ホワイトデーから日本を考える(2023.4)
パウンドケーキ
3月14日のホワイトデーは今年も無事終了した。
小生のバレンタインデーのお返しはパウンドケーキと決めている。
なぜパウンドケーキかというと、手作りできて数量にも柔軟に対応できるからだ。
まずはやはり手作りにこだわりたいのだ。
沢山の人からチョコレートをもらった時は、
パウンド型を切り分けて一切れずつ小袋に入れてお渡しする。
連名で頂いたときはパウンド型ごとお渡しし、好きに切り分けてもらう。
ケーキを焼くことはあまりないので、
(そのためにガスオーブン付のキッチンにしたのだが、面倒くさいし、なにせバターが高い)
ついでにわが家用にもパウンド型を1本焼いて、1週間ぐらい楽しむ。
パウンドケーキは日持ちするのである。
パウンドケーキにはいろいろ種類があるが、
ホワイトデー用のパウンドケーキは、ドライフルーツとクルミ入りの洋酒ケーキと決めている。
なぜなら2月14日のすぐあと、ドライフルーツとクルミをブランデーとラム酒に漬け始めると、
1か月後にちょうどいい感じになる。これを生地に混ぜて焼くのだ。

ブランデーとラム酒に漬けて1か月たったドライフルーツとクルミ
さて、そのパウンドケーキだが、なぜパウンドケーキというかというと、
「パウンド」とは「ポンド」のことであり、
材料の小麦粉、砂糖、卵、バターを1ポンドずつ使うからパウンドケーキというのだ。
(本来は「ポンドケーキ」というべきじゃないのかな)
ポンドは重さ(正確には質量)の単位で、1ポンド=約454gである。
454gですよ!小麦粉、砂糖、卵、バターを各454gとは、とんでもない量だ。
パウンドケーキはもともとウェディングケーキだったらしい。だからこの量なのだ。
しかし、それにしてもこの4つの材料が同量とは。特にバター。
小生がパウンドケーキを作る時は、
パウンド型2つで材料はオリジナル分量の4割程度の量、すなわち180gずつ。
それでも砂糖とバターは多いと思うので、かなり減らすけど。
スーパーで売っているバターは1箱150gから200gなので、
レシピ通りだと1箱まるまま使うことになる。
自分で作ると砂糖とバターの量が実感でき、衝撃を受ける。
余談だが、「ポンドステーキ」をメニューに採り入れているレストランがある。
真面目なポンドステーキは450gということになる。
普通レストランで食べるステーキは150gか200gが多い。
ポンドステーキは一般的なステーキの2~3倍の量ということになる。

170℃のオーブンで40分。焼きあがったホワイトデー用のパウンドケーキ。
このパウンド型2つで、使うバターは1箱。自分で作ればその量を実感できる。
ポンドはややこしい
本来は「ポンドケーキ」というべきじゃないのかと先に述べたが、
ポンド(pond)はオランダ語で、パウンド(pound)は英語なのだ。
パウンドケーキはイギリス発祥のお菓子なので「パウンド」ケーキというのだろう。
小生が子どもの頃、昭和の時代、
プロレスのテレビ放送でリングアナウンサーが試合の前に両選手を紹介する時、
「青コーナー、体重〇〇『パウンド』、ジャイアント馬場ぁ~」と言っていたっけ。
「キロ」と言わずに聞きなれない「パウンド」と言うところにテレビという新しい文化の風を感じた。
今から半世紀前の話である。
物の量の単位というものは、古今東西、ヒューマンスケールに由来する。
日本の昔からの尺貫法では、体積の単位は少ない方から合・升・斗・石である。
1人が1食で食べる米の量が1合で、
それを×3食×365日したもの、すなわち1年で食べる量が1石だ。
日本が米なら、ヨーロッパは麦だ。
ポンドは大麦に由来する言葉だそうだ。
穀物のことを「グレーン」という。ウィスキーの「グレーンモルト」のグレーンである。
グレーンは重さ(質量)の単位でもあり、1グレーンは大麦1粒の重さだ。
1人が1日に食べるパンを作るのに必要な大麦は7,000粒で、これを1ポンドとしたそうだ。
日本の「合」とまったく同じ発想ではないか。
