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自然の本当の姿を垣間見る(2018.4)

実物を見ることでしかわからない

ここ数年、エネルギーに関する環境学習の仕事に取組んでいる。
小学校に出向き、出前授業を行うのである。
ボランティアではなく、ビジネスである。
官庁発注のれっきとした委託事業である。
まだほんの一部だが、
近年はこのようなことが仕事として認められるようになったのは、
実にうれしいことだ。

子どもたちにエネルギーの話をするのは、そんなに簡単な話じゃない。
まず最初にして最大のネックとなるのが、発電・・・
最も一般的な火力発電の仕組みである。
大人なら説明すればすぐ理解できるが、子どもはそうはいかない。

何が難しいかというと、石油や石炭を燃やすということと、
今、目の前で点いている教室の電気を結びつけることである。
二つのものは別々の場所で起こっている別々の事象であり、共通点はない。
しかも、石油や石炭を燃やして発電しているところは誰も見た事がない。

石油や石炭を燃やして水蒸気を発生させ、タービンを回す。
ここまでは比較的簡単だ。
比較的簡単だけど、
その仕組みを実際に目で見せなければ、子どもは本当に理解しない。

難しいのはこの後で、
タービンが回り、タービンにつながった発電機により発電される・・・
では飛躍が大きすぎで子供にはわからない。

そう、電磁誘導である。
電磁誘導は中学校で習うのだ。
コイルの周りの磁場が変化すると、コイルに電流が発生する。
発電機的に別の言い方をすると、
巻いたコイルの中で磁石を動かすとコイルに電気が流れるのである。

その逆がモーターだ。
フレミングの右手・左手の法則だ。
この仕組みを理屈ではなく、目で見せなければ、子どもは本当に理解しない。

電気に関する単元は、新しい指導要領になって小学校に下りてきて、
学校には教材も少なく、教える先生も苦慮されている。
また、学校は何がないって、お金がない。
電気に関する単元で活用できる実験装置など、
学校ではとても準備することはできないのである。

そこで小生たちは、火力発電の仕組みが分かる「火力発電実験装置」と、
電磁誘導の仕組みが分かる「電磁誘導実験装置」をそろえ、
子どもたちの目の前で実際に動かしてみる。
意外だったのは、これらの実験装置は子どもたち以上に先生が喜ぶことだ。

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これが「火力発電実験装置」だ。
ボイラー(フラスコ)で温められた水は水蒸気となってノズルから吹き出し、タービン(プロペラ)を回す。
タービンの後ろには発電機があり、LEDが点灯することにより発電されたことが分かる。
タービンが回り始めたとき、LEDが点灯したとき、子ども達からどよめきがあがる。

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こちらは「電磁誘導実験装置」。
子どもたちがハンドルを回すと磁石が回転し、
両側のコイルに電気が流れ、LEDが点灯する。
発電機の中はこんなになっているんだよ。
要は、何かの力で磁石につながった軸を回せばいいんだ。

鋭い子ども

エネルギーの出前授業をやっていると、
たまに鋭い質問や意見を言う子どもに出会う。

ある学校でこんなことを言う子どもに出会った。
「石油や石炭を燃やしてCO2が出るのなら、
ごみや木(バイオマス)を燃やしてもCO2が出るでしょ。
ごみは燃やさないと仕方ないけど、バイオマスも環境に悪いんじゃないんですか?」

そう、この子どもは「カーボンニュートラル」のことを言っているのである。
植物は大気中のCO2と根から吸い上げた水を太陽の光を触媒として炭水化物を生成し、
酸素を排出する光合成を行って成長する。

「カーボンニュートラル」とは、
植物体を燃やすと実際にCO2が発生するが、
このCO2はもともと大気中にあったものを光合成により植物が取り込んだもので、
排出されても元の大気に戻っただけで、CO2は増えたとはみなされない、
ということである。
普通の大人でもなかなか気づかないことに気づく子どもがいるのである。

またある時はこんなことを言う子どもに出会った。
それは、どんな発電方式も長所と短所があるという話をしている時だった。
太陽光発電の最大の弱点は、
当然ながら太陽の出ない夜は発電できないこと、
天気の悪い日は能力が落ちること、大気の影響で発電効率が悪いこと、
次に天気に左右されるので発電にムラがあることなどを話した時だった。

