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ナウシカの世界観(2014.7)

只者ではないのだ

愚息が友達から「風の谷のナウシカ」コミック全7巻を突然借りてきた。
前から、一度コミックで読み直さんといけんなと思っていたのだ。父さんは。
しかしなあ、お前、高3にもなって、こんなもん読んどる暇があるんか?

今から30年前、風の谷のナウシカのビデオを初めて見た。
あの頃はレンタルビデオが最盛期で、まとめ借りしてよく見たものだ。
DVDなど隔世の感がありますなあ。
(そういえば、オレの結婚式のビデオ、どこにいったのかなあ。しかもβだし。)

当時、小生は東京にいて、友達のアパートで友達3人で見たのだ。
このアニメが只者ではないことは、すぐ分かった。
テーマが重い。
3人は口も利かずにテレビに見入った。
しかし、登場人物とストーリーが非常に込み入っており、
イマイチ理解できないところがある。
もう一度最初から見ようということになり、もう一度見た。

「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。
失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」


決めセリフの余韻に浸りつつ、見終わって、
何かどうにもならないものを頭から被せられたような感じで、グッタリしてしまった。

天空の城ラピュタ、となりのトトロ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、風立ちぬ・・・
宮崎作品には一貫して流れる共通の通奏低音がある。
「環境破壊」、「ユートピア」、「純粋な心」などなど。
コミック版ナウシカに出てくる巨神兵、
(後から申し上げるが、映画版の巨神兵とは位置づけ、役割など全く異なる)
ラピュタに出てくるロボット、千と千尋に出てくる「顔なし」、
みんなピュアで悲しいんだよね。いたわしいんだよね。

最初の印象がとても深かったせいか、
僕は「風の谷のナウシカ」がいまだに宮崎作品のベストワンだ。
そして、最後の作品「風立ちぬ」から振り返っても、
通奏低音は絶えず流れ続けていたことがわかり、
その流れは最初のナウシカで最も大きく複雑だった、と思うのである。
只者ではないのだ。
ナウシカは。

ストーリー

コミック版風の谷のナウシカは、以下のような冒頭の文章から始まる。

「ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は、数百年のうちに全世界に広まり、巨大産業社会を形成するに至った。大地の富を奪い取り、大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は1000年後に絶頂期に達し、やがて急激な衰退を向かえることになった。「火の七日間」と呼ばれる戦争によって都市部は有毒ガスをまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ、地表のほとんどは不毛の地と化したのである。その産業文明は再建されることなく、永いたそがれの時代を人類は生きることになった。」

コミック版風の谷のナウシカのストーリーの概要は以下のとおりである。
ファンタジーの常として、本当は伏線となるたくさんのエピソードがあるのだが、
ここでは省略する。

「火の7日間」という文明を崩壊させた最終戦争から1000年後、
世界は「瘴気」という有毒なガスを放つ「腐海」でいたるところ覆われている。
「腐海」は海ではなく、巨大な菌類の森で、
「王蟲」(オーム)を頂点とする巨大な「蟲」たちがすむ。
「腐海」はどんどん広がっており、
人々は残されたわずかな土地に瘴気を避けるように住んでいる。

しかし、このような人類存亡の危機にあっても、
人間はトルメキアと土鬼(ドルク)の2つの国が覇権争いをしており、
また、トルメキア内では王位を巡って権力闘争が続けられている。
ナウシカは、トルメキアと同盟を結ぶ「風の谷」の族長の娘で、
同盟により族長の代理としてトルメキア側について土鬼と戦うことを強いられている。

劣勢の土鬼軍は、腐海の植物を生物兵器として使用することで、
トルメキア軍を撃退することに成功したが、
突然腐海の植物が暴走しはじめ、
それを察知した蟲達による「大海嘯」と呼ばれる暴走に発展して、
土鬼の地もほとんど滅亡してしまう。

ナウシカは、戦闘中に腐海の下層部に迷い込み、
この汚染された世界を浄化する目的で腐海の植物が存在しているということを発見する。
そして、「森の人」に出会い、この世界の成り立ちとその秘密を知らされる。
ナウシカは、「遺跡」に乗り込み、
その中枢部である肉塊「墓の主」が語る理想郷の話を聞いて悩むが、
結局、自分の意志で遺跡を破壊する。

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原本読むべし

風の谷のナウシカのコミックの連載は昭和57年に始まった。
昭和59年の映画化のための中断を経て、連載が終わったのは平成6年のことである。
書き始めて映画化まで2年。
しかし、宮崎駿は、映画封切り後もこの物語を10年にわたって書き続けたのだ。
ちなみに、コミック全7巻から見ると、2巻目の途中までが映画の内容である。
映画版は、全体の約1/4の進捗状況の中での物語なのである。

