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みちのく一人旅(その2):平泉から花巻へ(2019.7)

中尊寺と毛越寺

「みちのく一人旅」の第2回目は、旅の目的のひとつである宮沢賢治を訪ねる旅だ。
しかし、その前に、目の前の平泉を素通りするわけにはいかない。
仙台から東北新幹線に乗り、ついに岩手県に入った。
一関で東北本線に乗り換え平泉へ。

さすがに大型連休で、ほとんどの人が平泉で降りた。
一抹の不安を覚えつつ、レンタルサイクルで平泉を探索だ。
平泉のメインストリートは午前中から大渋滞だ。
全部、中尊寺に向かう車だ。

中尊寺の入口まで行くと、今度は駐車場に入るのに大渋滞だ。
当たり前だが、出る車がないと車は入れない。
車で来た人は、中尊寺までたどり着くのにいったい何時間かかるのだろう。
チャリでよかった。
しかし、この思いは数十分後に無残に砕かれることになる。

中尊寺は、入口からハイライトの金色堂まで結構長い。
坂道を沿道の塔頭を見ながら延々歩く。
と、長い2つの行列に行きついた。

聞けば、1つは金色堂の入場券を買う列だという。
そして、もう1つの列は、金色堂に入る列だという。
つまり、まず、長蛇の列に並んで入場券を買い、
その券を持ってまた別の長蛇の列に並ばなければならないということだ。

2つの行列を見て、ここで金色堂を諦めた。
とても残念だが、ここで無為に何時間も過ごすわけにはいかない。
杉木立の奥にチラッと見える金色堂
(正確には、金色堂を覆う鉄筋コンクリートの覆堂)を横目に、帰路についた。

しかし、渋滞で中尊寺までたどり着いていない人たちはどうなるんだろう。
丸一日、渋滞の車内と行列で終わってしまうのではないだろうか。

平泉で見たいものは中尊寺だけではない。
次の大きな目的は毛越寺だ。
毛越寺には平成元年に再建された本堂のほかは、池を中心とした広々とした園地がただあるだけだ。

なぜ毛越寺か。
国の特別史跡・特別名勝、そして世界遺産に指定されているからだけではない。
それは、この復元された庭園が、
日本最古の造園書「作庭記」の技法を伝える貴重な浄土庭園としてつとに有名だからだ。
造園を志したものとして、この毛越寺庭園は一度は見ておきたかったのだ。
「作庭記」に書かれていることが、実際の造園としてどのように実現されているか、見ておきたかったのだ。

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鑓水の石組み。
作庭記:「遣水の石をたつるにハ底石 水切の石 つめ石 横石 水こしの石あるべし」


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亀石と出島の石組み
作庭記:「たちいでたる石 あまたおきざまへたてわたして はなれいでたる石も せうせうあるべし」


賢治のふるさと

一関に一泊した後は、いよいよ花巻だ。
新幹線を降りると、新花巻駅には野球の展示コーナーがあった。
楽天イーグルスは仙台なのにと思って見てみると、大谷翔平と菊池雄星だ。
そうか、二人とも花巻東だったね。
今や二人とも大リーガー。花巻の英雄だ。

宮澤賢治に関する施設―宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、宮沢賢治イーハトーブ館―は、
新花巻駅から少し離れているが、歩いて行ける距離だ。
雨は降っているが、新花巻駅から歩き始めた。

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宮沢賢治童話村は、賢治童話の世界で楽しく学ぶ「楽習」施設。
写真は、賢治の世界を5つのテーマゾーンで表現した「賢治の学校」の不思議な空間「ファンタジックホール」

宮沢賢治記念館はこれらの中心施設だ。
今更ながら、賢治の多才ぶりを認識する。
地学、農学、化学、天文学、音楽、絵画、詩・俳句・短歌、童話、宗教…関わったジャンルの多いこと。
法華経が彼を貫く柱だったのはよく知っていたが、
相対性理論も知って学んでいたことは知らなかった。

アインシュタインは、彼が24才の時、来日したのだ。
宇宙に目を向け、時間さえも伸び縮みすることを彼は知っていたのだ
―「銀河鉄道の夜」がすぐ連想される。

「セロ弾きのゴーシュ」―実際に彼が弾いていたチェロが展示されていて、
彼がすぐそばにいるような気がした。
「永訣の朝」―妹トシの臨終の際の詩の原稿は、よく知っているだけに胸に迫った。

 けふのうちに とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
 (あめゆじゅとてちてけんじゃ)


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宮沢賢治記念館。
多方面に及んだ彼の思想や活動を実物資料と共に解説・展示している。

驚いたのは、小生の元々の専門である造園とのつながりだ。
前日の毛越寺が思い出される。
大正から昭和にかけて活躍した造園家に田村剛という人がいる。
国立公園の制度を創設した人だ。
この田村剛と賢治が関わりがあったことを初めて知った。

田村剛は、造園を意味する英語「Landscape Architecture」を「装景」という日本語に訳し、
その概念をわが国に持ち込んだ人だ。
賢治は、その概念をふまえ、装景手記というノートにこう記したそうだ。

 この国土の装景家たちは
 この野の福祉のために
 まさしく身をばかけねばならぬ

彼は、造園(装景)という仕事の重要性を認識していたのだ。
そしてそれ―環境デザイン―は、
「ほんたうのさいはひ」(本当の幸い)につながるものだと認識していたのだ。

ここでふとSDGsが頭に浮かんだ。
ここで賢治が言っていることは、
「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」…ということじゃないか。
「誰一人取り残さない」というSDGsの理念が、
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という賢治の言葉と重なる。
改めて彼の言葉をかみしめた。

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