その子はこう言ったのだ。
「じゃあ、雲の上で太陽を追っかけながら発電すれば、
天気にも影響されず、いつも発電できるんじゃないですか?」

これはすごい。
これは「宇宙太陽光発電」なのだ。
まだ構想段階だが、JAXAなどが本気で考えているものなのだ。
「宇宙太陽光発電」は、ロケットで打ち上げた太陽光パネルを宇宙空間で広げて発電し、
発電した電気をマイクロ波で地上に送るというものだ。

問題は、一辺が数km四方という太陽光パネルを、
どうやって折りたたんでロケットで打ち上げ、
宇宙空間でそれをどうやって広げるか、ということだそうだが。

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宇宙太陽光発電。
宇宙空間でいつも太陽の方を向いていれば、昼夜もなく、雨や雪の心配もない。
いつも100%の効率で発電できる。

どうして1+1=2なのだ

ロジックの穴に直感的に反応する。
常識にとらわれず自由に発想する。
こういう子どもたちに出会うととワクワクする。
僕はこういう子どもたちが大好きだ。
こういう子どもたちを大切にしたい。

かの発明王エジソンは、
子どもの頃、「1+1=2」がどうしても理解できなかったそうだ。
2つの粘土の塊をくっつけると1つの塊になるのに、
なんでそれが2なのかと。

エジソン少年は、先生から「頭が腐っている」と言われ、
わずか3ヶ月で小学校を退学させられた。
僕は、エジソン少年の素朴な疑問はよくわかる。
それを理解できない先生の方が、腐る前に「頭が固まっている」のだ。

子供の頃、発達性障害で言葉がうまく話せなかったアインシュタインは、
自分が光の速さで光を追いかける夢を見たという。
目が覚めて、
光の速さで飛ぶ自分の前に置かれた鏡に自分の姿は写るか考えた。
(自分から出た光が鏡で反射されて自分の目に届いて自分の姿が見える)

何ということを考える人だ!
どうしてこんなことを想いつくんだろう!

自然の発想は自由で美しい

自然の発想は自由だ。
鼻や舌が伸びて手のように使うことができる動物を誰が想像できただろうか。
自然はあるがままに象やカメレオンを創り出したのだ。

自然の法則は美しい。
教科書から脱線して二項定理やパスカルの三角形を「美しいもの」、
心を込めて数学を「美しいもの」として教えてくれた高校の数学の先生を、
僕は忘れない。
自然界の秘密を垣間見たようだった。

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二項定理とパスカルの三角形。
パスカルの三角形の横や斜めの各数列やその和もまた、
自然界で植物の花や実、巻貝などの螺旋などに見られるフィボナッチ数などの数列となっている。
何という不思議。何という神秘。美しい。

僕も、はっと思う小さな感動を伴う発見を、
少しでも子どもたちに伝えられたら、と思う。

そして、そんな子どもたちが、
自然の本当の姿をちらっとでも垣間見ることができたら、と思う。

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ゆく川の流れは絶えずして(2018.3)

ありえない!

その昔、12年暮らした首都圏から郷里の広島にUターンしてしばらくは、
東京生まれの埼玉育ちの妻は、見るもの聞くもの初めてのことが多く、
小生は気にも留めないようなことが驚きの連続だったようだ。

例えば、初めて宮島だったか海水浴に行ったとき、気持ち悪いと言ってなかなか海に入らない。
水もきれいなのに何が気持ち悪いのか尋ねたら、瀬戸内海は波がないのが気持ち悪いという。
関東で海水浴といえば房総だ。寄せては返す太平洋だ。
波のない海に初めて遭遇した彼女はこう言ったのだ。
「(両親の里の会津の)猪苗代湖の方がずっと波がある」。

その彼女が大声をあげて笑ったのが三江線である。
何がおかしかったかというと、電車が1両で走っているのがおかしかったのである。
三次の尾関山あたりを車で通った時だっただろうか。
「何てかわいいの。電車が1両で走るなんて初めて見た。信じられない」という。

別に、三江線じゃなくても、このあたりのローカル線、
山陰本線でさえ1両で走っている電車は珍しくない。
しかし、電車といえば首都圏の国電しか知らない人間からみると、かなりの衝撃だったようだ。

