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卒業(2019.4)

やあ、暗闇くん。僕の古い友だち

やあ、暗闇くん。僕の古い友だち。
また君と話しに来たよ。
だって、僕に忍び寄ってきたそいつは、
僕が寝てる間にかけらを残して僕の中に潜んだまま、
未だ静寂の音の中に潜んでいるんだ。

僕らの世代には懐かしい、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
聞き慣れたギターのアルペジオとともに、♪Hello darkness, my old friend~と歌い始める。

何とも哲学的な歌詞だ。
いや、歌詞以前に曲のタイトルだ。
「静寂の音」なんて、仏教でいう「不二」そのものである。
「不二」とは、例えば生と死、有と無など、
互いに相反する二つのものは別々にあるのではなく、一つのものであるという教えである。

ところで、「サウンド・オブ・サイレンス」といえば、
これはもう、映画「卒業」である(映画のテーマ曲である)。

ダスティン・ホフマンが「エレーン!」と叫びながら、
教会で結婚式を挙げている花嫁(キャサリン・ロス)を略奪する最後のシーンは、
アメリカン・ニューシネマを象徴する名シーンである。
ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンは、
この時初めて一人の男としてそれまでの自分を「卒業」するのである。

ダスティン・ホフマンは、この「卒業」がほぼ最初の出演映画だ。
僕は、昔から彼が非常に好きで、
その演技力の高さと背の低さ(167cm)がとてもナイスだ。
余談だけど、僕は、ダスティン・ホフマンとアル・パチーノはとてもよく似ていると思うのだけど。

心にしみる

前置きが長くなったけど、つい先日まで「卒業」の季節だった。
卒業式の歌と言えば、僕たちの頃は小学校からずっと「仰げば尊し」だった。
これしかなかった。

ところが、昨今は、「旅立ちの日に」である。
この曲は埼玉県秩父市の中学校の先生たちが作った合唱曲で、
今時の卒業式の定番ソングになっている。
聞いてみると、これは確かにいい曲だ。
他にも、海援隊の「贈る言葉」なども実際の卒業式で歌われているという。

近頃では「卒業ソング」というジャンルがあり、
この時期には様々な「卒業ソング」のランキング等が発表されている。
「卒業ソング」を眺めていると、ひとつの傾向があると思う。
卒業には一般論として小・中・高・大学校があるが、
歌の中心となっているのは中学校だと思うのである。

先の「旅立ちの日に」も中学校の先生によるものだが、
アンジェラ・アキの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」(これもいい曲だ)や
尾崎豊の「卒業」なども中学卒業のことを歌っている。
中学生から高校生へという二度と戻ってこない多感な思春期のど真ん中で、
未来に向かっての別れが彩られるのは、よく理解できる。
だから、心にしみる曲が多いのだ。

「卒業ソング」というジャンルの中には、卒業式で歌うことは多分ないけれど、
別れや旅立ちをテーマにした曲が多い。
長淵剛「乾杯」、荒井由実「卒業写真」、赤い鳥「翼をください」、中島みゆき「時代」、
森山直太朗「さくら」、イルカ「なごり雪」、柏原芳恵「春なのに」などなど。
みんないい曲ばかりだ。
どれも心に引っかかってくる。

これは、春という季節が、
冬から目ざめ、光にあふれ、花が咲き、暖かさに包まれ、希望に満ちた季節であるとともに、
必然的に訪れてくる別れというやるせない季節であることがその背景にあると思う。
上記の最後の2曲、「なごり雪」と「春なのに」はまさにそれを歌っている。

特に、僕の場合、「春なのに」だ。
この歌の歌詞はごくありふれたものなのだが、
なぜか我が身に焼き付けられる部分が多く、何でだろうと思っていた。
実はこの曲は、中島みゆきの作詞・作曲なのだ。
どうりでねと、納得したものだ。

卒業式の記憶

卒業式というものは、子どもより親のためにあるように思えてならない。
自分の卒業式など何も覚えていないのに。
子どもの卒業式には幼稚園の卒園式から始まり、妻が必ず行った。
幼稚園の卒園式で、子どもは一人も泣いていないのに、
新任の若い男の先生(保育士)が一人で泣いていたとか、
自分は行かなかったが、いつも妻から式の様子は逐一聞いた。

ただ、次男の場合は、中高が小生の出身校だったため、
高校の卒業式は妻ではなく、小生一人で自ら希望して行った。
当校の卒業式には、卒業生が式の途中で「ちょっと待った!」と注文をつける有名なイベントがあり、
それを見たかったこともある(小生の頃にはなかった)。