すなわち、1lb=7,000グレーン。
今“lb”と書いたが、これがポンドの単位記号だ。
およそ「ポンド」という読みとは結びつかない“lb”は、
天秤を表すラテン語の“libra”(リブラ)に由来するそうだ。
その昔、ものの重さは天秤で測り、
「〇〇リブラの重さ」を「〇〇libra pondus」と言っていたものが省略されて“pondus”になる一方、
記号はリブラ由来の“lb”がそのまま残ったということだ。
“lb”がポンドなんて、ポンドはややこしい。
ポンドがややこしいのはこれだけではない。ポンドは何種類もあるのだ。
今まで言ってきたのは「常用ポンド」というものである。
これ以外に「トロイポンド」と「通貨ポンド」がある。
「トロイポンド」は宝石や貴金属などの計量に用いられる単位で、
1トロイポンドは5,760グレーンで換算比率が違う。
「通貨ポンド」は文字どおり通貨に使用されるもので、単位記号は“lb”ではなく“£”である。
いろいろ種類があって、ポンドはややこしい。
ホワイトデーを生んだ国
パウンドケーキに戻ろう。
小生が年1回パウンドケーキを作るホワイトデーというものは日本独自のものである。
菓子業界が作った何の根拠もない販促イベントに過ぎない。
「年越しそば」というものがあれば「年明けうどん」が生まれ、
近年では「三日とろろ」なるものまで出現した。
恵方巻なども節分に便乗して作られた販促である。
しかしこれらは、正月や節分という昔からの風習の上に成り立っているのだ。
欧米のイベントは、わが国に風習がないところに成立させるのがまず大きな関門である。
欧米の風習で定着したといえるのはバレンタインデーとクリスマスだろう。
この2つはどちらもわが国古来の風習ではないキリスト教に由来するイベントだ。
しかし、バレンタインデーは男女間のやり取りという普遍性、
クリスマスは年も押し迫った冬の風物としての普遍性で定着したのだと思う。
ハロウィンがこれに続くが、
ハロウィンはケルトの風習をもとにアメリカでレジャー産業を中心に作られたものである。
文化のベースがないわが国での定着は難しいと思う。
バレンタインデーは、ローマ皇帝の迫害により殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日で、
そもそもチョコレートともわが国とも何の関係もない。
それなに、よくもここまで定着したものだと思う。
チョコレートメーカーのあの手この手の販促もそうだが、
もともと中元・歳暮や〇〇祝いなどで贈り物やそのお返しをする風習があった中で、
会社や学校という身近なつながりの中でチョコをやり取りするという行動が、
日本人の気質にはまったんだろう。
この期間は普段目にしない様々なチョコが売り出されるため、
義理チョコどころか自分へのご褒美としてのニーズも生まれ、
完全にわが国の風習として定着したと思う。
ホワイトデーはそれから派生したわが国独自の風習であり、
バレンタインデーがこなれてわが国の文化となった証左である。
パンから、あんパンやクリームパン、メロンパンができていったように。
今年ももらったチョコレート。どうもありがとう。
こりゃもう、ブランデーかウィスキーじゃね。せいぜいロック。水割りはダメよ。
ホワイトデーはどうしてホワイトデーと言うのだろう。
記憶をたどると、ホワイトデーというものが言われ始めたころ、
ホワイトデーのお贈り物はマシュマロだったような気がする。
白いマシュマロだから「ホワイト」だったんじゃなないかなと思う。
多分これも菓子メーカーの策略だったのだろうが、
いつの間にかマシュマロは消えてなくなり、ホワイトデーという言葉だけ残った。
ホワイトデーの習慣があるのは日本の他は中国、台湾、韓国と東アジアに限られるそうだが、
これはたぶん日本の習慣が波及していったのだろう。
ホワイトデーは日本発の新しい文化なのだ。
ホワイトデーそれ自体とそれに係る販促のあり方に賛否両論あるが、
そのことを含め、まさに日本文化なのだ。
Cool Japan!
