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大きな良い実を食べよう

ドードーの話

どうなることかと思われたCOP10もめでたく名古屋議定書が採択され、閉幕した。
「生物多様性」といえば「絶滅」である。

ドードーという鳥(変な名前だ・・・)をご存知だろうか?

20110205

17世紀に人為により絶滅したモーリシャスにいた飛べない巨鳥で、絶滅種の代名詞ともなっている。
人々はこのドードーがいなくなって300年たった頃、あることに気づいた。
モーリシャスには大木となるタンバラコク(これも変な名前だ・・・)という木があるそうであるが、この木の若木がまったくないのである。

一番若い木の樹齢はドードーが絶滅してからの時間と重なる300年であった。
タンバラコクの種は硬い殻に包まれており、それを消化できるのは実はドードーだけだったのである(但し、この説には異論もある)。
ドードーがいなくなれば、自然界では当然のようにタンバラコクも消え去る運命にあったのである。


なぜ火が消えたのか

ロウソクに火がともっている。
一陣の風が吹く。
身を縮めてしばらく持ちこたえていたロウソクの炎だが、ついに耐え切れなくなって一筋の白煙を残し、消えてしまった。
なぜ火か消えたんだろうか?
そりゃ当たり前だ。風が吹いたからだ。

20110205



仏教ではこう考える。
火が消えたのは、火がともったからだ、と。

は?・・・。

もし、火がともされなければ消えることもない。
なぜ人は死ぬのか。
それは生まれてきたからだ。
生まれてこなければ死ぬこともない。

結果(果)には必ず原因(因)がある。
その結果はまた別のことの原因となる。
それを原因として・・・これを因果応報という。
ところが釈迦は「因」だけでは「果」は生じないとした。
実は「因」には直接的原因と間接的原因の2種類があり、前者を狭義の「因」とし、後者を「縁」とした。
「因」と「縁」の両方がそろってはじめて「果」がもたらされるのである。

こうしてもたらされた「果」と「因」は、そのまま別の「縁」となって世界が構築されているのである。


大きな良い実を食べよう

ドードーとタンバラコク。数百年の後、人間が気づく自然界の因果応報。
重要なのは、その時、「因」だけでなく、どのくらい「縁」に気づくかである。
自然界は複雑に絡んだ無数のドードーとタンバラコクから成り立っている。
COP10では、ABS(利益配分)、PES(生態系サービスへの支払い)、TEEB(生態系と生物多様性の経済学)・・・初めて聞く難しそうな単語が並んでいる。
悪い種を播けば悪い実がなる。すぐになった実は小さく気づかないが、長い時間かけてなった実はとてもとても大きく、気づいた時はもうどうにもならない。

良い種を播いて長い時間かけてなった良い実は、みんながいつまでも食べることができる。
みんなが、いつまでも。


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