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伊勢紀行(その2~日本の原点へ)

伊勢紀行(その2~日本の原点へ)

熊野から日本神話へ

前回の熊野紀行に引き続き、今回は伊勢紀行である。
熊野から伊勢に足を伸ばした理由は二つある。
ひとつは、熊野をきっかけに、日本の「神」の成り立ちを追ってみたかったのと、
もうひとつは、南紀・伊勢の名物を食したかったからである。

熊野三山は、それぞれ那智:牟須美(ムスビ)、新宮:速玉(ハヤタマ)、
本宮:家津御子(ケツミコ)という神を祭る。
ムスビは女神で、ハヤタマはその夫、ケツミコはその子である。
ムスビは実を「結ぶ」、すなわち生産の神。
ケツミコは「木ツ御子」、すなわち樹木の神。
ハヤタマは「速魂」、すなわち成長の神といわれる。
すなわち、山ノ神の女神が力を得て木種を播くのである。
いかにも紀州にふさわしい神であり、この形がもともとの土着の信仰であったと思われる。

問題は、日本書紀以降である。
この素朴な紀州の土着の信仰が、壮大な神話に拡張されるのである。
日本書紀では、ムスビをイザナミ、ハヤタマをイザナギ、ケツミコをスサノオとしたのである。
イザナギとイザナミの子(正確には、イザナギの子)が、
アマテラスとスサノオで(あと2人、ツクヨミ、ヒルコもいるが)、
アマテラスの5代後が神武天皇である。
すなわち、皇室の先祖はアマテラスに始まるのである。

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アマテラスやスサノオたちには母親はいない。
イザナギの子供たちは、イザナギが黄泉の国から生還して穢れを洗い流した際、イザナギの目や鼻から生まれた。


熊野市にある「花の窟」はイザナミを葬った場所といわれている。
(ちなみに、比婆山にもイザナミの神陵があるといわれている)
また、新宮市にある神倉山神社のコトビキ岩は、神武天皇が東征の際、
ここでアマテラスから授けられた神剣を奉げられたと伝えられる場所なのである。
そして、そのアマテラス(天照大神)を祭る総本社が伊勢神宮の内宮(皇大神宮)なのだ。
熊野から伊勢にかけては、日本神話の旧跡が集中しているのである。

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花の窟(写真:熊野市観光公社ホームページ)

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神倉神社とコトビキ岩(写真:新宮市ホームページ)

伊勢神宮へ―大和心とは

伊勢神宮は内宮と外宮及び多くの別宮から成るが、
その中核の内宮は天照大御神(アマテラス)を祭神とし、日本人の総氏神とも言われている。

アマテラスのことを語るのは、戦前まではタブーであった。
なぜなら皇室の先祖―皇祖神―だったからである。
そしてそれは、恣意的に作られたものだった。
アマテラスは女神で、天石窟戸神話にあるように太陽神だ。
そして、もともとは伊勢地方の漁民の太陽神だったといわれている。
天武・持統の頃、大和朝廷は日本書紀を編纂するにあたり、
各地の土着の神話や説話をつなぎ合わせ、
皇室を神に結びつける壮大な物語-日本神話―を作ったのだが、
この伊勢の土着の神はそれにジャストフィットしたのだろう。

しかし、そのような起源はそれはそれとして、
2000年以上も前からこの地にあり、1300年にわたって20年ごとの式年遷宮を繰り返し、
まさに日本の歴史を蓄積し、
神社中の神社として特別な営みが脈々と行なわれてきた伊勢神宮とはどのようなものか、
どうしても行ってこの目で見てみたかった。

五十鈴川をわたり、境内へ入る。
鬱蒼とした社叢を歩いて正宮に向かう。
正殿をはじめとする建築は、凛として質素である。
朱の色や装飾もない。年月を重ねた白木が静謐に佇んでいる。

小生は、偶像崇拝はしない主義で、信仰もないのに手を合わせることはほとんどしないが、
ここでは自然と手を合わせた。
何かを祈りたい、そういう気持ちになった。
そして祈った。
何に?森羅万象に。何を?みんなのことを。何て?自ずから然りと。幸せにと。

