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少しずつ始まる年に(2016.1)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

皆様、お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。
小生が子供の頃は、お正月は最大のイベントだった。
あらゆる店は少なくとも初荷の4日までは開いてなく、
従って、年末にはほぼ1週間分の食材を用意し、
それが、お正月の非日常的な雰囲気をつくりあげていたことは、間違いない。

思えば、そのことが、「お正月」という特殊な節句の根本にあったのだ、
と、今にして思う。
最近は、どこにでもコンビニがあり、
多くのスーパーが、昔はかたくなに元日営業は行わなかった百貨店でさえも、
福袋の書き入れ時とばかりに元日からやっている。
29、30日の買い物、31日のおせちの仕込みという大仕事から多くの女性は解放されたが、
とても大事なものもなくなってしまった、と思う。

大晦日は唯一、大手を振って日付が変わるまで子供も起きていていい日。
気持ちが高ぶったまま床に入り、目が覚めると「あけましておめでとう」。
一晩で世界が変わる。
まったく新しい世界に。
朝、お年玉をもらい、「雑煮にお餅はいくつ入れる?」

雑煮いろいろ

そう、雑煮である。
うちの雑煮は、カシワ(あえて、鶏肉とは言わない。昔、おばあちゃんはいつもそう言っていた)
に大根や人参が入る醤油仕立ての澄し汁だった。
雑煮というものはそういうものだと、何の疑いもなく、当たり前のこととしてずっと思っていた。
大学に入り、初めて広島を離れ、関東に行き、
今まで思いもしなかった、関東と関西の文化の違いに気づいた。
特に、今まで接することのなかった東北や北関東の人達と接して、
物事の考え方、気持ちの持ち方、
そして何より、食べ物が大きく違うことに気づいたんだべぇ。

関東の雑煮は、まず、餅が違う。
餅というものは丸いものだ。
ところが、関東の餅は四角なのだ。
お餅は板状に伸ばしてあって、それを切って使うのだ。いわゆる角餅だ。

焼いた餅は、小生の家では黄粉か砂糖醤油につけて食べるのだが、
関東の連中は、こともあろうに納豆をまぶして食うのだ。
小生の妹のように、未だに納豆が食べられない関西人から見れば、
これはもう、悪魔の食い物である。
それと、「ずんだもち」だ。
「ずんだ」は枝豆を餡にしたもので、とてもきれいな緑色をしている。
「ずんだ」をまぶした餅が「ずんだもち」だ。

関東の雑煮は、味付けは小生の家のものと変わらないが、
東京では、小松菜を「添える」のがお約束になっている。
東京ラーメンは、ネギ、メンマ、チャーシュー、ナルト、海苔、そして小松菜が定番で、
関東、特に東京の人は、どうであれ小松菜を「添える」のがお約束なのだ。

雑煮で、今までで一番ぶっとんだのは、何といっても、讃岐である。
これは、知る人ぞ知るもので、
「讃岐うどん」どころか「讃岐雑煮」とネーミングしてもいいしろのもんだ。
なにせ、雑煮の餅が、何と、あん餅なのだ。
だって、あなた、雑煮の餅からあんこが出てくるんだぜ。
讃岐の雑煮は、上品な白みそ仕立てだ。
白みその中のすきとおった大根と、金時人参の赤が美しい。
懐石の飯・汁・向付の汁椀を彷彿とさせるたたずまいがある。

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讃岐のあん餅雑煮。白みそ仕立てで上品である。
写真:「さぬき味の歳時記」香川県農政部HP


シンプルで好きなのは、島根の十六島海苔の雑煮である。
これは、澄し汁に餅と十六島海苔を入れただけのものである。
だから、海苔がとても重要な役割を果たす。
出汁もアゴ出汁といきたい。磯の香満載である。
十六島海苔は、
島根半島の日本海側、出雲市平田の十六島周辺でしか採れない岩ノリだ。

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島根の十六島海苔の雑煮。基本的に、具は十六島海苔だけ。
写真:「美味・お国自慢」島根県HP


