰、生者必滅という意味である。
ここで思い出すのが、藤原道長が詠んだ歌である。
藤原道長は自分の娘を次々と天皇と入内(結婚)させ、平安時代の摂関政治の頂点に立った。

 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

なんという尊大な歌だ。
「満ちれば欠ける」という道理を完全に無視している。
沈む太陽を扇で呼び戻したという平清盛と双璧だ。
驕る平家は久しからず。
道長の晩年は、天皇に嫁がせたすべての子どもに先立たれ、自身も病に苦しんだという。

「満ちれば欠ける」ということをよくかみしめてみると、いろんなことに思い至る。
満ちた状態がピークで後は悪くなるだけなら、そこには未来はない。
「満ちる」というのは終わりの始まりなのである。こんな悲しいことはない。
また、「満ちる」という状態は、直感的に長く続きそうもない。
永遠に満ちていることなどありえないからである。

であるなら、「満ちる」手前でやめておくのが最上の策である。
そう、「満ちなければ欠けない」のである。
「満ちる」手前の状態なら、努力は必要かもしれないが、長く続けられそうである。
今以上の未来はないが、今の幸せをずっと続けることができる。

では、「満ちる」手前でやめておくためにはどうすればいいか。
それは、何より「足るを知る」ことである。
満ちても欠けない唯一の方法は、満ちてない今が十分満たされていると気づくことである。
欲望の輪廻から脱出する方法は、ただ「足るを知る」ことだけである。

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何と!楽天のネットショップで3~4万円で売っている龍安寺のつくばいのイミテーション。
真中の四角の水受けを共通の「口」という部首として漢字を読んでいくと、「吾唯知足(われ・ただ・たるを・しる)」と読める。
龍安寺のつくばいは、水戸光圀からおくられたものだという。
(出典:楽天市場)

サティスファクション

「足るを知る」とは、満足するということである。
満足・・・サティスファクションといえば、これはもうローリング・ストーンズだ。
「サティスファクション」は、かなりの懐メロロックになるが、
ストーンズの最大のヒットナンバーである。

「サティスファクション」の原題は「(I Can’t Get No)Satisfaction」である。
額面通りに直訳すると、
不満足(No Satisfaction)を得られない(Can’t Get)とおかしな二重否定になる。
ここの「No」は、俗語的なイレギューラーな強調表現で、
この文全体は「ぜんぜん全く満足できない」という意味である。
日本語でも、若者用語で「とてもきれい」というのを「ぜんぜんきれい」というのに近い。

曲ではこの「I Can’t Get No Satisfaction」という歌詞を何度も繰り返す。
いやというほど「ぜんぜん全く満足できない、ぜんぜん全く満足できない、・・・」と歌うのである。
じゃあ、何にぜんぜん全く満足できないかというと、
曲では、ラジオやテレビで話しかけてくるおっさんにぜんぜん全く満足できないのだ。
要は、世の中の仕組みやすべてのことが気に入らず、ぜんぜん全く満足できないのだ。
以前、このコラムで書いた、
ホテル・カリフォルニアでうたわれたロックの魂がまだ生きていた時のことだ。

僕は、尾崎豊の「十五の夜」と一緒だと思う。
若い時、いろいろなことに対して湧き上がってくるやり場のない怒りや、
どうしようもない苛立ちの叫びだと思う。
ミック・ジャガーにしても尾崎豊にしても、思春期の怒りや苛立ちを、
それまで誰も表現したことのない言葉で曲を作ったことが素晴らしい。

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ローリング・ストーンズといえば、このロゴ「tongue」。
キース・リチャーズとミック・ジャガーの不良老人は今も健在。
ミック・ジャガーに至っては、一昨年73歳で8人目の子どもを作った。
(出典 userdisk.webry.biglobe.ne.jp)

目の前の曠野

ミック・ジャガーや尾崎豊は、そもそも満ちてなかった。
ぜんぜん全く満ちていなかった。
だから欠けるべくもなかった。

「満ちる」ということ自体が青年時代にはありえないのだ。
「満ちる」ということがないのが青年時代の特権なのだ。
満たすべき入れ物がまだない青年時代には、ただ広い世界が広がっているだけだ。
それは曠野だが、どこへでも行けるのだ。これはとても素晴らしいことだ。
しかし、同時に、とても怖いことだ。
どこにも行かないという選択肢もあるが、誰もがどこかへ足を踏み出す。
あの頃、誰しも、果てしなく伸びしろがあり、一番輝いていたのだ。

