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いつも疑問を感じる人間でいたい

春は光

春は光。
満ち溢れる光こそ春の賜物である。
春は光で満たされている。
海にすむ魚のように、僕たちは光の底にすんでいる。
春に満ちる光には、色がある。肌理(きめ)がある。動きがある。
光の中で僕らは生きる。

光といえば・・・アインシュタインである。



若きアインシュタインの悩み

16歳のアインシュタインは悩み続けていた。
光のことで悩み続けていた。
もし仮に、自分が光速で飛んでいたら、
自分の顔は鏡に映るのかと。(よくこんなこと思いつくなあ・・・)

1204-1
光速で飛ぶアインシュタインの顔は鏡に映るか


鏡に映る自分の顔は、自分の顔をとらえた光が鏡に反射し、
再び自分の目に入って見えるのである。
しかしこの場合、自分も光速で飛んでいるのである。
鏡には何も映らないのだろうか?

同じスピードで走る2台の自動車に乗っているそれぞれの人から見れば、
互いの自動車は止まっているように見える。
仮に、光と同じスピードで走る自動車があるとして

(正確に言うと、「光と同じスピード」ではなく、
「限りなく光に近いスピード」である。
光以外のものは光速で進むことはできない。
光速で進む時、物体の質量は無限大となるからである)

その自動車から見れば、光は止まって見えるのだろうか?
光が「止まって見える」とは、どんな状態なんだろう?
光速で走る自動車から発射されたヘッドライトの光は、
光速×2のスピードで進むのだろうか?
アインシュタインの悩みは、別の言い方をすると、
「光速で動くものからは光はどう見えるか」ということなのである。

1204-2
光速で走る自動車から発射されたヘッドライトの光の速さは光速×2?


地球の上を新幹線が時速300kmの猛スピードで走っている。
その地球は自転しながら30km/sのスピードで太陽の周りを回っている。
時速じゃないよ、秒速だよ。
時速に直せば10万km、新幹線の360倍のスピードだ。
ものすごい速さだ。
今、僕たちがすんでいるこの地球が
こんなすごいスピードで動いているなんて!
感じられないよね、このスピード。
さらに、その太陽は220km/s(時速80万km!)のスピードで
銀河系の中を回っている。
そして、その銀河系は・・・。

いったい何を基準にして速さを認識したらいいのだろう。

新幹線は何に対して動いているのだろうか?
そう、地球である。では、地球は?そう、太陽である・・・
では、銀河系は? 宇宙に静止している場所があるのだろうか?
「動いている」「静止している」はどうやって決めるのだろう。

1204-3
宇宙の基準点は?それにしても、ものすごいスピードだ。


アインシュタインは考えぬいた結果、次のような結論に達した。

「光は誰に対しても常に一定の速さで進む」

すなわち、観測する場所や光源がどんな速さで動いていても、
光の速さは変わらないと考えた。
先の光速で走る自動車からみても、
光速で飛ぶアインシュタインから見ても、
光は光速で進む。
すなわち、光速で飛んでもアインシュタインの顔は鏡に写る。

先の光速で走る自動車から発射されたヘッドライトの光について、
その観測主体という点から考えてみよう。
光速で走る自動車を観測しているのは、自動車の外にいる人である。
発射されたヘッドライトの光を観測しているのは自動車に乗っている人である。

実は、この「観測する立場」が非常に重要なのである。
速さ=距離÷時間 であるが、
距離(空間)や時間は観測者の立場によって変わるのである。
光速で走る自動車に乗っている人と、自動車の外でそれを見ている人は、
それぞれ別の空間や時間を持っているのである。
そして、光速に近づくにつれ、時間も空間も縮むのである!



お猿の悩み

高校生の頃、どうしても理解できない不思議なことがあった。
それは、原子模型である。
○十年前の小生が高校生の頃の原子模型は、
まるで太陽の周りを回る惑星のように、原子核の周りを電子が回っている
というものであった(ラザフォードの原子模型)。

何が不思議かって、原子核と電子の間には広大な空間がある。
いわば、スカスカじゃないか。
なのになぜ、物質はあんなに均一で固いのだろう。
金属のどこにこんな隙間の空間があるのだろう。
で、化学の先生に聞いてみた。
答えは「アシモフやガモフという科学者の本を読んで見なさい」であった。
納得できる説明はなく、何かうまくはぐらかされたが、
「そんなことが書いてある本があるのなら、読んでみようかな」
と思ったことを覚えている。
(結局、読まなかったけど)

1204-4
国際原子力機関(IAEA)のマーク(ラザフォードの原子模型)


ほかにもこんなことが不思議だった。
太陽から地球に光が届く。
ご存知のように、光は波である。
波は、「波」という物質があるのではなく、
波を伝える媒体が動いている状態のことをいうのだ。
では、太陽と地球の間にはどんな媒体があるのだろうか?
太陽と地球の間は真空で、何もないではないか!
じゃあ、いったい何が光という波を伝えているのか?

関連して、こんなことを考えたことがある。
ボールを投げる。
それはボールという物質が飛んでいるのではなく、
もしかして実は、自分の手の周りから相手のグローブまで、
場が密なところが刻々と移動していくだけなのだ。

生き物とてしかりだ。
人間という生き物が歩いているのではなく、
命というものを持った密な場が流れるように変化し、動いているのだ。



「なぜ?」と思う気持ち

アインシュタインの思考は、
光速で飛ぶ自分の顔が鏡に写るかという突拍子もない疑問から出発した。
その結果、光の速さは一定で、それを越えるものはないこと。
時間と空間は絶対的なものではなく、相対的なものであること。
質量とエネルギーは同じものであることなど、
今まで絶対であったニュートン力学の常識を根底から覆したのである。
そのニュートンも、誰もが目にすることができる
"リンゴが落ちる"
というあたりまえの現象から、
万有引力の法則を発見したのである。

アインシュタインにしても、ニュートンにしても、何という着眼であろうか。
大学の研究者などではなく、特許局の一職員であったアインシュタインが
特殊相対性理論を発表した時、なんと彼はまだ26歳だった。
あの光について疑問を持った日々から10年が経過していた。

僕たちは、漠然とものごとを見ている。
今あることを、あたりまえのこととして鵜呑みにしている。
そして、大事なことに気づかず、見逃している。
みんなの言うことに振り回され、目の前の枝葉に執着し、本質を忘れている。
これは、科学的なことだけではなく、社会的なことも同様である。

発電を行なうAという方法があるとする。
もし、Aの耐用年数の間に発電する電力が、
Aの「ライフサイクル」で費やすエネルギーより少なかったら、
こんな馬鹿な話はない。

気をつけてほしいのは、「ライフサイクル」という点である。

様々な原料を採取し、運搬し、製造する各過程でエネルギーを費やしてAはでき、
できた後はまたエネルギーを費やして維持管理が行われる。
忘れがちなのは、その後である。すなわち、廃棄である。
もし、解体して廃棄するのに膨大なエネルギーがかかるとしたらどうだろうか。
また、Aには非常に大きなリスクがあり、
そのリスクが発生したときに膨大なエネルギーがかかるとしたらどうだろうか。

「社会的に認知された」クールビズや沖縄のかりゆしウエアを見ていると、
そもそもなぜスーツを着なければならないのか、
ネクタイを締めなければならないのか、
素朴な疑問がわいてくる。
その目的は?意味は?
礼儀、ルール、みだしなみ、慣例、常識・・・


アインシュタインは、次のような言葉を残している。

「大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないようにすることである」

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