| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

自ずから然り・その2(2017.4)

蟻はどの足から歩き出すか

以前、トンボを擬人化したシンボルマークの制作に関わったことがあった。
最終案として提示された図案に意見を申し上げたのだが、
あまり真面目に受け取ってもらえなかった。
小生が何を申し上げたかと言うと、
図案化されたトンボは、1対の足が胸から、2対の足が腹から生えていたのである。

昆虫の足は6本だと知っていても、昆虫は頭・胸・腹の3節から成り、
6本の足はすべて胸から出ていることを、大人でも知らない人は多い。
さらに、なぜ昆虫の体は頭・胸・腹の3節でできているのか。
なぜ昆虫の足は6本で、胸から出ているのか。
6本もある足をどのようにして使って歩くのか。
専門家でも答えられない人は多いのではないかと思う。

仙人とよばれた画家・熊谷守一は、
日がな一日中地面にはいつくばってアリの足の動きを観察した。
アリは6本の足をどのように動かして歩くのか、観察したのだ。
高速度カメラなどではなく、自分の目で確かめようとし、
またそれができるところが尋常ではない画家の目だ。
彼の著作「へたも絵のうち」で彼は言う。

「地面に頬杖つきながら蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、
蟻は左の2番目の足から歩き出すんです」

image001_20170331093110d3c.jpg
熊谷守一の代表作のひとつ「赤蟻」。
晩年に向かうにつれ、彼の絵は線と面だけで構成されるシンプルなものになってくる。
対象をとことんまで見つめ、凝縮して写しとったかたち。
彼の言葉を知っていると、つい蟻の左の2番目の足に注目してしまう。

生きものの体やその仕組みというものは、既成概念にとらわれていてはだめだ。
創造主のデザイン能力はわれわれの常識をはるかに超越している。
例えば、タコやイカである。

タコやイカは、分類学上は「頭足類」という。
なぜ「頭足類」というか。
それは、文字どおり、頭から足が生えているからである。
タコやイカは、足の位置を下とすれば、上から順に胴・頭・足である。
目の下、口のまわりから足が生えているのである。
何と不気味な!
そんな獣や人間がいたら、これは怖いよ。

そこまでじゃないけど、僕はゾウのデザインはすごいと思う。
鼻が手なんて、いったいどういう発想なんだ。
もし、ゾウの姿を知らなくて、その姿について、
「鼻が伸びて手になっている」と説明を受けたら、
あなたはその姿を想像できますか?

「飛ぶ」ということ

昆虫という動物は、太古の昔からずっと繁栄を謳歌してきただけあって、
驚異的なこと、わからないことが多い。
僕が一番わからないのは、「飛ぶ」ということだ。

飛行機が空を飛ぶのは鳥がモデルである。
飛行機の翼の断面は上部が膨らんだ形になっていて、
断面の長さが上部の方が下部よりも長く、
このため上部と下部とでは流れる空気の速さと圧力が異なる。
これにより、翼を上に持ち上げる力(揚力)が働き、浮上するのだ。
ただし、それには翼で空気を切る力、即ち推進力が必要となる。
推進力は、飛行機の場合はエンジン、鳥の場合は羽ばたきである。

image004_2017033109311320e.png
飛行の原理:翼の上部では下部と比較して空気が流れる距離が長いため、
流れる速度は速くなり、ベルヌーイの定理により圧力が低くなる。
この圧力の差により翼を上に持ち上げる揚力が働く。

難しいのは、空中で制止するホバリングである。
ある力が働けば、力を加えたものに対して必ず逆の力(反作用)が働く。
羽などで空気を押せば、体には反作用が働いて動いてしまう。
ヘリコプターは回転尾翼がなければ、
ホバリングすれば主翼の回転の反作用で機体が回転するだろう。
だから、ホバリングは飛翔や滑空などと違って、かなり難しい。
鳥でもホバリングができるのはハチドリぐらいではないだろうか。

虫のホバリングといえば、トンボである。
トンボは前後の羽がすごいスピードで上下逆に動くからホバリングできるのだ。
トンボは飛翔する虫の王者である。
オニヤンマの飛ぶ速さはとんでもない。
だからオニヤンマを捕まえるのは難しい。
佐々木小次郎なら百発百中だろうが。

昆虫の飛び方は様々であるが、
どうして飛べるのかわからないものばかりである。
しかも、俊敏にコースを変え、周りの空気の流れなどおかまいなしだ。

まず、チョウである。
あんな羽ばたきで、どうやって揚力を得るのだろうか。
また、軽いとはいってもあんな大きな羽を動かす力はどこからくるのだろうか。
鳥は胸筋が発達しているが、
チョウは筋肉もなく、羽が背中にただくっついているだけのように見える。

カブトムシなどの甲虫の飛び方も不思議だ。
固い羽を開いたかと思うと、その下の薄い羽を大きく広げ、いきなり飛ぶ。
助走や羽ばたきなど何もない。
しかも、チョウと違って、体は相当大きく重そうに見える。