ディープラーニングを搭載したAIがあらゆる場で作動する未来の形を、
確かだろうがまだ漠然としかイメージできない私たち。
自分たちの国の目の前のことだけをとらえ、
20,30年後のありようを描けない政治とそれを選んだ私たち。
少子高齢化とは、どういうことが起きることなのかやっと実感し始めた私たち。
私たちの前には曠野が広がっているのだ。

永遠に満ちることのないことの何たるかを知っているからこそ、今の足るを知る。
20,30年後のあるべき姿を考えて、今を生きる。
新しい年は、そういう年であってほしいと願う。

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買い物かごの記憶から(2017.12)

野生絶滅種「買い物かご」

ネットショップを眺めていて、ふと気がついて疑問がわいた。
「買い物かごに入れる」とあるが、「買い物かご」ってみんな知っているんだろうか。
スーパーで使う「かご」も「買い物かご」と言うのか調べてみると、
「買い物かご」と言っているところもあるが、
「スーパーかご」と言っているところが多い。
「スーパーかご」という言い方は、明らかに「買い物かご」と区別して言っている。

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「スーパーかご」(資料:三甲㈱ホームページ)

「買い物かご」は、左右の持ち手のついた籐や竹や縄で編んだかごで、
かつてはどこの家庭にもあった。
そう、サザエさんが買い物に行くとき持っていくやつである。
買い物に行く時は、お母さんはこのかごを持って出かけ、買ったものを何でも入れた。

写真を載せようとメーカーを探したが、「ショッピングバスケット」などと称し、
製造者不明のネットショップか東南アジアからの輸入物しか見当たらない。
ネットショップのキャッチコピーを見ていると、「レトロなインテリアに」というものまである。
「買い物かご」は、買い物という世界からは絶滅してしまったのだ。

昔の買い物

小生が子供の頃は、スーパーというものはまだなく、
お母さんたちは個別の八百屋、魚屋、肉屋を回って買い物をした。
「買い物センター」みたいなものはあったが、それは個別商店の集合体で、
その実態はいわゆる「市場」である。

八百屋は今でいうバラ売りで、買った大根やキュウリはそのまま買い物かごに入れた。
魚屋は基本的に一匹買いで、パックの切り身などというものは存在しなかった。
肉屋ではグラム単位で指定して肉を買い、買った肉は木を薄く削った「経木」で包んでくれた。
卵はどうやって買ったかよく覚えていないが、
豆腐は家から丼などを持って行って入れてもらったような気がする。

レジなどというものは当然なく、どの店でも天井からひもでザルがつりさげてあって、
売り買いしたお金はその中に入れ、お釣りもおじさんがその中から取ってくれた。
ザルの中に百円札(百円玉ではない!)や十円玉が躍っていたのを思い出す。

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これが「経木」。今でもお寿司屋さんなどで使われているが、昔は生ものを包むものとして、どこでも使われていた。
(資料:㈱大治ホームページ)


容器包装とスーパー

食品を包んだり、入れたりするもの・・・いわゆる容器包装に目を向けてみると、
卵パックが最初に作られたのが1963年(昭和38年)、
発泡スチロール製のトレイや納豆のパックが使われ始めたのが1960年代(昭和40年頃)、
レジ袋が使われ始めたのが1970年代(昭和50年頃)だそうである。
すべて石油から作られるプラスチック製品である。

一方、これらを扱うスーパーの歴史に目を向けてみると、
中内功が「主婦の店ダイエー」を興したのが1957年(昭和32年)、
価格破壊を旗印にダイエーが小売業売上高トップになったのが1972年(昭和47年)である。
広島でいえば、
広島で最初のスーパーマーケット「主婦の店ムネカネ」(現「フレスタ」)が誕生したのが1960年(昭和35年)、
いずみ(現「イズミ」)がスーパー1号店を開店したのが1961年(昭和36年)である。

昭和40年~50年に飛躍的な普及と躍進をとげたスーパーと、
食品の容器包装の歴史はほぼ重なるのである。
WindowsとIntelのように、両者は相互に関係を重ねながら発展してきた。
包めなかったものが包めるようになったということは、
商品として扱えなかったものが商品として扱えるようになったということなのである。
それは、大量生産、大量消費、そして大量廃棄を可能にした。
ほんの半世紀前のことなのである。

