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胸にしみる言葉(2016.11)

知るか、そんなもん

日本シリーズは、とてもとても残念な結果に終わったが、
「まだ早い。もっと修行して出直してこい。必ず来年」・・・
野球の神様の声が聞こえたような気がしたので、前向きに気持ちを切り替えよう。
初優勝した昭和50年、ファンもチームも盛り上がったまま日本シリーズに突入したが、
山口高志の阪急に1勝もできず敗退した。
しかし、ここからカープの黄金時代が始まったのである。
引き続き、われらのカープの話をつなごう。

去年の「カープ女子」に続き、
「神ってる」が今年の流行語大賞になるかどうかはわからないが、
「神ってる」は緒方監督の小学生の子どもが日常会話で使っているのを
お父さんが思い出してインタビューで使ったのだそうだ。

このように、最近の若者言葉は常に新種が登場し、
あっという間に周りにあふれんばかりである。
「tkmk」「リア充」「あざす」「なうしか」・・・
これらはみんな最近の日本語だが、ご覧になったり、お聞きになったことがあるだろうか。
妻が大学生の愚息とのやりとりのLINEを見せてくれるが、
こんな言葉のオンパレードである。
これはどういう意味?と妻に聞いては、「それも知らんのん」と返される。
知るか、そんなもん。

ちなみに、「tkmk」は「ときめく」。
この手の子音だけの記述がひとつのパターンになっている。
「リア充」は、リアル(現実)が充実していること。
すなわち、ネットゲームなどの仮想の世界でいくらステイタスを上げても
実際の現実の世界では全く風采が上がらないことと、
仕事や恋愛などの現実の世界でバリバリやっていることを対比させていうのだそうだ。
「あざす」は、「ありがとうございます」。
「なうしか」は、風の谷とは全く関係なく、「今(NOW)しかない」という意味だそうだ。
知るか、そんなもん。

スラングの部類に属する若者言葉は進化が早い。
同じ若者でも、大学生は高校生が使う若者言葉が分からないそうだ。
「ヤバイ」は、今ではまずい状態をいうのではなく、
非常に良い状態をいうことの方が多いのである。
「このラーメン、マジヤバイっす」は、
「このラーメンは、感動的に美味いです」という意味である。
LINEやTwitterでは、チャット状態で瞬時に言葉が交わされる。
そこで使われる言葉は、どんどん省略され、そこだけで通じる記号になる。

小生達も高校生の頃はツッパッた独自の言葉をしゃべっていた。
広島弁で「Very」という意味の接頭語に「ぶち」というのがある。
「とても美味しい」を「ぶち美味い」というのである。
若者はこの「ぶち」をさらに変形させて、「ぶり」とか「ぶちこっぱ」とかいうのである。
「あいつの彼女、ぶちこっぱ美人じゃけぇ」
しかし、そんな用法も大人になったら使わない。
若者だから許してもらえる品の良くないツッパリ言葉だからだ。

方言も、年寄りが使う方言というものがある。
年寄りが使う広島弁に「がんす」がある。
「今日はええ天気でがんすのう」というふうに使うのだが、
この「がんす」をここ数十年聞いたことがない。
「がんす」は言葉の絶滅危惧種なのである。
食べ物の名前だけにその名を残して。

image002_2016110115124543f.jpg
これが「がんす」だ。要は、揚げ蒲鉾。
練り製品にタマネギのみじん切りや一味を加え、パン粉をつけて揚げたものだ。
広島のスーパーならどこでもある。グリルで炙ればビールが進む。

灯台の下は暗い

こういう若者が苦手なのが、漢語と大和言葉である。
日本語の言葉は漢語と大和言葉と外来語の3つに大きく分類されるが、
前2者が弱点であるのはとても悲しい。

例えば漢語なら、頼山陽の漢詩に基づく詩吟「川中島」の有名な出だし
「鞭聲粛々夜河を渡る」の「鞭聲」「粛粛」は何のことかわからない。
古典に出てくる漢語は日常的に使う言葉は少なく、かつ言葉が固く難しい。
また、日頃活字に親しんでないので、
「鞭聲」の意味を漢字から推測することも出来ず、「粛々と」という言葉自体を知らない。
若者の語彙力が急速に落ちているのである。
若者よ(若者だけじゃないけど)、スマホはしまって本を読め。

