PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

失われた物・失われた時(2017.9)

どいつもこいつも、どうしてこうなんだ

1年前、引越しの後片付けでバタバタしていた時、
それを見越して出入りの電気屋のおじさんが「最近の掃除機はすごいですよ」
とロボット掃除機(固有名詞は出せないので、こう表現することにする)を持って現れた。
「置いて帰りますから、ちょっと使ってみてください」
そう、あのほっといても自分で動き回って掃除をするやつ、座敷犬や猫の天敵のあれである。

仕事から帰って妻に「あれはどうだった?」と聞いたら、
「あれはダメ」と言う。
「何で?」と聞くと、とにかく家具にぶつかりまくって、見ていて気の毒になるという。
「コマーシャルで写ってるようなフローリングの広々とした部屋は普通の家じゃないよね」
と妻は言いつつさらに続けて「それにね、あれには最大の弱点があることが分かったの」と言う。
「ロボット掃除機は、吸い込んだゴミの処理が大変なのよ」
おいおい、ロボット掃除機を掃除する掃除機がいるってことかよ。

熱帯魚のライトの蛍光灯の端が黒くなり、
お化け電気になって点滅し始めたのをしばらくほっておいたら、ついに全く点かなくなった。
で、ホームセンターに観賞魚用の蛍光灯を買いに行ったのである。
ところが、どこを探してもないのである。
前は、「魚をきれいに見せる」蛍光灯とか、「自然光に近い」蛍光灯とか、
観賞魚用の蛍光灯でもいくつかの種類があったのだが、それがまったくないのである。

で、店員さんに聞いてみたら、
「蛍光灯なんかもう全く置いてないですよ。今は全部LEDですよ」と言われてしまった。
仕方がない、LEDを買うか、と手に取ったのはいいが、これが高いのである。
たかが熱帯魚の水槽のライトが5千円近くする。
蛍光灯は1本数百円だったのに。

バカチョンデジカメが、スイッチONしてもレンズが出なくなった。
で、メーカーのサービスセンターに持って行ったら、修理センターに送るという。
「修理代は?」と聞くと、「わかりませんが、4,5千円ぐらいじゃないでしょうか」と言う。
おいおい、1万円ちょっとで買ったカメラの修理に4,5千円かよと思い、
バカバカしいので新しいデジカメをまた1万円ちょっとで買った。

昨年、引越しでたくさんのものを処分したのだが、
その際、古いデジカメと新しいデジカメの箱を取り違え、
うかつにも新しいデジカメの方の箱を捨ててしまったようだ。
デジカメのバッテリーが少なくなったので充電しようと思い、
はじめて箱を取り違えてバッテリーチャージャーを捨ててしまったことに気がついた。

で、バッテリーチャージャーだけ取り寄せることができるかとメーカーに問い合わせると、
家電量販店で購入できるという。
で、家電量販店に問い合わせてみたのだ。
店員「在庫はあります」。小生「おいくらですか?」。店員「4,500円になります」。小生「・・・」

おいおい、またかよ。
バカバカしいので新しいデジカメをまた1万円ちょっとで買おうとはさすがに今回は思わず、
自分に腹を立てながら、結局、リサイクルショップで適当なものを5千円で買ったのだ。

使われなくなったもの・使われなくなった技術

会社の暮れの大掃除の時に、いつも捨てられなくてずっと持っているものがいくつかある。
もう使うことは多分ないのだけど、捨てるに捨てられないのだ。
その代表は、マーカーだ。
マーカーといったってただの色付きペンではない。
何十色もあるデザイン用のマーカーだ。
30年近く前、入社した頃は会社にランドスケープの計画図などを描く者などおらず、
計画平面図の着色のため順次買い揃えていったものだ。

image002_20170831140217352.jpg
スピードリーマーカー。図面のカラーリングの必需品(だった)

なぜ使われなくなったか、それはパソコンの普及のためだ。
あらゆる図面はCADで描き、デザインワークはIllustratorとPhotoshopだ。
手で描く時代ではないのだ。

