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楽しく歳を重ねよう-新たな年に向けて

小春日和

街路樹は葉を落とし、寒々とした街に吹き抜ける風が冷たい。
秋から冬に向かう季節に、たまにぽっかり穴が開き、ぽっと暖かい日がある。
風はやみ、陽の光がやさしい。
11月から12月にかけて、そんな小さな幸せを感じさせる日がある。

小春日和である。

最近の日本語を知らない人は、
「今日は春らしい小春日和の日ですね。」などと言う。
小春日和は晩秋なのである。

小春日和は、英語で「インディアン・サマー」(Indian Summer)という。
Indian Summerのいわれには諸説あるようだが、
よくいわれるのは、“Indian”には俗に「偽りの」という意味があり、
夏のようで夏でないということなのである。
ドイツでは「老婦人の夏」、
イギリスでは「セント・マーチンの夏」といい、
欧米ではいずれも春ではなく夏である。
日本では春なのは、旧暦10月のことを小春というからだ。

「老婦人の夏」という言葉に象徴されるように、
欧米のこれらの言葉にはもうひとつ重要な意味がある。
それは、「老境での落ち着いた幸せな日々」という意味である。
小春日和は、寒さが募る中にぽっとある暖かくやさしい日である。
これから最後の季節である冬-人生最後の時-に向かう前に出現する
落ち着いた幸せな日々。
人生の小春日和。

20111201-01陽だまり
ほっとした陽だまりに小さな幸せを感じる


四住期

ヒンズー教では「四住期」といって、
理想的な人の一生の過程を次の4つの時期に分けている。

1.学生期:師についてヴェーダ(バラモン教の教典)を学ぶ時期
2.家住期:結婚して子をもうけ、一家の祭祀を執り行い家業を繁栄させる時期
3.林住期:家を出て森に隠棲し、質素で禁欲的な生活を送る時期
4.遊行期:住まいを捨てて行者となって放浪し、解脱を目指す時期

四住期は、最終目標の解脱に向け人生を4つの期間に分け、
期間ごとにあるべき姿を設定したものである。
全てのヒンズー教徒がこれを遂行するわけではないが、
あの釈迦もこの教えに従って王族の生活を捨て修行の旅に出たのである。

20111201-02釈迦苦行像
出家した釈迦は6年間様々な苦行を行なったが、その無意味さに気づき苦行をやめた。
他の苦行者は彼を脱落者として嘲笑した。
釈迦苦行像(埼玉県川口市西光院)


ヒンズー教の教えをそのまま現代日本に焼き付けることはできないが、
この四住期の考え方は示唆に富んでいる。
最後の遊行期は全てを捨てた解脱への旅であり、
現代の日本人にはちょっと現実的でないが、
1.学生期から3.林住期までは私たちの人生にもよく当てはまる。
このうち人生の小春日和に相当するのは3番目の林住期であり、
四住期にあえてこの時期を設定していることから、この時期の重要性がわかる。

林住期とは、子を育て、孫の顔を見届けた後、
清貧で落ち着いた隠遁生活をするというものである。
今の日本の社会でいえば、還暦を過ぎた頃であろうか。

林住期の意味は二つ。
一つは家住期に入った子供が家長として存分に活躍できるよう身を引くこと。
もう一つは最終目標である解脱への準備を落ち着いてすることにある。

前者は、後進に道を譲り、背後で支えることと前向きにとらえたい。
後者は、人生の終わりに向けて心静かに様々なことを整えると考える。
暴風雨や厳寒の中で人生を終わらせたくない。
人生最後の前は小春日和でありたい。


素晴らしき哉、人生

しかしながら、人生85年の高齢化社会である。
還暦で孫の顔を見たら引退では、
年金制度崩壊のわが国にあっては残念ながら社会がもたない。
非婚・晩婚、少子化で先細る労働人口では、
拡大する高齢者人口は支えられないのである。
また、まだ1/4も残っている人生を無為に過ごすのは耐え難い。
林住期に入っても、人生を楽しむ権利は依然として有しているのである。

小生は大学でレクリエーションに関係する学科で学んでいたため、
余暇開発論という講座があった。
最初は遊びが学問になるんかいなと思ったが、
ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」や
カイヨワの「遊びと人間」を教えてもらい、ぶっとんだ。

ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」では、
企業活動はもとより戦争に至るまで、
あらゆる人間の活動には遊びのようなゲーム性が見られるといい、
「人は遊ぶ存在である」といったのだ。

勉強、勉強の受験戦争で入った大学で、
遊びこそが人間の本質だと教えてもらったのだ。
このホイジンガに影響を受けたカイヨワは、「遊びと人間」で、
遊びを「競争」「偶然」「模倣」「めまい」の4つに分類した。
この中で、特に「めまい」をあげたのには、めまいがした。
意表をつき、真実をつかれた気がした。

「人は遊ぶ存在である」なら、
単なる隠遁生活や放浪生活をしていてはいけない。
清貧な暮らしをしつつも、いつも遊び心をもち、
時には「めまい」を楽しむ暮らしがしたい。
それには社会とつながっていなくてはならない。
「環境」とは、人間がいて、はじめて存在するものである。
社会とつながっていなければ、「環境」も存在しないのである。

どんなちっぽけな人間であれ、社会に影響を与え、社会から影響を受けている。

もし、あなたが生まれてこなかったら、
どれだけ多くの人が楽しみを失っていたことか。

もし、あなたが生まれてこなかったら、
あなたのお母さん、あなたのお父さん、あなたの友達、
あなたの友達の友達、どれほど多くの人の楽しみが失われていたことか。

小春日和の暖かな日々を、毎日毎日遊ぼうではないか。
素晴らしき哉、人生。

20111201-03映画「素晴らしき哉、人生」
映画「素晴らしき哉、人生」。
どんな人間も絶対不可欠な1ピースであり、この世に不必要な人間などいないのだ。
クリスマスにおすすめです。


愛される年寄りになろう

徒然草には老人を題材にしたいくつかの面白い話がある。
兼好法師は隠遁論に偏っているきらいはあるが、素直に耳の痛い話もある。

【168段:年老いたる人の】(現代語訳:吾妻利秋)
一芸に秀でた老人がいて、
「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、
言われるまでになれば、年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。
しかし、才能を持て余し続けたとしたら、
一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。
隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。

おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言い散らせば小者にしか見えず、
時には間違えることもあるだろう。
「詳しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば本物らしく、
その道のオーソリティにも思われるはずだ。
ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。
老人が言うことだけに誰も反撃できず、聞く人が、
「嘘をつけ」と思いながらも耐えているのには、恐怖すら覚える。

20111201-04兼好法師
かなりの皮肉屋だった兼好さん


歳をとると自分を包んでいたものが削げ落ち、
だんだんとむき出しの自分になってくる。
「自己チュー」になれば、その行為は「小さな親切、大きなお世話」となる。
空気は読めず、自分では気づかない。
モンスター・オールドにならないよう、みんな「愛される年寄り」になろう。

良いお年を。

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