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コロナから家族を考える(2020.4)

ウィルスに命はあるか

新型コロナウィルスが大変なことになっている。
ウィルスでいつも話題になるのは、「ウィルスは生物か」ということである。
微生物は、真菌、細菌、ウィルスの3つに分類されるとしながら、
ウィルスは生物ではないという文献を目にするが、
それじゃあ最初に微生物を3つに分類したこと自体がおかしくなるじゃないか。

ここで、生物の定義として一般的に言われていることは、
 ①自己増殖できる ②エネルギー代謝がある ③細胞をもつ ことである。
ところがウィルスは、
 ①他の生きものの細胞に寄生しないと増殖できない
 ②生きるのに必要なエネルギーを作ることができない
 ③細胞や細胞膜を持たず自分と外界を分かつものがない のである。
これらはすべて生物の定義に反している。

ウィルスは、核酸とそれを包むタンパク質の殻から成る「粒子」だ。
単なる粒子なのに、ウィルスは生物かという問題を難しくしているのは、
ウィルスが遺伝子を持っていることだ(但し、DNAかRNAのどちらかしか持っていないのだけど)。

ウィルスは、タンパク質は持っているが、その合成に必要な酵素の遺伝情報を持っていない。
そのためウィルスは、
寄生した細胞の持つタンパク質の合成能力を利用して、核酸とタンパク質を大量に複製する。
すなわち、自分の複製を行う。

ウィルスは、自分ではできないが、他の生きものの力を借りて、まがりなりにも増殖できるのだ。
問題は、それを「自己」増殖とよべるかどうかだ。
「自己」ではできないが増殖できる。
どうであれ、おのれが存在することによって現実に増殖している。
ウィルスは生物なのか単なる粒子なのか。
では、「命」とは何なのか。

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コロナウィルスの電子顕微鏡写真。(資料:国立感染症研究所)

利己的遺伝子?ミトコンドリア

ここで思い出すのが、ドーキンスが唱えた「利己的な遺伝子」の話である。
ダーウィンの進化論では、
生物進化は、進化の過程で環境により適応できる有利な変異を獲得したものが、
生存競争に勝つ自然選択によって引き起こされる。
従って、有利な変異を獲得した、より「利己的な」個体ほど生存できると考えられる。

しかし実際には、ミツバチやアリのコロニーのように、
個々の個体は自らを犠牲にして他の個体を生存させようとする「利他的な」行動が、
多くの生物において見られる。
自然選択の結果生き残るのは、
個体が犠牲になっても自分たちの遺伝子をより多く残すことができるものなのだ。

そこでドーキンスは、個体ではなく遺伝子に着目し、
生物進化の実体は、
個体を犠牲にしてでも自分のコピーを残そうとする「利己的な遺伝子」であると考えた。
そこから導かれることは、
「利己的な遺伝子」こそが命の本質であり、生物はそのために利用される船にすぎない
という恐るべき解釈である。

そこでまた思い起こされるのがミトコンドリアである。
ミトコンドリアは細胞内にある小器官で、
エネルギー変換や物質の代謝、酸素呼吸など様々な重要な生命現象を担っている。
ミトコンドリアは独自のDNAを持つことによりこれらの機能を果たすとともに、分裂、増殖する。

ミトコンドリアは、もともと個別の生きもので、
バクテリアが真核細胞に共生するようになったことが起源と考えられている。
以前にも本コラムでとりあげたことがあると思うが、
ミトコンドリアをテーマにした「パラサイト・イヴ」というホラー小説がある。

ミトコンドリアは細胞の支配下にあるが、
寄生(パラサイト)して何億年も生き延びていた利己的遺伝子である「イヴ」が、
遺伝子の主導権を得るため人体に対して反乱を起こし、人間との生き残りをかけて争うという内容だ。

これは「ミトコンドリア・イブ」という仮説を下地にしている。
「ミトコンドリア・イブ」は、ミトコンドリアのDNAは母親のDNAを引き継ぐことから、
世界中の人のDNAを調べ、
約16万年前のアフリカのある一人の女性が今の人類の全てのミトコンドリアについての「母親」である
とした仮説である。
(全人類の唯一の母親ではなく、全人類に共通の祖先のうちの一人であることに注意)

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「パラサイト・イヴ」新潮文庫。著者は当時、東北大学の大学院生だった。

もともと別の生きものだったものが他の生物の細胞内に取り込まれ(侵入して同化(共生)した?)、
独自のDNAを持ちながらその生物の生命現象に深く関わっているミトコンドリアからみると、
共生(寄生?)した生物は「利己的な遺伝子」の複製のために引き継がれる乗り物に過ぎないのではないか。

半地下と万引き

パラサイトといえば、昨年度のアカデミー賞作品賞他を受賞した韓国映画「パラサイト」である。
高台のセレブな一家にパラサイトした、建物の半地下に住む全員無職の家族は、
セレブな一家とは全く別の生きもので、
独自のDNA(臭い?)を持ちながらセレブな一家の生活に深く関わっていく。

半地下の家族は、家庭教師、心理カウンセラー、家政婦、運転手などとして、
全員がセレブな一家に入り込み、その生活に欠かせないものとなった。
セレブな一家はだんだん増えていく半地下の家族の
「利己的な遺伝子」の複製のために引き継がれる乗り物に過ぎなかった。

しかし、あることをきっかけに宿主を崩壊させるような事態に陥る。
それは偶発的であり、必然的でもある。
寄生の哀しい性(さが)は、宿主が滅べば自らも滅ぶのである。

余談だが、大雨の後の消毒のシーンが映画にでてくるが、
実際、コロナウィルスの消毒やあれやこれやで、
韓国の半地下の人たちはひどい目に遭っているのではないだろうかと心配してしまう。

映画は、寄生によって引き起こされる結末の3つのパターンを示して終わる。
即ち、一人は殺され、一人は一生抜け出る事のできないより深い寄生に落ち込み、
一人は反乱を起こして宿主を乗っ取る見果てぬ夢を見る。
しかし、その夢は、決して実現しない夢なのだ。
寄生者も宿主もみんな共倒れになり、誰一人幸せになることのない結末だ。

ブラックコメディというが、極端な学歴社会・競争社会の韓国の負の部分と閉塞感が伝わってきて、
僕はとても笑えなかった。
もし僕がこの国に生まれたら、僕は子供を持つ事を躊躇するだろう。
海外に脱出し、別の地で自分の人生を構築するだろう。
文大統領はアカデミー賞受賞祝いをしたそうだが、
韓国民を代表する立場としては、とても笑顔にはなれないと思うのだが。

同じように社会の底辺の家族を描いた映画「万引き家族」とどうしても比べてしまう。
「万引き家族」も社会に寄生している家族の崩壊で終わる。
一人は死ぬが、殺されたものではない自然死だ。
(その後間もなくそれを演じた樹木希林さんが本当に死んでしまった)

それよりなにより、この家族は、誰一人血がつながっていないことが徐々に分かってくる。
それなのにみんな家族思いなのだ。
最後のシーンで主人公ともいえる子役が施設に向かうバスの中から疑似父親に向かって何かを呟く。
それは聞こえないが、しゃべった口の形から映画を見た人にはわかる。
「ありがとう」と言ったのだ。
さすが是枝監督。
音声は出さずに…何ともしみるラストシーンだ。

共通点は底辺の家族が主役というだけで、内容も設定も同列では比べることはもとよりできないが、
韓国映画と日本映画、韓国社会と日本社会の違いを強く感じた。

| コラム | 10:22 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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| | 2020/05/14 12:28 | |















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