死に絶えた道具はマーカーだけではない。
ロットリング、スクリーントーン、レトラライン等のデザイン用品、
平行定規や勾配定規、雲形定規に鉄道定規、様々なテンプレートやコンパス、
字消板に芯削器、サンスケ(三角スケール)などなどの製図用品。

社屋の引越しの際、ドラフターとライトボックス(透写台)を廃棄すると言われた時は、
さすがに胸が痛んだ。
図面を描くのにドラフターを使っていたのは、もう僕だけだったのだ。
当時、自費で買ったドイツの老舗筆記具メーカー・ファーバーカステルの72色の色鉛筆は僕の宝物だ。
しかし、ここ20年使ったことはない。

image004_201708311402198f6.jpg
ドイツの銘品ファーバーカステル72色

小生が社会人になったころは、
これらのデザイン道具をいかに扱えるかというのがひとつの重要なスキルだった。
マーカーにせよ、スクリーントーンにせよ、微妙なテクニックが必要なのだ。
マーカーは滲むことを頭に入れて、塗るラインの少し手前で止める。
スクリーントーンはデザインナイフでライン上でぴったりカットする。
そんな技術はもうどこかへ行ってしまった。

図面を描く時は、
A1のトレペ(青焼きするので第一原図は必ずトレペに書くのだ)全体の割り付けを考え、
基準となる線や部分から描き始める。
今から思えば、ここが実に重要なところで、考えながら描くという動作が自然に身につく。
手描きの図面は、CADで描いた図面のようにレイヤーに分けたり、
グループ化して移動やコピペ、拡大・縮小や回転はできないのだ。
一発勝負なのだ。

図面というものは、一つひとつの線にすべて意味がある。
敷地境界から植栽枡を〇mの幅で設け、そこから縁石や側溝も含めた道路幅は〇mで、
法面の法尻まで〇cmの余裕幅をみて・・・というふうに色々な事を考えながら線を引いていくのだ。
何か問題があれば、そこまで戻って、それまで描いたものは全部消しゴムで消さなければならない。

CADは便利だ。
機能性、効率性、利便性、汎用性、あらゆることで手描きは足元にも及ばない。
しかしだ、あの真っ白なA1の用紙に対面した時のときめくような一発勝負の気概と深い思考は、
たぶん、もう、ない。

時間と引き換えにしたもの

使われなくなったものや使われなくなった技術に代わるものは、
その対価として時間を得た。
得た時間は、機能性や効率性、利便性や汎用性など様々なものを生み出した。
しかし、そのことにより失われた大切なものもある、と思うのである。
ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す。
「モモ」は、ざっと次のような時間泥棒の物語である。

ある日、「時間貯蓄銀行」の男たちが街にやってきて、人々に時間を節約することを勧め、
人々の時間を盗み始める。
その結果、人々は時間に追われるようになり、心もギスギスするようになった。
人の話を聞いてあげることにより、その人が本来の自分をとりもどす能力を持つモモは、
街の異変に気づき、時間をつかさどるマイスター・ホラの力を得て、
時間の貯蔵庫にある盗まれた時間をみんなのもとへ解放した。
モモの活躍で盗まれた時間が元にもどり、
人々は時間に追われることなく、以前のように楽しく過ごせるようになった。

時間をつかさどるマイスター・ホラは、時間についてモモに次のように語る。

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、
きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じとるために心というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ」

image006_20170831140220354.jpg
ミヒャエル・エンデの「モモ」
時間を感じとるために心があり、心の上に人の命は成り立っている。
「時間とは、生きるということ、そのものだからです。
そして人のいのちは心を住みかとしているからです」

箒を手にした妻が言った。
「結局、これが一番使い勝手がいいわ。
部屋ごとにコンセントを差し替えなくていいし、思ったときに思ったところですぐ使える」

どうやら妻は時間を味方につけ、時間を自由に操れるようになったようである。

| コラム | 14:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://touwakankyoukagaku.blog33.fc2.com/tb.php/95-407c85f8

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT