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春の野菜から(2018.5)

タケノコ・タケノコ・タケノコ

毎年、自分の持つ竹林のタケノコ掘りに誘ってくれる友人がいる。
一昨年、近所の人に掘ったタケノコのお裾分けをしていたら、
自分も掘りに行きたいというおじいさんが何人かいて、
今年もシルバー軍団を結成し、4月の中頃、タケノコ掘りに行ったのだ。

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4人2時間の戦果はこのとおり。
さあ、家に帰って近所に配りまくるぞ。
そして、その後に待つのは、膨大な量のあく抜き、下茹で・・・

当日の夕飯は、若竹煮に木の芽和え。
翌日の夕飯は、土佐煮に醤油バター焼き。
翌々日の夕飯は、趣向を変えて青椒肉絲に芙蓉蟹。
朝の味噌汁、昼の焼きソバと延々続くタケノコ料理。
下茹でして水を張ったボールいっぱいのタケノコは1週間たってもなくならない。
「季節もの」とはそういうものだ。

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ボールに入らないタケノコはタッパーで塩漬けだ。

アスパラガスは野菜のタケノコだ

春はいい。
わが家は地産地消、旬産旬消。
わが家の畑ではネギやニラが春を待ちかねたように伸び、
サニーレタス、エンドウ、アスパラガスが毎日のように採れる。

そのアスパラガスであるが、
先日息子夫婦が来たので野菜を持って帰れと言うと、
息子の嫁さんはアスパラガスが生えているのを見た事がないと言う。
アスパラガスという植物が、どのような形状をしていて、
いつも食べている部分は植物体のどの部分か知らないと言う。
じゃあ採りに行こうとハサミを持たせて庭に出て、実際に収穫してもらった。
百聞は一見に如かず。
嫁さんはアスパラガスというものの全てを理解したのだ。
アスパラガスは野菜のタケノコなのだ。

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わが家の家庭菜園のアスパラガス。
この芽は、一日で数センチも伸びるんだよ。
この芽をほおっておくと、こんなふうに伸びて、細い葉(本当は茎)が茂るんだよ。
それで地下に養分を蓄え、翌年の春にまたこういうふうに出てくるんだよ。

驚異のズッキーニ

育てている人にとってはあたりまえだが、
畑で生えているところを見たことのない人からすれば、
確かにアスパラガスの全体の形状や、
食べている部分の植物体の中でのたたずまいなどは想像がつかないかもしれない。
そういう意味でいうと、
初めて育ててみてびっくりしたのは、何と言ってもズッキーニである。

ズッキーニは、食用部分の形や食感からは、キュウリとナスを掛け合わせたような感じである。
だから、キュウリのようにツルは伸びないにしても、
キュウリやナスのように茎から食用部分がひとつずつブラリとぶら下がるものだと思っていた。

去年初めてズッキーニを植えてみて驚いた。
まず、ものすごく大きくなるのである。ものすごく場所を取るのである。
植物体は上にではなく、横にこんもりと放射状に大きくなり、
直径は1m近くになる。

加えて、葉っぱはなかなかハードで、表面には棘がある。
何ともまあ、無遠慮で、自己主張の強い姿だ。
そして、食用部分は枝からひとつずつブラリとぶら下がるのではなく、
主幹に放射状につくのである。
隣に植えたピーマンやナスは押しのけられてしまった。

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ズッキーニは放射状に「実が成る」。

マツタケの怒り

元に戻ってタケノコだが、
「季節もの」は採れる時はほんの一瞬だけど、一度にバカみたいにたくさん採れる。
地産地消、旬産旬消とはそういうものだ。

皆さんは信じられないだろうが、子どもの頃、タケはタケでもマツタケがそうだった。
4,50年前は、広島はマツタケの全国一の産地で、
小生も子供の頃、何回かマツタケ狩りに行ったことがある。
あたりまえのように手入れの行き届いた美しいアカマツ林は、もう広島にはない。

秋のその時期は、毎年マツタケをくれる人が何人もいて、
「えー、またマツタケ」とうんざりしたものだ。
走りの初物の頃は七輪などで丁寧に焼き、
湯気が上がるのを「熱い、熱い」と言いながら裂いてスダチなどをかけ、
「秋の香りじゃ」と言いながら父親が食べていたのを思い出す。

しかし、それに続くマツタケご飯が終わる頃にはもういい加減飽きてきて、
最後はいつも量がはけるすき焼きだった。
今から思えば、信じられないような贅沢というか乱暴な食べ方である。
もうマツタケは勘弁してくれぇ。

今ではその時季に料理屋で土瓶蒸しなどを頼むと、
うすーく切られたマツタケが一切れ入っていて、千円以上する。
バカなことだ。
で、思うのである。
食べ物の味と値段とは決して比例しない。

僕は騙されない。
もし、ウニがいつもバカみたいに採れて、イワシがほとんど採れなかったら、
人はウニよりイワシの方が絶対うまいと言うだろう(でも、確かにウニはうまい)。
僕は騙されない。

だけど、僕はズッキーニには騙された。
それは、僕が野菜とはこういうものだと勝手に思い込んでいたからだ。
自ら思い込んで自分の心を縛っていたのだ。
アスパラガスがどうやって生えるか知らなかったお嫁さんを僕は笑えない。

ほんとうのことを見る目

制服とか規則とかは、人を秩序立てているようで、実は人が縛られているのだ。
決められた服を着、決められたルールに従っていれば、何も問題は起こらない。
なぜその服を着なければいけないか、
なぜそのルールを守らなければならないのかを考えたうえでそれに従い(あるいは反目し)、
行動するのは労力がいる。
何も考えずにルールに従う方がずっと楽なのだ。

だからルールは、ただそれに従っているだけの人から考える力を奪ってしまう。
無意識のうちに心の自由が奪われてしまう。
お断りしておくが、ルールを守るなと言っているのでは決してない。
ルールの本質に目を向けようと言っているのだ。

ほんとうにマツタケが美味いか。
ほんとうにウニが美味いか。
周りに流されず、自分を信じ、いつもほんとうのことを見る目を持っていたい。
と思うのである。

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