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なんじゃこりゃ!(2014.12)

Strange Fruit-奇妙な果実

女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人、「レディ・デイ」ことビリー・ホリデイは、
貧困の中で生まれ、麻薬とアルコールに蝕まれ、壮絶な人生を送ったが、
唯一無二のその歌声と、極めつきの名曲「奇妙な果実」(Strange Fruit)で知られる。

「奇妙な果実」とは何か。
この「果実」は、果物ではない。
なんと、人間である。
なぜ人間が果実か。
「奇妙な果実」とは、リンチを受け、縛り首にされて木に吊るされた黒人の死体なのである。

Southern trees bear strange fruit(南部の木には奇妙な果実がなる)
で始まるその歌詞は、悲惨かつ衝撃的である。
黒人の虐殺が日常茶飯事であったその当時、
ビリー・ホリデイは、ステージは必ずこの曲で締めた。
ビリー・ホリデイがこの曲を歌い始めるとウェイターは手を止め、
歌い終わると水を打った静寂の後、満場の拍手になったという。

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「奇妙な果実」ビリー・ホリデイ。
暗闇の中の一筋のスポットライト。その中で祈るように歌うビリー・ホリデイ。


「奇妙な果実」ほどではないが(本来は「ほど」などという言葉は失礼で使えないが)、
小生もこれまでいくつか街で奇妙なものを目にし、「はっ」と瞬間的に感動し、
(持っているときは)デジカメでそれを撮ってきた。
それは、意図せず遭遇し、たまたま見かけたものたちである。
だから、「なんじゃこりゃ!」と思わず声が出る。
今回はちょっと趣向を変えて、「奇妙な果実」のように悲惨ではなく、
前号の那覇の自動販売機のように、街でみかけたほほえましい奇妙なものをご紹介してみたい。

まんず ふくすまは いいとこだっぺ

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絶滅危惧種「川ガキ」。絶滅の要因は・・・
それなりの水族館に、きちんとした展示解説がしてあったので、とてもうれしくなった。


まず、これである。
これは正真正銘の水族館での展示解説である。
福島県いわき市にある「『環境水族館』アクアマリンふくしま」での貴重種のコーナーの展示解説である。

「川ガキ」とは、川で遊ぶ子どものことである。
本種が絶滅危惧種と言われて久しい。
小生の記憶によれば、20年前ぐらいから本種の種名を聞くようになったと思う。
本種の絶滅の主たる要因は、環境汚染による生息地の減少ではない。
本種の絶滅の主たる要因は、あるべき姿を見失った大人たちの言動である。
「川では遊ばないようにしましょう」
事故があれば、親はすぐ学校の責任を問う。
学校はそれを恐れて事故の未然防止に努める。
「事故の未然防止」と言えば聞こえはいいが、その前に「過度な」という言葉がつくんじゃないか。

小生の親友で、30年以上も前、まだ知られていなかった沖縄の慶良間にハマり、
夏休みに行って1ヶ月間ただ泳ぐだけを毎年繰り返すやつがいた。
彼は海とは全く関係のない木曽の出身である。
なぜ、木曽の人間が海のとりこになるか。
彼は、川で鍛えているのである。

木曽の山奥の夏の子供の遊び場といえば、それはもう川しかない。
あの岩から川へジャンプできるか、
川の魚を素手でどれだけ捕まえることができるかが木曽の子供のステイタスなのである。
岩の隙間に逃げ込んだ魚を、頭から急流をかぶりながら手を突っ込んで捕る。
川は海と違って、体は浮かない、流れは強い、水は冷たい。
子供の時から川で鍛えていれば、海なんぞ楽勝なのだ。
という光景が、全国各地で当たり前のように見られたはずなのに・・・

大人が絶滅に追いやった「川ガキ」。
生物多様性を阻害するものは、私たちの社会のあり方にあるじゃないかと、強く思う。

この「『環境水族館』アクアマリンふくしま」のある、いわき市の田舎道を歩いていてぶっとんだ。
道路沿いに幟が立っている。「シートベルトうんぬん」と書いてある。
こんな幟を見て襟を正すドライバーなんかいるか。
小さな親切、大きなお世話だ。
だから警察とか、交通安全協会とか好きじゃないんだ、俺は。
と心で思いながらよく見ると・・・

ごらんのとおりなのである。
いやいや、俺が悪かった。
いいじゃん、この幟。誰が考えたんだろう。一気に心が和んだよ。
俺、シートベルトするよ。安全運転ももちろんするよ。

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広島弁だと「しんさい やりんさい シートベルト」だけど、こりゃやっぱ東北弁じゃねえとだめだっぺ。

空を泳げと天もまた胸を開く♪

北の方から一気に南に目を転じてみると、これである。
これは何でしょう?
鯉のぼり?写真をよく見てください。
形は確かに鯉のぼりだけど、絵柄が違うと思いませんか。

ここは沖縄は本部町(もとぶ)、そう、美ら海水族館がある町です。
沖縄で、本部といえばカツオ、カツオといえば本部なのだ。
そう、これは「鰹のぼり」なのだ。
本部では、端午の節句には「鰹のぼり」をあげ、「もとぶカツオのぼりまつり」が行なわれるのだ。
しかし、「鰹のぼり」なんてと思って調べてみると、
なんと、静岡の御前崎や鹿児島の枕崎などのカツオの水揚げが盛んなところでは、
「鰹のぼり」があたりまえのようにあるのである。

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風がなかったので泳いでないけど、正真正銘のカツオです。

余談だけど、沖縄というところは、何かあるとすぐ幟や横断幕を作る。
一般的なイベントだけでなく、
例えば同窓会だとか、還暦のお祝いだとか、何かの仕事の打ち上げだとか。
プライベートなプチ行事で、そのためだけの幟や横断幕を作り、
道路端に広げ、それを囲んで記念撮影をするのである。

小生も、沖縄で役所の仕事をしたとき、
終わったら幟を作りますか?と言われたことがある。
こういうところに「いちゃれば ちょーでー」(行き会えば 兄弟)という
沖縄の絆を大切にする人間関係の濃さを感じるのだった。

水月のたとえ

東京出張の折、何気なく振り返った風景に思わずはっとした。
東京タワーがビルの中にあるのである。
ハーフミラーのビルに東京タワーが映っていることにはすぐわかったのだが、
これは虚を突かれた。
で、こんな風景めったに出会わないと思わず写真に撮ったのである。

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えっ、こんなところに東京タワーが。
♪私には、鏡に映ったあなたの姿が見つけられずに、
目の前にあった幸せにすがりついてしまった。(22才の別れ)


ここで思い出されるのは「水月(すいげつ)のたとえ」である。
「水月」とは、「水に映った月」のことである。
仏教では様々な「水月のたとえ」がある。
様々な「水月のたとえ」を紹介して、今号は締めくくろうと思う。

●天にある月は実体があるが、水に映った月は実体がない。
人は、水に映った実体のない月を見ていることを忘れて惑わされてしまう。

●月は写されようとして輝いているわけではなく、
水は映そうとして水を湛えているのではない。
ただ各々の場所で、各々の本分を全うしているだけである。

●ただ一つの月が、地上にある無数の水面に同時に現れる。
その水がどんな場所のどんな水であろうとも、水の上で輝く月はすべて平等である。

●水は鏡のように静かで穏やかでなければ、月を映すことはできない。


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