「ブンブンブン」といえば、ハチが飛ぶ。
「プーン」はカだが、そばに来ると「キーン」といったような感じで、
その周波数は相当高いように思われる。
音からして相当細かく羽を動かしていることは想像できる。
ハチは1秒間に250回羽ばたき、小さい虫ほどその回数は多いそうだ。

カが近くを飛んでいても、
手や足にとまらない限り、空中で撃破するのは結構難しい。
何度も空振りで手をたたく。
もし、カが飛行機だったら大変なことである。
飛行機よりも何十倍も大きい巨人の手が周りで振り回されているのである。
この乱気流に耐えられる飛行機はあり得ない。

image006_20170331093116742.jpg
クローバーにとまるヒメシジミ(広島県レッドデータブック・絶滅危惧Ⅱ類)
チョウはどうやって揚力を得て飛ぶんだろう。

ごく身近な虫たちを見てもわからないことばかりだ。
もし、虫たちはどうしてああいうふうにして飛べるのかがわかり、
それを人間の手で再現することができたら、
科学は相当進歩し、社会・文化に相当貢献できると思う。
人類の進歩は常に自然から学んだのだ。

物にはすべて理由がある

僕が好きな、そして尊敬する博物館の学芸員さんがいる。
彼がやる環境学習の様子を、
彼の下で毎年川の環境学習に取り組んでいる
小学校の校長先生に聞いたことがある。

川の環境学習では、カゲロウやカワゲラなどの水生昆虫を採取して、
シャーレに取り分けた虫をスケッチする。
子どもたちはルーペで見ながらそれぞれ虫の絵を描いていく。
絵が描けた頃、彼が言う。
「シャーレを持ち上げて、横から見てみよう」「どう?ペッチャンコだろ」

上から見ると、
目があって、触角があって、足があって、腹があって、虫の形をしているが、
横から見ると、何と!極薄である。
「うっすー」
子どもたちから驚きの声が上がる。

すかさず彼が聞く
「どうしてこんなに薄いんだろう?」「薄いと何かいいことあるのかな?」
子どもたちは考えるが、意見は出ない。
「この虫は、どこにいたっけ?どうやって採ったっけ?」
「石の裏に張り付いていたよね」

ここでやっと一人の子どもが言う
「石の隙間に入るためだと思います」
彼は言う
「そうだね。デブだと石の隙間に入れないよね。
じゃあ、なんでこいつらは石の隙間に入りたがるんだろう?」

川の魚たちはこれらの虫を餌にしていることを話し、
「川の流れにあおられて流れの中に出たらどうなるだろう?」
「食べられちゃう!」
体が薄ければ、石の間に入り込めるだけでなく、
水の抵抗も受けないことを話した後、彼は言う

「何で虫の体が薄いかわかっただろ。どうしてそうなったか、
『物にはすべて理由がある』んだ」

子どもたちに教えなければならないのは、虫の名前ではない。
授業の目的は、スケッチではない。
伝えなければならないことは、身近な自然の裏側にある自然の法則だ。

自然の法則は、思いつきではない。
自然界で起こるすべての「果」には必ず「因」があること。
それを気づかせ、気づくことによって自然のすごさを認識すること。
その認識の下に、
「果」の背後にある「因」を追い求めていくことの面白さに気づき、
その重要性を認識すること。
それが子どもたちに伝えるべき本質だと思う。
サイエンスの本質だと思う。

蟻はどの足から動き始めるか。
そして、それはなぜか。
自然は、われわれ人間がそうしたのではなく、
自ずからそうなっているのである。

| 未分類 | 10:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

自ずから然り(2017.3)

庭いじり事始め

昨年の年初から始まった実家の整理、改修、引越し、後片付けなどなどが
ほぼ一年かけてどうやら終息し、
ようやく本気になって庭いじりにとりかかろうかという気持ちになってきた。
で、公園の計画・設計をやっていたころの言葉をふと思い出したのである。
「土方杭」(どかたぐい)という言葉を。

杭というものは、地面に打ち込むため、くさびのように先の方が細く尖っているものである。
しかし、用いられる場合によるが、
造園の分野ではこれを「土方杭」といって軽蔑するのである。

樹というものは、根本が太く、先にいくほど細くなっているものである。
日本の自然の中では、根本が細く、先にいくほど太くなっているような樹はないのである。
(ポトスやゴムノキなどの熱帯植物はこの限りではない)
庭園に用いられる杭も自然の樹になぞらえるべきなのである。

image002_20170301090117dee.png
誇張して画けば、このようになる。

樹だけではない。石についても然りだ。
平安時代に書かれたというわが国最古の庭園書である作庭記では次のように言う。

もと立たる石をふせ、もと臥る石をたつる也。
かくのごときしつれば、その石かならず霊石となりて、たたりをなすべし

自然の中にあった時、もともと臥せたような石は臥せ、
立ったような石は立たせなければならない。
自然を手本とし、自然にあるような形で造作していくのが庭づくりの肝なのである。

自ずから然りと。

法隆寺の鬼

昨年新聞で、県内の工業高校生が卒業後、宮大工に弟子入りするという記事を見た。
今時珍しい子だな、大学や専門学校に行かず弟子入り、それも宮大工とは。
と思ったのだが、その会社名を見てハッとした。

