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まちに必要なもの

「このチームで絶対に1年で戻ってくる」と彼は言った

2012年11月24日。雨も上がった。4分のロスタイムの時間が刻々と過ぎる。
ベンチ後ろにはロングダウンコートを着た控えの選手が1人、また1人と出てきた。
もしかして・・・ノーサイドの笛。
一呼吸置いて、仙台と新潟の試合結果のアナウンス。
どっと走り出す選手。一斉に立ち上がる観客。佐藤寿人はピッチにうずくまって動かない。
彼は、その時、両手で顔を覆い、泣いていたのだ。後からテレビを見て知った。

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試合前、このことを予言するようにビッグアーチのむこうに虹がかかった

2008年、サンフィレッチェは2部に降格した。
2部になれば、観客動員は大幅減となる。
観客動員が大幅減となれば、球団収入も大幅減となる。
球団収入が大幅減となれば、契約金も、練習環境も、試合環境も
悪化することは火を見るよりも明らかだ。
誰しも沈みゆく泥舟から飛び出そうとするのは当然だ。

しかし、あの時、佐藤寿人は誰よりも早く、
「こんな結果になったのは僕たちに責任がある。このチームで絶対に1年で戻ってくる」
と言ったのだ。
忘れないよ、佐藤寿人。あんたが言ったことを、僕はずっと覚えてる。
ほんの数人を除き、多くの選手はこのチームに踏みとどまった。
そして、サンフィレッチェはその年、J2で驚異的な勝ち点をあげ、ほんとうに1年で戻ってきたのだ。
ピッチに突っ伏した佐藤寿人の想いを思えば、涙が出る。

小生も、会社の破綻を経験した。
会社が壊れるという常ならざる事態のとき、いろいろな人がいろいろな行動をとった。
人間を見た。
「信」と「義」の重さを心に刻んだ。

「おめでとうございます」と彼は言った

歓喜の輪がほどけ、メインスタンド前でインタビューが始まった。
いきなり、ぽいち(森保 一監督は「保一」をとって「ぽいち」と呼ばれる)が大声で、
「おめでとうございます」と言った.
最初に軽い違和感、そしてしみじみとした感動が湧いてきた。

「おめでとう」とは、事を成し遂げた者に対して祝福する言葉である。
それをぽいちは、観客、いや、サポーターに向かって最初に言ったのである。
すなわち、ぽいちは、優勝を成し遂げたサポーターを祝福したのである。
僕たちが「おめでとう」と彼らに言う前に、彼は僕たちに「おめでとう」と言ったのだ。
と考えると、また涙が出てきた。
僕たちはゲームを見に来ただけだ。やったのは全部あんたたちじゃないか。

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サポーターは12番目のプレーヤーだということを、ぽいちはあらためて教えてくれた

何だ、この静けさは

セレモニーを最後まで見届けて、スタジアムを後にした。
小生は、高校同期の3人で見に来ていた。
帰りはバスにする?タクシーにする?アストラムラインにする?
どれもすごい人だ。3万人が一気に吐き出されるのだから。
で、「さあ、飲みに行こうぜ」。当然の行動である。が、ビックアーチの周りには何もない。
我々はアストラムラインに乗って本通りに出ることにした。
「カープが初優勝した時は、まちはすごかったなあ」と、当然この話になる。
カープの初優勝の時の話をしながら、本通りに着いた。

「なんで旗や幟が出とらんのんや。サンフィレッチェが優勝したんで」
と小学校の校長をしているTが怒りはじめた。
「広島のまちは昔とちごうて冷たいんじゃのう」
とこのためにわざわざ横浜から帰って来た銀行員のIも同調する。
全くである。紫色をした店が1軒もない。

昭和50年10月15日。苦節25年。カープは夕闇迫る後楽園で初優勝を決めた。
その夜、広島のまちには10万の人出があったという。
当時の広島市の人口は80万。80万のまちで10万。
そりゃすごかった。
まちのそこらじゅうで、見知らぬ者同士がお酒と涙でぐちゃぐちゃだった。
店という店は特売、飲み屋という飲み屋は飲み放題。

紫のレプリカのユニホームを着ていたのは、
我々のほかは飲み屋でみた若者グループ1団体だけだった。
スタジアムを埋めたあの3万人の紫はいったいどこに行ったんだ。
これでいいのか、広島は。広島のまちは。

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われわれはチャンピオンになったのだ!広島の「まち」で祝おうではないか

スタジアムはまちの中になければならない

フランチャイズとは、ただ地方に球団があるということではない。
スタジアムは、ただ試合をするところではない。
フランチャイズとは、まちの一部であるということだ。
スタジアムとは、市民が交歓する場所だ。