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その三江線はこの3月をもって廃線が決まってしまった。
大水害からの復旧のシンボルとなった井原川橋梁を走る1両編成の三江線のラッピング車両「三江線神楽号」。
その三江線も・・・
(写真:ぶらり三江線WEB(三江線改良利用促進期成同盟会・三江線活性化協議会))

変な川・江の川その1

その三江線はこの3月をもって廃線が決まってしまった。嗚呼。
「三次」から島根の「江津」までを結ぶから「三江線」といい、
「中国太郎」江の川に沿ってずっと走っている路線だ。
仕事で島根にはよく行くので、川本から粕淵まで、広い江の川の川岸の山裾に張り付くように、
線路とからまりながら走る道路をよく通ったものだ。
その江の川だが、この川は変な川だ。

何が変かというと、まず、その流路だ。
江の川は、広島県北広島町芸北の阿佐山に源を発し、はじめ南東方向に流れるが、
やがてほぼ直角に北東に進路を変え、三次で馬洗川、西城川とまさに巴型というか、
(三次の合流地点にかかる橋を巴橋という)X字型に合流し、
いきなり進路を再び直角に北西に変える。

さらにまた島根県の粕淵で今度は進路を再々度直角に西に変え、
最後は北西方向に流れて日本海に注ぐのである。

何が、変だって、最初は南東方向に向かって流れていたのに、ぐるっとほぼ1回転し、
最後は全く逆向きになって北西方向に流れて日本海に注ぐのである。
中国地方では、いうまでもなく中国山地が脊梁山地である。
瀬戸内海に向かって流れ始めた川が脊梁山地を突き破り、
こともあろうに日本海に注ぐとは。

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江の川流域図(資料:広島県河川課)
中国山地は、北東~南西方向の断層谷で形成され、この構造線に従って河川は流れる。
江の川が中国山地を貫く部分を江川関門といい、これにより中国山地は西中国山地と東中国山地とに分断される。

変な川・江の川その2

このことに関係するのだが、次に変なのが分水嶺だ。
江の川の場合、瀬戸内海と日本海の分水嶺は脊梁山地である中国山地ではないのだ。
その分水嶺は中国山地よりずっと南、安芸高田市向原町にある。

分水嶺というものは山地のピークにあるもので、いわば川の峠である。
しかし、この分水嶺は田んぼに囲まれたほとんど平らなところにあり、
全く分水嶺という感じのしない分水嶺で、「分水界」という。

この分水界を「泣き別れ」といい、市指定の天然記念物になっている。
なぜ、こんなところに分水界があるか。
それは、「河川争奪」が起きたからである。
この向原の「泣き別れ」と、谷を隔てた国道54号沿いの上根峠は、わが国でも有名な河川争奪の例なのだ。

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河川争奪のしくみ。
国道54号で大林から根之谷川の流れる狭い谷を抜け、バイパスの高架とトンネルで通過する上根峠を上がって安芸高田市八千代町に入ると、突然視界が開け、広い谷底平野になる。
しかし、こんな広い谷なのに川は見当たらない。
河川争奪で根之谷川が奪った元あった河川(江の川水系の簸の川)の下流部分なのだ(図の点線部分)。

余談だが、ひとまとまりで意味のある英数文字が行替えによって2行に分離されること、
例えば、Environmentという単語が1行目の最後にEnvironがきて、
2行目の最初にmentとなるような行替えのことを「泣き別れ」という。
今時のワープロは「泣き別れ」回避機能が必ずついており、
「泣き別れ」には絶対ならないが、どちらかの行に収まるため、
長い単語や数字がある行では、前後の行で文字数が非常にアンバランスになる。

変な川・江の川その3

江の川は、源を発する広島県では本来、江の川とは言わない。可愛川(えのかわ)という。
島根県では江の川(ごうのかわ)ではなく、江川(ごうがわ)と言う。
江津に流れ込む川だから、江川なのだろう。
一方、可愛川の名は、日本書紀にも見られる古くからの呼び名だそうだ。
「えのかわ」の呼び名が先にあって、それを「江の川」と書いたという話なら分かるが、
そもそも可愛川はどうして「えのかわ」と読むのだろう。