昔の入れ物

小生が子供の頃、広島には納豆という食べ物はなかった。
(だから、小生の妹は未だに納豆が食べられない)
記憶をたどっていくと、学生時代に帰省すると納豆パックを見かけるようになったと思う。
昭和50年代のことである。

納豆パックができて、納豆はどっと関西にも進出したのである。
それでは、それまで納豆は何に包まれていたか。
それは藁に包まれていたのである。
そもそも納豆というものは、蒸した大豆を藁で包んで(これを「藁づと」)という)置いておくと、
藁についている納豆菌が大豆を発酵させてできるのだ。
納豆の製造機はそのまま入れ物になったのだ。
納豆と藁は切っても切れないものなのだ。

藁といえば、僕は、米俵はすごいと思う。
その植物の本体でその植物の実を包んである。
こんなものが世界にあるだろうか
。これは、稲の本体、すなわち藁がすごいのだ。
藁は編むことによって、縄という紐にも、筵(むしろ)や薦(こも)という布にもなる。

石油から作られるプラスチックが現れるついこの前まで、
藁は庶民の万能の容器包装だったのだ。
米俵や藁づとやお酒の薦被りだけじゃない。
あらゆるものを藁で縛り、藁で包んだ。
全国各地に「〇〇づと」というものがある。
以前ご紹介した藁の卵パック「卵つと」はその極みだ。何て美しい造形なんだろう。

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山形地方に伝わるという「卵つと」。
直感的に美しい。昔は貴重だった卵を大事にいとおしむ気持ちが伝わってくる。
(資料:岡秀行「How to wrap eggs」、「草と木で包む」月刊たくさんのふしぎ 福音館書店)

滅びゆくもの

想うのである。
この米俵を一つ作るのに、どれだけの時間がかかるのだろう。
藁を叩いて、編んで、形を作って・・・
夜なべ仕事だろうけど、いったいどれくらい時間がかかるのだろう。
そうやって時間をかけて作ったものは、用が済んだら捨てられるわけがない。
少し解体して、また別の他のものに使うだろう。
自分の大切な時間を使い、自分の手で作ったものだ。
もったいなくて捨てるわけがない。
それは、自分の時間と手間を捨てるということだ。

ケニアのワンガリ・マータイさんの言動で再認識された「もったいない」は、
実は、倹約とか節約だけの軽い言葉ではない。

「もったいない」は、「勿体(もったい)」が無いことで、
「勿体」とは、そのものが本来持っているあるべき姿のことである。
だから、本来持っていたあるべき姿を失うということは、とても残念なことである。
残念というよりも、かけがえのないものを失った悲しみは、
悲痛で悔しく、許しがたく、胸が裂ける思いである。
「もったいない」とは、本来そういうことなのである。

僕たちは、3個入っている納豆や10個入っている卵を手に取っても、
それは別段どういうこともない当たり前のことで、特に何も思わない。
「もったいない」と、とりたてて言う話ではない。

というふうにして、様々のことが「もったいない」という領域から離れていく。
それは社会の進歩であることは明らかなのだが、
僕にはぼんやりと引っかかり、釈然としないものがある。
それによって失われたものも少なからずあるのではないか、と。
そして、やがてそのことさえも気づかなくなっていくのでは、と。

還暦、初孫、母の死・・・生まれてくるもの、滅んでいくもの。
誰もが経験する人生の出来事にいやおうもなく流され続けた一年を振り返り、
ものが本来持っているあるべき姿について、漠然と考えている自分がいる。

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ニライカナイからの風(2017.11)

アメリカ世

思えばトランプさんが大統領になってから、はや1年が過ぎようとしている。
(まだ3年もある)
忘れもしない昨年の11月11日、ガラスの天井は破られず、
まさかまさかのトランプさんだった。
あの日、誰もが驚き、いろいろな人と話をしたことを覚えている。
「〇〇ファースト」
・・・何かおかしな雰囲気が、あれから世界中に蔓延したような気がする。
もちろん、日本も。
アメリカはいったいどこに行くんだろう。

ところで、「アメリカ世」という言葉を知っておられるだろうか?
4,5年前、沖縄のどこだったか忘れたが、歴史民俗資料館の展示を見ていたら、
なんじゃこりゃ?という資料に出くわした。
特に変わった資料ではない、ただの年表なのだが、こんな年表初めて見た。
近代のところに「アメリカ世」とある。
初めて聞く言葉だ。
沖縄では、これを「あめりかゆー」と発音するそうだ。