道路や公園、学校や病院、上下水道やごみ処理場など、
都市に必要欠くべからざる施設を都市計画では「都市施設」という。
広島というまちでは、カープやサンフィレッチェのスタジアムは、「都市施設」ではないのか。
広島というまちの必要欠くべからざる施設ではないのか。

そして、その機能は、試合の観戦だけではないのだ。
そこに集まる市民が交流し、勝ったと言っては飲み、負けたと言っては飲み、
それが歌になり、このような駄文になり、
「広島」という文化や風土を象徴し、
経済的な側面だけでなく精神的な側面から広島市民の生活を豊かにし、
無形の恩恵を与えてくれているのではないか。
到底お金で買えるようなものではない。

カープやサンフィレッチェのスタジアムだけではない。たとえば、大学。
学生街というものはまちの中にあってこそ学生街だ。
居酒屋、食堂、喫茶店、古本屋、雀荘、銭湯・・・それが学生街だ。
熱き青春を燃やしたまち。それが文化だ。まちの一角のあるべき姿だ。

話は全く変わるが、生物多様性では「4つの生態系サービス」ということがいわれている。
これは、国連環境計画が「ミレニアム生態系評価」として発表したもので、
人類は生態系から4つの大きな恵みを受けているというのである。
その4つとは、①物質の供給サービス ②調整的サービス ③文化的サービス ④基盤的サービスの4つをいう。
このうち、「文化的サービス」は、精神的・審美的価値やレクリエーションなどの
生態系から得られる非物質的な利益のことをいうのである。

なんと、私たちの生活からは遠いところにあると思われる生態系においてさえ、
このような価値が重要なものとされているのである。
いわんや、広島市民の生活に密着したカープやサンフィレッチェにおいておや、である。
試合が終わったら仲間とまちにくり出したい。スタジアムはまちの中になければならない。

まちに大事なもうひとつのもの

まちに必要なものは都市施設やスタジアム、大学だけではない。
繁華街と歓楽街が絶対に必要である。繁華街と歓楽街があってこそ、まちである。
繁華街というものは、たいていデパートや商店街が連なる商業地域のことをいうが、
たいていその奥には飲み屋街が広がっている。
そして、飲み屋街は奥にいくにつけだんだん怪しく(妖しく)なり、
いわゆる風俗営業を営む歓楽街になっていく。
広島の八丁堀→流川・薬研堀→弥生町がそうであり、新宿の新宿→歌舞伎町→大久保がそうである。

この繁華街→歓楽街と複層構造をなす中心市街地の存在が、まちにとってとても重要である。
小生は、いろんな都市に行ってまちを見るとき、繁華街と歓楽街を見る。
もとより、お酒と食べ物とシモネタが大好きなこともあるが、
その空間がそのまちの文化を如実に表しているからである。
新宿のゴールデン街がどれほどの作家や芸術家を引き付け、
博多の天神や中洲のライブハウスからどれほどのミュージシャンを生んだことか。

ごみがちらかり人影もまばらな寒々しい歌舞伎町や道玄坂を朝早く歩くと、
都会の悲哀が寂しくも感傷的に心地よい。
それもまた、まちの風景である。

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小生が考える「まち」

あの素晴らしい愛をもう一度

まちの財産、市民の財産は、押し着せで与えられるものじゃない。
市民が創っていくものだ。市民が創って、はじめて市民のものになる。

思い起こせば、カープがそうだった。
その昔、球団経営が破綻しかけたとき、市民一人ひとりが身銭を切って募金してカープを支えたのだ。
あの時、たとえ100円であれ(当時はまだ100円はお札だった)、
お金を出した人は、「自分のあのお金で今のカープはあるんじゃ」と思っている。
だから、カープファンのカープに対する思いは、他の球団のファンとは本質的に違うのだ。
カープファンはただのファンではないのだ。

佐藤寿人の信と義。ぽいちの仁と礼。
サンフィレッチェには広島と広島市民を思う心がある。
今度は広島市民が応える番である。ぼいちに「おめでとう」と言われた市民が応える番である。
このかけがえのない財産をこれから市民みんなで積み上げ、
「わしがサンフィレッチェを育てたんじゃ」と多くの市民が言えるようになることを夢見たい。
手の届く夢として。

30数年前のあのカープの初優勝の興奮を、
サンフィレッチェのサポーターと広島市民に味あわせてあげたい。
広島のまちの熟成とともに。

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「打倒チェルシー!」との横断幕も早々と出た。団結するためには、仲間への信頼と思いやりが必要だ。

| コラム | 09:46 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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