同じ川なのに場所によって名前が違うのは、有名な例がある。
日本で一番長い川、信濃川である。
信濃川は長野県に源を発し、新潟県で日本海に注ぐのだが、
長野県では千曲川、新潟県では信濃川になる。
信濃の国の方ではなく、越後の国の方が信濃川なので、混乱してしまう。
しかし、ちょっと考えてみると、越後の人からしてみると、
信濃の方から流れてくるから信濃川なのだろう。

また、清流で有名な四万十川は、
正式に四万十川になったのは実は最近で、平成6年のことなのだ。
それまでは、もともと河口部の中村の人達が呼んでいた、
渡川(わたりがわ)が正式名称だったのだ。

しかし、「四万十」とは変な名称である。
島根の十六島(うっぷるい)など、数字が絡む地名は変なものが多い。
「四万十」の由来はアイヌ語とかいろいろな説があるようだが、現在でも定まっていない。

川の名前というものは、一般的に河口部での呼び名が採用される。
たいていの河川は河口部が開け、都市が発達して人口も多く、
そこでの呼び名がスタンダードになるのだ。
新潟の人が呼んだ信濃川にしてしかり、中村の人が呼んだ渡川にしてしかり。

しかし、江津の人が「ごうがわ」と呼んだ川はなぜ「ごうのかわ」なのか、
また、山陽側ではなぜ「えのかわ」なのか。
江の川は変な川である。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

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「ない」ものから見えること(2018.2)

「ないものはない」

先月末、島根県は隠岐の島の小学校に出前授業に行った。
今年一番の寒波襲来の中、前日2日は波浪警報でフェリーが欠航した中での出航だ。

隠岐の島は、本土から60km離れた日本海に浮かぶ離島で、
ほぼ円形の形をした大きな島と、
そこから少し離れて小さな島が3つ集まっている2つの区域から成り、
前者を島後、後者を島前という。

島前にある海士町は、1島1町の人口2,400人の小さな町である。
小さな町であるが、全国的に知る人ぞ知るただ者ではない町なのである。

どうただ者ではないかというと、まず、過疎の代名詞のような離島にあって、
ここ10年間に400人のIターン移住者を集めているのである。
なんと、町の16人に1人が移住者なのだ。
県の人口が70万人(広島「市」の人口の6割)を割った島根県にあって、
海士町は、唯一の人口増加自治体なのである。

どうしてこんなことができたのか。
まず、島前唯一の高校である隠岐島前高校に特別進学コースと地域創造コースを設けるとともに、
公立の塾を作り、地域の最も貴重な資源である若者に対して魅力ある環境を創った。

一方、社会経済の基盤となる産業分野では、CASという最新の冷凍システムを整備し、
特産の岩ガキやイカなどを、鮮度を保ったまま首都圏などに出せるようにした。
40億円の財政規模で5億円の投資をしたというのだから、その決断と行動力はただ者ではない。
その他いろいろあるのだが、シビレたのは何といっても「ないものはない」宣言である。

「ないものはない」宣言は、
「海士町らしさ」を表現するCI(コーポレート・アイデンティティー)戦略である。
海士町によれば、「ないものはない」という言葉は、
①なくてもよい ②大事なことはすべてここにある という二重の意味を持っているそうである。

海士町は、モノは豊富ではないが自然や郷土の恵みは潤沢で、
暮らすために必要なものは充分ある。
そして、地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、
シンプルでも満ち足りた暮らしを営む真の幸せ、本当の豊かさがある。
素直に「ないものはない」と言えてしまう幸せが、海士町にはある。
と言いきっている。

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「ないものはない」のポスター。
このデザインで職員の名刺や役所の封筒なども統一されている。
コンセプトをこれほど象徴的・印象的に、かつ視覚的に分かりやすく訴求力をもって伝えるICはなかなかない。

無と有・空と色・陰と陽

「ない」―すなわち「無」―という言葉は、なかなか難しい言葉である。
あるインド哲学によれば、「無」は「虚」(うつろ)ではなく、「無」が満ちているという。
つまり、「無」がいっぱいに「有」(存在)しているということだ。
このような絶対的な「無」は、「ある」に対する「ない」ではなく、
「ある・ない」の存在論を超えているのだ。

