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「食」の背後にあるもの

タイとイワシはどっちが美味いか

あけましておめでとうございます。
おかげさまで、本コラムも4年目に突入いたしました。
これも読者の皆様の温かいはげましによるものと感謝いたしております。
本年もまた、よろしくお願いいたします。
新年ですから、おめでたい話から入りましょう。

今から30年前、小生は結婚した。
妻は埼玉県で生まれ育った関東人で、妻の両親はどちらも福島は会津の出身である。
結婚する前、妻の両親が初めて広島の家に来た。

「小沢(妻の旧姓)のご両親は会津の人じゃけえ、海のものは珍しいじゃろう。
瀬戸内海の海の幸を堪能してもらおう」
小生の父は張り切って魚屋に地物のタイをおろしてもらい、刺身を作り、
おかしらは昆布を敷いて骨蒸しを作った。
自分で小イワシを買ってきておろし、刺身を作った。
車海老も買ってきて刺身にし、頭は鬼殻焼きにした。

新しい家族を迎え、宴は盛り上がり、お酒の入った双方の父親は話が盛り上がった。
小生の父親が彼女の父親に言った。
「お父さん、エビの頭はこういうふうにすると殻がうまく外れて、
ここをこういうふうに食べるとミソが食べれて美味いんですよ」
すると、かなりいい気持ちになっていた彼女の父親が言った。

「いやいや、お父さん、豪勢な料理をありがとうございます。
しかし、私は山育ちなもんで、あまりこういうもの食べたことがないんです。
エビとか魚の頭は捨てるもんで、へ~、食べれるんですか?う~ん、ちょっと・・・
あ、このちっちゃいイワシは美味しいですね。
私はイワシが大好きなんですよ。正直、タイより美味いと思います。
特に、缶詰のイワシなんか最高ですなあ。
あと、魚じゃあ、やっぱり身欠きニシンですなあ」

「はぁ・・・」
骨蒸しと鬼殻焼きは、小生と小生の父親ですべて食べた。
料理のことはさておいて、宴自体は和やかに盛り上がったので、ご安心あれ。

小生と二人だけになった時、妻は言った。
「だって、エビや魚の頭だけの料理って私も見たことないもん。
何でそんなもん食べるの?うちの両親には無理だよ。
刺身だって、うちじゃマグロって決まってるんだもん。
でも、缶詰のイワシと身欠きニシンにゃ参ったなあ。ごめんね、会津の田舎もんだから」

竜を売る魚屋とエイリアンを売る魚屋

小生は関東の某大学に行ったのだが、
ある年の夏休みに大学のクラブの後輩が広島に遊びに来た。
彼は、杤木の出身だべぇ。
うまいうまいと言ってお好み焼きを食べた後、晩飯の買い物に魚屋に行った。

「すごいですね、広島の魚屋は。見たこともない魚がいっぱいある。
広島では、そのままのかたちで売ってるんですねえ」
「あっ、熱帯魚がいる」
「うぁ~あ、何ですかこれ、これ魚ですか?
すごい、とても魚とは思えない。竜みたい。すごい歯してる」

彼が「熱帯魚」と言ったのは、ギザミであり、「竜」と言ったのは、太刀魚である。
関東の魚屋では、ギザミは見たことがないが、太刀魚は普通にある。
ただし、切り身になってトレイに入っているので全貌は見れない。
「へ~、太刀魚って、こんなかたちしてるんだ」
「刀みたいだろ。だから太刀魚って言うんだ。
立って泳ぐから『立ち魚』という説もあるけどね」

関東の魚屋の魚は、イワシ(大羽イワシ)や秋刀魚などの回遊魚と、
マグロに代表される外洋の大きな魚が多い。従って、切り身が基本である。
サバでさえ丸で置いてあることは少ない。
翻って、瀬戸内海では、メバル、カレイ、キス、サヨリ、アナゴ、オコゼなどなど小魚が多い。
よって、相対的に切り身は少ないのである。
関東で切り身で並べるものも、瀬戸内では丸で置く。

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俺は竜だぜ!ワイヤーじゃないと釣れないぜ。

逆に、こっちが違う地域に行ってぶっとんだこともある。
小生は、出張でも、旅行でも、旅に出るとその土地の昔からの市場、
地元のスーパー、八百屋や魚屋を覗くことを楽しみにしている。
特に、魚屋は面白い。
見たこともないようなものを置いていることがある。

今までで一番驚いたのが九州は柳川に行った時である。
水郷めぐりをし、ウナギの蒸籠蒸しを食べ、
ご機嫌な気持ちで街を歩いていると、はたして魚屋があった。
で、早速覗いてみてぶっとんだ。
なんと!エイリアンを売っているのである。

あのつややかなカーブを描いた頭。
ヌメヌメと黒光りした皮膚。そして、何より、歯!だ。
口の中から、また口が出てきそう。
その顔は、まさにちっちゃなエイリアンだ!
しかも、不気味なことに、その頭には目がない・・・
始めて見た「ワラスボ」である。
ワラスボは有明海に生息する魚で、干物にして食べるんだそうだ。

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(出典:youtube.com)
これがワラスボ。ほんと、たまげた。こんな魚がいるなんて。しかも、魚屋で売ってるなんて。


