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「つながり」と「個性」

みんなつながっている

年度が改まった。
昨年度は、生物多様性に関するいくつかの仕事に関わることができ、
得るものが多かった。
生物多様性とは、一言で言えば生き物の「つながり」と「個性」である。
およそ生き物というものは、1匹だけでは生きてはいけない。
まず、外部から養分を取り込まなくては個体が維持できない。
自分の体は食べられないのである。
まずここで、個体維持のために食物連鎖という「つながり」ができる。
しかし、「つながり」は食べ物だけではない。

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平成24年度の環境白書の表紙は、生物多様性を前面に出したものでした

私たち人間の世界はどうだろう?同じように食べ物から考えてみよう。
あなたは今朝、朝ごはんは何を食べましたか?
そうですか、ご飯ですか。
そのお米はどうやってできたのだろう。
農家が田植えをして育てて、
稲刈りして、脱穀して、農協に運ばれて、スーパーに運ばれて・・・
一つひとつの作業を見ても、例えば田植えなら、
田植え機を作ったメーカーに関わる人、苗代づくりに関わる人・・・
いったいどれくらいの工程があるか分からない。
ましてや、その間に関わる人は一体どのくらいいるのか想像もつかない。
朝ごはんのお米からだけでも、
一体どのくらいの人と私たちは関わっているのだろうか。

あなたは一人で生まれてきたのではない。
お父さんとお母さんから生まれてきたのだ。
お父さんやお母さんは、またそれぞれのお父さんとお母さんから生まれてきたのだ。
お父さんのお父さんは・・・
とずっとたどっていくと、地球上に誕生した最初の生命に行き着くはずだ。
これは、誰でも、どんな生き物でも同じだ。
かつて生まれて既に死んだ多くの命、これから生まれてくる多くの命、
元をたどっていけば一つじゃないにしてもごく少数の最初の生命に行き着くはずだ。

世代や場所、すなわち、時間と空間を超えて、私たちはみんなつながっている。
自分一人で生きているということは決してありえない。
みんなつながっている。

みんなちがって、みんないい

みんなつながっている中で、生き物の世界をのぞいてみると、
そこには実に多くの種がある。
その種の一つひとつをかたちづくる1匹・1本の生き物は、
ひとつとして同じものはない。
すなわち「個性」である。
(植物の場合はクローンという場合も多いが)

生物の中で、自分が死ぬことを知っているのは人間と象だけだそうである。
「自分とは何か」ということは人間の永遠の問いである。
人と自分に思いをめぐらせるとき、「個性」というものが自然と浮き出てくる。
人は「つながり」の中で生きている社会的な動物であるが、
同時に人とのかかわりの中で「個性」に大きく左右される動物である。

いろんな人がいる。
それはあたりまえなのだ。
誰しも、強いところ・弱いところ、できること・できないことがあるのだ。
それは、当然のことなのだ。
だから、良いところを伸ばし、できることをすればよいのだ。
人の短所だけに目が向き、人のできないことばかりをあげつらう。
かく言う人は、自分の短所やできないことに気づかないものである。

もし仮に、自分と同じような人間ばかり集まっていたら、
つまらない世界だろうなと思う。
いろんな人がいるから面白い。
しかし、いろんな人がいると、自分と違う考えの人とはぶつかってしまう。
では、どうするか。
それは、相手を大切にすることである。
相手の尊厳を認めることである。
人はみな自分とは違う。
だから互いを認め合い、大切にしなくてはならない。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

「わたしと小鳥とすずと」(金子みすず)


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写真:金子みすゞ著作保存会

光と影

「つながり」と「個性」ということを考えていると、
生物多様性というものは仏教の世界観とよく似ていると感じる。

本コラムの創刊号でロウソクの灯火の話をした。
ここに火の灯ったロウソクがある。
一陣の風が吹いて火が消えてしまった。
なぜ火は消えたか。
風が吹いたから。
違う。
火が灯ったからだ。
火が灯らなければ、消えることもない。

ものごとには必ず原因があり、結果がある。
そしてそこには縁があり、縁によって左右される。
火が消えたという結果は、火が灯ったということが原因なのである。
風が吹いたという縁があったのである。
「つながり」は縁であり、原因と結果の繰り返しである。

無数の「個性」が複雑に「つながり」あう生物多様性は、
人知をはるかに超えている。
人間が生態系を利用し、コントロールしようとして失敗した例は枚挙に暇がない。
生物多様性の仕組みはそんな単純なものではないのだ。
人間にはどうにもならないものなのである。

ごく身近な例で言うと、僕たちはどうして生まれてきたのだろう。
少なくとも、自分の意志ではないことは確かだ。
そもそも、自分の生自体がコントロールできない。


自分は今、暗闇の中にいる。
ここがどこなのか、どこに行けばよいのかわからない。
暗闇の中をさ迷い歩くだけである。

と、はるか彼方にかすかに光る光を見つけた。
手探りで近づいていく。
光は少しずつ明るくなって、自分の行く先を照らしてくれているようだ。

しかし、彼は気づいていない。
彼の後ろには、暗闇の中では見えなかった影が現れ始めていることを。

今や、光は確かなものとして彼を照らしている。
もう迷わない。あの光に向かって進んでいけばよい。

だが、彼は気づいていないのだ。
彼の後ろにできている影はますますその色を深め、漆黒の闇となっていることを。

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| | 2013/04/05 12:39 | |















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