星が落ちた(2023.2)
星が落ちた山
島根県江津市の市街地の近くに島の星山(別名:高角山)という山がある。
山頂近くには京都の大文字山のように、植栽によって星形のマークが刻まれている。
島の星山は、
柿本人麻呂が妻である依羅娘子(よさみのおとめ)と石見相聞歌を交わした場といわれ、
二人の銅像や歌碑がある。
また、山麓には椿の花木園「椿の里」がある。
この山は、なぜ島の星山と言われるのか。
それは、この山に星が落ちたからなのだ。
星とは何か。
星とはすなわち隕石のことだ。

島の星山。写真中央、山腹の丸くなっている部分に星形が刻まれている。
隕石が落ちたのは874年のことだそうだ。
この山ゆかりの柿本人麻呂が亡くなったのは724年なので、
彼の死のちょうど150年後のことだ。
「椿の里」を抜けた先には冷昌寺というお寺があり、
その手前には隕石が落下した跡にできたという池、
境内には「隕石大明神」という小さな祠がある。
祠の中を覗くと・・・何やら丸みを帯びた石が鎮座している。これが本当に隕石なのか・・・

「隕石大明神」の祠。貴重な隕石は盗まれたりしないのか・・・
落ちた星
国立科学博物館に日本の隕石リストというものがあり、
これには本隕石は掲載されていない。
874年に最も近いのは861年の直方隕石(福岡県直方市)である。
直方隕石は断トツに古く、次に古いのは1632年の南野隕石(名古屋市)である。
世界をみても、これ以外で最も古いのは1492年のエンシスハイム隕石(フランス)なので、
直方隕石の断トツさがわかる。
直方隕石は目撃記録のある世界最古の隕石と認定されているそうだ。
その目撃記録とは、
隕石が落ちた神社に納められた隕石の入った桐箱の蓋の裏の
「貞観三年云々」の墨書が根拠だそうだが、
そんな昔の記録をうのみに信じていいのか。
しかし直方隕石は、放射性炭素年代測定を行ったところ、
西暦410±350年という年代が測定されたため、
はれて世界最古の隕石と公式に認定されたそうだ。
ちなみに、島根県内で隕石リストに記載されているのは1992年の美保関隕石だけである。
小石ほどの隕石が落ちただけでメテオプラザという立派な建物が建っているぐらいだから、
「島の星隕石」がもし本物だったら、
今頃は柿本人麻呂を押しのけて、立派な「GO-TO-METEO館」ができていただろうなあ。
落ちた場所
一方、隕石が落ちた方はどうなっているのだろうか。
日本惑星科学会誌の「日本の「隕石孔」」という報文には、
これまで日本の隕石孔として提案されたものを12件上げている。
これを見ると「星窪」という地名で呼ばれているものがいくつかある。
なるほど、星が作った窪みか。
鹿児島や沖縄などにある。
調べてみると、この報文にはないが、高知県仁淀川町に「星ヶ窪」という地名があり、
隕石が落ちたという言い伝えがあるそうだ。
どうやら「星」がつく地名が怪しい。
中国地方で思い浮かぶのは、
広島県神石高原町の星居山(ほしのこやま)と岡山県井原市の美星町である。
調べてみると案の定、星居山は645年に大規模な流星群が発生して話題になり、
それを見に行幸した孝徳天皇が命名したそうだ。
美星町は3つの隕石が落下した伝説があり、さらに星田という地名に加え星尾神社がある。
そのいわれもあって、町内には「美星スペースガードセンター」がある。
「スペースガードセンター」とは、いわゆる宇宙ごみのスペースデブリや
太陽系内の地球に接近する軌道を持つ小惑星を観測する施設である。
しかし、観測まではいいが、
もし本当に地球に近づいてくる小惑星が確認されたらどうするんだろう。
小惑星衝突!
小惑星衝突は非日常的なことではあるが、非現実的なことではない。
リスク管理的に言うと、発生確率は非常に低いが、その被害は非常に甚大なリスクである。
リスクが発生すれば、
リスクに至る前、リスクが発生した後、そこには必ず複雑なドラマが生まれる。
なので、小惑星衝突をテーマにした映画はいくつかある。
メテオ、ディープ・インパクト、アルマゲドンなど、いずれもアメリカのパニック映画である。
そこで異彩を放つのが「君の名は。」である。
「君の名は。」は、
隕石が衝突するまちを、それに気づいた主人公が時間を遡って阻止する物語である。
なにせ隕石衝突なので、住民避難が成し遂げられないパニックの要素もあるが、
この映画は大林宣彦の尾道三部作を彷彿とさせる
入れ替わりとタイムスリップによるめぐり逢いの物語である。
時間軸と起こっていることが交錯するので、ひねりの効いた複雑な物語になっている。
そして、そこに薬味のように効いているのが、
ものが生まれてくる力「ムスビ」の日本的な精神性である。
「もののけ姫」の「シシ神」に通じるものがそこにはある。
場所を悼む
「すずめの戸締り」で、
「君の名は。」「天気の子」と続いた新海誠の三部作はとりあえずシメのようだ。
安っぽく括るとこれらは異常気象、小惑星衝突、地震という天災のパニック映画である。
新海誠は東日本大震災にショックを受け、この三部作を制作したそうである。
この三部作は、今更言うまでもない手の込んだ美しい風景描写もさることながら、
ストーリーにそっと忍ばせる土俗的、民族的な味付けが精神性のふくらみを与えている。
「君の名は。」の「ムスビ」、「天気の子」の「天気の巫女の人柱」、
「すずめの戸締り」の「後ろ戸」。
「後ろ戸」は、黄泉の世界に通じる黄泉比良坂である。
「すずめの戸締り」については、新海誠自身が「場所を悼む」映画だと言っている。