有名な般若心経の「色即是空」の「空」がこれに近いイメージだ。
「空」には認識できる実体はないが、エネルギーのようなものが詰まっている。
エネルギーのようなものは見えないが、刻々と姿を変え、
何かのきっかけ(縁)があれば形(色)をもって現れる。
すなわち「空」とは、
きっかけによって事象が現れることができるような基礎的な平衡状態を言うのである。

宗教的な話からぐっと科学的に方向転換して、
ここで思うのが量子力学や宇宙の始まりの話である。

宇宙ができる前は、文字どおり「空」で、「空」間も、時間さえも「無」かった。
しかし、プラスとマイナスの素粒子が相殺し合って何も「無」いようにみえていた「空」が、
「ゆらぎ」によってその均衡が破れ、「無」から「有」が生じた。
そのとたん、空間の急激な膨張(インフレーション)とビックバンが起こり、
あっという間に宇宙が誕生した。
「無」から「有」が生じ、「空」は「色」となったのである。

本に書いてある宇宙誕生の話は、日本語としては理解できるのだが、
何とも実感の伴わないイメージすることが難しい話である。

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宇宙誕生から現在まで。
137億年前、素粒子の「ゆらぎ」により宇宙が誕生した。
「ゆらぎ」からビックバンまでの時間は10の-33乗秒で、その温度は10の28乗度だったそうだ。
数字を聞いても、全くイメージできない。(資料:Pixabay)

以上は西洋の現代科学による宇宙の始まりだが、
東洋の古代文明による宇宙の始まりもいろいろな示唆に富んでいて興味深い。

太極図というものをご存知だろうか。
下の図のようなもので、大韓民国の国旗の真ん中にあるやつである。
「太極」とは宇宙・万物の根源という意味である。
宇宙にはまず「陰」と「陽」が現れ、次にそれがそれぞれ2つに分かれ、
それがまたさらにそれぞれ2つに分かれて世界を創っていった。

この黒と白の巴型が「陰」と「陽」なのだが、
先程の「空」の中でゆらぐプラスとマイナスの素粒子と同じような話だ。
科学的な現象や真理は、昔から人間が沈思してきた思惟と思わぬ類似があるものである。
何千年もの昔から、東洋の人達は宇宙の真理を見つめてきたのだろうか。

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太極図。
始めは小さかった陰(陽)がだんだん大きくなり、やがてそれは陽(陰)に変わっていく
―「陰極まれば陽に変ず」。
しかも、極まった陰(陽)の中には陽(陰)がある(図中の小さな丸)
―「陰中の陽」。

今、そこにある幸せ

「ないものはない」の2つの意味のうち、1番目の「なくてもよい」は、
持たないものは失うことはないから、必要以上の無駄なものは持たないということである。
2番目の「大事なことはすべてここにある」は、
アニメのキン肉マンでラーメンマンが言った「ないもの以外はすべてある」を思い出させる。

「ないもの」は、大事ではないものなのである。
だから、「ここにあるもの」は、すべて大事なものなのである。
そして、大事なものは、あれもこれも、というものではない。

大事なもの―すなわち、真の幸せ、本当の豊かさは、慎ましやかなものなのだ。
だから、それは特別な場所にあるのではない。
毎日の生活の、今あるところにあるのだ。
気づかないだけなのだ。
僕たちの心の持ちようだけなのだ。
あなたの、僕の、すぐ横にあるのだ。

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満たすべき入れ物(2018.1)

みてる

学生時代、千葉の稲毛というところに住んでいた。
夏休みや冬休みに帰省した時、高校時代の友達と会い、
今どこに住んでるの?と聞かれ、
千葉の「いなげ」というところと答えると、必ず笑われた。

「そりゃほんまに地名か。いなげなところに住んどるんじゃのう」
広島弁で「いなげ」とは、「異なげ」であって、「変な」という意味なのである。
どこに住んでいるかとたずね、変なところに住んでいると答えられたら、
そりゃ相手はどんな変なところに住んでいるのかと聞いてみたくなるよね。

方言というものは、共通語とは全く違う意味を持つものがある。
それどころか、正反対の意味を持つものもある。
広島弁の「みてる」がそうである。
広島弁の「みてる」は、「満てる」の逆で、「なくなる」という意味なのだ。
「はや、みてた」は、「もう、なくなった」という意味である。
他所から広島に来て、「みてる」で戸惑った人や失敗した人の話は多い。

