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とってつけたような話(2019.12)

「カップ」と「コップ」

コーヒーを飲みながら、ふと思ったのだ。
何でカップには取っ手がついてるんだろう。
だって、湯呑みには取っ手はついてないじゃないか。
しかし、コップやグラスには取っ手はないということから考えれば、
熱いものを飲むものには取っ手がついているのは理にかなっている。
じゃあ、湯呑みはどうするんだ。

熱いものを飲むものには取っ手がついて「カップ」といい、
冷たいものを飲むものには取っ手がついてなくて「コップ」という。
待てよ、英語では「カップ」は「cup」、「コップ」は「glass」で、「コップ」という英語はない。
じゃあ、「コップ」って何語だ?

調べてみると元々はオランダ語だそうだ。
先の「glass」は「コップ」以前に「ガラス」という意味だが、「ガラス」もオランダ語だそうだ。
英語の「glass」の発音は「グラース」で、「ガラス」ではない。
面白いもんだね。

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「カップ」と「コップ」でいろいろ考えたのだ。

「とって」をとってしまったら

洋と和の違いを探ろうと思って和英辞典で「とって」を引くと、
「handle(柄)、grip(器物の)、knob(ドアの)、pull(引手)、ear(水差の)」などとある。
どうやらカップの取っ手は「ear」のようだ。なるほど耳の形をしている。

そこで今度は器具や道具で日本のものと違った取っ手がついている西洋のものを考えてみた。
まず浮かんだのはノコギリである。
日本のノコギリは柄がついているが、西洋のそれは片手で握るグリップになっている。
同じようなパターンはサーベルだ。
日本刀のように柄を両手で持つのではなく、片手でグリップを握る。

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西洋ノコギリは取っ手(グリップ)を握って使う。

余談だが、研究社の和英辞典で「totte」は「把手」とあり、
同じ研究社の英和辞典で「ear」を引くと「取っ手」とある。
同じ会社の辞典なのにおかしいじゃないか。
「把手」と「取っ手」はどっちが正しいんだ?

新明解国語辞典(三省堂)によれば、
「取っ手」は戦後の表記で、「把手」と書くのが正式なのだそうだ。
考えてみれば、「取手」と書かずに「取っ手」と書くのも変な話だ。

千葉に住んでいた小生とすれば、「取手」は常磐線の「とりで」である。
「とりで」と混同するので「取っ手」と書くのかなと思ったりもしてみた。

元に戻って食器を考えれば、
西洋のものは片手でつまんだり、両手で左右の取っ手を持つものが多い。
例えば、ワイングラスやカクテルグラスだ。
足がついていて、そこを(持つのではなく)つまむようになっている。
日本にこんな食器があるだろうか。

両手で左右の取っ手を持つものは鍋の類に多い。
一般的な両手鍋は元から日本にあったものではない。
左右に取っ手があるものは、一般的な両手鍋のほか、パエリア鍋やキャセロール、グラタン皿などなど。
西洋にはオーブンというものがあるのも一因なのかもしれない。
日本の食器で左右に取っ手があるものは、土鍋ぐらいしか思いつかない。

湯呑みはどうするんだ。
熱いものを飲むのに取っ手がついていないじゃないか。

ところで湯呑みは、ちゃんと言えば「湯呑み茶碗」だ。
これもよく考えてみれば面白いことだ。
お湯というより、お茶を入れる碗だから「茶碗」だ。
しかし、「ちゃわん」はご飯を入れるものだ。
「碗」は食物の入れ物のことだが、「おわん」は味噌汁など汁ものを入れる入れ物だ。

碗の作法

さて、「湯呑み」にせよ「ちゃわん」にせよ「おわん」にせよ、
取っ手のない日本の食器は右手でつかんで持ち上げ、
左手で碗の底と上の縁を挟むようにして持つのが作法だ。

西洋料理のように、皿はテーブルに置いたままではない。
碗は必ず手に持つ。
碗をテーブルに置いたまま食べるのは「犬食い」といって、下品なマナー違反である。
お茶を飲むときのように箸を持たない場合は、左手で碗を支え、右手は碗を包み込むように添える。

ところで、茶道でお茶を飲むとき茶碗を回すが、これは何の意味があるのだろう。
それは、茶碗にはそれぞれ顔があり、顔には正面があるからだ。

亭主は、茶碗の正面を客に向けて出す。
しかし、客は、正面からいただくことは避ける。
それは、出されたものを謙虚にいただくためである。
正面を避けるために茶碗を回す
。いただいた後は、今度は逆に回して正面に戻す。

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湯呑みには両手を添えて。日本のかたち。

「とって」がないのはとってもすごい

手で持つものは、持ちやすいよう取っ手をつけるのは当たり前のことである。
しかし、「湯呑み」はもとより、「ちゃわん」や「おわん」には取っ手はない。
当たり前のことだ。が、これはよく考えるとたいへんなことだ。
当たり前のことではない。

碗を両手で包み込むようにおしいただくかたちには、日本の文化が込められているように思うのだ。
陶器の質感や手触り。
伝わる温もりや冷たさ。
包みこみ、育くみ、大切にし、いとおしむ。

片手でつまんでひょいと持ち上げることでは決して得られないいろいろなことを、
その感覚を、われわれはずっと昔から培ってきたのだ。
しかも、相手がいる場合は、相手の気持ちを感じ、相手に感謝し、
謙虚な気持ちで正面を避けて碗を受ける。

たかが食べ物や飲み物の入れ物。
その入れ物と、それに入ったものを食べたり飲んだりするというありふれた日常のありふれた動作にまで、
これまで積み上げられた精神の文化がある。
それは、とってもすごいことだと思うのである。

振り返れば今年一年は、ゴールデンウィークまでは「令和」で盛り上がったものの、
それ以降は、7月の「京アニ」事件、9月のカープのペナントレースからの脱落、9・10月の台風15号・19号・21号、
極めつけは首里城の炎上と災難の多い一年だった。

来年は、オリンピック・パラリンピックの年でもあり、佐々岡カープも新生し、
とってつけたような良い年でありますように。
みなさまにも良い年でありますように。

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