すずめの戸締り(角川文庫)
場所を悼む
「すずめの戸締り」の物語が展開する場は「廃墟」である。
かつて栄え、今は廃墟となっている遊園地やリゾート施設、そして、震災被災地。
しかし、ぼくたちのまちにもそれはある。
かつて高度成長期を支えた若者夫婦と子どもたちの核家族で
希望と光にあふれていたニュータウン。
かつての若者は高齢者となり、子どもたちは都会に出て行き、
ニュータウンのショッピングセンターは100円ショップとドラッグストアと
空き店舗ばかりとなった。
あんなにオープンセレモニーは華やかだったのに。
あんなにみんなが祝ったのに。
寂れ廃れていくときは誰も顧みない。
あはれなるかな。
くちおしおや。
せめて供養を。
そんなところが日本中に散らばっている。
僕は「場所を悼む」彼の気持ちが痛いほどわかる。
島根県江津市の市街地の近くに島の星山(別名:高角山)という山がある。
山頂近くには京都の大文字山のように、植栽によって星形のマークが刻まれている。
島の星山は、
柿本人麻呂が妻である依羅娘子(よさみのおとめ)と石見相聞歌を交わした場といわれ、
二人の銅像や歌碑がある。
また、山麓には椿の花木園「椿の里」がある。
この山は、なぜ島の星山と言われるのか。
それは、この山に星が落ちたからなのだ。
星とは何か。
星とはすなわち隕石のことだ。

島の星山。写真中央、山腹の丸くなっている部分に星形が刻まれている。
隕石が落ちたのは874年のことだそうだ。
この山ゆかりの柿本人麻呂が亡くなったのは724年なので、
彼の死のちょうど150年後のことだ。
「椿の里」を抜けた先には冷昌寺というお寺があり、
その手前には隕石が落下した跡にできたという池、
境内には「隕石大明神」という小さな祠がある。
祠の中を覗くと・・・何やら丸みを帯びた石が鎮座している。これが本当に隕石なのか・・・