その会社は「鵤(いかるが)工舎」とあった。
これを見て、もしやと思ったのだ。
調べてみるとやっぱりそうだった。
「鵤工舎」の創設者は小川三夫。
小川三夫は斑鳩の法隆寺のかの伝説の宮大工
西岡常一が許したたった一人の内弟子だ。
これはだだもんじゃない。

「法隆寺には鬼がおる」
西岡常一を指して言う言葉である。
西岡常一は法隆寺の宮大工の棟梁で、
法隆寺の解体修理や薬師寺、法輪寺などの再建に携わった。

これらの仕事においては経験に裏打ちされた自説を曲げず、学者と度々対立し、
その激しさから先の言葉「法隆寺には鬼がおる」と言われたのだ。
彼は古代建築の著名な学者に対し、

結局は大工の造った後のものを系統的に並べて学問としてるだけのことで、
大工の弟子以下ということです

と言ったのだ。実に痛快。
法輪寺の再建では、補強のための鉄筋の使用について学者と鋭く対立した。
僕も彼の本を読むまでは、
鉄筋・鉄骨やコンクリートを用い、
構造計算により強度が担保された近代建築が当然のごとく最も堅牢だと思っていた。

しかし、法隆寺はどうだ。
幾たびの地震や風雪に耐え、1,300年もその形を留めているのだ。
木には二千年の命があるという彼の言葉を僕は信じる。
鉄筋・鉄骨やコンクリートの物理的な堅牢さにとらわれてはいけない。
それは単に材料としての表面的なものなのだ。
これらの建材で組みあがった建築物は100年ももたない。
建材に命がないからだ。

木には命がある。
命があるから何百年もかけてゆっくり変化していく。
だからそれぞれの木の生い立ちや生まれ持った性質に目を向けなければならない。
そして、その木のありようを活かして、
あるべきところにあるべきように収めてやらなくてはならない。

自ずから然りと。

西岡常一が明らかにした宮大工棟梁としての西岡家の秘伝の中に次のようなものがある。

「堂塔の建立には木を買はず山を買へ」
「木は生育の方位のままに使へ」

木は、生育している場所の地勢や気候により、同じ種でも性質が異なる。
従って、建材として木を求める時は、一本一本の木を見るのではなく、
その木が生育している山を見て、山ごと木を買えと言っているのである。
そして、それぞれの木は、
その地勢や気候により生育の方向と度合いは一律ではなく、
その癖を見極めて木材を使えと言っているのである。

そして彼の中で底流として流れているのは、次のようなこころだ。

自然を「征服する」と言いますが、それは西洋の考え方です。
日本ではそうやない。
日本は自然の中にわれわれが生かされている。

image004_2017030109011916c.jpg
小学館文庫で出版されている。
目から鱗。少なくとも建築を志す人は必読の書。
僕は大いに考えを改めさせられるところがあった。

日本の自然に見出したもの

NHKのテレビ番組「猫のしっぽ カエルの手」は、
京都大原の古民家に住むイギリス人女性ベニシアさんのLOHASな番組で、
僕も楽しみに見ている。
前回お話ししたイザベラ・バードもイギリス人女性である。
なぜイギリス人女性が日本の自然や文化にはまるのか。

LOHASなイギリスといえば、何といっても自然を模したイングリッシュガーデンである。
しかし、イギリスの緯度は北海道よりも高く、
その植生は日本とは比較にならないくらい多様性に欠ける。
イングリッシュガーデンはイギリス人のかくありたいという、
理想の自然を反映したものではないかと思うのである。
北ヨーロッパの人たちが南仏プロバンスに憧れるように。
自分たちの周りにはない本質的なものを
日本の自然の中に見出したのではないかと思うのである。

先にご紹介した作庭記ではこうも述べている。

人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず

自然は最高の造形であり、人知など及びもつかないのだ。
人間よ、驕ることなかれ。
僕たちはもとより、すべてのものがその中にあるべきようにある。

自ずから然り、と。

| 未分類 | 09:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

知らないことを知ること(2017.2)

フケツの極み

「人も衣服も家も害虫でいっぱいで、
不潔ということばが自立して勤勉な人々に対しても遣われるなら、
ここの人々は不潔です。
夜になるとわたしの部屋では甲虫、蜘蛛、わらじ虫が宴会を繰り広げます。
それに同じ家屋に馬がいるので、馬が馬蠅を持ち込みます。
わたしの携帯用寝台には防虫剤をまきましたが、
毛布が少しでも床につくと、もう蚤にやられて眠れなくなります。」

「鶏、犬、馬、人間が薪をたいた煙で黒くなった粗末な平屋にいっしょくたに暮らしており、
山になった家畜の糞尿が井戸に流れ込んでいます。
幼い男の子で着物を着ているのはひとりもいません。
ふんどし以外になにか身につけている男性はわずかで、
女性は上半身裸のうえ、着ているものはとても汚く、
ただただ習慣で着ているにすぎません。」

