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大和路の旅

この秋の連休を利用し、一人、奈良へ行った。
大和路をゆっくり歩くことは、中学生の頃からの夢だった。
何度か奈良には行ったことがあるが、奈良市内がほとんどで、
山辺の道、斑鳩、飛鳥などの史跡を訪ねて
ゆっくり歩くのが夢だったのである。

柿が実り、ススキが揺れる秋晴れの大和路。
柿本人麻呂や聖徳太子が歩いた道と同じ道を今、歩いている。

飛鳥板蓋宮跡は田んぼの中に石畳だけが残っている。
ここはあの「虫殺し(645年)」の大化の改新(正確には「乙巳の変」)
の舞台となった場所なのである。
権力を手中にするため、聖徳太子の息子の山背大兄王一族を滅ぼすなど
横暴を極める蘇我入鹿を、中大兄皇子と中臣鎌足らが暗殺したのが
まさにこの場所なのである。

645年6月12日、三韓(新羅、百済、高句麗)からの進貢の儀式が行なわれていた、
まさにここで、皇極天皇(中大兄皇子の母)の目の前で、
中大兄皇子と中臣鎌足らにより蘇我入鹿は殺されたのである。
緊張と恐怖でなかなか決断できない暗殺役の佐伯子麻呂を見かねた中大兄皇子は、
自らおどり出て入鹿の頭と肩を斬りつけた。
入鹿が驚いて起き上がると、子麻呂が片脚を斬った。
息絶えた入鹿はどうなったか。
日本書紀の記述に言う。

『是の日に、雨ふりて
濟水(いさみず)庭に溢(いつ)めり。
むしろ・障子を以ちて鞍作が屍に覆ふ。』

(※「鞍作」とは入鹿のこと)

20111101-01伝飛鳥板蓋宮
伝飛鳥板蓋宮。1500年前、まさにここでクーデターは起こった。(資料:明日香村HP)


当時No.1の権力者の遺体を誰も引き取りに来ず、
庭に投げ捨てられたまま、
むしろをかけられただけで雨に打たれているのである。
こんなことがあるのだろうか。
こんなさらしものに本当にできるのだろうか。
フセインやカダフィの遺体を野ざらしにするだろうか。

中大兄皇子は後に天智天皇となる。
そして、日本書紀を編集したのは天智天皇の孫にあたる舎人親王である。
舎人親王は、祖父でまさにその当事者であった天智天皇から、
大化の改新の話を直接聞いたことだろう。
勝者の口から具体的に、かつ誇張されて。

そう、日本書紀は政治的勝者によって作られた体制側の「正史」である。
それが本当に「正しい歴史」かどうか。
そこでは、敗者の正しかったこと、勝者の正しくなかったことは
闇に葬られてしまうのである。

私たちはこのことにいつも注意しておかなければならない。
勝者の言うことや世間に惑わされず、
いつも本質を見つめていなければならない。


原発事故で見えてきたこと

翻って、今回の原発事故とそれ以降のごたごたである。

まず、おことわりをしておかなくてはならないことがいくつかある。
筆者は、いわゆる原発推進派でも、原発反対派でもない。
また、特定の政党を支持するものでもない。
ましては、特定の企業や団体を擁護、あるいは糾弾するものでもない。
立場はまったくのニュートラルである。


「えっ、そうだったの!?」という話が次から次へと出てくる。
『想定外の大津波で』
『想定外の電源喪失で』・・・

えっ、大津波も電源喪失も想定していなかったの?

「以前の委員会でその危険性が指摘されていたにもかかわらず」
「事故発生直後、その迅速な対策の必要性を認識していたにもかかわらず」・・・

「もし、原発で事故が起きた場合、どのくらい放射能が漏れるんですか?」

『残念ながらそのご質問には答えられません。なぜなら、原発は絶対安全で、
 放射能が漏れるということはありえないからです。』
『仮に、もし万一事故が起こったとしても、全てのリスクを『想定』し、
 何重もの安全対策がとられています。』

私たちは、飛鳥時代に生きているのではない、
現代日本の自由・平等な民主主義社会のもとでこう聞かされ続けてきた。
そこには勝者も敗者もないはずであった。
世論がみつめる中、勝者に都合のよい正史が作られることなどありえないと思っていた。

20111101-02わくわく原子力ランド
文部科学省と資源エネルギー庁が作成した副読本では、
原発が「大きな地震や津波にも耐えられる」と記述されていたのだが・・・


当事者である経産省、原子力安全・保安院、電力会社の責任が問われている。
しかしながら、国民世論の形成に寄与したのは彼らだけではない。
多くの委員会で検討を行い、お墨付きを与えてきた
学識経験者と呼ばれる人たちはどうだろうか。
技術立国日本の原子力技術は世界一安全と言ってきた
評論家やジャーナリストはどうだろうか。

