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コロナをふりかえる(2023.5)

あれからもう丸3年たつんだ

あれから3年と3か月、
死亡者数が最大となったオミクロン株の第8波はようやく終息に向かい、
新型コロナは5月8日から季節性インフルエンザと同じ5類に位置づけられる。

思い起こせば3年前、始まりは2020年の正月明けだった。
中国の武漢で何やら新しい感染症が発生し、
WTOは新型コロナウイルスによる感染症に係る緊急事態を宣言した。

2月にはクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員から新型コロナウイルスの感染が確認され、
わが国でもコロナ禍のドタバタの幕が切って落とされた。
あれからもう丸3年たつんだ。

マスクが店頭から消えた。
東京オリンピックが延期になった。
緊急事態宣言が「発出」され、
デパートや飲食店、映画館などは休業、各種公共施設も休館となった。
学校は一斉休校になった。
志村けんや岡江久美子、千葉真一や高田賢三の各氏が亡くなった。

マスクから見えたこと

2020年4月から順次アベノマスクが配布された。
鼻の上にちょこんと乗るガーゼの小さなマスクだ。
アベノマスクがわが家に届いた頃にはもう様々なマスクが店頭に並び、
立体型や不織布に進化したものも出始め、
街でアベノマスクをしている人は一度も見ることはなかった。
わが家に配布されたアベノマスクは一度も使われることなく、
小生の机の引き出しの奥に眠っている。

数百億円かけたアベノマスクは3割は配りきれず在庫の山となり、
しかもそのうちの15%は不良品だったという。
アベノマスクの効果は、「アベノマスク」という洒落た日本語ができたことだろう。

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アベノマスクは欧米ではエイプリルフールの冗談だと受け取られたという冗談みたいな話もある。

「目は口ほどにものを言う」のは日本のことで、欧米では話す相手の口元を見るそうである。
なので、欧米人はサングラスはしても、口元が隠れるのを嫌がる。
相手の表情や気持ちが読めないからである。

そのことを小生はこのコロナ禍で痛感した。
人の表情を作っているのは、口だということがよく分かった。

初対面の人で、ペットボトルのお茶を飲むのにマスクを外した時、
「ああ、この人はこういう顔だったのか」と分かる。
極端に言えば、その人が美形か否かは口元でわかるのである。

かくして、「顔パンツ」なる言葉が生まれた。
パンツは恥ずかしい部分を隠すものである。
日本人は、自分の表情を読み取られる、顔の美醜を判断されるのが怖いのである。
そこにコロナがやってきた。

コロナ禍が始まって3年。
3年前に中学や高校に入学した生徒には、
一度も友達の素顔を見たことがなく卒業していく生徒もいるという。
それは逆に、自分の素顔を見せたくないということだ。
人前ではパンツが脱げなくなってしまったのだ。

これはとてもいびつだよね。
僕たちの顔は恥部じゃないよね。

僕はマスクが嫌いだ。うっとうしい。
なので、必要ないと考える時は出来るだけ外している。
人と会話する時や公共交通機関に乗る時は、必要だと思うのでつける。(今はもうつけない)

「あなたはなぜマスクをするのですか?」というインタビューをテレビで見た。
多くの人が「ほかの人もしているから」と答える。
横並び―そこには考える力、批判する精神はない。

緊急事態宣言から見えたこと

2020年4月に緊急事態宣言が「発出」され、「人流」が監視された。
この「発出」「人流」という言葉が嫌いだ。
なぜ「発令」「人出」と言わないんだろう。

「発出」「人流」などという言葉はワープロで一発変換できない、
すなわち一般的に使われていない言葉だ。
政治家が作った言葉だ。
たとえ首相や都知事が「発出」「人流」と言っても、
マスコミには「発令」「人出」と言ってほしかった。

「3密」とか「新しい生活様式」とか「黙食」という言葉も嫌いだ。
「つながり」という大事なことを門前払いしている。
東日本大震災の時は、あれほど「絆」などと言っていたのに。
聞きなれない新しい言葉を使ってやっている感を出す雰囲気操作に
何も考えることなく乗せられている。
そこには考える力、批判する精神はない。