とんでもない未開の地だ。不潔の極み、文化のかけらもない。
こんな不衛生な暮らしをしているかわいそうな人は、どこの国の人だ。
しかし、これは日本の話なのだ。
今から約140年前の1878年の日本の姿なのだ。
前者は栃木県日光市藤原、後者は福島県西会津町宝坂での話だ。
1878年という年は明治になってやっと10年、西南戦争の翌年である。

「イザベラ・バードの日本紀行」だ。
かの宮本常一が解説本を書き、前から気になっていた本だ。
やっと読んだ。

イザベラ・バードはイギリスの女流旅行作家にして英国地理学会特別会員で、
世界各地を旅行した。
冒頭のような悲惨で劣悪な異国の未開の地を、
地図をはじめほとんど情報もない140年前に、
外国人、しかも女性が一人で(日本人の通訳兼従者を一人連れているが)
数か月にわたってよく旅をしたもんだと思う。
学術的好奇心があったとしても、信じられない行動だ。
だから、彼女がその頃の日本でどのような体験をし、日本をどのように見、
日本のどのようなところに惹かれたのかとても興味があったのだ。

明治11年5月21日に横浜に上陸したイザベラ・バードは、
東京から日光、新潟、山形、青森を経由して北海道まで、
4か月かけて馬、徒歩、人力車、船により旅行した。

image002_2017020213312204c.jpg
「イザベラ・バードの日本紀行」講談社学術文庫(上下2巻)。
一般的には「日本奥地紀行」と呼ばれる。

貧相な日本・礼節の日本・美しい日本

「小柄で、醜くて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこんだ貧相な人々」

彼女の日本人の印象である。
分かるけど、こうはっきり書かれると、気分はよくないねえ。
この紀行文は彼女が妹に宛てた日記形式の私信のかたちをとっているので、
気がねするものもなく、今でいう差別用語も含め素直に書かれているのだ。

横浜の港で見た「移動のできるレストラン」―即ち「屋台」―については、

「人形のために人形がつくったように見え、
これの持ち主である小人は身長が5フィート(約152cm)ないのです」

なるほど、でかい外人からみたらそう見えるんだ。
しかし、お人形さんかよ。

「『顔の血色』と髭がないので、男の人の年齢を推し量るのはほとんど不可能です。
わたしは鉄道員は全員が17,8歳の若者だと思っていましたが、
実は25歳から40歳のおとななのでした」

と、こんな調子である。

image004_201702021331236be.jpg
「日本紀行」の中の挿画「屋台」。
彼女に言わせれば、「人形のために人形がつくったように見える移動のできるレストラン」

彼女は行く先々で好奇の目にさらされる。
140年前の北関東以北の日本では、白い肌、青い目の外国人、
それも女性の外国人など見たこともない人ばかりなのである。
結果、彼女は行く先々で、どこでも昼夜を問わず何十人もの野次馬に取り囲まれ、
無遠慮なまなざしに晒されるのである。

さらに、当時の日本人には、日本家屋には、プライバシーという概念はない。
泊まった宿屋の部屋の障子の向こうにも一晩中野次馬が居座るのである。
障子を穴だらけにして夜通し観察しているのである。
毎晩そんな状態で、よく旅をつづけたもんだ。
旅行記には、しょうがないなと記載しつつ、これに対して怒りをぶつけた記述はない。
穴があったら入りたいぜ、日本人。
何という民度の低さ。

しかし、彼女はこう言うのである。

「ヨーロッパの国の多くでは、またたぶんイギリスでもどこかの地方では、
女性がたったひとりでよその国の服装をして旅すれば、
危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、
値段をふっかけられたりするでしょう。
でもここではただ一度として無作法な扱いを受けたことも、
法外な値段をふっかけられたこともないのです」

「わたしは日本の子どもたちが大好きです。
赤ちゃんの泣き声はまだ一度も耳にしたことがありませんし、
うるさい子供や聞き分けのない子供はひとりも見たことがありません。
子供の孝行心は日本の美徳の筆頭で、
無条件服従は何世紀もつづいてきた習慣なのです」

日本人の姿や暮らしを酷評する一方、
地理学者であり、地勢や植物に対して知識と興味を持つ彼女は日本の自然を絶賛する。

「ほかにも花をつけるさまざまな樹木がありますが、わたしにははじめて見るものでした。
それに下生えとしては赤いつつじ、梅花うつぎ、青い紫陽花―まさしく天の青―、
黄色い木苺、羊歯、クレマチス、白と黄の百合、青いアイリス。
その他50種の高木低木に藤がからまり、
その美しい葉はイギリスの黒苺の葉と同じようになじみのものです。
植物の豊富さはまさに熱帯的で、
最近降った雨のしずくを宿している天然のままの緑のすばらしさと多様さは、
斜めに差込む午後の陽光にいっそうの魅力を増していました」(日光の山中にて)。

植生の貧弱なイギリスの自生植物は数百種であるのに対して、
南北に長い国土を持つ日本のそれは4千種といわれる。
「日本紀行」を読めば、日本の自然に対する彼女の興奮が伝わってくる。
日頃、僕たちは自然の豊かさを特に感じない。
豊かさの中にいると、豊かであることに気づかない。
「日本紀行」を題材に、知らないことがあることを知ることを教えてくれたのが宮本常一なのだ。