3月14日のホワイトデーは今年も無事終了した。
小生のバレンタインデーのお返しはパウンドケーキと決めている。
なぜパウンドケーキかというと、手作りできて数量にも柔軟に対応できるからだ。
まずはやはり手作りにこだわりたいのだ。
沢山の人からチョコレートをもらった時は、
パウンド型を切り分けて一切れずつ小袋に入れてお渡しする。
連名で頂いたときはパウンド型ごとお渡しし、好きに切り分けてもらう。
ケーキを焼くことはあまりないので、
(そのためにガスオーブン付のキッチンにしたのだが、面倒くさいし、なにせバターが高い)
ついでにわが家用にもパウンド型を1本焼いて、1週間ぐらい楽しむ。
パウンドケーキは日持ちするのである。
パウンドケーキにはいろいろ種類があるが、
ホワイトデー用のパウンドケーキは、ドライフルーツとクルミ入りの洋酒ケーキと決めている。
なぜなら2月14日のすぐあと、ドライフルーツとクルミをブランデーとラム酒に漬け始めると、
1か月後にちょうどいい感じになる。これを生地に混ぜて焼くのだ。

ブランデーとラム酒に漬けて1か月たったドライフルーツとクルミ
さて、そのパウンドケーキだが、なぜパウンドケーキというかというと、
「パウンド」とは「ポンド」のことであり、
材料の小麦粉、砂糖、卵、バターを1ポンドずつ使うからパウンドケーキというのだ。
(本来は「ポンドケーキ」というべきじゃないのかな)
ポンドは重さ(正確には質量)の単位で、1ポンド=約454gである。
454gですよ!小麦粉、砂糖、卵、バターを各454gとは、とんでもない量だ。
パウンドケーキはもともとウェディングケーキだったらしい。だからこの量なのだ。
しかし、それにしてもこの4つの材料が同量とは。特にバター。
小生がパウンドケーキを作る時は、
パウンド型2つで材料はオリジナル分量の4割程度の量、すなわち180gずつ。
それでも砂糖とバターは多いと思うので、かなり減らすけど。
スーパーで売っているバターは1箱150gから200gなので、
レシピ通りだと1箱まるまま使うことになる。
自分で作ると砂糖とバターの量が実感でき、衝撃を受ける。
余談だが、「ポンドステーキ」をメニューに採り入れているレストランがある。
真面目なポンドステーキは450gということになる。
普通レストランで食べるステーキは150gか200gが多い。
ポンドステーキは一般的なステーキの2~3倍の量ということになる。

170℃のオーブンで40分。焼きあがったホワイトデー用のパウンドケーキ。
このパウンド型2つで、使うバターは1箱。自分で作ればその量を実感できる。
ポンドはややこしい
本来は「ポンドケーキ」というべきじゃないのかと先に述べたが、
ポンド(pond)はオランダ語で、パウンド(pound)は英語なのだ。
パウンドケーキはイギリス発祥のお菓子なので「パウンド」ケーキというのだろう。
小生が子どもの頃、昭和の時代、
プロレスのテレビ放送でリングアナウンサーが試合の前に両選手を紹介する時、
「青コーナー、体重〇〇『パウンド』、ジャイアント馬場ぁ~」と言っていたっけ。
「キロ」と言わずに聞きなれない「パウンド」と言うところにテレビという新しい文化の風を感じた。
今から半世紀前の話である。
物の量の単位というものは、古今東西、ヒューマンスケールに由来する。
日本の昔からの尺貫法では、体積の単位は少ない方から合・升・斗・石である。
1人が1食で食べる米の量が1合で、
それを×3食×365日したもの、すなわち1年で食べる量が1石だ。
日本が米なら、ヨーロッパは麦だ。
ポンドは大麦に由来する言葉だそうだ。
穀物のことを「グレーン」という。ウィスキーの「グレーンモルト」のグレーンである。
グレーンは重さ(質量)の単位でもあり、1グレーンは大麦1粒の重さだ。
1人が1日に食べるパンを作るのに必要な大麦は7,000粒で、これを1ポンドとしたそうだ。
日本の「合」とまったく同じ発想ではないか。
すなわち、1lb=7,000グレーン。
今“lb”と書いたが、これがポンドの単位記号だ。
