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買い物かごの記憶から(2017.12)

野生絶滅種「買い物かご」

ネットショップを眺めていて、ふと気がついて疑問がわいた。
「買い物かごに入れる」とあるが、「買い物かご」ってみんな知っているんだろうか。
スーパーで使う「かご」も「買い物かご」と言うのか調べてみると、
「買い物かご」と言っているところもあるが、
「スーパーかご」と言っているところが多い。
「スーパーかご」という言い方は、明らかに「買い物かご」と区別して言っている。

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「スーパーかご」(資料:三甲㈱ホームページ)

「買い物かご」は、左右の持ち手のついた籐や竹や縄で編んだかごで、
かつてはどこの家庭にもあった。
そう、サザエさんが買い物に行くとき持っていくやつである。
買い物に行く時は、お母さんはこのかごを持って出かけ、買ったものを何でも入れた。

写真を載せようとメーカーを探したが、「ショッピングバスケット」などと称し、
製造者不明のネットショップか東南アジアからの輸入物しか見当たらない。
ネットショップのキャッチコピーを見ていると、「レトロなインテリアに」というものまである。
「買い物かご」は、買い物という世界からは絶滅してしまったのだ。

昔の買い物

小生が子供の頃は、スーパーというものはまだなく、
お母さんたちは個別の八百屋、魚屋、肉屋を回って買い物をした。
「買い物センター」みたいなものはあったが、それは個別商店の集合体で、
その実態はいわゆる「市場」である。

八百屋は今でいうバラ売りで、買った大根やキュウリはそのまま買い物かごに入れた。
魚屋は基本的に一匹買いで、パックの切り身などというものは存在しなかった。
肉屋ではグラム単位で指定して肉を買い、買った肉は木を薄く削った「経木」で包んでくれた。
卵はどうやって買ったかよく覚えていないが、
豆腐は家から丼などを持って行って入れてもらったような気がする。

レジなどというものは当然なく、どの店でも天井からひもでザルがつりさげてあって、
売り買いしたお金はその中に入れ、お釣りもおじさんがその中から取ってくれた。
ザルの中に百円札(百円玉ではない!)や十円玉が躍っていたのを思い出す。

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これが「経木」。今でもお寿司屋さんなどで使われているが、昔は生ものを包むものとして、どこでも使われていた。
(資料:㈱大治ホームページ)


容器包装とスーパー

食品を包んだり、入れたりするもの・・・いわゆる容器包装に目を向けてみると、
卵パックが最初に作られたのが1963年(昭和38年)、
発泡スチロール製のトレイや納豆のパックが使われ始めたのが1960年代(昭和40年頃)、
レジ袋が使われ始めたのが1970年代(昭和50年頃)だそうである。
すべて石油から作られるプラスチック製品である。

一方、これらを扱うスーパーの歴史に目を向けてみると、
中内功が「主婦の店ダイエー」を興したのが1957年(昭和32年)、
価格破壊を旗印にダイエーが小売業売上高トップになったのが1972年(昭和47年)である。
広島でいえば、
広島で最初のスーパーマーケット「主婦の店ムネカネ」(現「フレスタ」)が誕生したのが1960年(昭和35年)、
いずみ(現「イズミ」)がスーパー1号店を開店したのが1961年(昭和36年)である。

昭和40年~50年に飛躍的な普及と躍進をとげたスーパーと、
食品の容器包装の歴史はほぼ重なるのである。
WindowsとIntelのように、両者は相互に関係を重ねながら発展してきた。
包めなかったものが包めるようになったということは、
商品として扱えなかったものが商品として扱えるようになったということなのである。
それは、大量生産、大量消費、そして大量廃棄を可能にした。
ほんの半世紀前のことなのである。

昔の入れ物

小生が子供の頃、広島には納豆という食べ物はなかった。
(だから、小生の妹は未だに納豆が食べられない)
記憶をたどっていくと、学生時代に帰省すると納豆パックを見かけるようになったと思う。
昭和50年代のことである。

納豆パックができて、納豆はどっと関西にも進出したのである。
それでは、それまで納豆は何に包まれていたか。
それは藁に包まれていたのである。
そもそも納豆というものは、蒸した大豆を藁で包んで(これを「藁づと」)という)置いておくと、
藁についている納豆菌が大豆を発酵させてできるのだ。
納豆の製造機はそのまま入れ物になったのだ。
納豆と藁は切っても切れないものなのだ。

藁といえば、僕は、米俵はすごいと思う。
その植物の本体でその植物の実を包んである。
こんなものが世界にあるだろうか
。これは、稲の本体、すなわち藁がすごいのだ。
藁は編むことによって、縄という紐にも、筵(むしろ)や薦(こも)という布にもなる。

石油から作られるプラスチックが現れるついこの前まで、
藁は庶民の万能の容器包装だったのだ。
米俵や藁づとやお酒の薦被りだけじゃない。
あらゆるものを藁で縛り、藁で包んだ。
全国各地に「〇〇づと」というものがある。
以前ご紹介した藁の卵パック「卵つと」はその極みだ。何て美しい造形なんだろう。

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山形地方に伝わるという「卵つと」。
直感的に美しい。昔は貴重だった卵を大事にいとおしむ気持ちが伝わってくる。
(資料:岡秀行「How to wrap eggs」、「草と木で包む」月刊たくさんのふしぎ 福音館書店)

滅びゆくもの

想うのである。
この米俵を一つ作るのに、どれだけの時間がかかるのだろう。
藁を叩いて、編んで、形を作って・・・
夜なべ仕事だろうけど、いったいどれくらい時間がかかるのだろう。
そうやって時間をかけて作ったものは、用が済んだら捨てられるわけがない。
少し解体して、また別の他のものに使うだろう。
自分の大切な時間を使い、自分の手で作ったものだ。
もったいなくて捨てるわけがない。
それは、自分の時間と手間を捨てるということだ。

ケニアのワンガリ・マータイさんの言動で再認識された「もったいない」は、
実は、倹約とか節約だけの軽い言葉ではない。

「もったいない」は、「勿体(もったい)」が無いことで、
「勿体」とは、そのものが本来持っているあるべき姿のことである。
だから、本来持っていたあるべき姿を失うということは、とても残念なことである。
残念というよりも、かけがえのないものを失った悲しみは、
悲痛で悔しく、許しがたく、胸が裂ける思いである。
「もったいない」とは、本来そういうことなのである。

僕たちは、3個入っている納豆や10個入っている卵を手に取っても、
それは別段どういうこともない当たり前のことで、特に何も思わない。
「もったいない」と、とりたてて言う話ではない。

というふうにして、様々のことが「もったいない」という領域から離れていく。
それは社会の進歩であることは明らかなのだが、
僕にはぼんやりと引っかかり、釈然としないものがある。
それによって失われたものも少なからずあるのではないか、と。
そして、やがてそのことさえも気づかなくなっていくのでは、と。

還暦、初孫、母の死・・・生まれてくるもの、滅んでいくもの。
誰もが経験する人生の出来事にいやおうもなく流され続けた一年を振り返り、
ものが本来持っているあるべき姿について、漠然と考えている自分がいる。

| コラム | 15:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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