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人は死ねばごみになる(2016.2)

談志の墓

「立川談志の墓は桜が植えてあって、弟子たちはみんなそこで花見をするそうよ」
夜、飯を食っていたら、何を思ったか妻が突然そんなことを言い出した。
妻は落語ファンで、立川談春をひいきにしているのだが、
なんでまたそんなことを突然言い出したんだ。
この寒いのに桜だなんて。
西行や泉鏡花じゃあるまいし。
正月に、東京に住んでいる妹たちが帰省し、みんなでお墓参りに行ったのを思い出して、
ふと連想したんだという。

♀「どんなお墓なんだろう。桜が植えてあるなら樹木葬で、墓石はないのかな」
♂「墓石があったら普通のお墓と変わらんじゃん。
墓石の代わりに樹が植えてあるから樹木葬じゃん」
♀「もし植えてある樹が枯れたらどうするんだろう。
樹だって寿命があるわけで、いつかは枯れるでしょう。
樹が枯れたら、どこに誰のお墓があったかわかんなくなる」
♂「石のお墓だって一緒だよ。数百年たてば風化して字も読めなくなる。
早いか遅いかの違いだけだよ。そもそも、その頃にはお墓に参ってくれる人もいないよ」

みんな無縁仏になる

数年前に広島市から請求書と振込用紙が送られてきた。
心当たりがないので何事かと開けてみれば、市営墓地の年間管理費の請求だ。
依頼文を読むと、清掃や防災工事のための維持費を徴収することになったこと。
指定期日まで振込もしくは連絡がない場合は、
猶予期間をおいて墓所を整理する旨が記してあった。
そんな請求を今までされたこともなかったが、あの夏のおびただしい盆灯篭の始末や、
ここ数年の土砂災害等で復旧工事がされていることを思えば、理解できる話である。
はたして今年の正月に墓参りに行ったとき、
いくつかの区画に公告が掲示されているのを発見した。
入金も連絡もないので、いついつまでに整理、撤去するとの文面であった。
一番の目的は、維持管理費の徴収ではなく、お墓の整理であると、その時確信した。

30年ぐらい前、まだ東京にいた時、墓地公園の計画立案の仕事をした。
当時、東京では、公園整備は計画だけあって、土地がなかった。
正確にいうと、土地が高すぎて公園用地を取得することができなかった。
新たな公園をもう建設することはできず、
これからは維持管理の仕事ばかりになると言われた。
東京都の公園緑地部はやがて公園緑地課に縮小されるとまことしやかに言われた。

その墓地公園の仕事の時、初めて「ロッカー墓地」なるものがあることを知った。
「ロッカー墓地」とは、墓所が庶民の手が届かないぐらい高価になり、
取得することができないため、お寺の建物の中にロッカー式の墓地を作るというもので、
早い話が納骨できる小さな仏壇が壁にぎっしり並んだ部屋である。
当時は何ということだと思った。お墓とはこんな軽いものか。
しかし、その20年後、親戚の葬儀の時、広島でも「ロッカー墓地」を発見した。

その仕事のおかげで、ちょっと足を止めて「お墓」をいうもの考えることができた。
その時、改めて認識したのは、「三代たてば無縁仏」ということである。

みなさんも、おじいさんや、おばあさんの墓参りはすると思うけど、
では、ひいじいさん、ひいばあさんはどうだろう。
ひいじいさんや、ひいばあさんの墓はどこにあるんだろう。
少なくとも、僕は知らない。

ここで決定的なのは、僕たちの親の時代に都市化と核家族化が進んだということなのだ。
先祖代々の土地に一族郎党が住んでいた時代とは全く違ってきているのだ。
今、僕たちが参っている祖父母や親の墓はもとより、
逆にいえば、僕たちの墓でさえ、
まだ見ぬ僕たちのひ孫の代には参る人もなく、忘れ去られているだろう。

三代、百年もたてば無縁仏になる。
地下の大きなピットにいろんな人の骨壺と一緒に押し込まれ、
妻や子や、両親の骨壺とも離れ離れになり、
地上にはたくさんの墓石が無造作に積み上げられている。

♀「私はお墓はいらない。死んだら骨はどこかに撒いてほしい。
だって、誰も来てくれないお墓は意味ないし、知らない人と無縁仏で一緒なのは嫌だから」
♂「俺もそう思う。でも、すぐ撒くのはやめよう。
二人とも死んだ後で、二人の骨を一緒に砕いて混ぜて播いてもらうよう、子供達に遺言しておこう」

