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僕の嫌いなもの(2014.8)

My Favorite Things

ジョン・コルトレーンのソプラノサックスの名曲に、映画サウンド・オブ・ミュージックで使われた
「My Favorite Things」(私のお気に入り)というのがある。
コルトレーンの中でも、フリー・ジャズへ向かいながらも小粋でうたごころのある
小生の好きな曲のひとつなのだけど、
小生としては、ここで一旦ひねくれて、
「僕の嫌いなもの」について話してみようと思うのだ。
今回はちょっと文体も変えて、さしさわりのない食べ物の話からいきましょうか。

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コルトレーンの「My Favorite Things」。僕はこのアルバムでソプラノサックスの素晴らしさを知った。

ラーメンとうどん

なんといってもがっかりするのは、
ぬるいラーメンである。
ラーメン専門店と銘打って、出てきたラーメンがぬるいんじゃあ、全然ダメじゃん。
チューニングの合っていないバンドと同じで、丼を温めておくなんぞ、基本の「き」でしょうが。
「専門店」などという言葉を使わないでほしいな。

ラーメンついでに言うと、チャンポンを頼んでラーメンの麺で出てきた時。
あのね、チャンポンというのは、チャンポンの麺を使うんだよ。あたりまえだけど。
ラーメンの麺で作ったのは「チャンポン」と言わないんだよ。
ついでに言うと、チャンポンにミックスベジタブルを使うのはやめてね。
一気に品が下がって別のものになっちゃうよ。

麺で許しがたいのは、讃岐うどんのニセモノである。
セルフのカウンターに「ネギはお一人様スプーン一杯までとしてください」と書いてある。
とんでもないことである。

讃岐うどんというものは、セルフというものは、
本来は、まな板と包丁とネギが置いてあって、「お好きなだけ刻んでください」
おろし金と大根が置いてあって、「お好きなだけおろしてください」
というものなのである。
事実、畑の中の一軒屋みたいなうどん屋に入ると、そういうことになっている。

スプーン一杯のネギなどと、セルフの看板を下げろといいたい。
こういう店が高松市内の繁華街に「讃岐うどんセルフ」などと平気で看板を出しているのである。

なお言うと、讃岐うどんというものは、本来、麺は玉の数で注文するものであり、
そして1玉は百円以下であるものだ。
而して、いわゆる「中」を2玉としても、「かけ」なら百円代の食べ物であり、
休日のブランチを家族で食べに行って、一家4人で千円でお釣りがくるという
地域の人たちの生活に根ざした食べ物なのである。

それを、ワンコイン以上のメニューを並べたてるのは、もはや讃岐うどんの心を失っている。
もはや讃岐うどんではない、と言いたいのである。
いわんやスプーン1杯のネギをケチるにおいておや、である。

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まんのう町の讃岐うどんの名店「小縣家」。
大根おろしは自分で好きなだけおろして食べる。
これぞ、讃岐うどんの「王道」、ではなく、讃岐うどんの「あたりまえ」
(小縣家HPより)


「コジャレた」店と「コギレイ」な女の子

「コジャレた」店が嫌いである。
「コジャレた」の「コ」の意味は、「ニセモノ」という意味である。
すなわち、「コジャレた」とは、「偽洒落」、
すなわち「洒落たふりをした洒落てない」ということである。

最近は「コジャレた」店が多い。
創作料理とか、無国籍料理とか、ダイニングバーとかいう店に行くと、
よく「シェフの気まぐれ○○」とかいうメニューがあるでしょう。あれですよ、あれ。

「○○と○○のカットレット○○風○○添え」などとかいうメニューを頼む。
大きな皿に小さなコロッケ状のものが2つ。
トマトソースがかけてあるみたいだ。
しかしね、これで880円かよ、おいおい。
万事が万事、こんな調子である。

僕は、「コジャレた」店より「コギタナイ」店がずっと好きである。
おばぁが1人でやっている沖縄の食堂なんか最高だ。
てびち(丸のままの豚足)が1個そのままの形でドカーンと出てくる那覇のおでん屋はよかったなあ。
これは、本物だ。

もちろん、本物の料理をきちんと出す店がよいことは論を待たない。
日本ではお金さえ出せば、食べれないものはないのだ。
たくさんお金を出せば、美味しいものが食べられるのはあたりまえなのである。

小生が嫌なのは、それなりのお金を出しているのに、それなりのものが食べれないことなのだ。
コストパフォーマンスが悪いことなのだ。
コストパフォーマンスの悪さを「コジャレた」ことで目くらまししていることが嫌いなのだ。
これは、本物じゃない。

「コジャレた」店には「コギレイ」な女の子が多い。
「コギレイ」な女の子達は、「コジャレた」店で、
この前行ったあの店がどうだとか、あの料理がどうだとか話をしている。
たいへんいいことである。
食べ物の話は大いにすべし。

なんだけどね、ちょっとそのネイルじゃあ、推して知るべしだなあ。
そのネイルじゃあ、せいぜい米を研ぐぐらいかな。
今話題にしているハンバーグ、こねたことがある?両手でキャッチボールして空気を抜くんだよ。
魚はおろしたことがある?アジにはゼイゴがあるよ。
ヌカミソなんぞは触ったこともないだろうね。
ナマコなんぞは切ったこともないだろうね。

魚を「せせる」こと

魚はきれいに食べてほしい。
広島弁で言うと、ちゃんと「せせって」ほしい。
ちゃんと「せせれ」ないのなら、あんた、魚を頼んじゃいけんよ。
魚は、骨だけを残すものなのだ。