ところで、十六島は「うっぷるい」と読む。
間違っても「じゅうろくじま」ではない。
どうしてこれを「うっぷるい」と読むようになったかは、大きな謎である。

島根の地名といえば、松江市にある「出雲郷」。
これはなぜか「あだかえ」と読む。
混乱するのは、この字があるのは東出雲町(ひがしいずも)町だからややこしい。

出雲弁が東北から遠く離れているのに、ここだけいわゆるズーズー弁だったり、
出雲地方には謎が多い。
そういえば、中国地方の日本海側には漢字の字面からはとてもそう読めない地名が多い。
山口県下関市の「特牛」。
これは「こっとい」と読むが、どうしてこれをそう読むようになったのか、さっぱりわからない。
閑話休題。

忘れられていくもの

さて、話を戻して、お正月のお餅である。
正月のお餅といえば、それは、鏡餅である。
鏡餅はいつまで飾るのか。
それは、松の内までである。
では、松の内はいつまでか。
それは、15日までである(但し、これは地方によって違う)。

松の内が終わったら、鏡餅はどうするのか。
それは、「とんど」で焼くのだ。
広島では15日の朝、あちこちの広場や田んぼに竹を組んだ櫓が見られる。
この櫓に火をつけ、正月飾りや書初めなどを一緒に焼く。
鏡餅は生えた青カビなどをこそげ落とし、小さく砕く。
その小さく砕いた鏡餅を竹に挟んでとんどで焼く。
広島では、これを「とんど」というが、全国的には「左義長」という。
とんどは、左義長は、正月に帰ってきた神や祖霊を炎と共に送る風習である。

しかしね、そもそも鏡餅自体が、
スーパーで売っているプラスチックのカバーに包まれているちっちゃいやつで、
カビも生えようがないし、小さく砕く必要もない。
また、近年は、ダイオキシン発生防止のため、野焼きの禁止などの難しい話も多い。
町内会や子供会で竹の櫓を燃やすということだけが残り、
その在り方や、その意味は、どんどん忘れられている。

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最近のとんどは、地域のコミュニティを醸成する大切なイベントになっているところも多い。
写真:広島市安佐南区役所HP


さらに広島では、1月15日は「おたんや」である。
「おたんや」をご存知だろうか。最近は、広島でも知らない人が多い。
「おたんや」は、親鸞聖人の命日1月16日の前日、すなわち、通夜の日である。

なので、「おたんや」では殺生をしてはいけない。
すなわち、肉や魚など、動物性のものを食べてはいけない。
「おたんや」には、小豆の入った野菜の煮物「煮ごめ」を食べるのだ。
安芸門徒の広島では、1月15日は昔から魚市場は休みで、
従って、料理屋に行っても魚は食べられないものだったのだ。
今でも、「今日はおたんやで市場が休みなので・・・」という料理屋も少なくない。
が、スーパーでは当然、当たり前のように肉や魚を売っている。

お墓で「なむあみだぶ」と唱えるが、お盆のお墓参りに盆灯篭は買っていくが、
今や、「おたんや」という言葉は死語になりつつある。
すなわち、凡夫が最低限の精進をして親鸞聖人を思いやる報恩の気持ちは、
どんどん忘れ去られていく。
安芸門徒でない小生でさえそう思う。

少しずつ始まる年に

母親や祖母が数日かけて準備したおせち。
ご近所総出でついたお餅。
その土地々の雑煮。
「とんど」や左義長、「おたんや」や煮ごめ。

いつでも開いているコンビニやスーパー。
スマホやパソコンがあれば、届けてもらえるおせち。
おじいちゃんやおばあちゃんのもとに集まることもなくなった家族。
子供の声のしなくなった家の前の道路。
近所から消えた肉屋や魚屋。
中心市街地でじわじわ進んでいくシャッター通り。

そんなことに、
少しずつ気づいていって、
少しずつやる人が出てきて、
少しずつ広がっていって。
そんなことが少しずつ始まる年になればと思う。

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