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みちのく一人旅(その4):盛岡(2019.9)

心に刻まれた風景

最初は特に行くつもりはなかったのだけど、せっかく岩手まで行くのだから、
多分もう行く機会はないだろうから、最後に盛岡まで足をのばしてみようと思ったのだ。
ガイドブックとにらめっこして、駅に近い「啄木新婚の家」から市内巡りをすることにした。

盛岡駅を出て、駅前の「開運橋」という縁起のいい名前の橋を渡っていて、
アッと思わず声が出そうになった。

大きな山が突然目の前に現れた。
5月だというのに雪をかぶった大きな山だ。
岩手山だ。
広島生まれ・広島育ちの僕にとって、こんな風景見たことない。

何という風景だ。
街の真ん中、しかも駅前。
流れる川は北上川だ。
何という風景だ。
これこそまさに「ランドマーク」だ。

こんな風景が日常にある盛岡の人にとって、
この風景が幼少の時から刷り込まれている盛岡の人にとって、
岩手山というものの存在は計り知れないだろう。
これこそがふるさとの風景だと思った。

開運橋の説明板を見ると、この橋は盛岡駅開業とともにできた橋で、由緒あるものである。
ということは、盛岡出身の石川啄木も、盛岡高等農林学校卒業の宮沢賢治も、
日常的にこの橋を渡り、この風景を見たという事だ。
当時はもちろんビルなどはなく、岩手山と北上川は今と変わらず、
今、僕の目の前にあるようにあったはずだ。
と思うと、より一層この風景が、啄木や賢治が通った道を今歩いているということが、心にしみる。

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ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな(啄木)


なんと痛ましい人生だろう

岩手山の衝撃の余韻に浸りながら、「啄木新婚の家」を目指す。
「啄木新婚の家」は市街地の中にぽつんとあった。

「新婚の家」というが、19歳で結婚した啄木は、その年に職を失った父と母、妹と同居し、
この狭い家で一家5人の新婚生活を始めたのだ。
しかし、そんな生活は長くは続かなかない。
たった3週間でこの家を離れ、2年後には北海道に移住し、
以後、東京などを転々とするのだが、生活は窮乏を極め、
この家に住んだわずか7年後に26歳で結核で亡くなる。

翌年、妻の節子も2人の子どもを残して結核で亡くなっている。
その2人の子どもも、それぞれ24歳と18歳で早逝している。
なんと幸薄い一生だろう、なんと痛ましい人生だろう。

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「啄木新婚の家」。 不幸を一家で背負ってったったような啄木の人生。
はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る(啄木)


岩手のヘソ

市街地の中に三ツ石神社という神社がある。
そこに「鬼の手形」というものがあるというので見に行くことにした。

なるほど、大きな岩が2つあってしめ縄が張られている。
三ツ石というが、3つ目の石は表からはよく見えない。
それ以上に、鬼の手形なるものがどこにあるのかよく分からない。

説明板によれば、昔、この地に鬼が棲んでおり、悪事の限りを尽くしていた。
困った人々がこの三ツ石に祈願したところ、たちまち鬼はこの巨石に縛りつけられた。
鬼は恐れをなし、二度と現れないと約束し、この巨石に自分の手形を押して立ち去ったそうな。

近くにいた地元の人らしき人が、手形の場所は苔が生えないからわかると他の人に解説しているが、
石はすべて苔で覆われているじゃないか。

岩に押された手形だから、「岩手」。
何と、この石が「岩手」の名の由来なのだそうだ。

盛岡の中心部に「不来方(こずかた)」という面白い地名がある。
この地名は、恐れをなした鬼が二度と来なくなった場所という意味だそうだ。
盛岡を代表する夏祭りに「さんさ踊り」というものがある。
この踊りは、鬼がこの地から去って民衆が喜んで躍ったことが始まりだそうだ。
ということは、ここが岩手の、盛岡の、中心、ヘソではないか。

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三ツ石神社の「鬼の手形」。
しかし、鬼の手形はどこにあるのかさっぱりわからん。


まちなかの名水は大いなる慈だ

盛岡は南部藩(盛岡藩)の城下町である。
その名残を残す町屋が連なる歴史的街並みを「もりおか町屋物語館」を目指して歩いていると、
「大慈清水」というものに出くわした。

大慈清水は、原敬の墓所がある近くの大慈寺を水源とし、
藩政時代から利用されている「盛岡三清水」のひとつで、
「平成の名水百選」にも選ばれている由緒ある名水だ。
今でも地元の人が用水組合を作って管理し、生活用水として多くの人に利用されているそうだ。

大抵の○○清水は、水源もしくは水源から引いたパイプを受けて桝が設けられているが、
大慈清水は、大きさが1畳もあるかと思われる桝が上流から下流に向かって4つも設けられており、
さらに上屋までかかっている。
こんな湧水地は見た事がない。
説明を読むと、上から順に、飲み水、米研ぎ、洗い水、足洗いだそうだ。
具体的な用途の明記は、今も生活の中で使われている証左だ。

流量が少ないのがひとつの要因だろうが、
逆に、それが故に、このように大切に細心の注意で水が使われているのだろう。
4つの区画をのぞき込むと、どの区画も澄んだきれいな水だ。
街の中に、今も人々の生活で普通に使われているこんな清水がある。
こんな清水があたりまえのようにある街。暮らしと自然の水の近さ。
いいな。うらやましいな。

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大慈清水。
上から順に、飲み水、米研ぎ、洗い水、足洗いと区画が区切られている。

二度泣かせる街

翌日、もう1日盛岡市内を見て回り、
夕方、再度むこうにそびえる雪をかぶった岩手山を見ながら、
冒頭ご紹介した開運橋を渡って盛岡駅に向かった。

この開運橋は、別名「二度泣き橋」と呼ばれるそうである。
異動で東京から遠く離れた盛岡に転勤を命じられた人は、初めて盛岡に来て開運橋を渡る時、
「こんな遠い所まで来てしまった」と自分の不遇に泣くそうである。

しかし、転勤期間を終えて盛岡を去ることになり、最後に盛岡駅に向かうこの橋を渡る時、
今度は盛岡を離れるのが辛くて再び泣くそうである。

ほんの2日間の盛岡滞在だったが、泣きはしなかったが、岩手山の風景と共に、いい街だと思った。
盛岡の街を心に刻んだ。

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