要注意なのは頭とエンガワだ。
頭にはかなりの肉がついている。頭の後ろ、頬、胸ビレの付け根、そして、目。
エンガワにも肉があるが、これは魚によって「せせり」方が違う。
例えば、太刀魚なんぞは、背ビレの骨は1本1本大きくしっかりしている。
これをきちんとばらさなければならない。

魚を「せせる」のが下手な人をみていると、とにかく箸で骨を取り除こうとする。
だからダメなのだ。
魚はしゃぶるものなのだ。
しゃぶって、口の中で身や皮と骨をより分け、手を唇まで持っていって骨を口から取り出すのだ。
特に、あら煮は、しゃぶれない人は絶対に頼んではいけない。
そうそう、大事なのは皮だ。魚は皮が美味いのだ。
皮を食べるためには、しゃぶらねばならぬ。

食べ物は、動物であれ植物であれ、骨や皮や種と身との境が美味いのだ。
魚なら中落、動物ならスペアリブ、
ブドウなら皮の内側のずるっとしたところ、メロンなら種に近い中心部が美味いのだ。

というわけで、魚は食べれるところは全部食べる。
カレイの唐揚げなら、背骨は無理だが、尻尾や頭は食べれるのだ。
そうそう、秋刀魚のはらわたを食べるのは常識である。あたりまえのことである。
はらわたと一緒に身を食べるのが秋刀魚の醍醐味だ。
ただ、冷凍物に限ってはこの限りではない。
解凍した解凍物のはらわたは、食べるべきものではない。

鮎の塩焼きは、「せせる」ものではない。
頭からかぶりつくものだ。
香魚と呼ばれる鮎こそはらわたを食べなくてはならない。
鮎には残すところはないのだ。
ただ、姿塩がまぶしてある尾ひれは例外である。
「背ごし」という料理をご存知か。鮎を薄い筒切りにして生で食べる料理である。
鮎の背骨は柔らかく食べることに何の問題もない。
秋刀魚や鮎のはらわたを食べない人は、人生のかなりの部分を損している、と強く思うのである。

料理屋点景

焼肉屋に行って、肉がきたらすぐたくさん網にのせるのはやめてほしい。
あのね、カルビはね、まだかすかにピンクが残っているぐらいが美味いんだよ。
ほうら、みんな取りきれなくて、焦げ始めているじゃないか。
なんで一度にアホみたいにのせるんだよ。

鍋料理で、最初から何でもかんでも鍋に放り込むのはやめてほしい。
なんで最初からうどんを入れるんだよ。
ほうら、肉も煮えてないのに、春菊なんかもうくたくたになってるじゃないか。
肉をごっそり箸でつまんで入れるから、鍋の中で固まりになってるじゃないか。
ほぐしてみろよ、中の方は全然火が通ってないだろう。
肉っていうのは、一枚ずつ広げて入れるんだよ。
なんでこうデリカシーがないんだ。
鍋奉行で結構。だって美味しく食べたいじゃないか。みんなもそうだろ?
料理はどんな簡単なものでも段取りと思いやりなんだ。

本ワサビを醤油に溶くのはやめてほしい。
せっかくの本ワサビが台無しじゃないか。
ワサビを醤油に溶くのは、本ワサビのニセモノの練りワサビであるからであって、
本ワサビは断じて醤油に溶くものではないのだよ。
本ワサビは刺身本体に乗っけて食べるものなのだ。

京都のとある料亭で、
刺身に本ワサビを乗せて食べていた人に、ある人が「通な食べ方ですなあ」と言ったら、
女将がすかさず「『通』ではなく、『普通』の食べ方です」と言ったそうである。
決して通ぶって言っているのではない。

刺身を頼むと、丸のままの本ワサビと小さなおろし金が出てくる場合がある。
この場合、本ワサビは葉っぱのついている頭の方からすりおろすのである。
ワサビは葉のついている上へ向かって育つので、お尻より頭の方が新鮮だからだ。

紹興酒にザラメやレモンを入れるのは、やめてほしい。
なんでこんなばかげた風習が日本でできたのだろう。
酒に必要な甘味や酸味を加えるという趣旨だろうけど、
酒の美味さというのは、どんな酒であれ、甘味と酸味とコクとキレと香りの調和なんだ。
そのバランスの違いが産地や銘柄のバリエーションを生むんだ。
それなのに、酒のその大事な要素に砂糖を直接放り込むなんぞ、
僕には狂気の沙汰としか思えない。
カクテルは別にして、どこの酒に砂糖を溶かして飲むような酒があるか。
何より、酒を造った人に失礼ではないか。
紹興酒は醸造酒だから、何も手を加えなくても甘く、程よい酸味があるんだよ。

「蓼食う虫もすきずき」か

食べるということは、蓼食う虫も腹のすきすぎじゃないけど、
まさに人それそれで、基本的にその人が好きにすればいいのであり、
他人からとやかく言われる筋合いのものではないのである。

しかし、小生は食べることがたいへん好きなのである。
食べるということにかなり執着しているのである。
だから、自然と「かくあるべき」ということが生まれてくる。

この「かくあるべき」というのは、小生の嗜好や独断ではないのだ。
当然の真理なのだ。
だから、当然の真理を逸脱していることについては、嫌なのだ。嫌いなのだ。
かくのごとく、食べるという行為にあたっての小生の悩みは尽きないのである。
そして、それ以上に、また喜びも尽きないのである。

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