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「どうあるべきか」から考えよう

さよならだけが人生だ

まずは、東北関東大震災の被災者の方々にお見舞い、犠牲者の方々に哀悼の意を申し上げる。
大変な災害が起きてしまったが、何事もなかったように季節はめぐる。
春である。

春はあけぼの……ではなくて、春といえばサクラである。
日本の春はサクラで埋まる。
そして、サクラが咲けば、散るのが惜しい。

 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

(もしこの世の中に桜というものがなかったら、
 ああもう散ってしまうと思い悩まなくていいから、
 春の気分はずいぶんのどかだろうなあ)


伊勢物語の在原業平のうたである。これには返歌があって、

 散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久かるべき

(散るからこそ桜は素晴らしいのだ。
 このかりそめの俗世間に、永遠というものがあるだろうか、
 いや、ありはしない)


20110401-1


そう言われれば、サクラが満開の頃、必ずといっていいほど雨、というよりも嵐になり、翌朝、地面に花びらが散り敷いているのを見て、「あーあ」ということが多い。
春の移動性高気圧の後ろには強力な低気圧が控えているのである。

ポカポカ陽気の後には寒冷前線が通過し、「花あらし」になるのである。
「花に嵐のたとえもあるぞ……」

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ


後半の2行、「どこかで聞いたことがあるぞ」という人も多いと思う。
井伏鱒二の訳詩である。
訳詩というからには元の詩があるわけで、「勧酒」という題の五言絶句である。

勧君金屈巵
満酌不須辞
花發多風雨
人生足別離

書き下し文で書くと、

君に勧む金屈巵(きんくつし)
満酌辞するをもちいず
花發(ひら)けば風雨多く
人生別離足る


「金屈巵」とは黄金の杯という意味だが、なんという的確かつ分かりやすい訳詩だろう。
詩のこころは一言でいえば、「一期一会」である。
実は、この訳詩には後日談があって、これに誘発されて作られた寺山修司の詩がある。

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家は何だろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません。


なんとも寺山修司らしい、デリケートで誠実で反骨な詩なんだろう。
いいなあ、寺山修司。人生は「こんにちは」だ。


九州よりも早く東京で咲く

サクラに戻ろう。
最近、天気予報でサクラ前線をみていると、九州よりも東京で先に咲くことがあるのに気づかれた方がおられるだろうか。
「まさか!」と思われるかもしれないが、本当のことである。

サクラの花芽は夏にできてすぐ休眠し、冬の寒さがそれを目覚めさせる。
これを「休眠打破」という(おいおい、うちの社員も休眠打破してくれ!との声あり)。
一度寒くならないと目覚めないのである。
冬暖かいと、温暖な地域では休眠打破がおきないのである。

また、近年は昔と比べサクラの開花が早まっている。
気象庁によると、50年間で4.2日早くなっているそうである。
サクラは春先の気温が高ければ開花が早まる。
もうおわかりであろう・・・地球温暖化である。
20110401-2



バックキャスティング!

さすがのアメリカも、「地球温暖化には科学的根拠がない」などともう言わなくなった。
仮にその因果関係に科学的な不確実性が残っていても、もし温暖化が進めば気候変動、海水面上昇等甚大な被害が予想される。
そしてそれは不可逆的である。
このような場合には、不確実性はそれはそれとして、とにかく対策をとることを「予防原則」という。

地球温暖化は、まさに「予防原則」をもって対応すべき典型的なものである。
(2002年のヨハネスブルグ・サミットでは、「予防原則」は政策的なアプローチのひとつであって、「原則」とすることには同意しないと、なんと、わが日本はアメリカと一緒にその明記に反対したのである!)

20110401-3
一旦あるラインを超えてしまうと、もう二度と戻れない。奈落の底へ……


地球温暖化対策は、概して積上げ型である。
家庭部門では省エネ住宅にして○○%削減、省エネ家電で○○%削減……このように、現状をふまえてとりうる方策を考え、トレンドして将来を考えるのが現在のやり方である。
これを「フォア・キャスティング」という。

これに対して「バック・キャスティング」は最初にあるべき将来を考え、そこからこれを実現するために必要な方策を考えていくやり方である。
地球温暖化が「予防原則」をもって対応すべき後戻りがきかない大きな問題であるなら、「バック・キャスティング」によって考えていくべきだろう。
最近では、特に地球温暖化について「バック・キャスティング」が重要な考え方になりつつある。
「どうあるべきか」から考えるこの「バック・キャスティング」は、分野を超えて広がっている。

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再び、サクラ

筆者は、大学は園芸学部という学部の出身である(よくマニアックとか言われる)。

入学したての頃、教授が1年生を連れて学校の農場を解説して歩く演習があった。
数歩歩いては立ち止まり、教授が「この木を知っている人?」と聞き、誰かが手を挙げて「この木は○○です」と答える。
みんな次々に答える。
自分は答えられない……

最後の頃、おお、やっと知っている木が出てきたぞ。
「この木を知っている人?」
すぐ手を挙げた。
「これはサクラです」
すると教授はこう言った。

「君ぃ、サクラに対してサクラとは何事かね。
 サクラにいったいどのくらい種類があるのか知っているのかね?
 せめてサトザクラと言いたまえ」

…………。

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