満ちれば欠ける

本来の「満ちる」という言葉については、「満ちれば欠ける」という諺がある。
この出典は2つあって、
ひとつは「月と恋は満ちれば欠ける」というポルトガルの諺で、
もうひとつは中国の史記の中の「月満つれば則ち虧く」という言葉である。
洋の東西を問わず、満ち欠けの象徴は月というのは不変のようである。

「満ちれば欠ける」という諺は、栄枯盛衰、盛者必衰、生者必滅という意味である。
ここで思い出すのが、藤原道長が詠んだ歌である。
藤原道長は自分の娘を次々と天皇と入内(結婚)させ、平安時代の摂関政治の頂点に立った。

 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

なんという尊大な歌だ。
「満ちれば欠ける」という道理を完全に無視している。
沈む太陽を扇で呼び戻したという平清盛と双璧だ。
驕る平家は久しからず。
道長の晩年は、天皇に嫁がせたすべての子どもに先立たれ、自身も病に苦しんだという。

「満ちれば欠ける」ということをよくかみしめてみると、いろんなことに思い至る。
満ちた状態がピークで後は悪くなるだけなら、そこには未来はない。
「満ちる」というのは終わりの始まりなのである。こんな悲しいことはない。
また、「満ちる」という状態は、直感的に長く続きそうもない。
永遠に満ちていることなどありえないからである。

であるなら、「満ちる」手前でやめておくのが最上の策である。
そう、「満ちなければ欠けない」のである。
「満ちる」手前の状態なら、努力は必要かもしれないが、長く続けられそうである。
今以上の未来はないが、今の幸せをずっと続けることができる。

では、「満ちる」手前でやめておくためにはどうすればいいか。
それは、何より「足るを知る」ことである。
満ちても欠けない唯一の方法は、満ちてない今が十分満たされていると気づくことである。
欲望の輪廻から脱出する方法は、ただ「足るを知る」ことだけである。

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何と!楽天のネットショップで3~4万円で売っている龍安寺のつくばいのイミテーション。
真中の四角の水受けを共通の「口」という部首として漢字を読んでいくと、「吾唯知足(われ・ただ・たるを・しる)」と読める。
龍安寺のつくばいは、水戸光圀からおくられたものだという。
(出典:楽天市場)

サティスファクション

「足るを知る」とは、満足するということである。
満足・・・サティスファクションといえば、これはもうローリング・ストーンズだ。
「サティスファクション」は、かなりの懐メロロックになるが、
ストーンズの最大のヒットナンバーである。

「サティスファクション」の原題は「(I Can’t Get No)Satisfaction」である。
額面通りに直訳すると、
不満足(No Satisfaction)を得られない(Can’t Get)とおかしな二重否定になる。
ここの「No」は、俗語的なイレギューラーな強調表現で、
この文全体は「ぜんぜん全く満足できない」という意味である。
日本語でも、若者用語で「とてもきれい」というのを「ぜんぜんきれい」というのに近い。

曲ではこの「I Can’t Get No Satisfaction」という歌詞を何度も繰り返す。
いやというほど「ぜんぜん全く満足できない、ぜんぜん全く満足できない、・・・」と歌うのである。
じゃあ、何にぜんぜん全く満足できないかというと、
曲では、ラジオやテレビで話しかけてくるおっさんにぜんぜん全く満足できないのだ。
要は、世の中の仕組みやすべてのことが気に入らず、ぜんぜん全く満足できないのだ。
以前、このコラムで書いた、
ホテル・カリフォルニアでうたわれたロックの魂がまだ生きていた時のことだ。

僕は、尾崎豊の「十五の夜」と一緒だと思う。
若い時、いろいろなことに対して湧き上がってくるやり場のない怒りや、
どうしようもない苛立ちの叫びだと思う。
ミック・ジャガーにしても尾崎豊にしても、思春期の怒りや苛立ちを、
それまで誰も表現したことのない言葉で曲を作ったことが素晴らしい。

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ローリング・ストーンズといえば、このロゴ「tongue」。
キース・リチャーズとミック・ジャガーの不良老人は今も健在。
ミック・ジャガーに至っては、一昨年73歳で8人目の子どもを作った。
(出典 userdisk.webry.biglobe.ne.jp)