「隕石大明神」の祠。貴重な隕石は盗まれたりしないのか・・・
落ちた星
国立科学博物館に日本の隕石リストというものがあり、
これには本隕石は掲載されていない。
874年に最も近いのは861年の直方隕石(福岡県直方市)である。
直方隕石は断トツに古く、次に古いのは1632年の南野隕石(名古屋市)である。
世界をみても、これ以外で最も古いのは1492年のエンシスハイム隕石(フランス)なので、
直方隕石の断トツさがわかる。
直方隕石は目撃記録のある世界最古の隕石と認定されているそうだ。
その目撃記録とは、
隕石が落ちた神社に納められた隕石の入った桐箱の蓋の裏の
「貞観三年云々」の墨書が根拠だそうだが、
そんな昔の記録をうのみに信じていいのか。
しかし直方隕石は、放射性炭素年代測定を行ったところ、
西暦410±350年という年代が測定されたため、
はれて世界最古の隕石と公式に認定されたそうだ。
ちなみに、島根県内で隕石リストに記載されているのは1992年の美保関隕石だけである。
小石ほどの隕石が落ちただけでメテオプラザという立派な建物が建っているぐらいだから、
「島の星隕石」がもし本物だったら、
今頃は柿本人麻呂を押しのけて、立派な「GO-TO-METEO館」ができていただろうなあ。
落ちた場所
一方、隕石が落ちた方はどうなっているのだろうか。
日本惑星科学会誌の「日本の「隕石孔」」という報文には、
これまで日本の隕石孔として提案されたものを12件上げている。
これを見ると「星窪」という地名で呼ばれているものがいくつかある。
なるほど、星が作った窪みか。
鹿児島や沖縄などにある。
調べてみると、この報文にはないが、高知県仁淀川町に「星ヶ窪」という地名があり、
隕石が落ちたという言い伝えがあるそうだ。
どうやら「星」がつく地名が怪しい。
中国地方で思い浮かぶのは、
広島県神石高原町の星居山(ほしのこやま)と岡山県井原市の美星町である。
調べてみると案の定、星居山は645年に大規模な流星群が発生して話題になり、
それを見に行幸した孝徳天皇が命名したそうだ。
美星町は3つの隕石が落下した伝説があり、さらに星田という地名に加え星尾神社がある。
そのいわれもあって、町内には「美星スペースガードセンター」がある。
「スペースガードセンター」とは、いわゆる宇宙ごみのスペースデブリや
太陽系内の地球に接近する軌道を持つ小惑星を観測する施設である。
しかし、観測まではいいが、
もし本当に地球に近づいてくる小惑星が確認されたらどうするんだろう。
小惑星衝突!
小惑星衝突は非日常的なことではあるが、非現実的なことではない。
リスク管理的に言うと、発生確率は非常に低いが、その被害は非常に甚大なリスクである。
リスクが発生すれば、
リスクに至る前、リスクが発生した後、そこには必ず複雑なドラマが生まれる。
なので、小惑星衝突をテーマにした映画はいくつかある。
メテオ、ディープ・インパクト、アルマゲドンなど、いずれもアメリカのパニック映画である。
そこで異彩を放つのが「君の名は。」である。
「君の名は。」は、
隕石が衝突するまちを、それに気づいた主人公が時間を遡って阻止する物語である。
なにせ隕石衝突なので、住民避難が成し遂げられないパニックの要素もあるが、
この映画は大林宣彦の尾道三部作を彷彿とさせる
入れ替わりとタイムスリップによるめぐり逢いの物語である。
時間軸と起こっていることが交錯するので、ひねりの効いた複雑な物語になっている。
そして、そこに薬味のように効いているのが、
ものが生まれてくる力「ムスビ」の日本的な精神性である。
「もののけ姫」の「シシ神」に通じるものがそこにはある。
場所を悼む
「すずめの戸締り」で、
「君の名は。」「天気の子」と続いた新海誠の三部作はとりあえずシメのようだ。
安っぽく括るとこれらは異常気象、小惑星衝突、地震という天災のパニック映画である。
新海誠は東日本大震災にショックを受け、この三部作を制作したそうである。
この三部作は、今更言うまでもない手の込んだ美しい風景描写もさることながら、
ストーリーにそっと忍ばせる土俗的、民族的な味付けが精神性のふくらみを与えている。
「君の名は。」の「ムスビ」、「天気の子」の「天気の巫女の人柱」、
「すずめの戸締り」の「後ろ戸」。
「後ろ戸」は、黄泉の世界に通じる黄泉比良坂である。
「すずめの戸締り」については、新海誠自身が「場所を悼む」映画だと言っている。

すずめの戸締り(角川文庫)
場所を悼む
「すずめの戸締り」の物語が展開する場は「廃墟」である。
かつて栄え、今は廃墟となっている遊園地やリゾート施設、そして、震災被災地。
しかし、ぼくたちのまちにもそれはある。
かつて高度成長期を支えた若者夫婦と子どもたちの核家族で
希望と光にあふれていたニュータウン。
かつての若者は高齢者となり、子どもたちは都会に出て行き、
ニュータウンのショッピングセンターは100円ショップとドラッグストアと
空き店舗ばかりとなった。
あんなにオープンセレモニーは華やかだったのに。
あんなにみんなが祝ったのに。
寂れ廃れていくときは誰も顧みない。
あはれなるかな。
くちおしおや。
せめて供養を。
そんなところが日本中に散らばっている。
僕は「場所を悼む」彼の気持ちが痛いほどわかる。
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