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「名前を知っていること」と「意味を知っていること」

sinにいったい何の意味があるというのだ

突然だが、今月は数学のお勉強から始める。
数学嫌いの人も難しくないので嫌がらずにちょっとだけお付き合いください。

突然だが、ここにクルクル回転するものがある。
太陽と地球、車輪や水車、時計や歯車などなど、
僕たちの身の回りには回転するものはたくさんある。
で、知力のある動物である人間としては、この回転する動きをコントロールするために、
その動きを何とか数字で表せないか考えたわけだ。

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昔の人はそこでこう考えた。ここに回転する物体Pがあるとする。

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このPの回転する動きを真横から見て、その軌道の影を、回転する円盤の直径Yに投影する。
そうすると、PがP0→P1→P2と動くと、影はy0→y1→y2と上に動く。
そして、PがP2→P3→P0と動くと、影はy2をピークに下がり始め、
y3を下のピークに今度は上がってy0で元に戻る。
そして、それを繰り返す。
すなわち、ここに回転運動は、Y上の往復直線運動に置き換えることができたのだ。

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次に、このPの位置は何によって決まるのかを考えてみる。
分かりやすくするために、この円盤をX-Y座標上に置いてみると、
それは、たとえば、Pと原点Oを結ぶ線とX軸との角度で決まることがわかる。
この角度をθとする。

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Y軸に投影されたPの影の長さをaと表すことにする。
前述のとおり、aの長さはθで決まることが分かっている。
aとθの関係をどうしたら表すことができるか考えた昔の人は、円の半径rに注目し、
その関係を「sin」という記号を使って、sinθ=a/rと表すことにした。
「sin」という記号を使うことにより、回転する動きを半径に対する長さの割合、
すなわち数字で表すことができた!

ここで、物事を単純化して考えるため、
仮にこの円の半径を1とすると(これを単位円という)r=1であるから、
何とsinθ=a/rはsinθ=a/1=aとなってしまった!
すなわち、aとはsinθなのである。
同様に、X軸に投影されたPの影の長さをbと表すと、
bとはcosθなのである。

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サインカーブ(正弦波)とは、Y軸に投影されたPの影を時間の流れに沿って表したものなのである。

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以上のことがわかると、sin90°やcos0°は1/1なので1、
sin0°やcos90°は0/1なので0 であることが容易に分かる。

また、三平方の定理から a2(二乗)+b2(二乗)=1 なので、
 Sin2θ+ cos2θ=1
tanθ=a/bなので、
 tanθ= sinθ/ cosθ などの定理も容易に導ける。
 
公式など覚えなくてもいいのである。根源的な「意味」が分かっていれば、自分で公式は導けるのだ。

子どもが数学や物理でつまずくのは、その「意味」を見いだせられないからなのだ。
「sinθ」などといきなり言われても、
なんでそんなことを考えなくちゃいけないのかさっぱり分からないから、つまずくのだ。
何で教科書はいきなりsinθ=a/c などと教えるのだろう。
三角形の辺の割合に何の「意味」があるのか子どもに分かるわけないじゃないか。
三角関数は、「回転する動きを数字で表わしたい」という人間の願望から入らなければならないのに。

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足し算ができない子は数学のセンスがある

三角関数などという偉そうなものじゃなくても、
小学校低学年で算数が分からなくなる子どもがいる。
普通の簡単な足し算ができないのである。

その子の頭が悪いんじゃない。
子どもがどこでつまずきやすいか大人が、先生が理解していないからなのだ。
そして、大人は子どもの心にたてないかならのだ。

僕たちは1,2,3…と数は単に数だと思っている。
ところが、感性のある子どもは違うのだ。

実は、僕たちが何気なく使っている「数」には2種類ある。
ひとつは1番目、2番目、3番目…という順番を表す数、
もうひとつは1個、2個、3個…という量を表す数である。
前者を順序数、後者を集合数という。
「数」に対して感性を持っている子どもは、順序数と集合数を混同し、混乱してしまうのだ。
子どもだから、その混沌をうまく表現し、訴えることができないのだ。
僕は、このような子どもの方が「数」という概念に敏感で、
数学的には深く感じることができるのではないかと思っている。