宮本常一のまなざし

20年ぐらい前、名著「忘れられた日本人」を読んで、
僕はもうすっかり宮本常一に参ってしまった。
「宮本常一」という漢字を見るだけでハッとする。
その宮本常一がこの「日本紀行」を読んで書いたのが
「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」である。

ここで宮本常一は色々なことに注目し、言及しているのだが、
中でもなるほどと思ったのが、前に少し述べた蚤の話である。
「日本紀行」では、どこへ行ってもこれでもかというくらい蚤の話が出てくる。
まるで日本人は、いつでもどこでもすべからく大量の蚤に囲まれて生活しているように書かれており、
かなりショックである。

というのは、中国から漢字がもたらされ、仮名が生まれ、
奈良時代以降多くの記録や文芸が残されているが、
万葉集や記紀の昔から明治に至るまで、
日本の著名な文芸作品に蚤のことを語ったものは僕の知る限りほとんどない。
そして、常識的に考えて、
イザベラ・バードが日本を旅した明治11年以前の日本はもっと未開であり、
従ってもっと蚤はいたはずである。

ここで、宮本常一なのだ。
宮本常一は、こういうところに注目するのだ。
彼に言われて当たり前のことに気づく。

彼はこう言うのだ。
当時の日本人にとって、蚤のいるのは当たり前だから書かないのだと。
そうだ。朝になれば陽が昇り、夜になれば陽が沈む。
誰にとっても日常の当たり前のことだから、とりたてて書く必要はないのだ。
しかし、イザベラ・バードにとっては非日常的なこと、全く当たり前のことではなかったのだ。
宮本常一は言う。

「蚤は戦後アメリカにDDTをふりまいてもらって姿を消すまでは、どこにもすごくいたのです。(中略)
田舎へ行くほどひどくて、座敷へ上るとパッと二、三十匹とびついてくることが多かったのです。
これが日本ではごく当たり前のことだったのです」

この話に僕はとても心を動かされた。
イザベラ・バードには見えていたことが、日本人には見えていなかった。
また逆に、日本人には見えていたことが、イザベラ・バードには見えていなかった。

誰しも、これまで自分が生きてきた経験の中でしか物事を認識することができない。
今まで経験したことのないことは、知らないことなのだ。
知らないことに初めてぶつかった時、どう考え、どう行動するか。
またその時、自分が知らなかったこと、相手が知っていたことを素直に認めることができるか。
そして、そのような想定外のことを自分の世界の中に取り込むことができるか。
何でもそうだ。
自分に全く欠けていた視点から物事を見せられた時、
ちっぽけな自尊心にあらがい、それを受け入れることができるか。

自分は小さな小さなもので、
自分の周りをとりまく環境、その広がりの世界はとてつもなく大きく広いのである。

僕は、知らないことを知らせてくれることがあることを知っているものでありたい。
と思うのである。

| 未分類 | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「いるもの」であってほしい(2015.9)

「燃える」か「燃やす」か

友人が、とあるところで見た「燃えるごみ」と書かれたごみ箱と、
「燃やすごみ」と書かれたごみ箱が並んでいる写真をface bookにアップし、
これはいったいどう違うのだろうとのコメントをつけた。

これには小生も虚をつかれた。
なるほど、言われてみればどちらも聞くし
(「燃やす」という言い方より「燃やせる」という言い方の方が多いと思うが)、
小生も何も考えずどちらも使っていた。
可燃物・不燃物と分けてしまえばそれでおしまいなのだが、
「燃える」と「燃やせる」(燃やす)の裏には何か重要なこと、
本質的なことが隠れているような気がして、そして、考えた。

image002_201508310952531c3.jpg
友人がface bookにアップした写真。たしかにこりゃちょっと悩むね。

「燃える」は、火をつければ勝手に燃えるイメージだ。
しかし、「燃やせる」(燃やす)となると、本来は燃えないのだが手を加えれば燃える、
もしくは、本来は燃やしてはいけないのだが、条件がそろえば燃やすことができる、
また、本来は燃やす必要のないものだが、燃やそうと思えば燃えるというイメージだ。

なぜそんなイメージになるか考えてみる。
まず、「燃える」と「燃やせる」(燃やす)の大きな違いは、
文法的にいうと前者は自動詞、後者は他動詞である。
さらに、「燃やせる」は、「燃やす」という動詞に可能の助動詞「る」がついたものだ。
だから、「燃える」は勝手に燃え、
「燃やせる」は手を加えたり、許可をもらったりして、
「燃やす」ことが「できる」ようになったものといえる。

本来は燃えないが手を加えれば燃えるとか、
本来は燃やしてはいけないが条件がそろえば燃やせるものの代表は、
なんといってもプラスチック類だろう。
プラスチック類は、燃やそうと思えば燃えるが、
有害なガスが発生したり、高カロリーで焼却炉を傷めるため、
以前は「燃やせる」ごみではなかった。
しかし今は、プラスチック類の焼却にも対応できる焼却炉ができ、
RPFといって古紙と廃プラスチック類を原料とした固形燃料もあるぐらいなのである。

image003_20150831095254700.png
広島市では「可燃ゴミ」と「不燃ゴミ」で分かりやすい。
プラスチック類が「ペットボトル」「リサイクルプラ」「その他プラ」と3種類に分かれていることに注意。
広島市ホームページより


