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ジェンダーを考える(2021.4)

なぜ男子のシンクロがないのか

前大会組織委員会委員長の発言により、
ジェンダーギャップに火がついて、あちこちでボヤや火事が起こっている。

「ジェンダー」というと、
そのほとんどが男性優位・女性軽視という問題の文脈でとらえられているような気がする。
ジェンダー平等という視点からとらえるのであれば、
男女の垣根を払うことがまずその出発点じゃないかと思う。

そこで、今回の火元となったオリンピック、そして様々なスポーツを眺めてみたのだ。
なぜ男子のシンクロナイズドスイミング、もとい、アーティスティックスイミング
(確か今はこうよぶんだよね)はないのか。
昔、ウォーターボーイズという映画はあったけど。

男子の新体操、チアボーイやバトントワリングはなぜないのか。
この手のスポーツの男子版があれば、
絶対にアクロバッチックな技術的難度の高いあっと驚く演技ができると思うのだけど。

なぜないのか・・・それは、端的に言うと、男がやっても「美しくないから」じゃないかと思う。
みんなこれらのスポーツに、当然のように「女性の美」を求めているのではないだろうか。
僕は、それはおかしい事とは思わないし、自然な気持ちだと思う。
女性は美しい。

絵画にしても、裸婦は代表的な題材だが、「裸夫」は聞いた事がない。
ミケランジェロのダビデ像など男性の裸体を題材としたものもあるが、
これは一般的な「男性の美」というよりも、「人間の美」の表現だと思う。

もとより、男性は心の底に潜む無意識の女性軽視に細心の注意を払わなければならないし、
女性の方も「女なのにさせられた」という思いが心の底にないか。
今言われているジェンダーというものをもう一度考えてみてもよさそうである。

歌舞伎と宝塚

男と女という言葉から、すぐ思い出されるのが紀貫之の土佐日記の冒頭の文である。

 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。

土佐日記は、任期を終えて赴任地の土佐から京へ帰る旅の紀行文で、
書き手を女性に仮託して、仮名で書かれたわが国初めての日記文である。

当時の正式な文章は全て漢文で、そしてそれは男が書くものだった。
男が漢文以外の文章を書くことなどありえなかったが、
プライベートな私事を和歌を交えながら気ままに書くには漢文はなじまない。
そこで紀貫之は、仮名で文章を書くために女になったのだ。

彼が女になって土佐日記を書かなければ、日記文というジャンルはなく、
後の紫式部日記も和泉式部日記も更級日記もすべてなかったことだろう。
ちなみに、子どもの頃から漢籍に親しみ、才女の誉れ高かった紫式部は、
女性が漢文を読むことについて批判を受けていたようだ。

かくのごとく、昔は、女がやることをした紀貫之はおとがめはなかったが、
男がやることをした紫式部はおとがめを受けたのである。

日本の文化は、儒教が武家の規範としてとり入れられた江戸時代から
男尊女卑は以後も色濃く残っているが、
世界的に見れば、性の規範は非常にゆるく、何でもありだ。

例えば、歌舞伎は男が演じるものであり、そのために女形という役割がある。
その逆が宝塚だ。
男色も、まぎれもない日本の文化だ。
有名な森蘭丸などの小姓と武家や僧侶と稚児など、社会的に認知され、許容されていた。

キリスト教やイスラム教の国々では、一般的に性に関する規範が厳しい。
それらはこれらの宗教的道徳によって規定されるものであって、絶対的な普遍的な規範ではない。
ジェンダーって何だろう?

ジェンダーとは、社会的・文化的につくられる性別のことだ。
男女の社会的・文化的役割や男女間の関係性は時代や背景によって特有であり、
様々に変化するものだ。
僕は、今言われているジェンダーが、
今の社会の同調圧力に「空気を読んで」押し流されているような気がしてならない。
一方で、日本の文化が育んできた、
いい意味でのゆるーい男女の社会的・文化的役割があるような気がしてならない。

ギョッとする話

ここで自然界に目を向けてみると、一般にオスは大きく強い。
それは優秀な子孫を残すための自然の摂理だ。
誰もがこのことについては異論はないと思う。
しかしだ、ここでとんでもないものがいる。