およそ「ポンド」という読みとは結びつかない“lb”は、
天秤を表すラテン語の“libra”(リブラ)に由来するそうだ。
その昔、ものの重さは天秤で測り、
「〇〇リブラの重さ」を「〇〇libra pondus」と言っていたものが省略されて“pondus”になる一方、
記号はリブラ由来の“lb”がそのまま残ったということだ。
“lb”がポンドなんて、ポンドはややこしい。
ポンドがややこしいのはこれだけではない。ポンドは何種類もあるのだ。
今まで言ってきたのは「常用ポンド」というものである。
これ以外に「トロイポンド」と「通貨ポンド」がある。
「トロイポンド」は宝石や貴金属などの計量に用いられる単位で、
1トロイポンドは5,760グレーンで換算比率が違う。
「通貨ポンド」は文字どおり通貨に使用されるもので、単位記号は“lb”ではなく“£”である。
いろいろ種類があって、ポンドはややこしい。
ホワイトデーを生んだ国
パウンドケーキに戻ろう。
小生が年1回パウンドケーキを作るホワイトデーというものは日本独自のものである。
菓子業界が作った何の根拠もない販促イベントに過ぎない。
「年越しそば」というものがあれば「年明けうどん」が生まれ、
近年では「三日とろろ」なるものまで出現した。
恵方巻なども節分に便乗して作られた販促である。
しかしこれらは、正月や節分という昔からの風習の上に成り立っているのだ。
欧米のイベントは、わが国に風習がないところに成立させるのがまず大きな関門である。
欧米の風習で定着したといえるのはバレンタインデーとクリスマスだろう。
この2つはどちらもわが国古来の風習ではないキリスト教に由来するイベントだ。
しかし、バレンタインデーは男女間のやり取りという普遍性、
クリスマスは年も押し迫った冬の風物としての普遍性で定着したのだと思う。
ハロウィンがこれに続くが、
ハロウィンはケルトの風習をもとにアメリカでレジャー産業を中心に作られたものである。
文化のベースがないわが国での定着は難しいと思う。
バレンタインデーは、ローマ皇帝の迫害により殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日で、
そもそもチョコレートともわが国とも何の関係もない。
それなに、よくもここまで定着したものだと思う。
チョコレートメーカーのあの手この手の販促もそうだが、
もともと中元・歳暮や〇〇祝いなどで贈り物やそのお返しをする風習があった中で、
会社や学校という身近なつながりの中でチョコをやり取りするという行動が、
日本人の気質にはまったんだろう。
この期間は普段目にしない様々なチョコが売り出されるため、
義理チョコどころか自分へのご褒美としてのニーズも生まれ、
完全にわが国の風習として定着したと思う。
ホワイトデーはそれから派生したわが国独自の風習であり、
バレンタインデーがこなれてわが国の文化となった証左である。
パンから、あんパンやクリームパン、メロンパンができていったように。

今年ももらったチョコレート。どうもありがとう。
こりゃもう、ブランデーかウィスキーじゃね。せいぜいロック。水割りはダメよ。
ホワイトデーはどうしてホワイトデーと言うのだろう。
記憶をたどると、ホワイトデーというものが言われ始めたころ、
ホワイトデーのお贈り物はマシュマロだったような気がする。
白いマシュマロだから「ホワイト」だったんじゃなないかなと思う。
多分これも菓子メーカーの策略だったのだろうが、
いつの間にかマシュマロは消えてなくなり、ホワイトデーという言葉だけ残った。
ホワイトデーの習慣があるのは日本の他は中国、台湾、韓国と東アジアに限られるそうだが、
これはたぶん日本の習慣が波及していったのだろう。
ホワイトデーは日本発の新しい文化なのだ。
ホワイトデーそれ自体とそれに係る販促のあり方に賛否両論あるが、
そのことを含め、まさに日本文化なのだ。
Cool Japan!
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