では、本来は燃やす必要のないものとは何だろう。
それは、資源としてまだ使えるものだ。
いわゆるリサイクルできるものだ。
燃やせばただの灰になってしまうので、
できるのであれば再生利用した方がいいことは明らかである。
明らかであるのだが・・・

リサイクル業者とて企業であるので、利益を生まないものには手を付けない。
以前よく見かけたチリ紙交換がパタッと来なくなる時があったが、
それは再生紙の相場が暴落した時だ。
廃棄物処理業というものは、実はそのコストの大部分が収集運搬コストであり、
この部分がペイしないと事業として成立しないのだ。
だから、収集運搬コストをいかに削減するかがリサイクルのカギになる。

リサイクルしたいけど、できない

ところで、ごみを集めたり、運んだりすることは簡単にできないことをご存じだろうか。
廃棄物の収集運搬には廃掃法という法律に基づく許可がいるのだ。
だから、廃棄物を収集運搬するためには、自らがその許可を受けるか、
その許可を受けている業者に委託しなければならない。
また、そのごみが産業廃棄物であれば、マニフェストという帳票の交付が必要になる。
ごみを集めたり、運んだりすることは、結構難しいことなのだ。
が、実は、許可がなくても収集運搬できるごみがあるのだ。

許可がなくても収集運搬できるものを「専ら物」といい、
それに携わる業者を「専ら業者」という。
「専ら物」とは、古紙、屑鉄、空き瓶、古繊維の4種類の産業廃棄物のことをいう。
これはその昔、廃品回収業が生業としてあったころの名残なのである。

ところが今や、リサイクルの対象は大きく広がり、
ペットボトルをはじめプラスチック類は大きな位置を占めている。
現に、容器包装リサイクル法という法律を作り、国もその推進を図っているではないか。
なのにだ、プラスチック類は「専ら物」ではないのだ。

従って、その収集運搬のためには、
許可を受けた業者にお金を払って委託しなければならない。
またそれが産業廃棄物であれば、マニフェストも作成しなければならない。
お金のかかることばかりである。
収集運搬コストの削減が、リサイクルのカギであるのにだ。
片方では法律まで作ってリサイクルを推進し、
片方では許可制にしてその肝である収集運搬コストの削減を阻んでいる。

以前、いわゆる「菜の花プロジェクト」で、
使用済みのてんぷら油を回収してBDF(バイオディーゼル燃料)を作る活動をしていた知人たちが
行政から注文をつけられたことがあった。
すなわち、使用済みのてんぷら油は廃棄物であり、
その収集運搬は許可がないと認められないというのである。
世のため、人のため、地球のために、よかれと思ってやっていることに、
まさかお上から待ったがかかるとは、誰もが大いに違和感(と憤り)を持った。
本末転倒とはこのことではないか。
持続可能な循環型社会の構築こそ、廃掃法の目指すものではなかったのか。

image004_20150831095256904.jpg
ペットボトルとプラスチック製容器包装のリサイクルのための識別マーク。
一方では法律まで作ってリサイクルを推進しているのに・・・


なんで地下鉄が3階から出るんだ

なんで、お湯を沸かしながら、その一方で氷を投げ込むようなことが起きるんだろう。
それは、この廃掃法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)という法律が古いせいなのだ。
廃掃法は昭和45年(1970年)にできた法律だ。
(余談だが、その5年後にカープが優勝するなんて、誰が想像できただろうか)

当時、小生は中学生だったが、
例えばその頃、卵はバラで売っていた。
豆腐は家からどんぶりを持って買いに行った。
何が言いたいかというと、卵や豆腐のパックなどというものはなかったのである。
すなわち、プラスチックごみなどというものは、ほとんど出なかったのである。
そんな時代と、プラスチックの扱いが変わっていないなんて。

この廃掃法という法律は、
そのすべてを本当に理解している人はいないんじゃないかといわれる法律だ。
不法投棄、ダイオキシン、アスベスト・・・
世の中で何か起きると、その規制を最優先とするため、
施行令、施行規則、通達などを連発し、改正に改正を重ねてきた。
旅館でいうと、増築に増築を重ね、本館と新館と別館が入り乱れて迷路のようになっている。
駅でいうと、地下鉄が3階から出る渋谷駅のような法律なのである。

規制が最優先であったことは当然のことであり、
そのために地下鉄が3階から出るようなことになったのは、いたしかたないことである。
でも、それはこれまでのことであって、その矛盾や不適合が分かっているのだから、
これからも増改築を重ねていくことはあってはならないと思うのである。
ここらで一回、焼却場の建て替えのように、思い切ったスクラップ&ビルドが必要だと思うのである。