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(出典:ビックワンズ ホームページ)
これがエイリアン。また一人、また一人と殺られていくのに、最後まで姿を見せない演出は、叫びまくり血が飛び散るこれまでの欧米のホラー映画とは一線を画し、いったい何がいるんだ、いつ出るか、いつ出るかという日本的な冷たい闇の恐怖に貫かれていて、とても怖かった。エイリアンもだが、僕は首だけになってもしゃべるアンドロイドがとても怖かった。最初の化石化した宇宙人の宇宙船の内部のギーガーのデザインにはシビレた。リドリー・スコットとギーガーはただものではない。


この柳川の魚屋には、他にもいろいろと興味深い(変な)ものを置いていた。
ワラスボに次ぐものとしては、まずはイソギンチャクである。
2,3cmぐらいのちっちゃなイソギンチャクがバットの中に入れられている。
魚屋で売っているということは、食べるということだ。
イソギンチャクを食べるなんて!
どんな食感なんだろう?どんな味がするんだろう?
どうやって食べるのか聞いてみると、味噌汁にして食べるのだそうだ。

その次は、シャミセンガイである。これも始めて見た。
これも味噌汁にして食べるのだそうだ。
さらに、ウミタケ。
これは、広島でいうミルガイに近いものだが、水管がもっと大きく太く、しかも黒い。
見た目はミルガイよりもグロテスクである。
「海茸」とはよく言ったものである。
そのほかエツにムツゴロウなど、有明海には変なものが多い。
小生は変なものが大好きである。

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左)ウミタケ 右)シャミセンガイ(筆者画)

「食」の背後にあるもの

冒頭に述べたように、小生の妻の両親は会津の出身である。
お父さんとお母さんは、稲刈りの時期になるとそわそわし始める。
会津に行きたがるのである。
稲刈りを手伝うというんじゃない(それもないことはないが)。
実は、稲刈りのほかに重要なイベントがあるのである。
それは、イナゴとりなのである。

袋を持って田んぼに出かけ、青空の下、秋の澄んだ風に吹かれ、
大の大人が全てを忘れてイナゴをとるのに夢中になるのだ。
何ともいいじゃないか。
とったイナゴは2,3日かごの中に入れておく。そうすると、糞をするのである。
だいたいお腹のものが出たかなという頃、鍋で煮て、佃煮にするのである。
お父さんとお母さんは煮上がったそれを食べるのが、また楽しみなのだ。
小生もいただき、食べたことがあるが、結構いける。
これはもう、ほとんど小エビの佃煮である。
後ろ足が硬くて口にあたるのが多少気になるが、なあにエビとて似たようなもんである。
しかし、都会育ちの妻は、ご両親の実子であるのに、気持ち悪がって絶対食べないのである。
(虫が嫌いなのだ)

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楽天で売っていました。300g750円。

食べるということは、生物存在の根源的な部分である。
人間の場合、そこに風土・文化・歴史といったものが重なってくる。
人間の食は、風土・文化・歴史の積み重ねの結果なのである。
単に、個体の維持というだけではないのだ。
従って、どのような食べ物であれ、
何をどのように食べるかということは、とても大きな問題なのだ。
人は、固有の過去を背負うのだ。

農薬のおかげでイナゴの害がなくなった。
機械化のおかげで一気に稲刈りができるようになった。
危ないから子供だけで田んぼや川に行かないように言っている。
過疎化・高齢化で米を作るのは止めた・・・

米だけの問題ではないのだ。
イナゴはどうするのだ。
子供の時感じた、草の匂いや土の匂いはどうするのだ。
コナラの若葉を通してきらめく陽の光はどうするのだ。
畑の中でみんなで座り込んで食べたスイカの思い出はどうするのだ。

北海道で大量に採れたニシンを身欠きニシンにして保存できるようにし、
硬い身欠きニシンを米のとぎ汁に漬けて軟らかくもどして美味しく調理する方法を、
どれくらいの人がどれくらいの時間をかけて積み上げてきたのだろう。
ワラスボのとり方を考えてその道具(スボカキ)を作り出し、
とれたワラスボは一旦干して食べたら美味しいことを、
どれくらいの人がどれくらいの時間をかけて積み上げてきたのだろう。

僕は食べることが大好きだ。
美味しいものが好きだ。
美味しく食べたいから料理が好きだ。

見たことのないもの、食べたことのないものに出会ったとき、がぜんスイッチが入る。
どうしてこの食材を食べるようになったんだろう。
この料理はどうやって作るのだろう。
どうしてこういう料理の仕方になったんだろう。
僕が、食べることと食べ物が好きなのは、
その背後にあるその土地の風土と文化と歴史を感じることができるからだ。
そして、それを積み上げてきた人の営みに想いをめぐらすことが好きだからだ。

そりゃあいけんじゃろう

店で飯を食っていると、客が入って来た。
「いらっしゃい。何にしますか?」
「う~ん。俺、親子丼でいいや」「じゃあ俺もそれでいいや」

何ということだ!
「でいいや」とは何事だ。
料理を作っている人に失礼じゃないか。
料理を作っている人は、たとえ田舎の食堂であっても、
美味しいものを食べてもらおうと一生懸命作ってるんだ。
それを、「でいいや」とは何事だ。
特に食べたいものがなくても、「~をお願いします」だろ。
と、いつも心で叫んでいるのである。

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