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日本のごった煮(2016.6)

いのしかちょう

役所に勤めている後輩が、イノシシ被害対策について聞いてきた。
何でも、ため池の堰堤を掘り返して困っているという。
小生は数年前、某県の野生生物保護管理対策について検討する業務に携わったことがあり、
そのこともあって問い合わせてきたのだ。

で、防護柵や周辺林地の伐採等、いくつかの対策について話し、
いずれの対策も「集落ぐるみ」で取り組むことが肝であることを強く伝えた。
鳥獣被害対策は、地域の人々が力を合わせ、
「集落ぐるみ」で取り組まないと効果は上がらないのだ。

対策の中心となる防護柵は、近年、鳥獣被害で悩む自治体が独自に開発したものがいくつかある。
岐阜県で開発された「猪鹿鳥無猿柵」もそのひとつである。
これは文字どおり、この柵ひとつでイノシシ、シカ、サル、そして鳥までも防護できるという、
一石四鳥(正確には、一鳥+三獣)の欲張りな柵なのだ。

しかし、「いのしかちょう・むえん」とはうまく名づけたものだ。
この岐阜県に最近もう一つ「いのしかちょう」ができた。
郡上市の「猪鹿庁」である。
「猪鹿庁」は猟師さんたちよってつくられた里山保全のグループだ。
今後のご活躍をお祈りしたい。

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岐阜県型総合鳥獣害防止柵「猪鹿鳥無猿柵」は、各種有害鳥獣に対応した周年設置、 低コスト・軽量資材、 短期自力施工、省力維持管理の侵入防止柵だ。
(資料:岐阜県ホームページ)


本家「猪鹿蝶」

「いのしかちょう」といえば、花札である。
子どもの頃、祖母とよくやった。
祖母は花札のことを「花」と言った。

「猪鹿蝶」は「松桐坊桜雨」の五光(雨がないものが四光、四光のうちの3枚揃ったものが三光)
と並んで花札の役の王者である。
麻雀でいえば、大三元といったところか。
「猪鹿蝶」が揃うとドキドキしたものだ。
しかし、何で、猪・鹿・蝶なんだろう?

花札は、文字どおり「花」の札であり、猪・鹿・蝶の札の花は、それぞれ萩・紅葉・牡丹である。
関連して、鳥獣の肉には花の名前を持つものがある。
牡丹は猪、桜は馬、紅葉は鶏の足である。
動物からいえば鹿肉には花の名前はなく、花からいえば萩には動物の名前はなく、
関連ありそうで全く関連はなさそうである。

それぞれの組み合わせの由来は、
猪と萩は徒然草、鹿と紅葉は百人一首といわれているが、蝶と牡丹がよく分からない。
ただ牡丹と蝶を組み合わせた「牡丹蝶文」という文様は昔からあり、
陶磁器の皿によく使われたので、組み合わせとしてポピュラーだったのだろう。

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猪鹿蝶。よく見れば、猪の目がかわいい。てふてふと牡丹の配置は、不等辺三角形の典型である。

花札は、各月を代表する12種類の「花」で構成されている。
だから、「花札」というのだ。
ちなみに、今月、6月の花は、これまで話題にしてきた牡丹なのである。
しかし、「花」といいながら、
「花」とは呼べない松やススキや柳が入っているところに日本人の美に対する意識を感じる。
余談だが、先日決まった東京オリンピックのエンブレムはモノトーンの市松模様である。
色彩がないことから、地味との批判もあるが、小生は日本らしくていい選択だと思う。

花札の役の四光は、桜・鶴(松)・桐(鳳凰)・月だが、これはまさに「花鳥風月」ではないか。
桐(鳳凰)が「風」というのは少し苦しいが、
想像上の鳥である鳳凰が飛翔するのを「風」とすれば、意味は十分通じる。
そして、これに「雨」が加われば最強の役「五光」となる。
湿潤なモンスーン気候である日本では、雨は重要な自然の要素である。
「花鳥風月」に「雨」が加われば、完璧である。
「五光」が最強の役である所以であろう。

花札に登場する動物は、「猪鹿蝶」と「ひとつの例外」を除いて、なんとすべて鳥である。
すなわち、鶴、鶯、不如帰、雁、燕、そして鳳凰である。
わが国で自然を表す言葉である「花鳥風月」において、
動物は「鳥」として表現していることを考えれば、あらためてその意味に気づかされる。
そう考えると、「猪鹿蝶」とは、鳥以外の動物全般と考えられなくもない。
そして、問題は、「ひとつの例外」である。

