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見えないものを見て伝える(2014.10)

何だ、この音は

昨年の今頃、沖縄に行った。
実は沖縄は10月がベストシーズンなのだ。
自由な時間がとれたので、前から一度行ってみたかった今帰仁(なきじん)城跡に行った。
(しかし、どうして「今帰仁」が「なきじん」と読めるんだろう?)

世界遺産のグスク(城跡)の石垣は、
沖縄の青い空、碧い海に映え、期待したとおり美しく、
その昔、ここにあった王国の人たちを偲びながら歩く。
しかし・・・
林全体からずっと音がしているのが気になる。

その音は、キィーンという金属音で、
部分的にハウリングをおこしながら、林全体を包んでいてとどまることを知らない。

並木のように木が植えられている遊歩道に出た。
城郭の入口は近い。
今度は遊歩道の木から、
カーン・カーンと板金を打ち付けるような鋭い金属音が聞こえる。
並木のそこらじゅうからカーン・カーンと聞こえる。
いったい、何だろう。

聞こえる位置的にはセミなのだが、とても虫の鳴き声とは思えない。
カーン・カーンの音がすぐそこで大きく聞こえる木があったので、
音のする方向に目を凝らし、その音源を捜した・・・
なんと、セミだ!
ミンミンゼミを小さくし、ツクツクボウシに緑を入れたようなセミだ。

こちらの気配に気づき、カーン・カーンが乱れてフェードアウトし、
やがて鳴き止んだ。
まるでシンセサイザーだ。
何てことだ。こんな声で鳴くセミがいるとは。
これは「鳴き声」ではなく、まさしく「音」だ。

それがわかると、林全体のキィーンという音も理解できた。
このカーン・カーンが集まったものを距離を置いて聞くとキィーンとなるのだ。
しかしまあ、何だこのセミは。
こんな金属音、とても生き物の出す音じゃない。
どうやったらこんな音が出せるんだ。

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今帰仁城跡の城郭入口。
昔の光、今いずこ。
このあたりでカーン・カーンの正体を見破ったのだ。


城郭の入口近くに解説版があり、
このセミは「オオシマゼミ」というセミであることがわかった。
オオシマゼミは那覇にはいないと書いてある。
なるほど、今まで何回か沖縄に来ているが、
ほとんど那覇周辺にいたので遭遇しなかったのだ。
那覇に戻り、那覇の人に聞いたが、そんな声で鳴くセミは知らないと言った。

しかし、あまりに奇想天外な鳴き声に比べ、
オオシマゼミとはまた平凡な名前である。
こんな特殊なセミはリュウキュウ何とかという名前がつきそうなのに。
サクラにもオオシマザクラがあるが、と思って後から調べてみると、
オオシマゼミの「オオシマ」は、
奄美大島の「オオシマ」からきていることがわかって納得した。

読者の皆さんも、もし沖縄に秋に行くことがあったら、本島北部、
名護より北のいわゆる「やんばる」といわれる地域に行かれることをおすすめする。
このカーン・カーンを是非聞いて欲しい。
沖縄そばは広島でさえ食べられるが、このカーン・カーンは那覇でさえ聞けない。
この時期、この場所でないと聞けないのだ。

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今帰仁城跡では、たまたま結婚式に遭遇した。
沖縄の民族衣装の花嫁、花婿だ。
沖縄の結婚式では松風(まちかじ)などという見たこともないような祝い事のお菓子を山のように盛り立てる。


欧米のセミは何て鳴く

沖縄で車を走らせていると、よく米軍兵がジョギングしているのを見かける。
で、思ったのだ。
本土ならセミの鳴き声といえば、ミーン・ミーンとか、ツクツクボウシ・ツクツクボウシとか、
最近はシュワ・シュワ・シュワ、渋いところではカナ・カナ・カナである。
加えて沖縄では、カーン・カーンである。

これらは英語で何て言うんだろう。
アメリカ人はセミの鳴き声を何て表現して会話しているのだろう。
で、いろいろ調べてみたのだが、
どうやら英語ではセミの鳴き声の擬音語がないようなのである。
何でだ?
日本語にはこんなにたくさんセミの鳴き声がある。
そりゃ、あたりまえだ。そうじゃないと、セミの種類がわからないじゃないか。
彼らは虫の鳴き声に興味がないのだろうか。
などと思っているうちに、重要なことに気がついた。