僕が何が言いたいかというと、
映画とコミックでは全く別の物語なのだ、ということをまず言いたいのだ。

コミックでは映画に登場しない人物がたくさん登場し、
(映画版では登場しない「森の人」は、コミック版では最重要人物である)
登場生人物の位置づけや役割もかなり異なる。
例えば、映画版の巨神兵は単なる強力兵器であるが、
コミック版ではナウシカを母と慕う人工生命体である。

物語の展開もかなり異なり、何より結末(これが重い話である)がまったく違うのだ。
ゲド戦記やナルニア物語が最たるものであるが、
ファンタジーは元の本・アニメを絶対に読まなければならない。
ファンタジーは登場人物も多く、ストーリーは込み入っており、
かつ作者が物語を通じて伝えようとしたものは結構重たいものが多い。
たかだか2時間の映画の限られた上映時間では、
物語に登場する人物を全員登場させることも、ストーリーをなぞることもできないのだ。

僕は、ナウシカの映画を見ただけで、かなりのショックを受けた。
そして、それで満足していた。
ナウシカのことをわかったつもりになっていた。
が、所詮それは切り刻まれ、制限時間内に押し込まれた断片だったのだ。
オリジナルは、もっと複雑で、もっと深く重たい物語だった。

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「風の谷のナウシカ」(アニメージュコミックスワイド判 全7巻)
興味を持った人は必ず読むべし。映画とは全く違う深い深い物語。


全く異なる結末(ネタバレ注意)

映画版では、最後、ナウシカは風の谷を守るため、
暴走する王蟲の大群の前に立ちはだかり、弾き飛ばされて死ぬが、
ナウシカと心をかよわせた王蟲の触手がナウシカを包むと命が蘇る奇跡が起こる。
王蟲の血の色の青い服を着、王蟲の金色の触手の上にいるナウシカの姿は、
まさに古より伝わる「青き衣の者」であり、救世主伝説は真実であった。
というのが結末である。

が、コミック版は全く違う。
そもそも、菌類や王蟲をはじめとする腐海の全ての生き物、
生き残っている人類、巨神兵、そして、ナウシカまでもが、
なんと!実は、旧世界の遺跡で開発された人工生命であるというのである。

誰が、なぜ、そのような込み入った策略を仕組んだのだろうか。
誰が?・・・遺跡の中枢部の「墓所の主」が、である。
「墓所の主」はそれ自体が意識生命体だったのだ。

では、なぜ?・・・
遺跡は、腐海が世界を浄化した後、
絶滅した動植物や、戦争を引き起こす心を除去された旧人類を再生することを目的とした
環境再生装置なのだ。
早い話が、「ノアの箱舟」なのだ。
「火の7日間」を引き起こした愚かな人間をリセットし、
浄化が終わった後に戦いのない理想郷をつくりだすことが目的なのだ。

おお、とても素晴らしいことではないか。
ついにユートピアが来るのだ。

しかし、現在存在している人類は、ナウシカも含め全員が、
毒に満ちた世界でなければ生きていけないようにしてある人工物であって、
浄化された世界では生きていけないという。
(毒に満ちた世界とは、すなわち、僕たちが生きているこの現実世界ではないか!)

すなわち、来るべきユートピア=今生きているすべての生命の絶滅なのだ。
で、ナウシカはどうしたか。
ここから先は、実際にコミックを手にとってご確認あれ。

うーん。これは難しい問題だ。
後世のユートピアは約束されている。
ただし、そのためには、自分も含め、全ての生命を一旦リセットする必要がある。
早い話が、世界は終末を迎えるというのである。

自分の命が終われば、すべては無である。
自分の命と引き換えに他の命を救えるというのなら考える余地もあるが、
今生きている命は全て否定されるというのである。

しかし、その後の全て新しくなった世界にはユートピアが約束されている。
究極のパラレルワールドだ。
自分が生きる意味は?
世界が存在する意味は?

「墓所の主」に対してナウシカが最後にとった行動については、
様々な人が様々なことを言っている。
これは非常に難しい問題だ。
哲学的命題といってもおおげさではない気がする。
コミックを読み返してみても、
このあたりの作者の考え方は、いまいちクリアに表現されてはいない。
余韻を残して(考える余地を残して)終わらせている。
とでも言っておこうか。

30年前の驚異

映画版風の谷のナウシカは、
今からちょうど30年前の昭和59年(1984年)に封切られた。
当時はバブルの絶頂期で、今のような環境問題はその概念さえなかった。
地球温暖化や生物多様性が初めて話題に上った地球サミットが1992年だから、
それに先立つこと8年も前である。

今にして思えば、
当時はそんな言葉もなかった「循環・共生」、「生物多様性」、
「ゼロエミッション」(その系で完結し、外部に負荷を排出しない)、
「バックキャスティング」(あるべき姿から現在を振り返り、今なすべきことを考える)、
「バイオレメディエーション」(微生物による土壌浄化)など、
今日重要視されている様々な環境問題のキーワードが
30年も前に作られたこの物語に詰まっているのは、
もう驚き以外の何ものでもない。

やはり只者ではないのだ。ナウシカは。

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