ごみとは何か

廃掃法の様々な課題の根本には、「ごみとは何か」という問題がある。
これはなかなか深い問題である。
廃掃法の第2条に「『廃棄物』とは、
ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であって、固形状又は液状のもの(放射性物質及びこれによって汚染された物を除く。)をいう」とある。

廃棄物の定義の中にまた「ごみ」が出てきて混乱するが、
しかし、ここに「不要物」というキーワードが出てくる。
「汚物」はとりあえず横に置いといて、
「ごみ」とは「不要物」、すなわち「いらないもの」なのである。

では、「いるもの」と「いらないもの」の違いは何だろう。
その違いは、お金での取引が可能な「有価物」であるかどうか、
ということが一般的には基準とされているが、これがまた単純ではない。
なぜなら、古紙や鉄屑などの再生資源の価格が暴落し、
自治体が処理費を払って回収業者に渡すいわゆる「逆有償」の問題が起こったからだ。
お金を払ってごみを引き取ってもらう、
すなわち、ごみが「有価物」であるという逆転現象が起きたのだ。

「いるもの」と「いらないもの」という側面から見ていくと、
ある人にとって「いらないもの」であっても、
別の人にとっては「いるもの」であることは結構あることだ。
だから、それがごみであるかどうかは、人によって異なるのだ。

ごみを減らすためにはどうしたらいいか。
それは「いらないもの」を減らすことである。
限りなく「いるもの」だけにする。もしくは、「いらないもの」を「いるもの」に転換する。

僕は、「いるもの」だろうか。
僕は、世の中にとって「いるもの」だろうか。
僕は、僕の仕事は、世の中から必要とされているものだと思いたい。
すべての人が、世の中にとって「いるもの」である世の中であってほしい、
と僕は思うのである。

| 未分類 | 10:23 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

杞憂ではないと杞憂するのだ(2015.8)

東日本大震災から4年、大地震によりスイッチが入ったのか、
最近、立て続けに火山の噴火が続いている。
昨年の木曾御嶽山に続き、今年に入って小笠原西之島、箱根山、口永良部島。
ここ数年それ以外にも、昨年は草津白根山、阿蘇山、吾妻山、
一昨年は霧島山、一昨々年は桜島に
それぞれ噴火警報(警戒レベル2、桜島は警戒レベル3)が出されている。
御嶽山や口永良部島は、突然噴火したと素人の小生には思えるが、
何やらとてもヤバイ状況になりつつあるんじゃないかと、
火山の噴火についてちょっと調べてみたのである。

夏のない年

例によって、猛暑である。連日の真夏日である。
今や、気温35℃というのは当たり前だが、しかし、押さえつけられるように暑い。
この日本で暑さのために人が死ぬとは、以前はありええないことだ。
もう勘弁してほしい。
涼しい夏をおくりたいものだが、何とかならないものだろうか。
ところが、あったのである。
夏のない年が。

1816年、日本では半世紀後に明治維新を迎える江戸時代の末期、
欧米では「夏のない年」(Year Without a Summer)を迎えた。

この年、6月にはカナダのケベックで雪が30cm積り、
7月と8月にはアメリカのペンシルベニア州で川や湖が凍った。
このような極端な冷夏の異常気象は、
世界中で洪水などの自然災害や農作物の壊滅的な打撃をもたらし、
飢饉や伝染病の蔓延を招いた。
ヨーロッパ全体で20万人もの死者を出したという

なぜ、こんなことになったか。
それは火山が噴火したからである。
前年の1815年にインドネシアのタンボラ山が噴火し、
膨大な量の火山灰が大気中に放出されたのである。
この時の大噴火で、3,900mあったタンボラ山の標高は約3/4の2,851mになり、
その後には深さ1,300mの火口が生まれた。

image002.png
タンボラ山の位置。
大爆発音は1,750km先まで聞こえ、500km離れたマドゥラ島では火山灰によって3日間も暗闇が続いたという。
(出典:ウィキペディア フリー百科事典 Sadalmelikによる)


火山の噴火は、火砕流や火山灰などで火山の周辺地域に直接の被害をもたらすが、
このような大噴火は地球規模で被害をもたらす。
火山の噴出物がオゾン層のある成層圏まで達して地球規模で拡散・滞留し、
日射を長期にわたって阻害する、いわゆる「日傘効果」を引き起こすのである。
わが国でも、ほんの230年前の1782~1788年の天明の大飢饉は、
1783年のアイスランドのラキ山の噴火(後述するVEI=6)が主要な原因とされている。
ちなみに、ラキ山の噴火による異常気象は、
天明の大飢饉だけでなく、世界中で社会不安を起こし、
フランス革命の遠因になったといわれている。

実は人類は絶滅しかけていた

火山の爆発規模の大きさを表す指標に「火山爆発指数」(VEI)というものがある。
VEIは指数であり、0から8まであるランクは、1上がるごとに噴出物の量は10倍になる。
前述のタンボラ山の噴火はVEI=7、昨年の御嶽山の噴火はVEI=2で、その差は5だから、
タンボラ山の噴火は御嶽山の噴火の10の5乗、100,000倍の規模だったということだ。

image003_2015080310264974a.png
火山の噴出物の量の大きさを示す火山爆発指数。
値が1上がるごとに10倍になるため、VEI=6あたりからとんでもないことになる。
一番下の円がタンボラ山噴火で、桁違いだ。
(出典:ウィキペディア フリー百科事典)


