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広島のなんじゃこりゃ!(2015.1)

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

読者の方から、「いつも読んでます」とか、
「今月のえこらむは良かったよ」などと言っていただけると、
とても励みなります。
ありがとうございます。

さて、今月は、前月に引き続き、街で見かけた変なものをご紹介する。
今回は、地元、広島編。
広島でも、結構「なんじゃこりゃ!」というものに出会うのだ。

2次元と3次元

まずは、これだ。
小生は二十数年前、広島に戻ってきたときこれを見て、ドキッとした。
こりゃいったいどうなっているんだろう。
広島にもこんな野外彫刻が置かれるようになったんだ。

これは、「大地0(ゼロ)からのかたち」という彫刻で、
厚みはないのに立体的に見せる2次元と3次元が交錯しただまし絵のような作品だ。

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広島に住んでいる人なら、一度は目にしたことがあるんじゃないかな。
さて、どこにあったかな。


葉っぱの上で青虫が無心に葉っぱを食べている。
彼の世界は、高さの要素はほとんどない平面の世界だ。
鳥が青虫を見つけ、ついばんで飛び立った。

彼はいきなり2次元の世界から3次元の世界に引きずり込まれたのだ。
考えたことも、想像したこともない3次元の世界に。
もし、4次元の世界があるとして、僕たちが4次元の世界に引きずり込まれたら、
それは、そういうことかなあと漠然と思う。

自販機でだしを買う

次は、これ。
広島の街のど真ん中にある自動販売機だ。
しかし、ただの自動販売機ではない。
以前ご紹介した那覇の自動販売機も変わっているが、
これもなかなかのものである。

何の自動販売機かというと、写真からもわかるように「だし」の自動販売機なのだ。
こんなものが繁華街の電車通りに面した場所にあるなんて。
値段を見ると、上段のものは650円、下段のものは450円と書いてある。
上も下もボトルの大きさは一緒だけど、何が違うんだろう。

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街のど真ん中に「だし」の自動販売機とは!

と、よく見ると、
なんと、上段のものはボトルの中に魚が一匹まるまま入っているではないか。
なるほど、自動販売機にも「炭火焼あご入り」と書いてある。
「あご」とはトビウオのことで、島根や長崎では「あご」からとった「あごだし」はよく使われる。
島根の隠岐そばや長崎の五島うどんは「あごだし」が定番である。
しかしまあ、こんな街中でこんなものを売っているとは。
どうやら江田島の醤油屋さんがやっているらしい。

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でも、どうやって、「あご」をペットボトルに入れるんだろう?ボトルシップみたい。

もしもローソンが赤かったら

広島といえば、カープじゃ。
カープといえば、赤じゃ。
じゃけえ、広島のローソンは赤いんじゃ。

ローソンのイメージカラーは「LAWSON」の文字の色と同じ水色のラインなのだが、
(ごく一部の)広島のローソンは赤いのである。
マツダスタジアムに広島駅から歩いて行かれたことのある方は、
「ああ、あの店ね」とわかると思う。

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カープの試合のある日は大盛況。
黒田、前田のツートップで、今年は優勝じゃ!
10月、11月は宴会続きとなりますように。


企業のイメージカラーは、それがまさにその企業のシンボルであるため、
その変更は容易ではないと思う。
郷に入りては郷に従え。
あえてイメージカラーを捨てることにより、
LAWSONよ、よくぞここまで広島のことを思ってくれたかと思う。
これを発案し、決断し、実行したLAWSONの関係者の方に敬意を表する。

しかし、実は、企業のイメージカラーは結構コントロールできるのだ。
典型的なのは、京都市である。
京都市では、「京都市屋外広告物等に関する条例」を制定し、
屋外広告物の規制をしている。
屋外広告物は、原則として広告の地の部分は白地とし、
赤や黄を下地に用いる場合は、
これらの色と補色関係にある色の使用を避けることなどと規制している。

従って、一部ではあるが、京都の吉野家はオレンジではない。
白地に「吉野家」と書いてあるだけだ。
セブンイレブンには赤と緑のラインはない。
マックの下地は赤ではなく地味なエンジである。
京都は、ここでしか見ることのできない看板のオンパレードだ。
景観の誘導は、まちづくりの効果的な手法のひとつなのだ。

「まちづくり」といえば、去年、とても考えさせられるイベントがあった。

まちづくりは人づくり

昨年秋、広島一の商店街である本通りの裏に位置する袋町公園に、
大勢の人が集まって何やらやっている。
何だろう。

公園に突然おびただしい竹が生え(立てられ)、その先にロープが結んである。
ロープの先はひとつの大石に結ばれている。
その大石は宙に浮いている。
竹の反発力により浮き上がっているのだ。
そして、その大石の上に人が乗って、上がったり下がったりしながら歌っている。
「いーのこいのこ、いのこもちついて、はんじょうせえ、はんじょうせえ」
「大イノコ祭り」だ。

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「祭り」は、 都市の祝祭だ。そして、祝祭の主体は、そのまちに住む市民だ。

僕たちが子どもの頃、広島では秋に、いたる所で「亥の子」というお祭りがあった。
「亥の子」は、たくさんの綱が結び付けられた直径数十cmの「亥の子石」を、
子どもたちが歌いながらその綱を持って振り上げ、地面に振り下ろしながら、近所を回るのである。
「亥の子」は即ち「猪の子」であり、
イノシシの多産にあやかり、秋の収穫や豊穣を祝う祭りである。
いつの間にか廃れてしまったこの「亥の子」を、
市民手づくりの街の祭りとしてグレードアップして復活させたのである。

仕事で色々な街に行く。
地方都市の多くの中心市街地は、駅前から見るも無残なシャッター通りである。
行政は何とかしようと思い、再開発事業や道路事業等、様々な事業を入れる。
しかし、残念ながら、それはそれだけのことなのである。

街を活気づけるためには、行政ではなく、
その街の人たちが自分たちのこととして危機意識を持ち、
自分たちで考え、行動しなければ、何も変わらない。
要は人なのである。

広島は幸いである。
何とかしたいと思い、行動する人たちがいる。
そうすると、その人たちの吸引力に、様々な技をもった人が集まってくる。
そして、それをボランティアでサポートする多くの若者がまた集まってくる。

ステージさえ用意すれば、そこで弾き、歌い、踊る人たちが集まってくる。
そうすると、それを見に来る人が集まってくる。
人が集う街とは祝祭の場なのだ。

「亥の子」という地域のシーズを発見し、それをまちづくりまで高めた。
自分たちの街を何とかしなければと思うなら、
他でもない自分が動き始めなければならない。

まちづくりは人づくりだ。
しかし、一人でできることはしれている。
どんな街でも、仲間を引き込み、できることから始めてみようという人が、
一人でも、二人でも出てきてほしいと切に願う。

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| | 2015/01/31 13:46 | |















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