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これが「五光」だけど、僕は雨がない「四光」が好きだ。「四光」はまさに「花鳥風月」、すなわち、「自然」だ。

人生のことはすべて蛙から学んだ

「ひとつの例外」とは、実は、人間である。
「花鳥風月」の花札に、一人だけ人間が出てくるのだ。
雨の札の小野道風である。
この札の人物は、もともと歌舞伎に出てくる斧定九郎という人物だったそうだが、
洒落で小野道風に置き換えられたのだそうだ(名前がどちらも「おの」だから)。

小野道風は、平安時代の貴族・書家で、「三跡」として有名である。
子どもの頃はこの札が嫌いだった。
なぜって、花や鳥の中で、この札だけが人間で、絵柄も雨がふっていて辛気臭い。
しかも後に述べるように、「花見に一杯」や「月見に一杯」を流してしまうので、
ババ抜きのジョーカーのように、何とも嫌な札だった。
しかし、この札は、その変な絵柄で大いに気になる存在だった。

絵柄は、柳の木の脇で直垂をまとった貴族風の男(小野道風)が傘をさして佇んでおり、
その横で跳ねる蛙が大きく描かれている。
物語のような絵柄は、何か意味があるようである。
それは、こうである。

書の才能のなさに悩んでいた小野道風は、
ある雨の日、蛙が柳の枝に飛びつこうと何度も跳ねているのを見た。
所詮蛙だから、無駄な努力をしてもできない事が分からないのだなあと思って眺めていた。
ところが、偶然風が吹いて柳がしなり、蛙は柳の枝に飛び移ったのだ。
これを見た小野道風は、呆然となった。

蛙は一生懸命努力して不可能を可能にした。
それに引き換え、自分はどれほどの努力をしているのかとあらためて気づき、
それからは努力を重ねて書の道に励み、死後、「書道の神」と言われるほどになったという。
押しつけがましい道徳の教科書のような話であるが、
でもいいじゃないか、こんな物語のあるのが、花札のまたいいところでもある。

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雨の札の小野道風。彼は柳に飛びつく蛙からすべてを学んだのだ。

花札―この日本的なもの

花札の役は洒落ている。
「菊に盃」という札があるが、この札は「化け札」といって曲者だ。
「菊に盃」は、通常は何の役にならない「カス札」であるが、
この札と桜が揃えば「花見に一杯」、この札と月が揃えば「月見に一杯」という役になる。
しかし、この役ができていても、ローカルルールのようだが、
期せずして雨の札を引いてしまうとこの役が流れるのだ。
雨が降れば、花は散り、月は見えない。
実に日本の風情を感じさせる発想ではないか。

「菊に盃」の曲者の最たるものは、
この札を持っているとカス札9枚で役になるのだ。
酔っ払いが徒党を組めば、大トラになって暴れまわるという趣向である。
花札の役は洒落ているだけではなく、ひねりも効いているのだ。

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「花見に一杯」「月見に一杯」。「菊に盃」は曲者の「化け札」だ。小心者の酔っ払いが大トラにジャガーチェンジするのだ。

そのような伝統を受け継いで、
「猪鹿蝶」という言葉からだけでも先に述べたような様々な「いのしかちょう」が生まれている。
語呂がいいのである。
日本語の言葉遊びのなせる業である。

花札は、例えば百人一首と比べるとかなりゲスなカードゲームである。
競技スポーツでもある百人一首に比べ、
花札は「こいこい」や「おいちょかぶ」など賭け事にも使われる。
和歌の教養とたしなみである百人一首に比べ、
花札は賭博を助長するものとして度々禁じられてきた。
しかし、小生は花札が好きである。

洒落ていて、ひねりが効いていて、
花鳥風月と春夏秋冬の日本の自然をなぞり、
日本的なものがごった煮状態で凝縮された花札。
日本人がある意味、典型、理想としてきた自然の姿が花札にはある。
その姿は、高尚なものではなく、身近なものだ。
数百年後に「猪鹿鳥無猿柵」という柵ができるぐらいだ。
その姿は、あるべき環境のイメージとして、
日本人の誰もが心の基底に持っているものではないだろうか。
と、思うのである。

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