以前、会社の若者に「灯台下暗し」という言葉の意味を知っているかと聞いたら、
文字通り「灯台の下は暗い」と答えるので、
その意味するところはと再度尋ねるとやはり「灯台の下は暗い」という。
「灯台下暗し」というのは、「身近なことは案外知らない」という意味だよと教えると、
「なるほど」という。
ちなみに、「灯台」は船の航行を守る建築物ではなく、
室内で油を燃料に芯に火をともす昔の灯具である。

えらそうに言っているが自分の家庭も似たようなもので、
愚息が高校生の頃、母親(小生の妻)に
「『ざっくばらん』のスペルはどうじゃったかね?」と聞いたそうだ。
彼は「ざっくばらん」は英語だと思っていたようだ。
その時は大笑いしたが、困ったもんだねえ。

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君は原爆資料館に行ったことがあるか。
灯台の下は暗いのだ。身近なことは案外知らないものなのだ。

もっと大和言葉を

漢語以上に問題なのが大和言葉である。
たおやか、ひねもす、ことほぐ、うまずたゆまず・・・などなど。
まず意味がわからない。わかったとしても使えない。
これらは結構難しい大和言葉だけど、普段の会話で使う大和言葉はたくさんある。

「チョー感動した」もいいけど、
「いたく胸にしみた」と言いうことができる人であってほしい。
「感動」も「胸にしみる」だけでなく、
「胸に迫る」こともあるし、「胸を打つ」ことも、「胸が裂ける」ことも、「胸が躍る」こともある。

ひとつのことにたくさんの言葉があるのは、
その文化がそのことを大事にしていることに他ならない。
何も日本だけではない。
余談になるが、日本料理では「焼く」という言葉で表される料理の動作も、
中国料理では焼・炒・爆・煎・烤と様々に書き表され、
それぞれ料理法とういか、熱の加え方が異なる。
中国料理のすごさがこのことからもうかがえる。

大和言葉の豊富な分野は自然や気候に関する分野である。
「夜明け」を表す言葉は、あけぼの・ありあけ・あかつき・しののめ、
「月夜」を表す言葉は、おぼろづき・もちづき・いざよい・まつよい・・・といった具合である。
「河川」や「道路」というのは役所で話すときだけにして、
普段会話する日本語は、「かわ」・「みち」と言った方がやさしく、たおやかではないか。

大和言葉が衰退している原因には、まず、若者の言葉の乱れや語彙力の低下があげられる。
いつも「チョー○○」と言っている者は、
「このうえなく」という美しい大和言葉が存在することを知っていても使うすべを知らない。
しかし、何も若者のせいだけではない。
われわれもかなりそれに寄与していると思う。

手っ取り早く思いつくのがメールである。
メールの文章というのは、要点をおさえて手短にというのが鉄則である。
やさしい曖昧さに包まれた長めの大和言葉は、それにそぐわないのである。
畢竟、漢語中心の固い言葉になってしまう。
ちなみに、「お世話になっております」で始まり「了解いたしました」で終わるメールを
大和言葉で書き直せば、
「お引き立ていただき ありがとうございます」で始まり「かしこまりました」で終わる。

言葉には魂が宿る

言葉は世につれ変わっていくことは歴史が証明している。
元々、「ありがとう」は「有り難い・・・ありえない」であり、
「ごちそうさま」は「馳走・・・走り回る」であった。
言葉は人間の社会生活で使用される道具だから、
社会生活が変化すれば移り変わっていくのは当然の理である。
だから、「ヤバイ」や「ウザイ」が社会生活を反映したものであることは、
ちょっと悲しいことだと思うのである。
僕が一番好きな日本語「ありがとうございます」がちゃんと言えず、「あざす」とは、
そういう社会になっているということは、かなり悲しいことだと思うのである。

私たちの祖先は言葉の持つ力を知っていた。
それは霊的なもので「言霊(ことだま)」といった。
日本は言霊の力によって幸がもたらされる国であった。
よい言葉はよい事を招き、よくない言葉や偽りの言葉はよくない事を招く。
よくない言葉というものは、天に唾を吐くようなもので、結局、全部自分に返ってくる。

以前、環境学習の発表会で、中学生が環境に関する散文を作り、
数十人で舞台で語るだけのステージを見た。
部分的に一人で語ったり、数人で語ったり、全員で語ったりするステージだった。
始まる前は、ただ語るだけか、と思っていたが、ステージを見て驚いた。
語るだけだが、訴えるインパクトは想像以上だ。
言葉の力がどれほど訴求力があるか思い知った。
この時、「言霊」という言葉を思い出し、それは本当にあると思った。
胸にしみた。

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