ムスビは豊穣の神であり、ハヤタマは生命力であった。
昔の人は、何もしなくても時が来れば草や木が実を結び、動物が子供を産み、
自分たちに恵みを与えてくれることに感謝し(まさに生物多様性の生態系サービスだ!)、
命がつながっていくことを畏敬したのだろう。
そして、それは、自分たちではどうにもならない自然の理で、
自然が創った造形―木や草、動物、そして石や岩でさえも
(それを神とよぶなら)神が宿るのを見たのだろう。

本居宣長が「上代(かみつよ)の清らかな正美(まこと)」と言った「大和心(やまとごころ)」を、
この太古からの森の中で深く感じた気がした。

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清冽な五十鈴川は神の領域への結界である

南紀食べ歩き

気分を変えて・・・
最初に申し上げたように、今回のもう一つの目的が、南紀の食べ歩きである。
中でも今回どうしても食べたかったのが、馴れ寿司とマグロである。

馴れ寿司は南紀の名物だ。
今は、寿司といえば握り寿司だが、これはいわば即席寿司である。
寿司は本来、塩をした魚と飯を漬け込み、発酵させて食するものなのである。
握り寿司は、発酵するのが待てない江戸っ子が、
乳酸発酵を酢と砂糖で代用させたインスタント食品なのだ。
(インスタントといえど、このインスタントはめちゃくちゃうまいが)
今では逆に、本来の馴れ寿司を食べようと思っても、
琵琶湖の鮒寿司とか、限られたところに行かなければ食べられない。

で、馴れ寿司である。
知っている人の間では有名な新宮の店に行った。
魚も飯ももはや原形をとどめていない30年ものもあるが、
ここはひとまず今年漬けたものを注文した。
ん~、飯はかすかに柔らかく芯を残し、硬いおかゆといった感じだ。
魚は油が抜けて締まっている。
これを辛子醤油につけて食べるのである。

大将と話をする。
毎年、次から次へと漬ける。
漬ける時期が違うし、その時々の気候も違うので、漬けたカメごとに発酵の進み具合が違う。
そこを見極めながら、最もいい漬かり具合で出すのが難しいということだった。

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秋刀魚の馴れ寿司。他に鮎の馴れ寿司もある

紀州のマグロといえば、那智勝浦である。
マグロを食うため(と温泉に入るため)にわざわざ勝浦に泊まった。
宿で雄大な太平洋の飛沫がかかる露天風呂で一風呂浴び、マグロ専門店に直行。
せっかくマグロの基地に来たんだ、刺身とかじゃ芸がない。
ここじゃないと食べれないもの、ということで、迷いに迷って「チコロ」(心臓)を頼んでみた。
ん~硬い砂肝という感じである。特にすばらしいという感じではない。

次は何を頼もうか。
しかし、やはり刺身にも未練がある。
しかし刺身単品はさすがに高いなあ、とメニューを眺めていたら、
おお、中落があるではないか。ある意味、刺身よりうまい。
で、中落を頼む。
魚ばかりじゃいかんと思い、野菜もの・・・とメニューを見てたら、聞きなれないものがある。
「ヒロメ」の酢の物。
早速注文する。

おお、中落のボリュームに感動。
刺身皿にちょこっと、ではなく、小ぶりの丼にこんもり、である。
これはいける。
冷凍物ではないことが、食べれば分かる。
生のあったかさと甘さと滑らかさがある。
しかもこの量だ。満足。
ヒロメは南紀地方にしかないワカメの切れ込みをなくして大きくしたような海草である。
これもまた、せこくない。どーんと出てきた。
満腹である。

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これがチコロ(心臓)。ポン酢と生姜がかけてある

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ヒロメの酢の物(左)と中落(右)。ヒロメの緑はアシタバ

田辺で食べたウツボのから揚げ、秋刀魚寿司、
松坂で食べた松坂肉、
伊勢で食べた伊勢うどん、手こね寿司、
書きたいものがまだまだあるが、紙片が尽きた。

食在紀州。

| コラム | 16:42 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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