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考える・本質を見る

小生が通った高校には制服がなかった。
わが母校は、昭和40年代の学園紛争の際、生徒がバリケード封鎖した広島で唯一の高校で、
生徒の力で服装の自由化を勝ち取った?のだ。
詰襟はあったが、それは「基準服」といった。

僕は、その「自由」な校風がとても好きだ。
逆に、「自由」を阻害するものは大嫌いだ。
そして、卒業しておじさんになって社会のいろんなことに遭遇して、
その校風にますます誇りを持つようになった。

実は、「自由」の裏側には「責任」が隠れているのである。
「自由」と「責任」は表裏一体なのだ。
そして、その「自由」と「責任」をつなぐものは、
「考えること」「本質を見ること」なのだ。

「制服」というものは、規則に縛られて不自由なようだが、実は、とても楽なのだ。
「制服」さえ着ておけば、誰からも何も言われない。
逆に、(あいまいに)認識された「制服」を着ていない者は糾弾される。

なぜその「制服」を着なければならないのか、
「制服」を着なければならない時はいつか、
着る必要のない時は何を着るか。

「制服」を着ることに慣れてしまった人は、
考える力と本質を見る力を失ってしまっているのである。
それは「制服」にとどまらない。
それに慣らされると、全てのことに対して考える力と本質を見る力を失ってしまう。
なぜなら、「制服」さえ着ておけば、楽だからだ。
何も考えなくてもいいからだ。

高校生の話をしているのではない。
「制服」を例えば「スーツ」に置き換えてもらえばよい。
「自由」を尊重できない人は無「責任」なのだ。
そして、僕たちコンサルタントには、「考えること」と「本質を見ること」、
そして何より、自由な発想が求められているのだ。
それは、「制服」に縛られた人からは決して湧き出してこないものなのだ。

名前を知っているということと、意味を知っているということ

朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を受賞したアメリカの物理学者ファインマンの父親は、
科学とは縁もゆかりもない洋服のセールスマンだった。

ファインマンが子どもの頃、
お父さんがファインマンにおもちゃのゼンマイ仕掛けの仕組みを見せ、
「このおもちゃは、何の力で動くと思う?」とファインマンに聞いた。
ファインマンは、ネジを巻くとゼンマイが戻りおもちゃが動くのを見て、
「ゼンマイの力だよ」と答えた。

お父さん「じゃあそのゼンマイは誰が巻いたの?巻かなきゃゼンマイは動かないよな」
ファインマン「ああそうか、僕の力だ」
お父さん「ファインマンはどうして力が出たの?」
ファインマン「そりゃあ、ご飯を食べたからだよ」
お父さん「食べたものは何からできてる?」
ファインマン「肉だよ」
お父さん「牛はどうやって育つ?」
ファインマン「トウモロコシを食べて育つよ」
お父さん「トウモロコシは何で育つ?」
ファインマン「太陽の光だ」
お父さん「そうだ、ファインマン、地球上の全ての力の源は太陽なんだよ」

Sin2θ+cos2θ=1やtanθ= sinθ/ cosθの公式を覚えて問題を解いていくことと、
sinやcosなんてことをどうして考えるようになったんだろうと考えることとどっちが大切か。

トビゲラやカワゲラの虫の名前を正確に覚えることと、
トビゲラやカワゲラはどうしてあんな薄っぺらい体になったんだろうと考えることとどっちが大切か。

ごみ処理場の研修室でごみ処理の流れや3Rについて教えてもらうことと、
騒音と悪臭の中でベルトコンベアで流れてくるごみに手を突っ込んで
作業している人の姿を間近に見ることとどっちが大切か。

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音も臭いもない清潔で安全な施設の中で、ガラス越しにごみの分別を見て説明を受ける子どもたち。これが今、学校で行なわれている施設見学だ。ごみなど、まるで他人ごとだ。
そうではなく、騒音と悪臭の中でごみに手を突っ込んで作業している人を目の前で見る。そのショックがあって、初めて子どもたちはごみのことを本当に考えるようになる。ごみが、我がことになる。
(写真:広島市西部リサイクルプラザ


何かの名前を知っているということと、
その意味を知っているということは、
全く違うことなのだ。

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