セミの鳴き声といえば、松尾芭蕉が立石寺で詠んだ次の句である。

 閑さや岩にしみ入蝉の声

この句のセミについては、種類はなにか、一匹か多数かなど、昔から多くの議論があった。
種類はニイニイゼミだという説が主流のようだが諸説ある。
俳句はイマジネーションなので、これは結構重要なポイントなのである。
それで、この句は英語ではどのように表現されるのだろうと思ったのだ。

で、あれこれ調べていると、あった、あった。ドナルド・キーンの訳である。

"How still it is here--
Stinging into the stones,
The locusts' trill."


単語の意味は次のとおりで、
〔sting:突き刺さる locust:セミ trill:震えるような声〕
直訳すれば、

何という静かさだ
岩に突き刺さる
セミの震えるような声


やはり、セミはセミ(locust)でしかないのだ。
ミンミンゼミもアブラゼミもないのだ。
欧米人にとって、セミの声などうるさいだけで、その違いなどどうでもいいのだろうか。
そうだとしたら、とても残念なことだ。
うるさいセミであっても、季節を感じさせてくれる大切な風物である。
同じセミ、同じ夏であっても、それは違うのである。

まだ「ジッ」としか鳴けないアブラゼミの初鳴にいよいよ夏の到来を感じ、
それが押さえつけられるような暑苦しい鳴き方に変わって盛夏を感じ、
夕方、山びこのように聞こえるヒグラシの声に夏の終わりの寂しさを感じる。
いつの間にかアブラゼミにとってかわったクマゼミの鳴き声に環境の変化を感じる。

私たち日本人は、自然の様々なものを細やかに見つめ、
それから受け取るいろいろな思いを言葉に託してきた。
自然や生き物から多くの人が多くの言葉を紡いだ。

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そういえば最近、アブラゼミを見ないと思いませんか?
アブラゼミにとってかわり、めっきり増えたクマゼミ。
シャワ・シャワと大きな声で鳴く。
(写真:淀屋橋心理療法センター)


彗星がやってくる音

セミが「ミーン・ミーン」、犬が「ワン・ワン」などの言葉を擬音語という。
星が「キラ・キラ」などの擬態語とあわせて、これらを擬声語(オノマトペ)という。

オノマトペといえば、宮沢賢治である。
賢治の世界では、風は「どっどどどどうど どどうど どどう」(風の又三郎)と吹き、
彗星は「ギーギーフーギーギーフー」(銀河鉄道の夜)とやって来るのだ。
この「どっどど・・・」は風の又三郎の書き出しのフレーズで、特に有名なものである。

「風」は賢治においては重要なテーマで、
たとえば「注文の多い料理店」では「風が『どう』と吹いてきて、
草は『ざわざわ』、木の葉は『かさかさ』、木は『ごとんごとん』と鳴りました」とある。
オノマトペのオンパレードだ。

僕が特に好きなのは「やまなし」で、
川の底で二匹の小ガニが「クラムボンは『かぷかぷ』わらつたよ」と話しをする場面である。
ちなみに、この「クラムボン」とは何か、いまだに研究者の間でも諸説あるのだが、
ここは「『かぷかぷ』わらつた」という表現を透明な心でそのまま受け取るしかない。
賢治がそう感じたのだから、そうなのだ。
しかし、賢治には彗星がやってくる音まで聞こえたとは・・・

春の野草の苦味にこれからふくらむ凝縮された命の息吹を感じ、
澄んだヒグラシの声に行く夏のやるせない寂しさを感じ、
つかの間の小春日和の優しさにこれから向かう冬の厳しさを感じ、
雪の中に膨らむ芽に春が近いことを感じる。

ありのままのものを見てはっとする心があれば、詩人の目を持つことができる。
詩人の目で自然を切り取る力があれば、見えないものが見える。
見えないものを詩人の心で表現する技があれば、それを人に伝えることができる。

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