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「誰ひとり取り残さない」ために(2018.11)

SDGs

国の第五次環境基本計画(案)が今年2月に発表された。
今回の環境基本計画のキーワードは「環境・経済・社会」である。
我が国が抱える環境・経済・社会の課題は相互に連関・複雑化しており、
環境・経済・社会の統合的向上が求められるというコンセプトの基に計画が構築されている。

「環境・経済・社会」といえば、
企業の持続可能な発展のためには、経済面に加え、社会面、環境面にも配慮が必要であるという
「トリプルボトムライン」がまず思い出される。
また、企業を非財務面から評価する尺度の
「ESG」(Environment:環境・Social:社会・Governance:企業統治)も思い出される。

さらに、2015年9月の国連サミットで採択された国際目標
「SDGs」(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)
―持続可能な世界を実現するための17のゴール―は、
当然のごとく今回の計画の重要な背景となっている。

地球上の誰一人として取り残さないことを誓うSDGsでは、環境に係る課題だけでなく、
「貧困の撲滅」や「国内と国家間の不平等の是正」など、経済・社会に係る課題も設定されており、
まさに環境・経済・社会は一体的に考えていかなければならないことを示している。

ここに来てやっとわが国でもSDGsがいろいろなところで話題になり始めた。
外務省はあのピコ太郎を起用して
PPAP(ペン・パイナッポー・アッポー・ペン)の替え歌のPR動画を作成し、
YouTubeにアップしたほか、
昨年の7月には国連本部で行なわれた日本政府主催のレセプションでは、
本人が登場して替え歌を披露した。

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SDGs 世界を支えるための17の目標(資料:国際連合広報センター)

SDGsの理念は、「誰ひとり取り残さない」である。
これを最初に見た時は驚いた。
これはとてつもなく崇高かつ困難な理念である。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉を思い出す。
この言葉は、フランスの作家デュマの「三銃士」が出典といわれるが、
僕は宮沢賢治の次の言葉を思い出す。

 「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

コスモポリタン賢治

賢治のこの言葉は、彼の著作「農民芸術概論綱要」の中にある言葉である。
実は、この言葉の3行後に、同様に重要な言葉がある。
次の言葉である。

 「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」

なんとグローバルな、コスモポリタンな、エコロジカルな言葉だろう。
The Earth!
地球全体でひとつに、もっと言えば、ひとつの生態系
…閉ざされた系として考えていこうと言っているのである。
まさに、宇宙船地球号だ。

SDGsに至る道のりをふりかえれば、
それは1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」に始まる。
ここで初めて環境容量の側面から地球環境問題が現実の問題として明らかにされたのだ。
それは1992年の地球サミットにつながり、
ここでSDGsのコア概念である「SD(持続可能な開発)」という言葉が生まれ、
以後、地球温暖化防止を中心に地球環境問題はグローバルな基本課題となった。

人間が地球環境に与えている負荷「エコロジカル・フットプリント」を指標にすれば、
もし、世界中の人が日本人と同じ生活をしたとしたら、地球が2.9個必要になるのだ。
今の生活をする限り、地球は既に定員オーバーなのだ。

賢治が「農民芸術概論綱要」を書いたのは、今を去る90年前の1926年(大正15年)のことである。
地球の環境容量などという概念は、当時には、彼には当然なかっただろうが、
彼の理想郷「イーハトーヴ」に向かう直感として、かけがえのないひとつの系として、
グローバルに、エコロジカルにこの世界…地球をとらえていたのだと思う。

image004_2018110109014871d.png
エコロジカル・フットプリント。
もし、世界中の人が日本人と同じ生活をしたとしたら、地球は2.9個必要になるのだ。
世界の人口は、アジアを中心に今後さらに増加していく。地球はどうなるのだろう・・・
(「日本のエコロジカル・フットプリント2017」(WWFジャパン)より)

「誰ひとり取り残さない」ために

しかし、「誰ひとり取り残さない」という理念はあまりにも気高すぎる、と思うのである。
児童虐待、母子家庭、引きこもり、LGBT、障がい者、高齢者、介護、難病
・・・ありとあらゆる貧困や差別がGDP世界第3位の日本でさえあふれかえっている。
理想は高いが、どうするのだ。
どうすればいいのだ。

賢治に戻ろう。童話「ポラーノの広場」に次のような一節がある。

 「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから」

 「何をしようといってもぼくらはもっと勉強しなくてはならないと思う。こうすればぼくらの幸になるということはわかっていても、そんならどうしてそれをはじめたらいいか、ぼくらにはまだわからないのだ。(中略)けれどもぼくたちは一生けん命に勉強して行かなければならない。ぼくはどうかしてもっと勉強のできるようなしかたをみんなでやりたいと思う。」

SDGsが打ち出されて、17の目標に対し、社会の各方面で
「私たちは〇の目標に対してこうする」「わが社は〇の目標に対してこれに取り組む」
という様々な声があがりつつある。
山は動き出しつつあるのだ。少しずつではあるが。

私たちはきっとできると思う。
なぜなら、「誰ひとり取り残さない」ことを今考えているのだから。
みんなの幸になるということは分かっているのだから。

どうしたらそれができるか、もっと考えてよう。
みんなで考えれば、私たちはきっとできると思う。

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