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飛騨慕情(2015.11)

飛騨の街

9月の連休「シルバーウィーク」に前から一度行ってみたかった飛騨に行った。
今回はいつもと趣向を変えて、飛騨紀行にお付き合いください。

飛騨高山。古くてしっとりしたまちである。
日本三大美祭のひとつ高山祭は春と秋に行われるが、
秋の高山祭は日にちが合わなくて見れなかった。
が、なんと、古い街並みを歩いていたら、
倉庫から山車を引き出して修理しているところに出くわした。

地元のおじいさんの話では、
最近は若者どころか壮年者も少なくなり、山車を引いている人は外部の人が多く、
この先、この祭りをやっていけるか心配だとのことだ。
あの賑わう高山祭でそうだとは。

似たような話は、博多の山笠でも聞いた。
山笠を舁くのは博多の人ではなく、福岡どころか佐賀の人が多いと聞いた。
日本から失われていくのは里山や水田だけではない。
祭りや季節の風習。
地域のコミュニティの崩壊が様々な形をとりながら各地で進んでいる。

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山車は高山伝統の木彫りのレリーフで装飾されている。
鳥が中空の籠の中に入っている一木造りなど、信じられないような技法である。


高山の近くに古川というまちがある。
高山は有名だが、古川はあまり知られていない。
この古川がこぢんまりとして、とてもいいまちなのである。

古い街並みには水路が流れ、鯉が泳いでいる。
堀割は津和野にもあるが、こちらの方が距離が長い。
何より、観光客が少ないのがいい。
高山の伝統的建造物群保存地区は「ひとごみ」といえるぐらいものすごい人だった。
古川はゆっくり、ゆったり。
自分もその観光客の一人なのに、勝手なものである。

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この古川で食べた蕎麦がうまかった。
本わさびが小さなおろし金付きで出てきた。
テーブルには塩が置いてあり、最初はこれを振りかけて食べ、蕎麦本来の味を味わうようにとのことである。
小生の蕎麦屋での作法は、まず、蕎麦の香りをかぐ。
次に、何もつけずに一口蕎麦を食うのを常としている。


びっくりぽん!飛騨の朝市

高山の朝市に行く。
指ほどの小さなナスや紫の模様が入ったインゲンなど、
見たこともない野菜を売っている。
マタタビとかサルナシとか、知ってはいるが売っているのは初めて見た。

キノコがまたすごい。
スーパーで買う小房にパッケージされたものとは全く違う。
子供の頭ぐらいの房が、どかーんと置いてある。
「太鼓のばち」とか「元太(もとぶと)」とか「むくだい」とか「こはぎ」とか、
見たことも聞いたこともないキノコだ。

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左は「こはぎ」、右は「太鼓のばち

そして・・・ありましたぁ。蜂の子!
ああ、山国に来たんだ。
木曾の友達がよく話していた。
それがどれだけおいしいかと。
長野では、それがどれだけ高級品かと。
飴色の佃煮状態のものの瓶詰である。

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ちっちゃな瓶にぎっしり詰まっている。一瓶1,600円也!

飛騨の郷土料理を食べながら考えた

やはり、食べ物の話をしておかなくてはならないだろう。
高山の名物と言えば、飛騨牛、朴葉味噌、五平餅、高山ラーメンなどなどである。
で、飛騨の郷土料理の店に行った。
朴葉味噌はよく知っているし食べたこともあるが、
メニューを見ると期待に違わず見たこともないものが並んでいるので迷わず注文した。

まず、「こもとうふ」である。
「こもとうふ」は、「薦豆腐」である。
無数の穴が開き薄味をつけた蒲鉾状の豆腐をスライスしたものである。
これは、出来立ての豆腐をスノコで巻いて「す」が立つまで茹でたものである。
たくさんの穴が開いているので、独特の食感である。
そのまま食べた方が美味しいのに、何でわざわざ豆腐をこんなふうに作るんだろう。
それほど保存食にこだわったのだ。

「あずきな」という、青菜の和え物がある。
茹でる時に小豆に似た香りがするので「アズキナ」というのだそうだ。
調べてみると、アズキナは和名をナンテンハギというマメ科の植物で、
日本中どこでも採れるが、食用にしているのは飛騨地方だけのようである。