小生はというと、来し方を振り返って卒業式のことを思い出してみようとするのだけど、
これがほとんど思い出がない。
小学校の卒業式のことは遠い遠い忘却の彼方で、全く覚えていない。
中学校は、中高一貫校だったので、これもほとんど卒業式をしたという記憶がない。
高校は、大学受験(当時は押し迫って二期校もあった)と予備校受験で
3月末まで右往左往しているうちに同級生とはバラバラとなり、
これも卒業式をやったという記憶がほとんどない。
大学は大学で、1年余分にやった関係で同級生はほとんどいない卒業式など全く行く気もせず、
これも卒業式に行った記憶がない。

しかし、当然と言えば当然だが、なぜか卒業証書はすべてあり、
いつどのようにしてもらったか、すべての学校で全く記憶がないからひどいものである。

卒業証書はただの紙ではない

まだ昭和だった頃(なんと、今日で平成も終わる)、
伝統和紙を地場産業にもつ地方都市で、「手づくり卒業証書」に取り組む自治体があった。
子どもたち自らが体験学習で工房で和紙を漉き、
自分で漉いた和紙で卒業証書を作るというものである。

まちづくりの仕事をやっていた僕も、いくつかのまちで提案した。
自分で作った、自分だけの、どこにもないオンリーワンの卒業証書。
卒業証書は賞状ではない。
「ナンバーワンよりオンリーワン」なのだ。

数年前、出前授業で広島市の小学校に伺った際、
校長先生と話をしていて、千羽鶴で作った卒業証書の話を聞いた。
広島の平和公園の「原爆の子の像」などにささげられる千羽鶴は毎年約10tにものぼり、
そしてそれは2000年までは「ごみ」として焼却処分されていたという現実を、
広島市民でさえ認識している人は少ない。

誰が悪いのでもない。
仕方のないことではあるが、
世界中の人の祈りや善意の塊である折り鶴の末路がこれでは、
何ともやるせない話である。
このことが報道されて世論が高まり、広島市は以後、折り鶴を「永久保存」することとしたのである。

しかし、毎年約10tのものが積み上がっていくのである。どうするんだろう?
このような現実に問題意識をもった人が設立したのが「NPOおりづる広島」である。
「NPOおりづる広島」は、「おりづる再生プロジェクト」を立ち上げ、
折り鶴を回収し、授産施設の協力により「おりづる再生紙」としてリサイクルし、
ハガキや名刺等の製品作る活動を展開している。

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平和公園の「原爆の子の像」と折り鶴収納ケース(後方)

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折り鶴収納ケースの中には、もはやタペストリーというべき折り鶴で作られた作品がぎっしり詰まっている。

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広島市職員の名刺は、おりづる再生紙の名刺だ。
おりづるのロゴと共に「この名刺は平和記念公園の『原爆の子の像』に捧げられた折り鶴の再生紙「おりひめ」を使用しています」とある。


さて、最初の話に戻ろう。
このような中、広島市では、2015年から
「本市で育った園児児童生徒が、卒園・卒業の節目に、平和と希望の象徴であるヒロシマに捧げられた折り鶴を再生した卒園証書・卒業証書を手にすることにより、改めて、世界の人々の平和への思いや願いを共有し、そして継承していくとともに、郷土広島への愛着や誇りを一層強くすることが期待できる」
として、全ての市立幼稚園・小学校・中学校・高校・特別支援学校で
折り鶴を再生した卒園証書・卒業証書を授与することとしたのだ。

仙台では2017年、東日本大震災からの復興を祈って仙台市の小中学生が作り、
仙台七夕まつりで飾り付けられた折り鶴から作られた卒業証書が
市内の中学校の卒業式で卒業生に手渡されたそうだ。
この折り鶴の再生紙は、同市出身の羽生結弦選手への市特別表彰にも使われたそうである。

通り過ぎていったこと

「卒業」とは、ある段階や時期を「通り過ぎる」ことだ。
卒業証書は、そのひとつの証だ。
「通り過ぎる」とは、必ずしもステップアップとは限らない。
時がいかように通り過ぎようとも、暗闇は僕の古い友だちで、それはこれからも変わらない。
ただ、通り過ぎていったことは、経験と記憶として残る。

あと何度自分自身卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう
(中略)
この支配からの卒業
闘いからの卒業

  ~尾崎豊「卒業」より~

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