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永遠を数える(2017.7)

長い名前

夏になると思い出す。
子どもの頃、海(瀬戸内海)で泳ぐと、岸から少し離れたところに藻が群生していて、
その藻の切れ端が足にまとわりついて、気持ち悪かった。
それが「海のゆりかご」といわれる藻場の主役のアマモであることは、今なら分かる。
子どもの小生の足にまとわりついたアマモの切れ端、
アマモの別名は、植物では日本一長い名前なのだ。
「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」がそれである。
細いテープ状のアマモの切れ端を、竜宮の乙姫の元結の切り外しに見立てたのである。

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これがアマモ。これがちぎれたものがリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ。

長い名前といえば、これはもう、落語の寿限無である。
生まれた子供にめでたい名前をつけてもらおうと思った父親がお寺の和尚さんに相談に行き、
和尚さんから教えてもらっためでたい言葉を脈絡なく全てつなげて子供の名前にしてしまう、
という話である。
その名前は、「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ~」
と仮名で136文字に及ぶ名前である。
さて、ここで問題にしたいのが、上の3句目「ごこうのすりきれ」である。

天の羽衣は削岩機か

小生の通った高校は自由な校風の私立校だったので、
生徒も生徒だが、先生も先生で、ほんと、いろんな先生がいた。
教科書なんかほとんど使わない先生とか、ほとんど脱線した話に終始して授業する先生とか、
公立校ではまずいないと思われる先生が少なからずいて、
そんな先生の授業の話は、教科書の話よりずっと面白かった。
日本史のH先生は後者の典型で、印象深い脱線話を今もいくつか覚えている。

そのひとつがインド哲学や仏教での時間の概念という哲学的な話である。
インド哲学や仏教では、時間の単位を「劫(こう)」という。
「未来永劫」の「劫」、「亀の甲より年の劫(「功」ではない)」の「劫」である。

では、その劫は具体的にどのくらいの時間かというと、
こちらは竜宮の乙姫様ではなく、天女が100年に一度天から下りてきて、
40里四方の岩を天の羽衣でひと撫でし、
ついにその岩がすりへってなくなってしまう時間だという。

というような話を日本史の授業の中で延々とやるのである。
日本史のどの部分でそんな話になったのかは全く覚えていない。
そもそも天の羽衣で岩をすり減らすことからしてありえないのに、
40里四方の岩だとか、100年に一度のひと撫でとか、
具体的な数字を伴うことによって、逆にその非現実性というか、
とてつもない時間の長さが強調される。

具体的に考えるため、40里四方という大きさをちょっと真面目に考えてみる。
40里四方とは、縦・横・高さがそれぞれ4km×40=160kmということである。
ちなみに大きな岩といえば、オーストラリアのエアーズロックだろう。
エアーズロックは比高335m、周囲9.4kmだそうだから、
計算してみると、40里四方の大きさの岩は、エアーズロック130万個分となる。
とんでもない大きさである。
そして、削岩機・天の羽衣による岩の消滅に要する時間など、
想像することもできないとてつもない時間である。

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エアーズロックは世界で二番目に大きな一枚岩である。
世界最大の一枚岩は同じくオーストラリアにあるマウント・オーガスタスで、
エアーズロックの2.5倍の大きさだそうだが、40里四方には遠く及ばない。

宇宙的時間スケール

1劫は1つの世界(宇宙)が生まれて消滅するまでの時間で、
生まれた世界(宇宙)は1劫たつと火(劫火)で破壊され、無の状態がその後1劫続くのだそうだ。
1劫は43億年だそうだから、宇宙誕生から138億年なので約3劫、
太陽・地球誕生から46億年なので約1劫ということになる。

地球の最後は、40~50億年後、
末期を迎え赤色巨星となった太陽に呑み込まれて終わりとなる。
無から宇宙が生まれ、火で破壊され、その後また無が続くという宇宙観は、
現代の科学的な宇宙論に合致しているではないか。
しかし、この1劫が梵天にとっては1日だというのだから、戸惑ってしまう。

image006_20170703094438506.png
「劫」の単位で宇宙の年表を作るとこのようになる。
なにか、ざっくり当てはまっているように見える。

結局、「劫」とは早い話無限ということだ。
しかし、インド哲学や仏教では「劫」はあくまで時間の単位であって、
さらに1劫、2劫、3劫…というふうに数えるのである。無限×Tである。
よくそんなことを考えるなあ。
まだ高校生だった小生は、日本史の授業の中でそんなことを聞きながら、
古代インド人や仏教の考え方にシビレた。

話を元に戻して、寿限無の3句目「ごこうのすりきれ」とは、「5劫の擦り切れ」なのだ。
5劫を費やして岩が擦り切れる長い時間のことなのである。
なんで5劫なのかというと、
突然だが、阿弥陀如来は如来になる前は法蔵菩薩という菩薩だった。
法蔵菩薩が如来になるために行った思惟の時間が5劫だったことによる。
先にちょっと触れたように、宇宙誕生のビックバンからまだ3劫しかたっていないのだ。
5劫とは、気の遠くなるような時間だ。

おっくうな考え

こんなことを考えていると、もうめんどうくさくて「おっくう」になるが、
この「おっくう」が実はさらに大変なことなのだ。

「おっくう」を漢字で書けば「億劫」なのである。
もうお分かりのように、1億の劫である。
と言いたいところだが、これが違うのだ。

億劫は、百千万億劫の略なのだ。
すなわち、億劫は、100×1,000×10,000×1億劫=10の17乗劫
=43×10の25乗年なのだ。

現代の宇宙論では、宇宙の終わりについていくつかの説があるが、
最も有力な説のひとつを熱的死説というそうだ。
「熱的死」とは、なんともおどろおどろしい名前だが、
その説によれば、宇宙の最終局面では恒星は全て燃え尽き、
銀河はブラックホールに呑み込まれ、そのブラックホールは蒸散してしまうそうだ。
そしてそのようになる宇宙の寿命は、10の18~25乗年だそうである。
先のめんどうくさい「億劫」は43×10の25乗年だった。
ここでもなにか、ざっくり当てはまっているように見える。

恐るべし。インド哲学、そして仏教。
Return to Forever.

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