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つつましい暮らしの国へ

消したくなるテレビ

テレビを見るのが嫌である。
何が嫌かって、尖閣、である。
気分の悪いこと甚だしい。
カープも勝てないし、ニュースが始まるとすぐテレビを消す。

中国という国は、痛ましい国だと思う。
列強により食い物にされた歴史。
国外に敵を作り、国民の目を外の敵に向けさせざるを得ない。
中国共産党執行部は分かっていると思う。
ついに現実のものとなった「チャイナリスク」を世界中がまさに固唾を呑んで見守っていることを。
そして、その次に来るもののことを。
かの国の心ある人たちは知っているはずだ。
日本に円借款を、日本の企業に資本投下を要請し、「お願いして」来てもらっていることを。

栄枯盛衰は世の常である。
「栄・盛」の時にこそ「枯・衰」のことを思わねばならぬ。
札束で人の頬を張る者は、札束を失うと哀れである。
金の切れ目が、縁の切れ目。
かつて私たちの国も「エコノミックアニマル」と呼ばれ、ひんしゅくをかったものである。
中国の人たちは知っているのだろうか。
遠からず「枯・衰」が迫っていることを。

以前の本コラムにも書いたが、中国は「未富先老」・・・豊かになる前に老いてしまうのである。
中国の高齢者人口は40年後には4.4億人に達する。
一人っ子政策によって生まれた自己中心的な「小皇帝」たちがそれを支えるのである。
一党支配の下、政治腐敗、民族問題など様々な矛盾を抱えたまま、貧富の格差が広がる中で。

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魚釣島。中国名は釣魚島。中国語は動詞、目的語の順になる。
 (資料:国土画像情報(カラー空中写真).国土交通省)


嘘のようなホントの話

などと、よその国の心配をしている場合ではない。
わが国に到来する高齢化のことは数十年前から分かっていたことである。
なのに、その基本となる年金問題さえ、税制とからんで未だ解決していない。
小生が20年前にチャレンジした技術士試験(建設部門)の定番問題は、
「来るべき高齢化社会に向けて、建設部門の果たすべき役割を述べよ」であった。
が、今まさに、この問題が新たな形で再浮上しているのだ。
当時は誰も言及しなかった「社会資本の更新」という新たな問題として。

物にはすべて寿命がある。
ましては、人間が作ったものならなおさらである。
高度成長期に建設された多くの社会資本は、2020年から2030年頃に一斉にその寿命を迎える。
寿命を迎えるということは、作り替えなければならないということである。

次の図を見ていただきたい。
これは国交省が所管する社会資本の維持管理・更新費用を推計したものである。
厳しい財政状況をふまえ、投資可能額を国管理のものは対前年比-3%、
地方管理のものは対前年比-5%という条件で試算している。

結果は・・・2020年度を越えたあたりから更新できなくなってくる。
更新できないということは、新しいものが作れず、使えないということである。
橋は渡れず、道路は通行止め、台風のたびに川では洪水に、港では高潮におびえる。
水道は止まり、下水は使えない。
ダムは土砂で埋まり、公園では遊具が壊れたまま・・・
というのは極端にしても、ま、端的に言えばそういうことである。

image003.png
 (資料:平成17年度国土交通白書.国土交通省)

高齢化社会の中で

高齢化社会とは、支える人が少なく、支えられる人が多いという社会である。
少数の生産者が多数の非生産者を支えるということである。
しかも、それが世界的な景気減速の中で進行する。
どうしたらいいのだろう?

わが国では、高齢化社会はもう始まっている。
そういうわが国では、そろそろ経済成長を求めることをやめてみてはどうだろうか。
現実を直視し、経済成長の幻を追うのをやめてみてはどうだろうか。
そのためには、別の価値観が必要である。ライフスタイルの転換が必要である。
経済成長に代わる価値観とは何だろう。

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少数の生産者が多数の非生産者を支える社会。それが高齢化社会。

日本が世界に誇れるものとは何だろう。
失礼ながら、先に述べた中国を反面教師として考えてみる。
それは、「和」ではないか。「環」ではないか。

先の震災の被災地と中国の日本企業で起こったこと。
かたや、略奪もなく、譲り合い、助け合う人たち。
かたや、略奪に走り、同胞たちにも襲いかかり、自己主張する人たち。
やられたら、やりかえす。
否、やられる前にやる。声の大きいものが勝つ。

謙譲、親切、思いやり・・・それが日本人の気質ではないか。
信、義、礼・・・それが日本の道徳ではないか。
安全、安心、清潔・・・それが日本の街ではないか。
自然を克服するのではなく、自然と共生する・・・それが日本人が昔から培ってきた生活ではないか。

経済成長はなくとも、つつましく幸せに暮らす国。
足るを知り、必要なものだけを必要とする国。
金銭的な豊かさよりも精神的な豊かさを大切にする国。
文化や芸術を愛し、自然や生き物とのつながりを大切にし、それを経済のよりどころとする国。
高齢者も社会参加し、みんなでつながっている国。
かつての日本はそういう国ではなかったのか。

そういう国にしていくためには「環境」が大きな視座になってくる。
再生可能エネルギーでエネルギーを創り出す。
3Rにより循環型社会を構築する。
自然環境に配慮し生態系からの恩恵を受ける・・・
そういうことを積み上げていけば、このような国を再構築、創造できるのではないか。

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日本は、世界のどの国もこれまで経験したことのない高齢化社会を迎えている。しかし、世界の国々もいずれ高齢化社会に突入する。アジア諸国も例外ではない。特に韓国は、今後、わが国を上回るスピードで高齢化が進行する。
(資料:「世界の高齢化率の推移」平成24年版高齢化白書.内閣府)


日本が進む道

世界の国々は、どの国もいずれ高齢化社会を迎える。
そして、日本は、どの国よりも早く高齢化社会に突入する。
いや、もうしている。
であるならば、みんなが一つの方向を向き、
日本が世界に先駆けて高齢化社会のモデルを創ろうではないか。

医療産業、介護・福祉産業、各種セラピー産業、シルバー産業、そして環境産業など、
視点を変えれば新たな商品や市場も見えてくるではないか。
幸いにもわが国は「未富先老」ではない。
もう世界一を争うような経済大国ではないが、
父や祖父や曽祖父の世代が働いて、働いて、創りあげてくれた社会資本も充実した豊かな国である。
考え、チャレンジし、試行錯誤するストックは十分にある。

20年後、30年後、世界の国がうらやみ、尊敬し、モデルとするような、そんな国を創ろうではないか。
「和」と「環」の国。
ヤマトは環境の国である。


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