「アメリカ世」は、太平洋戦争で日本が負け、アメリカが沖縄を統治した27年間を言う。
正確に言うと、
サンフランシスコ平和条約により、沖縄・奄美・トカラ列島は日本から切り離され、
アメリカの「琉球列島米国民政府」の施政下に置かれたのだ。
沖縄は、正式に日本ではなくなったのだ。

沖縄がアメリカの統治下にあったことは誰でも知っていることだ。
しかし、冷静に考えればわかることだが、
日本ではなくなったと踏み込んで考えたことはなかったんじゃないかな。
僕がそうであるように。
沖縄は、アメリカが占領していたのではなく、はっきりとアメリカの国だったのだ。
近代の中に「アメリカ世」という時代がある年表を目の当たりにして、
僕は初めてそのことの重さを認識した。

琉球処分

沖縄の年表を見ていて、もうひとつ異質なことに気づいた。
明治時代の始まりの所だ。
年表の明治時代の始まりの線が日本の(本土の)のものとずれている。
これも沖縄で年表を見て初めて気づき、初めて知った。

「琉球処分」といわれることがあったのだ。
「日本の」明治時代の前は江戸時代なのは誰でも知っている、
というのはヤマトンチュー(本土人)の勝手な言い方で、
ウチナンチュー(沖縄人)からみれば、
明治時代の前は、なんと、日本ではないのだ。
琉球王国という独立国家だったのだ。

言われれば当たり前だが、そんなことそれまであまり考えたことがなかった。
明治政府は、明治5年 (1872年)に琉球王国を廃して琉球藩とし、
さらに明治12年(1879年)琉球藩を廃して沖縄県を置いた。
これを「廃藩置県」ということは学校で習ったとおりだが、
沖縄では「琉球処分」なのだ。
当時、琉球王国は清と従属関係にあった独立国家であったが、
明治政府が無理やり支配下に、すなわち日本に組み入れたのだ。

琉球の廃藩置県は、琉球王国と宗主国である清の強い抵抗でなかなか実現しなかった。
明治政府は、清に対しては、
台湾に漂着して殺害された琉球人に対する報復を名目に台湾出兵を行い、
被害者は日本国属民であり、琉球が日本に属することを認めさせた。
一方、琉球に対しては、武力を背景に廃藩置県を要求し、
琉球王の尚泰に首里城を明け渡させた。
これにより、琉球王国は崩壊したのだ。

この一連の騒動が「琉球処分」なのだ。
従って、一般的には廃藩置県は明治4年(1871年)なのだが、
沖縄では明治12年(1879年)なのだ。
従って、沖縄での明治時代の始まりは本土(日本?)より遅く、明治12年からなのだ。

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那覇の下町で見かけた超レトロな店。なぜか「琉球政府」という免税店だ。

何ともひどい話だ。
「琉球『処分』」という言葉にそれが如実に表れている。
琉球は「処分」されたのだ。
学校で教える日本歴史の廃藩置県は明治4年(1871年)というのは正しくないじゃないか。
沖縄のことは、本筋からそれた例外だという姿勢には、上から目線を感じる。
アメリカ世のことも、琉球処分のことも、知らなかったことを恥じ入るばかりである。
沖縄戦はもとより、昔から続くこのような仕打ちの積み重ねに、
沖縄の人のことを想うと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

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年表にすればこうなる。グレーの部分は、沖縄(琉球)が日本ではなかった時代だ。

「律する」文化と「許す」文化

沖縄に住んでいる本土出身の後輩が、最近共感した話として、次のような話をしてくれた。
ヤマトンチューの文化は「律する」文化であるのに対し、
ウチナンチューの文化は「許す」文化であると言うのだ。

彼は先日、家族で久しぶりに東京に行ったそうである。
そうすると、見知らぬ人から怒られっぱなしだったそうである。
子どもが泣いてうるさい。
奥さんの旅行バックが体にあたった。
本人が歩いていてぶつかりそうになった。
怖い顔をされ、時には罵倒され、とても怖く、嫌な思いをしたそうだ。
断っておくが、彼は首都圏の大学の出身で、都会を知らない田舎者ではない。

確かに、自分たちに落ち度はあるのだが、何もそこまで怒らなくてもいいじゃないか、
沖縄だとそういう反応はないのに、と思ったそうだが、
先の話を聞いて合点がいったという。