世界中にとんでもない「夏のない年」をもたらしたタンボラ山の噴火はVEI=7だった。
これでも十分とんでもないのに、
VEIは8ランクまであるから、もう1ランク上があるのだ。
VEI=8はVEI=7の10倍の規模だ。

世界最大のVEI=8の大噴火といわれているのが、
インドネシアはスマトラ島の「トバ『湖』」である。
湖?山じゃないの?
かつてあった山は全部吹き飛び、それどころかマグマだまりが陥没して、
長さ100km、幅30km、水深500m、面積1,100km2のカルデラ湖だけが残ったのである。
琵琶湖が670km2だから、琵琶湖の1.6倍の面積だ。
トバ火山は長い休止期間を挟んで都合3回噴火したが、
特に最後の7万4千年前の噴火はとんでもない超巨大噴火だったようだ。
なぜとんでもないかというと、飢饉や伝染病どころじゃない。
この噴火によって、人類は本当に絶滅の一歩手前までいったのだ。

image005_20150803102652197.jpg
トバ湖。湖中の島は比高450mの火山性ドーム。
(出典:ランドサット映像)


トバ火山の噴火による日傘効果により、地球の気温は平均5℃も低下した。
そしてそれは6千年続き、そのまま最終氷期であるヴュルム氷期へと突入していった。
人類の祖先のホモ属の多くは絶滅し、
ネアンデルタール人と現世人類のみがかろうじて生き残った。
その現世人類もこの時、1万人にまで激減したという。
生態学的にいうと、種の遺伝子の多様性が失われ、
現世人類は極めて少ない個体群から「奇跡的に」進化したことになる。

遺伝子上の影響を被ったのは人間だけじゃない。
人間に寄生するシラミには、
毛髪に寄宿するアタマジラミと衣服に寄宿するコロモジラミの2亜種があるが、
この2亜種が分化したのはおよそ7万年前であることが近年の遺伝子の研究から分かっている。
すなわち、われわれの祖先が寒の地獄の中で生き残るため、
7万年前に衣服を発明したことによるものではないかと考えられている。

1万年後か、それとも明日か

現在分かっているVEI=8の大噴火のひとつがアメリカのイエローストーンである。
イエローストーンは過去3回大噴火を起こしており、最後の大噴火は64万年前である。
そして、3回の大噴火の周期は約60万年で、
最後の大噴火から既に64万年経過しているのだ!
次の噴火は、1万年後かもしれないし、明日かもしれない。
いつ噴火してもおかしくないのだ。

イエローストーン国立公園では、最近10年間で公園全体が10cm以上隆起し、
公園内の湖の底で高さ30m以上、直径600m以上の巨大な隆起が発見されている。

イギリスの科学者によれば、もしイエローストーンで大噴火が起こったら、
アメリカの75%の土地の環境が変わり、
火山から半径1,000km以内に住む90%の人が火山灰で窒息死し、
(イエローストーンからサンフランシスコまで1,300km、ロサンゼルスまで1,400km!)
地球の年平均気温は10度下がり、その寒冷気候は6年から10年間続くとされている。

夏のない年となった1816年の世界人口は10億人ほどだった。
現在の世界人口は72億人で、
国連の予測によれば、2100年には世界人口は109億人に達するとされている。
経済・社会はグローバル化し、
今や世界の国々は、国の大小を問わず食料、エネルギー他様々なことで相互に依存しあっている。
何かあったら、天明の飢饉ではすまないのだ。

もし、イエローストーンが目覚めたら、アメリカは壊滅状態になるだろう。
しかし、それだけではない。
地球規模で5年以上夏のない年がめぐる。
洪水などの自然災害が頻発し、作物は実らない。
どういうことになるのか小生には想像もできない。

イエローストーンの心配より、
北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートと
4つのプレートがせめぎ合っている日本では、明日、何があってもおかしくない。
いつかはわからないが、南海・東南海地震は遠くない将来、必ず起こる。

火山の噴火についても、2014年10月に発表された神戸大学の研究チームの試算によれば、
巨大噴火が日本列島で今後100年間に発生する確率は約1%だそうである。
ということは、計算上は確率100%となるのは1万年ということだ。
一昨年に原子力規制委員会が決定した安全目標によれば、
「炉心が損傷するような事故は原発1基につき1万年に1回以下」に抑えることを目指すとしている。
日本で起こる巨大噴火と炉心が損傷するような原発事故は、
確率上はほほ同じと解していいのだろうか。

中国の周の時代、杞の国の人が、
天が落ちてこないか、大地が崩れはしないかと心配したという「列子」天瑞の故事から、
「心配する必要のないこと」をあれこれ心配することを「杞憂」という。

巨大噴火や巨大地震は「心配する必要のないこと」なのだろうか。
小生は、とてもそれを「杞憂」とは思えないのだが。

| 未分類 | 11:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT