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世の中を良くしたい(2014.6)

CSRとCSV

最近、CSRだCSVだとかまびすしい。
これらは企業活動のあり方を表す概念で、
環境の分野からは近年特に重要視されている言葉なのだが、
知っている人はあたりまえのように知っているし、
知らない人はあたりまえのように知らない。

CSR(Corporate Social Responsibility)は、一般的に「企業の社会的責任」とよばれ、
「企業がその事業活動により社会に及ぼす影響について責任を果たすこと」である。
CSV(Creating Shared Value)は、一般的に「共有価値の創造」とよばれ、
「企業がその事業活動を通じて社会問題を積極的に解決していくこと」である。
ここでは、カンマで区切って並べたファイル形式のことでは断じてない。

CSR(企業の社会的責任)がさけばれるようになった背景には、
近年、目先の利益を求める経営方針により不祥事や環境破壊などが相次いだことに対する反省があった。
従って、CSRの具体的内容としては、コンプライアンス(法令遵守)や内部統制などがまずあり、
次に、持続可能な社会を実現するために環境問題に取り組むことがあげられる。
近年では、企業の環境報告書を「CSR報告書」とよぶことも多い。

先年、自治体から「CSRの説明会」なるものの案内があり、興味を持って出かけていった。
果たしてその内容は、地域からの依頼の紹介であり、
地域からの依頼とは、清掃活動や森林作業などであった。

これの活動は「フィランソロピー」(社会貢献活動)とよばれるものであり、
早い話が奉仕活動である。
なぜ奉仕活動が「企業の社会的責任」になるのか。
「企業の社会的責任」はそんなところにあるんじゃない。
もっと大きなところにあるものだ。
CSRはごみ拾いや森の手入れでは断じてない。それは違うんだ。
という話を各方面でするのだけど、やっぱり役所も企業もごみ拾いや森の手入れになってしまう。
ごみ拾いや森の手入れは、わかりやすく手っ取り早いんだろうなあ。

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CSR活動といえば、どうしてもごみ拾いになっちゃうんだよなあ。

CSV(共有価値の創造)は、
ハーバード大学教授のマイケル・E・ポーターが中心となって言い始めた概念で、
ここ数年で使われ始めた言葉である。

CSVは、本来の事業とは関係のない社会貢献活動を行なうのではなく、
本業と関連する分野で企業の価値と社会の価値の両方(共有価値)を生み出す活動である。
すなわち、企業が競争力のある(その企業しかできない)業務に取り組んで利益を上げ、
そのことがあわせて社会問題を解決することにつながっていくことである。

企業が社会的な責任を果たすことを趣旨とするCSRに対し、
CSVは社会的課題の解決と企業の成長を両立させるものであり、
より積極的、能動的なものだと思う。

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ビジネスとしては、コンプライアンス(法令遵守)やサステイナビリティ(持続可能性)の追求のさらに上を目指す考え方です。中長期的な視野を持って、社会的状況や経済状況を鑑みて、社会的意義のある事業活動を行っていく事で、より企業経営を堅実に行っていくことを目指しています。(CSVジャパン公式ウエブサイトより)

CSVと環境学習

ここですぐ思い浮かぶのが、このコラムで何度も紹介した環境学習である。
今はまだフィランソロピー(社会貢献活動)の域を出ていないが、
社会的課題の解決、社会的な価値という側面から考えると、
ごみ拾いや森の手入れとは全く次元の違うものであるといえる。

ごみ拾いや森の手入れは誰でもできるが(と言っては失礼だが)、
環境学習はそうはいかない。
環境学習はある意味、教育のプロである教師にもできない。
なぜなら、環境に関する専門知識や専門的な道具が必要だからである。

出前授業をやると、子どもは楽しみ、先生は喜び、「楽しかった」「ありがとう」と言ってくれる。
間違いなく環境問題の普及啓発という社会の価値を高め、社会的課題を解決するとともに、
それを実施できる会社は社会の中でその企業価値を高めているのである。
環境学習は徐々にビジネスとして育ちつつある。
ビジネスとしてひとつの分野となった時、それは「共有価値」を生み出すのである。

僕は、世の中の困り事に僕たちの技術で丁寧に応えていくことが、
会社のそして社会の持続可能な成長につながっていくと思っている。
「何をしたら儲かるか」ではなく、
「何をしたら世の中のためになるか」「何をしたら喜んでもらえるか」
をよりどころにしたいと僕は常々思っているのだが、
企業人としては甘いのだろうか。

日本人は250年前にやっていたのだ!