緊急事態宣言を受けて、社会のあらゆるところで休業、閉店が発生した。
一番困ったのは飲食店の経営者だと思うが、
飲食店の営業が規制されると、飲食店だけでなく、
そこに食材や酒類、おしぼりや花を提供する業者が軒並み影響を受けた。
直接商売に関わっているそんな人だけでなく、
飲食店が入居するビルのオーナーや不動産業など多くの業種が打撃を受けた。

経済学の一分野に、様々な業種の関りを定量的に表した産業連関表というものがある。
例えば、カープが優勝した時の広島経済に及ぼす波及効果を計算するときなどに使うのだ。
コロナ禍になって、産業連関表の意味を実感として捉えることができた。

産業分野だけじゃない。
例えば、学校や保育所が休校や閉鎖になれば、共働きの親は休職を余儀なくされる。
親が医療・福祉関係者だとしたら、その社会的な影響は言うまでもない。
社会全体が負のスパイラルに陥ってしまったのだ。

僕は新たに認識したことがある。
それは、社会は生態系だということである。
一つの事業所はいろいろなことにつながっていて、
様々な事業所が複雑に関係し合って社会が構築されているのだ。
ある種が絶滅に瀕すると、思いがけない種も絶滅のふちに追いやられるのだ。

オンライン授業から見えたこと

2020年3月から学校は全国一斉休校になった。
その後6月ぐらいから順次授業は再開され、オンライン授業が広がった。
小生も初めて小学校でのオンラインの出前授業というものをやった。

GIGAスクールが目指すもののように言われるが、オンライン授業はよくない。
と小生は思うのである。
オンライン授業は一方通行である。
子どもの反応がよくわからない。
子どもの反応によって開ける引き出しが変わる。
子どもの反応を見ながら言葉のキャッチボールをしたり、ギャグをかましたりということができない。

小生が最も同情するのは、ここ数年に学生になった諸君だ。
人生で最も輝いている時、キャンパスにも行けず、友達も作れず、
サークル活動はおろかバイトもできず、就活もコミュニケーションが取れず…
まさに人生を狂わされたと同情するほかはない。

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GIGAスクール構想の問題点として、教職員のITリテラシー不足、セキュリティ、買い替え費用等があげられている。

アフター・コロナに来るもの

コロナ禍の3年余りを経験してまず確実に言えるのは、
ビジネスのスタイルが大きく変わったということだ。
まず、テレワークやリモートワークが広がった。
それによりポジティブな結果として、
「痛勤」に費やす時間と労力は改善できること、
もちろん業種によるが、
東京を脱出してサテライトオフィスやワーケーションが可能なことが分かった。

そのことは、家族との時間のあり方を考え直すきっかけになった。
事業所の内外を問わず、
会議やミーティングはWeb会議に、講演会やセミナーはオンラインのウェビナーになった。
クラウドへの流れの中で、ZoomやTeamsはビジネスに必須のツールになった。
このような流れへの対応力が組織の命運を左右していくのだろう。

一方、このような変革は大きな課題を抱えているようにも思う。
それは、face to faceのつながりである。

ミーティングの参加者はカメラが届く範囲の画角に収まり、
Zoomの背景はいかようにも変えられる。
実際はどんなところにいるのか分からない。
文字どおり事務的な話だけならこれほど便利なものはない。
しかし、そこにある空気は読めないのである。
KY(空気が読めない)は普通ネガティブな表現として使われるが、
ここでは逆に読みたい空気が読めないのである。

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リモート会議は時間も交通費も節約できる。だけどそこには空気は流れていない。

Face bookはMetaになってしまった。
メタバースがどうのこうのと言っている間に、OpenAIのChatGPTなるものが出現してきた。
ますます「人とのつながり」が薄まっていくような気がする。

コロナ禍がDXの流れを進めたことは間違いない。
だからこそface to faceのつながりを大事に、とても大事にしていきたいと思うのである。

| コラム | 09:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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