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ボヘミアン・ラプソディ(2019.2)

愚息からの伝言

先日、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の興行収入が、
今年度唯一100億円を超えたことが報道された。
「ボヘミアン・ラプソディ」は、小生も見に行って衝撃を受けた。

そもそもは、バンドをやっている大学生の愚息が、
「自分は感動して2回も見た。母さんも是非見に行ったほうがいい」と言ったというので、
夫婦で見に行ったのだ。
高校の同級生をはじめ多くの友人が、SNSで「泣けた」「感動した」と言っているが、
小生も全く同感である。

エイズで亡くなるフレディー・マーキュリーを主人公にその葛藤とバンドの成長を描き、
ストーリーの最後の山場を大規模野外コンサートの「ライブ・エイド」にもっていく。
このライブ・エイドのシーンが圧巻で、圧倒的な迫力と訴求力で迫って来る。

小生から言わせれば、
最初から最後まで早弾きやラウドな一本調子の「動」ばかりのヘビメタ系をやっている愚息が、
ボヘミアン・ラプソディという懐メロ・ロックに興味を示し、
そして、ボヘミアン・ラプソディのようなバラードから入る曲に心を動かされたということが、
少しの驚きとともに、嬉しかった。
ロックという音楽が、歴史を積み重ねるようになったんだなと思った。

あの頃

クイーンがボヘミアン・ラプソディを発表したのは1975年(昭和50年)、
ライブ・エイドが1985年(昭和60年)である。
昭和50年はカープが初優勝した年で、小生が高校を卒業した翌年である。
昭和60年はバブル経済の真っただ中で、小生は狂乱の東京にいた。

1970年代は、まさにロックが極まった時代で、
ディープ・パープルからレッド・ツェッペリンで頂点を迎え、
その後、ロックはメタルやパンク、プログレに分化していった(と小生は考えている)。

今も昔も、ロックバンドと言えばリードギターに注目が集まるが、
小生はロックバンドの訴求力はボーカルが持つと強く思っている。

当時のロックのボーカルと言えば、
ディープ・パープルのイアン・ギランとクイーンのフレディー・マーキュリーが双璧で、
(と小生は考えている)
絶叫型のイアン・ギランに対し、フレディー・マーキュリーは音域が広く、高音が伸びた。

しかし、当時のクイーンの印象は、
ブリティッシュ・ロックのロック・オペラというステレオタイプな認識しかなかった。
ボヘミアン・ラプソディは、出だしは抒情的だが、
突然早回しのテープのようなオペラ(と称するもの)が始まり、
ギンギンのハード・ロックになだれ込む、よーわからん曲という記憶だ。

しかし、今回映画を見て、ボヘミアン・ラプソディを何十年ぶりかに聞いてみて、
とても印象深いよく作られた曲だと感じた。
これは、映画の持つ威力だ。

売れないバンドが車を売ってスタジオを手に入れ、
そこで常識外れのダビングを重ねてボヘミアン・ラプソディを完成させる。
6分超という長尺の曲はレコード会社に拒絶されるが、
知り合いのDJのラジオ放送から火が付き大ヒットとなる。
その辺の経緯を映画は事細かく語る。

ガールフレンドとの別れ、同性愛、そしてエイズ感染・・・
やがてビックになった彼らから、フレディー・マーキュリーは一本釣されそうになり、
彼らの間には隙間風が吹き始める。
だが、ライブ・エイドがそれを救う。

そして、ハイライトのライブ・エイドでのボヘミアン・ラプソディになだれこむ。
うねるようなライブの熱気がそのまま直撃する。
これは、作られた映画なのに。
そして、みんな知っているのだ。
その後、フレディー・マーキュリーがどうなったかを。
鼻の奥がツンとする。
不覚にも・・・

歴史は少しずつ創られる

フレディー・マーキュリーは45歳で亡くなってしまったけど、
クイーンのギタリストのブライアン・メイはまだ現役である。
先のイアン・ギランもまだ現役である。

ポール・マッカートニーは昨年秋に日本公演を行ったし、
リンゴ・スターは来月、広島にもやって来る。
不良老人の典型のミック・ジャガーは、73歳にして子供を作った。
みんな70代の老人である。

しかるに、わが国のミュージシャンはどうか。
わが国でのロックの歩みは、グループサウンズの歩みである。
しかるに、当時のグループサウンズのメンバーで、
今も(芸能活動ではなく)音楽活動をしている人はいるだろうか。
あえて挙げれば、沢田研二ぐらいだろうか。

わが国の高齢のミュージシャンといえば、84歳の小澤征爾、82歳の北島三郎あたりが筆頭だろう。
残念ながら、いわゆるJ-POPには見当たらない。
「芸能界」という業界が、わが国ではまだ上滑りで、
ミュージシャンとして十分根を張っていなかったのだと思う。

しかし、シンガーソングライターの出現により「歌謡曲」というカテゴリーが溶解し、
ここ半世紀は様々なかたちが生まれているように思う。
それを積み重ねていくことにより、ライブ・エイドのような伝説や絵になるシーンが生まれ、
少しずつ歴史が創られていくのだろう。

琴線に触れる

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、見終わった後、何か心に少し痛みのある傷のようなものを残す。
それは、苦しいものではないのだが、せつなさを伴ってじわっと感じてくる。
見終わった後、これと同じような感覚を持たせるのが「この世界の片隅に」である。
小生の知り合いがそれを「低温やけど」と言ったが、まさに言い得て妙である。

何かの事象が起きて明らかな傷ができたのではなく、
全体の結果として、じわじわと感傷的な痛みがしみじみと心に広がるのである。
その痛みは普段は感じないことが多いが、ふとしたことで現れて、しみるのである。
そういうものは、心に残る。

「琴線に触れる」とは、そういうことなのだろう。

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