と、ここまで書いて、
これに関連して常々思っていることを書かなければならないと思うので、書く。
それは「世間よし」ということである。
この言葉もCSRやCSVと同様、知っている人はあたりまえのように知っているが、
知らない人はあたりまえのように知らない。

近江商人の経営哲学に「三方よし」というものがある。
これは「売り手よし・買い手よし・世間よし」といい、
商売というものは、売り手と買い手と世間の3つが「よし」とするものでなければならない、
というものである。

売り手と買い手は素直にわかるが、問題は「世間」である。
当事者の売り手と買い手が満足するだけでは、それは商売ではないというのである。
その商売が社会の発展に寄与しなければ意味がないといっているのである。
今の言葉で言えば、利益を出し、顧客満足を実現するだけでなく、
ステークホルダーを満足させ、社会的価値が生まれなければならないというのである。
なんと、マイケル・E・ポーターがCSVを提唱する250年も前に、
日本ではCSVが既に提唱され、実践されていたのである。

近江商人の経営哲学は、他にもいくつかのものが知られている。
「三方よし」の次に知られているのが、「利真於勤」である。
これは「利は勤るに於いて真なり」と読み、
「利益はその仕事に一生懸命勤めたことに対するおこぼれに過ぎない」という意味で、
利益至上主義を諫めたものとされる。

すなわち、商人の役割とは、
世の中の人が困らないように必要なものを流通させることであり、
そのために勤めるのであって、利益が目的ではなく、
利益は商人が果たした責任に対するささやかなご褒美だというのである。

現代の「企業の存在意義は利益の追求にある」とする理念とは一見かなり異なるが、
非常に共感できる。
これはまさに商人の社会的責任、すなわちCSRではないか。
なんと、CSRもCSVと同様に250年も前に日本で既に実践されていたのである。
深い経営理念とともに。

また、近江商人では「吝き(しわき)」と「始末」ということが言われる。
「吝き」とは、いわゆるケチのことで、必要な支出や経費までも削減するようなことをいう。
これに対し「始末」とは、ものを大切にして倹約することを表すが、
単なる倹約ではなく、
たとえ高くつくものであっても本当に良いものであれば長く使えば結局は得をするという考え方である。

私たちといえば、長引く景気低迷の中で、
必要経費として本来は手をつけてはならない人件費まで削減し、
まことに「吝き」ことである。

「始末」は、長期的な視点で物事を考える近江商人の経営哲学をよく表したものだが、
これは、リフューズ(Refuse):不要なものは買わない、
リペア(Repair):修理して長く使い続けるという、
まさに5Rそのものではないか。

さらに、今にとらわれないこの長期的な視点こそ、
まさに現代社会での環境の最も重要なキーワードである
「持続可能な開発」(Sustainable Development)ではないか。

250年も前の日本で、
現在そして将来にわたってすべての人々が安心して暮らせる社会を構築していくため、
社会的公正の実現や自然環境との共生を重視した哲学が提唱されていただけでなく、
実践されていたのだ。
これは、とんでもなくすごいことだ。

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1987年の国連の「環境と開発に関する世界委員会」最終報告書「我ら共有の未来」(ブルントラント報告)で初めて提唱された「持続可能な開発」という理念は、1992年の地球サミット、2002年のヨハネスブルグ宣言、そして今日まで続く重要な概念となった。写真は地球サミット。(平成4年版 図で見る環境白書(環境省)より)

CSRだCSVだと、横文字でシビレることはない。
よくよく見ていくと何も全く新しい概念ではないのだ。
和の国日本では、昔からあたりまえのように一人ひとりが社会の中での役割を認識し、
社会を持続発展させていくために個の節度を知り、
長期的視点に立って日々を暮らしていたのだ。

私たちの先祖は、社会の仕組みをよく知り、
その中でのあり方をわきまえて立ち振る舞ってきたのだ。

そうだ。
「世間」が日本から世界に広がっただけなのだ。
「世間よし」は僕たちならできる。
混沌たるグローバル社会の中で、「世間よし」の旗を振ろう。
僕たちならできる。
僕たちなら間違いなくできる。

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