他人に迷惑をかけないようにすることは当たり前のルールで、
そのために自分の責任が及ぶ範囲のことはいつも気をつけてきちんと行うのが、
「律する」文化である。
これに対して、迷惑をかけようと思ってやっているのでないならば、
その人に非はないのだから、目くじらを立てるべきではないというのが、
「許す」文化である。

「自由と責任」を第一義とする神経質な小生は前者の典型であるが、
一方で、自分にはないおおらかさを持つ人が羨ましい。
沖縄の人の「なんくるないさー」な態度に接すると、
いいかげんだなと思うこともあるが、それ以上に、おおらかで心地よく、
せこい自分は小さく嫌な奴だと思われてくる。

悪意に満ちた人はなく、誰もが「許し」合えるなら、
どんなに平和で幸せな世界になるだろう。

その昔、「処分」されて無理やり日本に組み入れられ、
日本本土の捨て石とされて県民の4人に1人が殺された上に、
その後27年間も別の国になり、今も大きな負担を負わされている沖縄の人たち。
加えて、
それらのことをちゃんと認識できていない本土(日本?)のほとんどの人たち。
であるのに「許す」文化を脈々と受け継ぐ沖縄の人たち。

「ニライカナイ」は海の彼方にある沖縄の人の理想郷である。
魂はそこで生まれ、またそこに還っていくという。
「いちゃればちょーでー」(行き会えば兄弟)。
ニライカナイから来たウチナンチューは、あくまでもフレンドリーだ。

物事の本質を深く見つめて己を「律し」ながら、
人の身になり、人に寄り添い、「許す」ことのできる人間でありたい。
そうすれば、僕も「ニライカナイ」に還っていくことができるかもしれない。

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沖縄の亀甲墓。沖縄の人は、先祖をとても大切にする。
亡くなった沖縄の人の体はここに、魂はニライカナイへ。

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秋晴の空から大いなる無秩序へ(2017.10)

空はなぜ青い

延々猛暑日の夏から一転、「天高く馬肥える秋」である。
実に清々しい。
が、実はこの諺のいわれは大変な話なのである。
中国版「七人の侍」なのである。

黒澤明の「七人の侍」は、
収穫の時季になると農民を襲いにやって来る野武士と戦う話だ。
同様に、昔、中国では、秋の収穫の時季になると匈奴が略奪にやって来るので、
その季節は警戒しろというのがいわれらしい。

しかし、なぜ天が高く見えるほど空は青いのだろう。
太陽光は、赤橙黄緑青藍紫の七色が集まったもので、赤が最も波長が長く、紫が最も波長が短い。
大気中には水蒸気など様々なものが含まれていて、
波長が短い光ほどこれらにあたって散乱する。
だから波長の短い青藍紫の青色系の光がわれわれの目に届き、空は青く見えるのだ。

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朝焼けや夕焼けは、太陽の位置が低いため、太陽の光が長い距離を進む。
その間に青色系の光は散乱しきってしまい、残った赤色系の光が散乱されて起きる。

逍遥遊

天高く澄んだ青い空を見るといつも思い出すのが荘子の逍遥遊(しょうようゆう)である。
荘子内篇の最初を飾る物語、「北冥に魚あり、其の名を鯤と為す」で始まる逍遥遊篇は、
荘子という書物の何たるかを語る、荘子の巻頭を飾るにふさわしい壮大で自由な物語である。
逍遥遊は、ざっと次のような話だ。

北の果ての暗い海に鯤(こん)という魚がいる。その大きさは、何千里あるのか見当もつかない。
鯤は、時を迎えると姿を変えて鵬という鳥になる。その背の広さは、幾千里あるのか見当もつかない。
鵬が飛び立てば、その翼はまるで青空を覆う雲のようだ。
鵬は、海が荒れ狂う時、風に乗って天の池である南の果ての海に飛翔する。
地上では、陽炎やごみのように生きものがひしめきあって呼吸している。
その上に広がる大空の青々とした色は、大空そのものの色なのか、
それとも遠く限りがないからそう見えるのだろうか。
鵬が下を見下ろすと、このように青々と見えているに違いない。

秋のどこまでも青い空を見ると、いつもこの逍遥遊を思い出すのである。
荘子とは、とてつもないことを考える人である。
そもそも、「鯤」とはカズノコやイクラのような魚卵を意味する漢字だ。
微小な魚卵が何千里あるのか見当もつかない大きな魚になり、
その魚がさらに変身して大きな鳥になって、天にある海に行くというのである。
なんとまあ壮大かつ支離滅裂な話だ。

