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心に残る言葉(2015.12)

なにも足さない、なにも引かない

サントリー山崎のコピーである。
ずいぶん前のコピーだが、このコピーはすごい。一目見て、参った。

普通、コピーというものは、短いほどいい。
長く、説明的なものは悪いコピーの見本である。
しかし、このコピーはどうだ。
「無添加」とか普通に言い切れば済むものを(これではコピーにならないが)、
逆にことさら長く、かつ説明している(ようにみえる)。
本来はダメなコピーの見本のようだが、このコピーの心に訴える力はどうだ。

いや、逆だ。
本来なら、「静かに樽の中で眠り、長い時を積み重ね、時だけが琥珀色の神の恵みをつくる・・・」
などといいたいところだが、このよう説明は一切しない。
説明しなくても、このコピーを聞いただけで、誰もが瞬時に言わんとすることをイメージする。
実に心にしみるコピーだ。

仕事柄、各種の行政計画や、様々なパンフレットなどで短いキャッチフレーズ
―すなわち、コピーを書くことが多い。
なので、こういう言葉に敏感になるのである。
なぜその言葉が心にしみるのかを自分なりに考える。
自分もそういうコピーが書けるようになりたいと願う。

本年最後のえこらむは、一年を締め、来年への希望を託し、
常日頃、小生の心に残っている言葉のいくつかをご紹介したい。

せきをしてもひとり

今年は、自分と社会との関係についていろいろ考えることが多かった。
妻の父が亡くなり、自分の母も日に日に老いていく。
一方、子供が大学生になり、妻と二人だけの生活が始まった。
親のこと、子供のこと、昔のこと、これからのこと。

会社と自分との関係。
仕事で得た様々な人とのつながり。
自分が社会で果たすべき役割。
会社の看板が外れたとき、自分が社会から求められていること。

 せきをしてもひとり

放浪の自由律俳人、尾崎放哉の句である。
ごく普通に、ふと出た軽い咳。
しかし、咳をしたら、その後のより深い沈黙にふと気がついた。
それは、いつも自分の周りにあるものだが、今更ながら、気づいたのだ。
その沈黙はまさに沈黙であって、静寂ではない。
孤独な、どうしようもない沈黙である。

シャンソンの名曲に「私の孤独」(My Solitude)という曲がある。
「ずっと一人でいる自分は、ある時気づいた。自分は一人じゃない。孤独と二人なんだ」と歌う。
「孤独」をみつけたのだ。

東京帝国大学を出てエリートコースを歩みながら、
最後は寺男として一人寂しく死んだ放哉の人生を思えば、
放哉がどんな場所で、何をしていた時この句を詠んだのか。
その時、彼はどんなことを思ったのか。
僕なりにそのシーンがイメージできる。

最も短い詩、俳句。
その中でも最も短い自由律俳句。
言葉が少ないだけに、その言外にある様々なことを考えるのである。
短い言葉に大きな余韻があるのである。
だから心に残るのだ。

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春陽堂書店から出ています。
「せきをしてもひとり」作句の半年後、放哉は41才の若さで他界する。


おめでとうございます

11月22日、サンフレッチェ広島は湘南ベルマーレに勝利してステージ優勝を飾った。
3年前の2012年11月24日、僕はまさにその場所にいたのだ。
夕暮れのエディオンスタジアム。
サンフレッチェ広島がJリーグ初優勝したのだ。
小躍りしてベンチから飛び出してくる選手たち。

でも寿人はピッチに突っ伏したまま起き上がらない。
僕は覚えているよ、寿人。
J2に落ちた時、チームを出ていくものも何人かいた時、
あんたは、自分たちのせいでこうなった、だから自分はこのチームに残って立て直し、
必ず1年でJ1に戻ってくると言った。

僕は、忘れない。
その時のこと、それからのことが寿人の胸の中を駆け巡っていたのだと思う。
そう思うとこみあげてきた。

ぽいち(森保監督)のインタビューが始まった。
マイクを向けられて、ぽいちはこともあろうに第一声でこう言ったのだ。

「おめでとうございます」

何と!それを聞いて、また、こみあげてきた。
「おめでとうございます」は、ごくありふれた日本語だ。
しかし、この時のそれは僕にとって強く心に残る言葉になった。
「ありがとうございます」と言えばいいのに、
ぽいちは「おめでとうございます」と言ったのだ。

11人でやるサッカーには、12番という背番号がある。
12番とは、すなわちサポーターだ。
すなわちサポーターは12番目のプレーヤーなのだ。
だから、ぽいちは自分たちのことはさておいて、
ピッチには立てない「主役」のプレーヤーをまず祝福したのだ。

「おめでとうございます」という言葉は、
「主役」はサポーターであることを如実に語ったものだ。
サポーターは自分たちの外側にいる「他人事(ひとごと)」ではなく、
自分たちと同じ側にいる「わがこと」なのだ。

環境問題に対する基本姿勢についても、「わがこと」が重要なキーワードになっている。
環境問題は地域を越え、人を越え広がっていく。
地球温暖化は、地球の中緯度で起こっていることが原因で、遠く離れた極地の氷が溶け、
もっと遠く離れた赤道直下のサンゴ礁が水没するのである。

私たちは被害者であるとともに、加害者でもあるのだ。
こういう事がらに対し、
みんなが「自分一人何かやっても何も変わらない」とか
「自分は関係ない」とか思っていたら、事態は決してよくならない。

このように思う根底には、「わがこと」なのに「ひとごと」と思う心がある。
環境の仕事に携わっていると、
みんなが「わがこと」の心を持ってもらえるよう手伝いができたらなあ、
とつくづく思うのである。
Think Globally, Act Locally.

苦難にある者たちの告白

最後に、この年の終わりに、
最近友人が教えてくれた、とても心に残る言葉をご紹介して終わりにしたい。
「苦難にある者たちの告白」とよばれる一篇の詩である。

大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

~ニューヨーク市立大学リハビリテーションルームに刻印された一患者の詩~

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