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21世紀の高齢者たちのために

シルバーウィーク

一昨年だったか、9月に5連休があったのを覚えておられるであろうか。
これは、敬老の日と秋分の日の2つの祝日が関係している。
秋分の日は、天文学上の秋分日という自然現象なのだが、
日付はなんと前年の閣議で決められるそうである。
すなわち、2年後の秋分の日は、実はまだ決まっていないのだ。
自然現象を政治が決めるなんて!
天文学上の秋分日は、たいてい9月23日だが、22日や24日の年もある。
ちなみに、今世紀中は24日はないそうである。

一方の敬老の日だが、以前は毎年9月15日を敬老の日としていたが、
いわゆるハッピーマンデー制度の実施によって平成15年から9月の第3月曜日となった。
従って、敬老の日は必ず3連休になる。
これに秋分の日が絡むと、5連休・・・にならないではないか。
1日足りない。
実は、「国民の休日」なるものがある。
「国民の祝日」で前後を挟まれた日が「国民の祝日」でない場合に適用される休日で、
一昨年は9月22日が「国民の休日」だったのである。
次に9月に5連休が発生するのは2015年だそうである。
乞うご期待。

ちなみに、この9月の連休を「シルバーウィーク」というのだそうだ。
「ゴールデンウィーク」との対照と、敬老の日の「シルバー」にかけたと思われるが、
言いえて妙である。


老人大国

さて、その敬老・・・高齢化についてである。
(しかし、「後期高齢者」とはなんてひどい言葉なんだろう)
高齢化といえば世界の中で日本の代名詞であるが、
実は、中国が大変なのである。
老人国家日本を抜いて今やGDPは世界第2位、
2桁の経済成長をとげるあの中国が、である。

日本と中国の高齢化率に目を向けてみよう。
日本の高齢化率は、2010年は23.1%であったのに対し、中国は12.8%であった。
(但し、中国は60歳以上、日本は65歳以上の数字)
これが40年後の2050年には日本は39.6%(なんと4割が老人!)なのに対し、
中国は31.1%である。
日本は超高齢社会となるが、中国もまあそこそこである。

20110901-01高齢化率

だが、高齢化率ではなく、高齢者人口に目を向けてみると・・・とんでもないことがわかる。

20110901-02高齢者人口

日本の高齢者人口は、
2010年から2050年の40年間に2,900万人から3,800万人へと1.3倍になり、
900万人増えるだけであるが、
一方の中国は、1.7億人から4.4億人と2.5倍になり2.7億人増えるのである。

中国の高齢化は規模が大きいだけでなく、実態が悲惨なのである。
なぜ、中国の高齢化が悲惨か。
それは一言で言えば・・・豊かになる前に老いてしまうからである。

日本では、経済成長を終えた後、高齢化を迎えた。
様々な社会基盤が整備された後、高齢化社会を迎えたのである。
一方の中国では、まさに今、そしてこれから高齢化と経済成長が同時進行するのである。
社会基盤は住宅や道路、そして最近事故を起こした鉄道などのハードだけではない。
社会保障制度、年金や福祉・医療制度のソフトなインフラもそれ以上に重要である。

数億人の年金をどうやって生み出すのか。
儒教の国中国では、定年退職後は再就職せず、
年金生活が一般的だそうである。
この大量の高齢者を少数の働き手が支える・・・
中国といえば一人っ子政策である。
一人っ子政策は、結果として歪な人口構成を招いてしまった。
一人っ子政策によって生まれた自己中心的な「小皇帝」と歪な男女比は、
中国の伝統的な家族制度や社会システムの崩壊を招いてしまった。

そのような中で、もう目の前の10年後の2020年には、
中国の高齢者は8,000万人増えて2.5億人になるのである。
現在の日本の人口は1.3億人だから、
10年後の中国は高齢者だけで今の日本の人口の倍になるのである!

高齢化による社会システムの崩壊、
自由を知った若者の体制への疑問。
おごれる人も久しからず、猛き者も終には滅びぬ。
自業自得よ。
と簡単にいかないのが人の世である。

中国という沙羅双樹の花の色があせた時、世界は、日本はどうなるか。
レアアースが少し止められただけで大変な騒ぎである。
世界の工場、世界の消費地にして、
世界の基軸通貨ドルの米国債最大保有国が混乱に陥れば、
地球全体が諸行無常の響きに包まれるのである。


「豊かさ」と「幸せ」

今の中国の状況をみていると、1980年代のバブルのころを思い出す。
1980年代、わが国はオイルショックを克服し、
1987年には1人あたりのGDPがアメリカを抜いたのである。
ちょうど中国が日本を抜いて世界第2位のGDPを達成したように。
経済成長は貿易不均衡を生み、
プラザ合意、前川レポートと
内需拡大による不均衡解消路線をとったが、
これが実体経済とはかけ離れたバブル経済を生んだのである。