このように、逍遥遊はそのひとつひとつがとんでもない話だが、
中学生か高校生の時、漢文の授業で最初にこの文章に接した時、特にハッとしたのは最後の

「大空の青々とした色は、大空そのものの色なのか、
それとも遠く限りがないからそう見えるのだろうか」
(天の蒼蒼たるは其れ正色なるか、其れ遠くして至極する所なければか)

の部分である。

秋の天高く澄んだ青い空の不思議さを言い表したもので、これ以上のものに出会ったことはない。
なぜ空は青いのか、それは空の色なのか、それでは空とは何か、空はどこまで続いているのか。
2,300年も前に書かれたものが、現代の物理学的な色彩を帯びているのは面白い。

注意しなければならないのは、
鯤は、この限りなく広がる蒼蒼たる天を見上げているのではなく、見下ろしているのである。
これはとんでもない着眼点だ。
飛行機はもとより、地球や宇宙という概念のない時代に、
大空を見下ろすという発想がとんでもないと思うのである。
逍遥遊では、鯤が空の上から空を見下ろしても、同じように青々と見えているに違いない、と言っている。

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天の蒼蒼たるは其れ正色なるか、其れ遠くして至極する所なければか。
鯤は、この大空のどこまで飛翔したのだろう。

渾沌の話

逍遥遊篇で始まる荘子内篇は、應帝王篇で終わる。
従って、應帝王篇は荘子内篇の結論ともいえる。
荘子内篇の最後を飾るこの應帝王篇がまたとんでもないのである。
鯤に続いて小生の好きな渾沌(こんとん)の話である。
渾沌の話は、ざっと次のような話だ。

南海に儵(しゅく)、北海に忽(こつ)、中央に渾沌という3人の帝王がいた。
儵と忽は、ある時渾沌の地で出会った。そこで渾沌は2人を厚くもてなした。
儵と忽は渾沌のもてなしに報いようと、次のように相談した。
人には7つの穴(目2、耳2、口1、鼻2)があり、これらによって見、聞き、食べ、呼吸をしている。
しかし渾沌にはこれらがないので穴を開けてやろうではないか。
1日に1つずつ穴を開けていくと、7日目に渾沌は死んでしまった。

なんとまあ、福笑いのような突拍子もない話だ。
いったいどんな顔だったのか、一度渾沌を見てみたかった。
逍遥遊のところで物理学的な色彩を帯びていると書いたが、
荘子が愛読書だった湯川秀樹は「本の中の世界」で次のように言っている。

「儵も忽も素粒子みたいなものだと考えてみる。
それらが、それぞれ勝手に走っているのでは何事もおこらないが、
南と北からやってきて、渾沌の領土で一緒になった。素粒子の衝突がおこった。
こう考えると、一種の二元論になってくるが、
そうすると渾沌というのは素粒子を受け入れる時間・空間のようなものといえる。
(中略)今から二千三百年前の荘子が、
私などがいま考えていることと、ある意味で非常に似たことを考えていたということは、
しかし、面白いことであり、驚くべきことでもある」

一般人から見れば現実離れした一見奇妙な理論である量子物理学と渾沌のイメージは、
確かに何か共通のものがあるような気がする。

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湯川秀樹著「本の中の世界」岩波新書。
自然の力は圧倒的に強く、人間の力ではどうにもならない自然の中で、
人間はただ右へ左へふり廻されているだけという真理に、
反発しつつも同時に強く惹かれると湯川秀樹は語っている。

あるがままに

渾沌、即ち混沌、カオスである。
渾沌の話は、物事に無理に道理をつけることの戒めとか、
人間の浅知恵による自然破壊とかに一般的には解されるが、
道教での解釈はもっともっと深淵なものである。

渾沌は、まさにカオスなのだが、単に無秩序という意味ではなく、
価値や分別を越えた根源的な本質、真理なのである。
人間の五感や考えなどというものは、ちっちゃな秩序でしかなく、
それによって世界や物事の真理や本質を見ることはできない。
所詮ちっちゃな人間の分別や作為が、真理や本質を見失せてしまうのである。

あるがままの形ですべてを包含したものは、大いなる無秩序だが、命がかよっている。
どこまでも青いこの大空のように。

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