今、彼らはどんな気持ちなんだろう。
「あの時は間違っていた。」とか「まことに恥ずかしい。」とか言うことは
ちっとも恥ずかしくない(ちょっと恥ずかしいか)。
言わないことの方が、もっと恥ずかしい。

僕は、この事故が起こってから原発を批判的に論ずる人は信じない。
事故の前からそれを訴え続けてきた人を僕は信じる。
世間に惑わされず、本質を見てきた人を僕は信じる。


5千万年後の寓話-悪魔の遺産

西暦5千万年。
生き物は絶滅を繰り返しながら地球上になお繁栄していた。
何度かの氷河期に耐えかね、他の惑星に移住したものもいたが、
地球に残った人類は、ホモサピエンスといわれていた数千万年前から進化し、
大きくその姿を変えながらもその子孫はかろうじて命をつないでいた。

ここ数千年は、何万年かごとの火山活動の活動期に入り、
地球のあちこちで地殻変動が起きていた。
その地殻変動に伴い、突如、超高純度のウラン岩塊が出現して放射能を発し、
地球上に拡散して地球上の生物に多大な影響を及ぼしていた。
あるものは地域個体群が失われて絶滅し、
あるものは異常な突然変異により死に絶えた・・・

新生代第四紀の現在、エベレストの山頂では、ウミユリの化石が見つかる。
約5千万年前、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり、
海底の堆積層が隆起してヒマラヤ山脈ができた。
地球46億年の歴史の中で、世界の屋根ヒマラヤ山脈は、
たった5千万年前は海の底だったのである。

原発の使用済み核燃料はどう処理されるかご存知だろうか。
ウラン235・238やプルトニウムなどの高レベル放射性廃棄物は冷却された後、
地下300mに埋設処分される。
とりあえず、目の前から消えるのだ(ゴミといっしょだ)。

核燃料のウラン235の半減期をご存知だろうか。
なんと、7億年である。
300mの地下処分に何の意味があるんだろう。
5千万年後に突如現れた先祖の悪魔の遺産。

20111101-03世界の屋根エベレスト
世界の屋根エベレストもかつて海の底だった。


ライフサイクルアセスメント(LCA)という言葉がある。
重要な視点だと思う。
LCAでは、今だけを見るのではなく、
原料採取や製品製造などの「これまで」と、
使用後の廃棄処分の「これから」にも目を向け、
製品が生まれてから死ぬまでのライフサイクル全体を見つめるのである。

原発を例にとれば、原発の「これまで」は、
原発を作ってきた人間には経験がある。
問題は「これから」である。

冒頭のSFのショートストーリーはいかがだったろうか。
そんなツケを未来の子孫に残していいのだろうか。
また、原発が廃炉になったとき、1基で1万tの放射性廃棄物が生まれ、
解体費用だけで数百億円かかるといわれている。
今だけを見るのではなく、このような「これから」にも目を向け、
考えるようにしていきたい。
他人や世間に惑わされず、自分で考え、想像し、本質を見つめていきたい。


嫌な言葉

僕には嫌な言葉がいくつかある。
そのうちのひとつが「させていただく」である。
僕自身も以前よく使っていたことがあり、まことに「恥ずかしい」。
「させていただく」と言うと、とてもへりくだったように聞こえる。

滅私した謙譲こそ日本の文化である。
だが、「させていただく」と言ったとき、
それをやった自分の意志はどこにあるのだろう。
自分ではない誰かの指示でやったように聞こえる。
まるで、ひとごとなのだ。
思考停止している。
そこには、信念と責任はない。
お前がやるんだろ!

ここに、今回の原発事故のような問題の根っこのひとつがあると思う。
委員会で委員は検討させていただいたのでも、
提言させていただいたのでもない。
それぞれの委員の意志に基づき、それぞれの委員の責任において検討し、
提言したはずである。
経産省、原子力安全・保安院、電力会社にしてしかりである。
そして主権者たる私たち一人ひとりにしてしかりである。

自分は、させていただいたのではない。
自分のこういう考えに基づいて、自分の意志でこうやったのだ。
少しも尊大ではない。
胸を張って「します」と言おう。
へりくだるなら、「いたします」と言おう。

環境問題に対する重要なスタンスは、
「ひとごと」ではなく、「わがこと」とすることである。
一人ひとりが「ひとごと」として政治や企業に任せるのではなく、
自分の意志に基づく「わがこと」とすることにより、
本質を見る目が養われ、行動を起こすことができる。

他人や世間に惑わされず、自分で考え、想像し、本質を見つめていこう。

そして、自分の意志を持って、「します」と言おう。

20111101-04飛鳥
鬼の雪隠から飛鳥を望む。
たたなづく青垣、山ごもれる大和しうるわし。
飛鳥は奈良盆地の南東部に位置するわずか2km四方弱の狭い地域である。
わずか百年の間に、ここで中国・韓国の文化を吸収しながら「日本」が確立した。
明治維新以上の激動の時代だったはずである。

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