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だから僕は京都へゆくの(2014.9)

なのにあなたは京都へゆくの

♪なのにあなたは京都へゆくの
京都の街はそれほどいいの
この私の愛よりも


チェリッシュのデビューアルバム「なのにあなたは京都へゆくの」である。
えっちゃんの澄んだ声がよかったなあ。
ザ・タイガースやフォーク・クルセイダースも京都から出たバンドである。
あの頃、そういう文化の揺籃だったのだ。
京都は。
京都という街は、確かに人をひきつけるものがある。
「なのに」と言われても、行きたいものは行きたいのである。

今年のお盆休みは、墓参りも放り投げ、母親のひんしゅくをかいながら、
一人京都に行った。
子どもの頃から、日本の歴史やお寺や神社、日本的なものにずっと惹かれてきた。
中学生の頃、奈良と京都の様々な場所の2万5千分の1の地図を買い足し、買い足し、
地図の上で一人あちこち空想の旅をしていた。
行ったことはないけど、どこにどんなお寺や神社があり、
どのお寺にどんな仏像があるか知っていた。

子どもたちが大きくなり、家族旅行をしなくなった数年前から、
GWやお盆休みは一人で自由に動けるようになった。
子どもの頃からの空想の旅がやっと現実になったのだ。
奈良、斑鳩、飛鳥、山の辺、高野山、熊野古道、伊勢、吉野と
数年かけてつぶさに歩いた。
そして、今年から・・・ついに京都である。

龍馬の墓

東山に坂本龍馬の墓がある。
一度見てみたいと思っていたので、今回行った。
龍馬の墓は、何と、護国神社の墓地の中にある。
そして、それは、幕末に命を落とした勤王の志士のおびただしい墓群の中にある。
そう、勤王の志士も幕府側の志士も、
志は違えど、同じように国のことを思い、命を落としたのだ。
まさにこれが「護国」ではないか。
だから勤王の志士の一人として龍馬の墓がここにあるのだ。

京都の護国神社は、実は、靖国神社より古い歴史を持つ。
そもそも京都の護国神社は、
維新を目の前にして倒れた志士たちの霊を弔うために、
明治天皇の命により造営されたものなのだ。
京都の護国神社は、もともとは「霊山官祭招魂社」といい、
「京都霊山護国神社」と呼ばれるようになったのは昭和に入って日中戦争の後からなのだ。
その後紆余曲折を経て、平成14年には、神社本庁との包括関係を解消している。
京都の護国神社は、ただの護国神社ではないのだ。

また、京都の護国神社には、
太平洋戦争での戦没者を慰霊する「昭和の杜」が設けられている。
この「昭和の杜」は、京都出身者で構成される様々な部隊の立派な慰霊碑があり、
その重みを感じることができる。
京都の護国神社は、まさに国のために戦で命を落とした者を慰霊する神社であり、
そこに眠る人々のことを思うと、
初詣だの七五三だのという庶民のイベントとは一線を画する気持ちになる。
奇しくも、訪ねた日は8月15日、終戦記念日だった。

龍馬の墓は、近江屋で一緒に襲われた中岡慎太郎と隣り合わせにあった。
手を合わせた後、木戸孝允(桂小五郎)の墓もあるというので見に行った。
何ということだ!
龍馬の墓は細い墓石が立っているだけなのに、
木戸孝允の墓は墓所の最奥最上部にあり、えらく大きく立派な墓である。
おまけに隣には、妻の幾松のこれまた龍馬よりもずっと立派な墓まであるではないか。

それもそのはず。
木戸孝允は従一位を贈られ、勲一等旭日大綬章を受け、侯爵に叙されたのだ。
木戸孝允は偉いのだ。
確かに木戸孝允は、西郷隆盛、大久保利通と並んで「維新の三傑」と称され、
明治維新の立役者の一人であることは間違いないのだが。

しかしだ、この龍馬とのお墓の違いはどうするのだ。
例えば、人に坂本龍馬と木戸孝允のことを訪ねると、
間違いなく坂本龍馬のことの方をよく知っているはずである。
木戸孝允は、名前は聞いたことがあるが何をした人かはよく知らない、
というのが普通の人の認識だろう。
もし、龍馬が生きていたら、木戸孝允よりも立派な墓に入っていたかもしれない。
と言ったら、「つまらんことを言うな」と草葉の陰で龍馬が怒っているかもしれないが。

護国神社の横に幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」がある。
見学する。
龍馬を斬ったといわれる佐々木只三郎は、龍馬暗殺のわずか2ヶ月後、
鳥羽・伏見の戦いで命を落としてしまう。
同じ年に新選組局長・近藤勇も捕らえられ斬首されている。
殺し、殺され、結局、幕末の志士のほとんどは明治維新を見ることなく世を去っているのだ。
木戸孝允や西郷隆盛、大久保利通は実に幸運な人たちなのだ。
という事実を知ると、
京都の護国神社の存在の意味が心に沁み、素直な鎮魂の思いがわいてくる。

しかし、あとたった1年、
あとたった1年で、元号は明治と変わったのに。
嗚呼、龍馬。

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正四位 龍馬の墓。中岡慎太郎と一緒に葬られている。

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従一位 木戸孝允の墓。墓所の中で最も大きく、立派である。