「にたくもじ」という煮物がある。
これは「煮た『くもじ』」である。
「くもじ」とは、漬物のことである。
これぞ飛騨の漬物というのは、紅カブである。
すなわち「にたくもじ」とは、紅カブの漬物の古漬けとなったものを煮たものだ。
漬物の煮物とはまた奇異なものだが、ひねものも捨てずに食べる山里の知恵だ。

「ころいも」は、ビー玉ぐらいの小さなジャガイモを皮つきのまま茹で、
醤油で味をつけたものである。
よそなら捨ててしまうような小さなジャガイモも、捨てずに食べる工夫をしたのだ。

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右は飛騨牛のせ朴葉味噌、左はイワナの佃煮。
イワナの上にあるのは飛騨郷土料理盛合せで、皿の中央の白いものは「こもとうふ」、時計回りにわさび菜、ころいも、あずきな、煮たくもじ、ぜんまい、山菜。


飛騨の土着の食べ物は、素朴で変わったものが多い。
しかし、食材や調理法の種類は少なく、どれもしょっぱい。
申し訳ないがそんなに「美味しい」という範疇ではない。
春は桜鯛にメバル、夏はスズキにコイワシ、秋は太刀魚にヒラメ、
冬は牡蠣にナマコという瀬戸内海とは違うのだ。

しかしだ、厳しい冬の山国の食の工夫はどうだ。
大事な蛋白源だが日持ちのしない豆腐も保存できるようにする。
食べられる山菜やキノコは色々探す。
ひねものの漬物も捨てずに煮物に使う。
捨てるような小さなイモもおいしく食べる工夫をする。
なんと素晴らしいではないか。

温暖な気候がもたらす恵みを当たり前のこととし、
「もったいない」の心を忘れてしまった僕たちの方が、
その舌に反し、心はずっと貧しいのかもしれない。

食べ物の話といえば、飛騨で面白い話を聞いた。
北陸甲信越で正月になくてはならない食材といえばブリである。
飛騨には能登で採れたブリが山を越えて入ってくる。
そのブリは、さらに高山から信州の松本まで、
かの女工哀史の野麦峠を越えて運ばれていった。
能登では1尾の値段が米1斗のブリが、松本では米1俵になったそうだ。
このブリのことを信州では「飛騨ブリ」といい、
信州の人は本気でブリは飛騨で採れるものと思っていたそうである。

美しい白川郷の悲しい話

この旅のもうひとつのハイライトが白川郷だった。
白川郷は実際に行ってみると、写真などで見るとおりの夢のような場所だった。
季節もよかった。
合掌造りの民家づたいに、金色の田にコスモスが揺れる小道を歩くと、
昔からの日本がしみてくる。
やさしい、少し感傷的な気持ちが、幸せで、少し痛い。

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なんと、茅葺の屋根にはススキが。

「野外博物館 合掌造り民家園」に行った。
この民家園は、岐阜と富山の県境(もうそれだけで、どれほどの奥地かわかる)にあった
加須良と桂の集落の建物を移築したものだそうだ。
加須良と桂の集落はどうなったか。
昭和42年と45年の集団離村により消滅したのだ。

昭和40年代といえば、昭和39年の東京オリンピックと昭和45年の大阪万博の頃である。
日本全体が高度成長に突き進んで沸き立つ中、
飛騨の山奥では人知れずいくつもの村が消えたのである。

かつて白川郷では、狭小な耕作地が相続によって細分化されることを防ぐために、
結婚できるのは長男だけだったそうだ。
その結果、一つの住居に家長とその親族や使用人たち数十人が暮らすこととなって
合掌造りの民家が生まれ、相互扶助により耕作や養蚕を行ったのだ。
相互扶助の最たるものが、合掌造り民家の茅葺屋根の葺き替えである。
一族が、集落全体が、助け合い、支え合って長い間歴史を積み重ねてきたのだ。

白川郷は今、ユネスコの世界遺産に登録され、年間150万の人が訪れる。
観光客は、合掌造りの3階に登り、写真を撮り、五平餅を食べ、満足して帰っていく。

僕は、この地に生まれた次男以下の男の子や野麦峠を越えて行った女の子のことを思った。
合掌造りの中二階の狭くて暗い屋根裏部屋で、
結婚することもなく、子どもも持つことなく一生を終えた使用人のことを思った。
消えていった加須良や桂の集落の人たちのことを思った。

美しい風景の中で、
少し痛みのある感傷的な気持ちを一人で咀嚼して、
心の中にそっと置いた。

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白川郷は野外博物館ではない。そこには住む人があり、生活がある。

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