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気持ちよくない未来(2018.10)

器具のON・OFF

普段何気なく使っている言葉に、ふと気づいたんだ。
ちょっとおかしいよね。
でも今更どうにもならないよね。
これからどうなるんだろうね。

例えば、「チャンネルを回す」だ。「ダイヤルを回す」も同様だ。
今時、チャンネルを回すテレビやダイヤルを回す電話があるだろうか。
しかし、「チャンネルを押す」とか「ダイヤルを押す」とは言わない。
「チャンネルを変える」か「電話をかける」だ。

しかし、「チンする」は最初から「チンする」で、
「電子レンジにかける」とか「電子レンジをつける」とは言わない。
どうやら家電製品とそれを使う時の動詞には、決まったグループがあるようだ。

「ON」については、複数の言い方にまたがるものもあるが、次のように分類できる。
 【つける】ライト、テレビ、パソコン、炊飯器、ストーブ、電子ポット
 【かける】掃除機、アイロン、ドライヤー、ミキサー、ラジオ、オーディオ
 【いれる】こたつ、冷房・暖房
 【まわす】洗濯機、換気扇

「つける」は光や熱が出るもの、
「かける」は動作を伴うものや音が出るもの、
「まわす」は文字通り回転するものだ。

「OFF」については、「消す」と「切る」のどちらもつかうものが多いが、
どちらかを主に使うものもある。
 【消 す】ライト、テレビ、ストーブ
 【切 る】炊飯器、冷房・暖房、
 【止める】洗濯機、換気扇

新しい独裁者

iPhone XS Maxが発売された。
先日、官房長官が電話料金について「4割程度下げる余地がある」と語ったスマホは?
スマホのON・OFFはなんていうんだろう。
「つける」「いれる」じゃないよね。
「消す」「切る」もなんか違うような気がする。

電話する時は「スマホをかける」
写真を撮る時は「スマホで撮る」
ゲームをするときは「スマホでやる」
ググる時は「スマホで探す」
テレビや動画は「スマホで見る」
ラジオや音楽は「スマホで聴く」だ。
(ちなみに、僕は未だにガラケーだ)

CDが売れなくなったそうだ。
音楽は今やネット配信の時代なのだ。
と考えてみると、改めてスマホの特異性が認識される。
スマホは、電話であり、カメラであり、ゲーム機であり、パソコンであり、
テレビ・ラジオであり、レコーダーであるのだ。

まだまだある。
お財布であり、ナビゲーションであり、家電のコントローラーであり、万歩計であり・・・
ほんの10年前は考えられなかったことだ。
ICTやIoTの情報社会の中で、
スマホはウェアラブル化が進み、ますますその機能を高めていくだろう。

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スマホは、電話であり、カメラであり、ゲーム機であり、パソコンであり、テレビ・ラジオであり、レコーダーであるのだ。

頭文字をとって「GAFA」と呼ばれるアメリカ巨大IT企業、
すなわち、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンは、
独占的に世界市場を支配しているといわれはじめている。

ほんの10年前、
どんな場所でも建物の状況がわかるような写真が見られ、
スマホでのNHKの受信料が問題になり、新聞やテレビより情報を拡散させ、
こんな小物が毎日宅配便で届くような社会を誰が想像しただろうか。

その便利さの裏側で、
僕たちがそれらを使った足跡は知らないうちにビッグデータとして蓄積され、
スマホやパソコンには見知らぬ広告が次々と現れる。

街には監視カメラがあふれ、GPSでどこまでも追跡される。
そしてさらに、AIにより、人間には不可能なスピードと能力で様々なことが決断・実行される。

実態がなく、とらえどころのない大きなものによる、誰も逃れられない恐るべき監視社会である。
それは世界中に網の目のように自己増殖したWebのように、
責任者も、コントロールする人も存在しない。

人間の機械化がもたらすもの

新聞に「機械化する人間」という記事があった。
人間の体の一部が機械になっていくという話だ。
早い話が、平たく言えば、サイボーグだ。

分かりやすい例は、義手や義足だ。
義手や義足のうち、失われた手や足の形を作って装着するものを「装飾義手(足)」というそうだ。
というか、小生はそれが義手(足)だと思っていた。
が、最近は「筋電義手」というものがあるそうである。

これは残された手の筋肉の電気信号を介して装着者が意識的に「動かせる義手」だ。
まさに人間の体の一部が機械になったというか、機械で補助するというものだ。
機械で補助するといえば、
最近では介護や農作業などで重いものを持ち上げるのを補助する
パワースーツのような装着機械がある。

これらは機械の力を借りて、できなかったことができるようになるということである。
しかし、「機械の力を借りて、できなかったことができるようになる」ということは、
そんなに特殊なことじゃない。
手や足の機能や力についてのことだけじゃない。

たとえば、VRで見えないものを見ること、
SNSで瞬時に世界と話すこと、
AIを使って瞬時に答えを出すこと、
これらはみんな「機械の力を借りて、できなかったことができるようになる」ということだ。
「人間の機械化」は、サイボーグ的な見た目のフィジカルな部分より、
具体的に見えない五感の部分から進んでいる。

いや、それは、「浸食」されているという言葉の方が近いのではないか。
僕は、漠然とした、何かいや~な感じがするのである。
それは、キラーマシーン(殺人兵器)をイメージさせる、いや~な感じがするのである。

アナログを生きる

一昨年、実家に引越し、実家と自分の家のものの整理をした。
今の言葉でいえば、いわゆるAV、自分の持ち物でそれなりの量があるのは分かっていたが、
今となってはもうほとんど使うすべがないのだが、捨てられない。
それは、カセットテープ、ビデオ、そしてゲームソフト、テレホンカードだ。

高校生の頃からダビングしてとりためたものや大学のクラブの定期演奏会のカセットテープ。
その一つひとつに思い出が詰まっている。
長男の成長を撮りためたカセットビデオ。
小生の結婚式のビデオはβだ。(と言っても、分からない人が多いんだろうなあ)

ファミコン時代のドラクエ他のゲームのカセットもとても中古屋に売る気にならない。
今はもう子供もいるかつて小さかった息子と妻と親子3人でテレビの前に座り、
主人公の勇者に子供の名前をつけ、
「メラ!」「ギラ!」とやっていたあの頃の思い出が詰まっているから。

残っているテレホンカードはすべて何かの記念品だ。
知り合いの結婚式、自分が設計した公園の竣工式などなど、
唯一無二のものが処分できるだろうか。

引越しの時、一瞬処分しようかと思ったけど、やっぱり手元に残した大量のレコード。
学生の時、お金を貯めては中古屋で買いためたJAZZのレコードだ。
一つひとつのレコードに思い出が詰まっている。
それは自分の青春史であり、自分の音楽史だ。
あのアルバムの、あの曲の、あそこのアルトサックスの入り、あのピアノの出だし・・・
引越しに際し、レコードを処分するどころか、僕は新しいプレーヤーを買ったのだ。

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キースジャレット「ケルンコンサート」のレコードジャケット。
もう、たまらん。

ユーチューバーやインスタ映えがもてはやされている昨今である。
彼らがスマホで撮りためた膨大な画像はどうなったんだろう。どうするんだろう。
僕は、化石と化したカセットテープやカセットビデオを抱えつつ、アナログのレコードに針を落とし、
美しい気持ちで今を過ごしている。

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