那覇の街中にて

以前も書いたが、琉球(あえて沖縄とは言わない)のお墓は亀甲墓だ。
知らない人のために言っておくが、亀甲墓は琉球の伝統的なお墓で、縦横10~20m超と大きい。

琉球の葬送は、この亀甲墓の中に遺体をそのまま安置し、
数年後、白骨化した遺体を取り出し、その骨を洗って厨子甕に納めるという、
想像すると壮絶なものである。
亀甲墓内部の壁面は棚になっていて、一族の厨子甕が並んでいる。

琉球の葬送は風葬の一種で、壮絶ではあるが、なんと血縁の深いことであろうか。
4月の清明祭では、一族郎党が亀甲墓に集まって宴を開くのである。
三線でカチャーシーを踊るのである。
これが、お墓ではないだろうか。
「三代たてば無縁仏」のお墓は、もう、お墓であってお墓ではないのだ。

沖縄戦では、約10万人の沖縄の民間人が亡くなった。4人に1人の人が亡くなったのだ。
鉄の雨は、沖縄の街も山も形が分からなくなるぐらい破壊した。
そして、そこにあったであろうたくさんの亀甲墓も。

何十年もかけて那覇では今も再開発が進む。
かろうじて戦災を免れた、しかし縁者のいなくなった亀甲墓が、
あの亀甲墓が解体され、厨子甕が寄せ集められ、無縁仏になっていく。

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那覇の繁華街のマンションの足元で、縁者のいなくなった亀甲墓が朽ちていく。

岡山の山中にて

もう20年も前になるだろうか。
岡山市の北のはずれの山の中で自然公園の計画があり、数年かけて自然環境調査を行った。
広大な計画地は古くから続く旧家が持つ土地で、
毎年通ううちにこの旧家のあるじのOさんとすっかり仲良くなってしまった。

Oさんの母屋は江戸の頃からの古い建物で、玄関の上がりかまちには槍が掛けてあった。
初夏には近くの渓流に赤い毛氈を敷いて、
昼はサギソウやハッチョウトンボを眺め、夜は乱舞するゲンジボタルに見入った。
夢のようなところだった。

このOさんの母屋の前に大きなムクノキがあった。
見るからに古木だが、樹勢があり、枝ぶりもいい大きな木だった。
ある時、Oさんが僕に言った。
「このムクノキ大きいでしょう。何でこんなに大きくなったかわかりますか」
「そうですね。この木だけ一本、特別大きいですね。昔から大事にされてきたんですね。」
「この木はね、お墓なんですよ、先祖代々の。
ここらあたりはちょっと前までは土葬でね、俺の親父もこの木の下にいるですよ。
そりゃ大きくなるわね、人間の養分吸ってるんだもの」

ちまちまと区画を区切り、ハナミズキなどを植え、樹木葬と称する。
永代使用料?「永代」っていつまで?永遠?違うよね。
ハナミズキが枯れるまで?ご先祖様の仲間入りする弔い上げの三十三回忌まで?
そもそも、墓園の宗教法人が未来永劫続くわけないだろう。
経営が破綻したり、檀家がいなくなって廃寺になったらどうなるんだろう。

人間の命のかけらでシンボルとなったムクノキこそ、
死んだ人間とかかわり、それを思い起こさせる縁となる。
墓とはそういうものじゃないかと思う。

再び、談志の墓

立川談志は、生前、墓を望まなかった。
で、遺骨の一部は海に散骨された。
嘘かほんとか知らないが、散骨したとたん魚が集まり、撒かれた遺骨をすぐ食べてしまったそうだ。
サビキでもするか。しかし、撒き餌が人間じゃあねえ。

いいじゃないか、それで。
土に還るとは、またもとの無機物になり、また別の生きものの体になる。
それでいいじゃないか。

立川談志は、墓を望まなかった反面、生前に、しかも自分で「勝手に」戒名をつけた。
「立川雲黒斎家元勝手居士」というそうだ。
「勝手」というところが特にいいね。愉快である。談志らしい。
何でもかんでもかみついた談志らしい。
お墓なんか、ましては戒名なんか、バカヤローと思っていたに違いない。

しかし、それが原因で、お墓を受け入れてくれるお寺がなかなか見つからず、
1年近く納骨できなかったそうだ。
皆さん、安心してください。お墓は東京都文京区の浄心寺本郷さくら霊園にある。
しかし、彼の長女はその遺志を継いで、遺骨の一部を今も手元で保管しているそうだ。

その死が明らかになった時、各紙は「談志が死んだ」と報じたが、
これも生前、彼が自ら考えてそれを望んでいたという。
そう、上から読んでも、下から読んでも・・・
で、僕も考えてみた。
「いいお墓は多い(いいおはかはおいい)」・・・ちょっと苦しいか。

人は死ねばごみになる。
それでいいじゃないか。

| コラム | 15:55 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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