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幸せな流域をつくろう

龍はもとはワニだった

あけましておめでとうございます。
今年も、少しでも皆様の琴線に触れる文章を書いていければと思っておりますので、
お付き合いの程、よろしくお願いいたします。

さて、今年は辰年である。
辰すなわち龍である。
想像上の動物「龍」はいったいどんな動物をもとに創られたのであろうか。
南方熊楠による「十二支考」を参考にしながらに考えてみる。

まず誰もが思うのが蛇である。
しかし、蛇には足がない。
龍には足がある。
龍は足でしっかりと玉をつかんでいるのである。
蛇足ながら、蛇足と龍とではえらい違いである。
では、足のある蛇は何だろう。足のある蛇はトカゲである。
しかし、トカゲはいまいち迫力がない。
迫力のあるトカゲといえば、ワニだろう。
ワニは古代エジプトやインドでは神として崇拝していたそうである。
中国で「蛟(みずち)」というのは、おそらくワニだったのではないかと熊楠は推測している。

さて、広島で「ワニ」といえば、サメのことである。
三次や庄原などの備北地方の正月料理といえば、ワニである。
因幡の白兎の皮を剥いだのはワニ、すなわちサメである。
サメは血液中に尿素を持ち、死ぬとそれが分解されてアンモニアになり、腐敗が抑制される。
ワニは生で2週間保存することができるのである。
海から遠い中国地方の山間部では鮮魚がなく、
山陰から運ばれたワニが唯一日持ちのする海水魚だったのである。
島根県大田市五十猛では今でも伝統のワニ漁が続いている。

20120104-01ワニ漁
今も続く五十猛での伝統的なワニ漁。(写真:島根県ホームページ)



流域で考える

ところで、同じ県内の山間部でも安芸国ではワニはあまり食べない。
ワニを食べるのは備後国北部の備北地域である。
これは流域の文化の違いではなかろうか。
安芸国は太田川流域であり、備北は江の川流域である。
江の川は島根県の江津に注ぐ。
同じ広島県でも江の川流域は歴史的に日本海の方を向いていたのではないか。

昨年末、瀬戸内海の生物多様性に関する座談会があり、小生も出席した。
質疑応答の際、広島大学名誉教授の関先生が発表者に対し、
あなたはどこからどこまでが瀬戸内海だと思いますか?瀬戸内海の定義は?」と質問された。
うーん、意表をついたスルドイ質問だ。
小生もいろいろ考えてみた。
先生の解は「瀬戸内海に流入する河川の流域が瀬戸内海」であった。
重要なポイントは、海域だけではなく、陸域も含めて瀬戸内海としたことである。
山は海の恋人で、つながっているのである。
山は海ではないが海の重要な一部なのである。

でもまてよ、山はあくまでも山であって、海とするのは少し乱暴ではないか。
広島県最高峰の恐羅漢山や冠山も瀬戸内海なのか?
しかし、瀬戸内海に面して立ち上がる独立峰の野呂山は瀬戸内海国立公園に含まれる。
瀬戸内海の島にも宮島の弥山のようなそれなりの山がある。
山が海でもいいのだ!

20120104-02恐羅漢山
広島県最高峰の恐羅漢山も瀬戸内海だ!(写真:あきおおたナビ)


「流域」というものは、単に集水域の単位というだけではなく、
地形や景観を構成する単位であり、
生き物の分布の単位であり、
暮らしを営んでできた人間の活動の単位であり、
地域社会を育んできた文化の単位でもある。
市町村や都道府県の行政区画は後から人間が決めたものであるが、
流域はそれ以前の最も重要な基本単位である。
すべては流域から始まる。
文化は川から興り、人々の暮らしは川から始まる。



かつて人は川とともに生きてきた

川の流れる地域では、かつて人は川とともに生きてきた。
川は、命をつなぐ飲み水であり、秋の実りをもたらし、
貴重な動物性蛋白をもたらすものであった。
川は、野菜を洗い、着物を洗う無限の浄化装置であり、
上下流の人と物を運ぶ動脈であった。
川は、泳いだり、魚を捕ったりする遊び場であった。
人々の家は川に向かって開かれ、川側が玄関であった。

いつの頃からか、人は川に背を向け始めた。
一旦川に背を向けると、かつての玄関口は排泄口になった。
いらなくなったもの、汚いものを「水に流した」。
飲み、食べ、洗い、運び、遊んだ生活の場は失われていった。
かつて川には「川ガキ」がたくさんいた。
子供は川で楽しみと危険を知り、その対処の方法を自然と身につけた。
子供は川で勇気と規範を学び、自然と人との接し方を身につけた。