それは、アンコウだ。
チョウチンアンコウは、メスの体長が60cm以上あるものもいるのにオスの体長は数cmしかない。
これはまだいい方で、一部のアンコウでは、
深海で小さなオスがやっと探し当てたメスにかじりついた後、身体は吸収・同化され・・・
すなわち血管はメスのものとつながり体は精子の入った精巣だけを残して退化して、
受精のためだけの小さな肉の塊となる。
なんとホラーな、なんと哀れな、何と極端なジェンダーギャップだろう。

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オスはメスに吸収され、メスは吊るし切りにされ・・・

アンコウならずとも魚は変だ。
なぜって、平気で性転換する。
特殊なものじゃなくても、その辺の海で釣れるチヌ(クロダイ)やコチ、
みんな知ってるクマノミなどがそうだ。

クマノミは、基本的にみんなオスで、
イソギンチャクの中で泳いでいる群れの中で1番大きなオスがメスになる。
すなわち、群れの中にはメスは1匹しかいないという逆ハーレム状態なのだ。
しかし、クマノミは、孵化直後の幼魚は全ての個体がメスだというからややこしい。

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この中にメスは1匹しかいない。

性転換とは、生殖腺(卵巣と精巣)が劇的に変わるということだ。
ではどうやって性転換するのか。
ある学者の研究によれば、性転換の引き金は視覚だそうである。
周りに小型のオスばかりがいることが視覚的に認知されたことが引き金になって、
最も大きいオスがメスになるそうだ。

性決定をコントロールしているのは性ホルモンだ。
すなわち、性転換のメカニズムは、次のようになる。

 視覚→脳への刺激→脳下垂体から性ホルモンの分泌→生殖腺の変化→性転換

このメカニズムの最初のインプットは、視覚である。
ここでいう視覚とは、可視領域・・・すなわち、その生物が生息する周りの雰囲気である。
メスになったクマノミは、ちっちゃなオスばかりの群れの雰囲気を感じとったのだ。
そう、この元オスのクマノミはしたたかに群れの「空気を読み」、そして気づいたのだ。
オレが一番デカいと。

そして、他のオスたちは唯一メスになるオスに「忖度」したのだ。
産卵という彼女の目的を達成させるために、
精子提供競争に勝ち抜くということが彼らの唯一の存在意義なのだ。
出世競争に勝ち抜くために、更迭されないように「空気を読んで」忖度する。
まるでどこかで聞いたような話だ。

男女間の関係性は様々に変化するということ

学生の頃、バイトで観光バスの添乗員をやっているヤツがいた。
ちなみに彼は、超イケメンの教育学部生だ。
以下は、飲み会での彼の話である。

バスツアーでとある温泉旅館に行った時、大浴場が混浴だということに気づいた。
彼は一計を案じ、宿に着くなりすぐ大浴場に直行した。
一人で先に入り、後から入ってきたご婦人をゆっくり鑑賞しようというゲスな作戦である。
彼の作戦どおり、入浴客はまだおらず、彼は大きな岩風呂の端の方に身を沈めた。
しばらくして脱衣場の方で女性の話声がする。
シメシメと、ここまではよかったのだ。

浴場の扉が開いて、入ってきたのは女性の団体客だった。
しばらくして湯船の隅にいる彼を発見した女性たちは一瞬戸惑ったそぶりを見せたが、
自分たちが多人数であることに気を取り直し、彼を気にしつつも湯船で世間話を始めた。

困ったのは彼の方である。
どうしよう。タオルは洗い場に置いてきたし(隠すものがない)。
お湯から上がったら、「キャー」とか言われるんだろうな。
そして「ねえ、ねえ、見た?」とか興味津々に言われるんだろうな。
などと考えると、恥ずかしさのあまり湯船から出るに出られず、
結局、彼女たちが全員引き上げるまで湯船につかっていてフラフラになったそうである。

今自分が所属している社会のあり方で、立場は柔軟に変化する。
ジェンダーは、社会的・文化的につくられ、
男女間の関係性は時代や背景によって様々に変化するのだ。

ちなみに、良くも悪くも「男」の見本のような彼は、現在は某市の教育長をしている。
校長会などで、セクハラ防止などと言ってるんだろうなあ、あいつ。
でも、ナイスなヤツなんだよ、彼は。

| コラム | 10:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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