目の前の曠野

ミック・ジャガーや尾崎豊は、そもそも満ちてなかった。
ぜんぜん全く満ちていなかった。
だから欠けるべくもなかった。

「満ちる」ということ自体が青年時代にはありえないのだ。
「満ちる」ということがないのが青年時代の特権なのだ。
満たすべき入れ物がまだない青年時代には、ただ広い世界が広がっているだけだ。
それは曠野だが、どこへでも行けるのだ。これはとても素晴らしいことだ。
しかし、同時に、とても怖いことだ。
どこにも行かないという選択肢もあるが、誰もがどこかへ足を踏み出す。
あの頃、誰しも、果てしなく伸びしろがあり、一番輝いていたのだ。

ディープラーニングを搭載したAIがあらゆる場で作動する未来の形を、
確かだろうがまだ漠然としかイメージできない私たち。
自分たちの国の目の前のことだけをとらえ、
20,30年後のありようを描けない政治とそれを選んだ私たち。
少子高齢化とは、どういうことが起きることなのかやっと実感し始めた私たち。
私たちの前には曠野が広がっているのだ。

永遠に満ちることのないことの何たるかを知っているからこそ、今の足るを知る。
20,30年後のあるべき姿を考えて、今を生きる。
新しい年は、そういう年であってほしいと願う。

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買い物かごの記憶から(2017.12)

野生絶滅種「買い物かご」

ネットショップを眺めていて、ふと気がついて疑問がわいた。
「買い物かごに入れる」とあるが、「買い物かご」ってみんな知っているんだろうか。
スーパーで使う「かご」も「買い物かご」と言うのか調べてみると、
「買い物かご」と言っているところもあるが、
「スーパーかご」と言っているところが多い。
「スーパーかご」という言い方は、明らかに「買い物かご」と区別して言っている。

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「スーパーかご」(資料:三甲㈱ホームページ)

「買い物かご」は、左右の持ち手のついた籐や竹や縄で編んだかごで、
かつてはどこの家庭にもあった。
そう、サザエさんが買い物に行くとき持っていくやつである。
買い物に行く時は、お母さんはこのかごを持って出かけ、買ったものを何でも入れた。

写真を載せようとメーカーを探したが、「ショッピングバスケット」などと称し、
製造者不明のネットショップか東南アジアからの輸入物しか見当たらない。
ネットショップのキャッチコピーを見ていると、「レトロなインテリアに」というものまである。
「買い物かご」は、買い物という世界からは絶滅してしまったのだ。

昔の買い物

小生が子供の頃は、スーパーというものはまだなく、
お母さんたちは個別の八百屋、魚屋、肉屋を回って買い物をした。
「買い物センター」みたいなものはあったが、それは個別商店の集合体で、
その実態はいわゆる「市場」である。

八百屋は今でいうバラ売りで、買った大根やキュウリはそのまま買い物かごに入れた。
魚屋は基本的に一匹買いで、パックの切り身などというものは存在しなかった。
肉屋ではグラム単位で指定して肉を買い、買った肉は木を薄く削った「経木」で包んでくれた。
卵はどうやって買ったかよく覚えていないが、
豆腐は家から丼などを持って行って入れてもらったような気がする。

レジなどというものは当然なく、どの店でも天井からひもでザルがつりさげてあって、
売り買いしたお金はその中に入れ、お釣りもおじさんがその中から取ってくれた。
ザルの中に百円札(百円玉ではない!)や十円玉が躍っていたのを思い出す。

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これが「経木」。今でもお寿司屋さんなどで使われているが、昔は生ものを包むものとして、どこでも使われていた。
(資料:㈱大治ホームページ)


容器包装とスーパー

食品を包んだり、入れたりするもの・・・いわゆる容器包装に目を向けてみると、
卵パックが最初に作られたのが1963年(昭和38年)、
発泡スチロール製のトレイや納豆のパックが使われ始めたのが1960年代(昭和40年頃)、
レジ袋が使われ始めたのが1970年代(昭和50年頃)だそうである。
すべて石油から作られるプラスチック製品である。