美味いけど高い・高いけど美味い

京都に行ったからには、やはり食べ物の話をしなくてはならない。
京都の食べ物の値段の高さはよく知っているので、
外食は丼ものか、そば・うどんと決めていた。

京都の丼ものといえば、木の葉丼である。
これはカマボコ、シイタケ、三つ葉などを卵でとじた丼である。
有名な店が多いのが、実は、親子丼なのである。
そして、親子丼は、そば屋・うどん屋で食べるものなのだ。
とても出汁が効いてて卵がとろり。
うまい。
どうしたらこういうふうにできるんだろう。

しかしねえ、高いんだよ。
親子丼1,500円。
まあ、日本の一般的な店の倍以上だ。
今回行ったのは祇園の権兵衛。
白洲正子がお気に入りだったと聞いたら行かんわけにいかんじゃろ。

今回のヒットは、権太呂の「ゆばあんかけ」1,300円。
そばを大きな一枚の湯葉で被い、そこに「あん」がかけてある。
湯葉の上にはおろしショウガ。それしか見えない。
実は、この湯葉の下には鶏肉、カマボコ、シイタケ、そしてそばが隠れている。
実に京都らしい一品である。

この「あん」が、出汁が、うまいのである。
口に含むと、思わず「ああ」と声が漏れる。
この「あんかけ」は、汁全体を片栗粉でとろみをつけたもので、
京都のご当地メニューであり、ひとつのジャンルをかたちづくっている。
京都のそば屋・うどん屋には「けいらん」というメニューがある。
「天とじ」は卵でとじたものであるが、「けいらん」は「あん」に溶き卵を流したものである。
従って、例えば「天とじそば」と、
「天ぷらけいらんそば」という異なるメニューが存在することとなる。

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これが権太呂の「ゆばあんかけ」。実に京都らしい。出汁がほんとに美味い。写真:「食べログ」より

京都のそば屋・うどん屋で意外なのは、
京料理からは一番遠い存在に思えるカレーが一大ジャンルを作っており、
またその名店が多いことである。
カレーメニューに力を入れている店では、「カレーうどん」といっても、
「肉カレーうどん」「鳥肉カレーうどん」「キツネカレーうどん」そして「わかめカレーうどん」まである。

「カレーうどん」には概ね2種類の作り方がある。
ひとつは、できたうどんの上のカレーのルーをかけるもので、
もうひとつは、汁全体がカレーでとろみがつけてあるものである。
一般論として、前者は略式「カレーうどん」であり、後者が純正「カレーうどん」である。
言うまでもなく京都の「カレーうどん」は後者であり、
その味は深く濃く、かつ非常にスパイシーなのである。
さらに京都がすごいのは、
一般的に麺類のカレーメニューは「カレーうどん」であり、「カレーそば」は邪道とされるのだが、
京都では「カレーそば」も同格として扱われていることである。
黄レンジャーとしては、こういうところが非常にシビレルのである。

京都の街がどれほどいいか

小生の旅は、ケチケチ旅行である。宿はカプセルなどの安宿。
一人旅だから別にいいのだ。
今回は、ちょっとしたハプニングもあって、あの京都で1泊平均3,000円で済ますことができた。
素泊りなので、外食する朝飯もちょっとした楽しみだ。
さあ、今日は何を食べようか。
小生は朝から牛丼でもカツ丼でも食べれるのである。

で、困ってしまった。
京都には、朝、食べるところがないのだ。
京都にはファーストフードがほとんどないのだ。
5日間京都にいて、四条で「すき屋」を1軒、
九条で「吉野家」と「松屋」を1軒ずつ見かけただけだった。
京都といえば、「なか卯」である。
が、その「なか卯」さえも、なかなか少ない。
ファミレスに至っては貴重種だ。
かつ、コンビニもあるにはあるが、非常に数が少ない。
ということに気づいたのだった。
そして、考えた。

実は、これは非常に重要なことなのだ。
なぜ京都に外食産業やコンビニが少ないか。
それは、入る余地がないからである。
千年の昔から、京都は街の区割りや土地利用が基本的に変わらないのだ。
一条から九条までずっとそのままなのだ。
たとえ応仁の乱や禁門の変で一時街が荒廃したとしても。
平安京の土地においては、ミニ開発やスプロール化はありえないのだ。
三条や四条の中心部を外れると、京都全体は大いなる下町という感じがする。
町屋でずっとそこに生きてきた土着の人、
生活に密着した下町の顔見知りが昔から住んでいるという感じだ。

日本の街は今、どこも同じような問題に直面しているように思う。
中心街のゴーストタウン化、シャッター通り。
なぜそうなったか。
モータリゼーションの発達と郊外の大規模店舗に客を奪われたからだ。
イオンモールやゆめタウンに行けば、お店だけでなく、様々なレストランや映画館、何でもある。
天候も気にせず、一日中家族で過ごせる。
特に、街の活力に最も重要な30,40代の家族連れをごっそり持っていってしまう。

僕たちは、今一度自分の街について振り返らなければならない。
街のあり方に今一度目を向けてみなければならない。
自分たちの街はこのままでいいのか。
自分たちの大切な街を廃れさせているのは、実は僕たちじゃないのか。

「おおきに。またおいでやす」という声を背中に聞きながら、
積み上げられた千年の都の重みを考えたのだった。

| コラム | 10:13 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| | 2014/10/04 21:16 | |















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