人が川から離れていったことを端的にあらわすものがある。
それは相撲の四股名である。
ちょっと思い浮かべて欲しい。
○○山、○○富士、○○海、○○洋、○○島、○○湖、○○国、○○里、○○道・・・
川がないではないか!
かつては横綱にまでなった男女ノ川(みなのがわ)という力士がいたが、
今は幕下にかろうじて安芸乃川(広島県出身!)という力士がいるだけである。

20120104-03庄原市西城町
人々は川に向かって生活の扉を開いていた。
西城川に沿って続く庄原市西城町の町並み。
各家から川に下りる階段や川沿いの通路が見られる。(写真:広島県ホームページ)

余談であるが、実は道路とまちの成り立ちにも同様なことがいえる。
最初、街道の要衝となる区域に道沿いに家が集まり始め、集落が形成されていく。
すなわち、道が川に代わるものである。
人々の家は、道に向かって開かれている。
道に面する家々がひとつの集合体となる。
「向こう三軒、両隣」であり、背後の家は別のグループとなる。

これが今でも色濃く残っているのが博多のまちである。
博多山笠は通り単位で山車を出す。
この通りの単位を「流れ」という。
例えば、土井町筋は「土井流れ」である。
「流れ」は伝統を受け継ぐ最強の地域コミュニティである。
ところが今は、まちを「街区」という一定のブロックに割り、これをまちの単位としている。
すなわち、○丁目○番○号の「番地」がこれにあたる。
都市において、地域のコミュニティを醸成するためには、
今一度、通り単位でまちづくりを考えていく必要があると思う。

20120104-04図

再び、「流域」である。
川があり、その川に流れ込む支川がある。
その支川に流れ込む支川の支川がある・・・
というふうに追いかけていくと、最小単位の流域にぶつかる。
小さな山ひだで形成されるいわゆる「谷戸」である。
典型的な谷戸では、谷のどんづまりの崖などから山からの絞り水が湧出し、
湿地を形成しながらやがて小川となって谷戸を流れる。
人々はこれを利用して田んぼを作った。
谷戸と森林の境界はいわゆる「エコトーン」といわれる部分で、
異なる環境が重なり合う、生き物の生育・生息にとって非常に重要な場所である。

20120104-05広島県北広島町芸北八幡湿原
谷戸と森林との境界には湧水による湿地や水路ができる(広島県北広島町芸北八幡湿原にて)

春先、と言うよりもまだ冬、ヤマアカガエルやカスミサンショウウオが森から出てきて
このような湿地で交尾し産卵する。
ヤマアカガエルの赤い腹、おびただしい卵塊。
湿地の落ち葉を掻き分けると出てくるカスミサンショウウオ。
この時季にだけほんの少し里に下りてきて、またすぐ山に帰る。

春になって、湿地や水路、田んぼでは、いろいろな生き物が生まれる。
春に田んぼで生まれてヤゴになった赤とんぼ(アキアカネ)は、初夏には羽化し、
山に消える(このころはまだオレンジ色だ)。

秋風が吹く頃になると、真っ赤になった赤とんぼが大挙して山から里に帰ってくる。
稲刈りが終わった田んぼに卵を産むのだ。
卵は湿った泥の中で越冬し、春、田んぼに水をはる頃になると孵化してヤゴになる。
えざらい、田植え、稲刈り、田起こしという稲作の一年のサイクル。
何百年、何千年もかけて谷戸では人間の営みにあわせて
生き物もそのライフサイクルを構築してきたのだ。
20120104-06カスミサンショウウオの生体20120104-06カスミサンショウウオの卵塊
カスミサンショウウオの成体(右)と卵塊(左)(広島県北広島町芸北八幡湿原にて)


最小の流域である谷戸。
それは自然と人が長い時間をかけて創りあげてきた小宇宙である。
そんなたくさんの谷戸が支川をつくりあげ、支川が集まり、全体として流域となる。
上流での災いは下流の災いとなり、下流での災いは上流での災いとなる。
また、逆に、上流での幸せは下流の幸せとなり、下流での幸せは上流での幸せとなる。

小さな一つひとつの谷戸での幸せを、流域全体で共有していこう。
家庭で、地域で、仕事場で、一人ひとりが前向きに取り組めば、
全体で幸せになれるはずである。
家庭で、地域で、仕事場で、一人ひとりが前向きに取り組める一年でありたい。
いや、みんなでそういう一年にしていこう。

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