一方、これらを扱うスーパーの歴史に目を向けてみると、
中内功が「主婦の店ダイエー」を興したのが1957年(昭和32年)、
価格破壊を旗印にダイエーが小売業売上高トップになったのが1972年(昭和47年)である。
広島でいえば、
広島で最初のスーパーマーケット「主婦の店ムネカネ」(現「フレスタ」)が誕生したのが1960年(昭和35年)、
いずみ(現「イズミ」)がスーパー1号店を開店したのが1961年(昭和36年)である。

昭和40年~50年に飛躍的な普及と躍進をとげたスーパーと、
食品の容器包装の歴史はほぼ重なるのである。
WindowsとIntelのように、両者は相互に関係を重ねながら発展してきた。
包めなかったものが包めるようになったということは、
商品として扱えなかったものが商品として扱えるようになったということなのである。
それは、大量生産、大量消費、そして大量廃棄を可能にした。
ほんの半世紀前のことなのである。

昔の入れ物

小生が子供の頃、広島には納豆という食べ物はなかった。
(だから、小生の妹は未だに納豆が食べられない)
記憶をたどっていくと、学生時代に帰省すると納豆パックを見かけるようになったと思う。
昭和50年代のことである。

納豆パックができて、納豆はどっと関西にも進出したのである。
それでは、それまで納豆は何に包まれていたか。
それは藁に包まれていたのである。
そもそも納豆というものは、蒸した大豆を藁で包んで(これを「藁づと」)という)置いておくと、
藁についている納豆菌が大豆を発酵させてできるのだ。
納豆の製造機はそのまま入れ物になったのだ。
納豆と藁は切っても切れないものなのだ。

藁といえば、僕は、米俵はすごいと思う。
その植物の本体でその植物の実を包んである。
こんなものが世界にあるだろうか
。これは、稲の本体、すなわち藁がすごいのだ。
藁は編むことによって、縄という紐にも、筵(むしろ)や薦(こも)という布にもなる。

石油から作られるプラスチックが現れるついこの前まで、
藁は庶民の万能の容器包装だったのだ。
米俵や藁づとやお酒の薦被りだけじゃない。
あらゆるものを藁で縛り、藁で包んだ。
全国各地に「〇〇づと」というものがある。
以前ご紹介した藁の卵パック「卵つと」はその極みだ。何て美しい造形なんだろう。

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山形地方に伝わるという「卵つと」。
直感的に美しい。昔は貴重だった卵を大事にいとおしむ気持ちが伝わってくる。
(資料:岡秀行「How to wrap eggs」、「草と木で包む」月刊たくさんのふしぎ 福音館書店)

滅びゆくもの

想うのである。
この米俵を一つ作るのに、どれだけの時間がかかるのだろう。
藁を叩いて、編んで、形を作って・・・
夜なべ仕事だろうけど、いったいどれくらい時間がかかるのだろう。
そうやって時間をかけて作ったものは、用が済んだら捨てられるわけがない。
少し解体して、また別の他のものに使うだろう。
自分の大切な時間を使い、自分の手で作ったものだ。
もったいなくて捨てるわけがない。
それは、自分の時間と手間を捨てるということだ。

ケニアのワンガリ・マータイさんの言動で再認識された「もったいない」は、
実は、倹約とか節約だけの軽い言葉ではない。

「もったいない」は、「勿体(もったい)」が無いことで、
「勿体」とは、そのものが本来持っているあるべき姿のことである。
だから、本来持っていたあるべき姿を失うということは、とても残念なことである。
残念というよりも、かけがえのないものを失った悲しみは、
悲痛で悔しく、許しがたく、胸が裂ける思いである。
「もったいない」とは、本来そういうことなのである。

僕たちは、3個入っている納豆や10個入っている卵を手に取っても、
それは別段どういうこともない当たり前のことで、特に何も思わない。
「もったいない」と、とりたてて言う話ではない。

というふうにして、様々のことが「もったいない」という領域から離れていく。
それは社会の進歩であることは明らかなのだが、
僕にはぼんやりと引っかかり、釈然としないものがある。
それによって失われたものも少なからずあるのではないか、と。
そして、やがてそのことさえも気づかなくなっていくのでは、と。

還暦、初孫、母の死・・・生まれてくるもの、滅んでいくもの。
誰もが経験する人生の出来事にいやおうもなく流され続けた一年を振り返り、
ものが本来持っているあるべき姿について、漠然と考えている自分がいる。

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