あの頃、みんな経済大国に酔いしれた。
強気で猛き今の中国のように。
当時、小生は東京にいたが、あの頃の東京はすごかった。
夜の街は連日人であふれかえり、帰りのタクシーが拾えない。
(今はどこも客待ちタクシーの長い列だ)
そこで、どうするか。
手に万札を持って振りかざしてタクシーを拾うのである。
万札の意味は、どんなに近くてもおつりはいらないという意味である。
当時仕事で付き合っていたリゾート開発のフィクサーが言った。
「36Hのゴルフ場?そんなのゴルフ場じゃない。
72Hを作れ!金?心配するな。
金はいくらでもある。但し、俺の金じゃないけど。

そのような熱気の底で、バブル崩壊はじわじわと進んでいた。
やがて、土地などの資産は右肩上がりの高値を維持できなくなった。
資産の価格が一旦下落に転じると、
含み資産という実体のないはかない泡の上に築かれていた経済は、
泡が次々とはじけて坂道を一気に転げ落ちた。
失われた10年を経て、あれからもう30年たつ。
20110901-03ジュリアナ!
ジュリアナ!

バブルの頃、GDPがアメリカを抜いて経済大国になったといわれても、
ウサギ小屋に住んでいる日本人は「豊かさ」が実感できなかった。
「豊かさ」って何だろう?「幸せ」って何だろう?
人により様々な意見があると思うが、
「幸せはお金では買えない」と「衣食足りて礼節を知る」は
多分誰も反対しないだろう。

しかし、この2つはある意味相反する。
お金がないと衣食足らず、従って礼節を知らず、
従って幸せにはなれない。
ゆえに、お金がないと幸せにはなれない。

衣食、すなわち生きていくための最低限の生活は、幸せの前提なのである。
「幸せはお金では買えない」を裏返せば、
幸せ以外のものはお金で買えるのである。
そして、お金で買える「豊かさ」は物の豊かさである。
ということは、お金で買えない「豊かさ」は心の豊かさであるといえる
(一部、お金で買える心の豊かさもあるが)。
では、心の豊かさはどのように求めていったらいいのだろうか。


幸せをはかる「ものさし」

国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)というものをご存知だろうか?
GNHとは、ブータンのワンチュク国王が国づくりの指標として提唱した概念で、
物の豊かさを目指すのではなく、心の豊かさ、
つまり幸せを目指すべきだとする考えから生まれたものである。
ブータン国立研究所所長のカルマ・ウラは次のように述べている。

「経済成長率が高い国や医療が高度な国、
消費や所得が多い国の人々は本当に幸せだろうか。
先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。
地球環境を破壊しながら成長を遂げて、
豊かな社会は訪れるのか。
他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは
人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ。」

20110901-04ブータンの子供たちの幸せそうな顔
ブータンの子供たちの幸せそうな顔(日本ブータン友好協会ホームページより)

また、世界幸福地図(World map of happiness)というものがある。
これはイギリスの社会心理学者エイドリアン・ホワイトが提唱した
国別に幸福度を表した地図で、
幸福度は健康、富、教育で評価される。
1位デンマーク、2位スイス、3位オーストリアとなっており、
ちなみに、ブータンは8位、アメリカは23位、
日本はなんと・・・82位の中国に劣る90位となっている。
わが国は、かなり不幸せな国なのである。

20110901-05世界幸福地図
世界幸福地図 赤が濃いほど幸せ!


吾唯知足

石庭で有名な龍安寺に、これまた有名な「知足の蹲(つくばい)」がある。
蹲とは、茶室に入る前に手や口を清めるために水をためておく石のことである。
この蹲は、徳川光圀(水戸黄門)寄進と伝えられるもので、
真中の水をためる部分を正方形にくりぬいて□とし、
それを漢字の偏やつくりとして「吾唯足るを知る」と読ませるものである。

「吾唯知足」にはいろいろな解釈があるが、
一般的には「満足することを知っている者は(たとえ貧しくても)幸せである。」と解釈される。
逆に言えば、満足することを知らない者はいくら贅沢な暮らしをしていても幸せではない、
ということである。

まず重要なのは、「足る」ということである。
「足る」の対象とその度合いである。
たとえ貧しくても「足る」のである。
いわんや普通の生活においておやである。
そしてそれを「知る」のである。
足りていることを認識するのである。
足りていることが認識できれば、
足りていないことに不満を持つこともない。
それこそが幸せではないだろうか。

来たるべき、いや、もう既に来ている高齢化社会。
足ることを知らない高齢者が満ち溢れる社会を想像してほしい。
僕はいやだ。
みんなで微笑みあえる高齢化社会がいい。
そんな社会を今から少しずつみんなでつくっていかなくてはならない。
僕のために。
あなたのために。
21世紀の高齢者のために。

20110901-06龍安寺の「知足の蹲(つくばい)」  20110901-07龍安寺の「知足の蹲(つくばい)」
龍安寺の「知足の蹲(つくばい)

 

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