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一度会えばみんな兄弟だ(2020.10)

沖縄ではシリトリができない

先月は沖縄の「バクダンおにぎり」の話をした。
沖縄の話を続けると・・・
コロナだ、新内閣だと話題に事欠かないので皆さんお忘れだと思うが、
ちょうど1年前、昨年の10月31日、あの首里城が炎上した。
テレビの画面を見ていて信じられなかった。

あれからはや1年。
特殊な資材や職人、150億円とも言われる費用など難題は山積し、再建は多くの困難が予想されるが、
紆余曲折しながらも、あの姿をもう一度見ることができるよう望むばかりである。

で、突然だが、沖縄は不思議な所である。
沖縄ではシリトリができないということをご存知だろうか。
どうしてできないか。
それは、沖縄では何と!「ん」から始まる言葉があるのである。
それも結構たくさん。

小生も最初に「ん」から始まるものの名前を八百屋の店先で見た時、
結構ドギマギする軽い衝撃を受けた。
それは「んじゃな」である。

「うん、じゃあな」という別れの言葉ではない。
「んじゃな」は葉物野菜の名前である。
「んじゃな」は即ち苦菜(ニガナ)である。

また、「んすなばー」という野菜もある。
「んすなばー」は即ち、フダン草である。
最近は「うまい菜」の名前で売っているのを見かける。

料理でいえば、「んぶしー」。
これは味噌煮のことである。
「なーべらーんぶしー」はヘチマ(なーべらー)の味噌煮で、沖縄でのヘチマの代表的な食べ方である。

「んむ」はうなっているのではなくて、「芋(いも)」である。
単に「んむ」という場合には、サツマイモを指すことが多い。
沖縄で芋といえば、「たーんむ」。
即ち、田芋である。

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フダン草。「うまい菜」や「スイスチャード」という名前でよばれることもある。
「うまい菜」は茎が白くて太く、「スイスチャード」は茎の色がカラフルである。


調べてみると、世界には「ん」で始まるものの名前や地名・人名はたくさんあるようだ。
例えば、中国人の名字によくある「呉」さんは、
北京語では「ウー」さんだが、広東語では「ン」さんだそうだ。
しかし、どうしてわが国では沖縄だけこんなに「ん」で始まる言葉ができたんだろう。
んーむ。

しりしり

沖縄・シリトリとくれば、単に言葉が似ているだけで全く関係ないけど、「しりしり」である。
しりしりといえば、「にんじんしりしり」である。
「しりしり」は、千六本にした野菜を卵と一緒に炒めた沖縄の家庭料理である。
人参で作るのが一般的なので、「にんじんしりしり」なのである。

普通、野菜を千六本するには、まず野菜を薄切りにし、それを重ねて端から刻んでいく。
みじん切りの一工程前で止めるわけだ。
少量なら何という事もないが、大量に刻むとなるとちょっと面倒くさい。
そこで沖縄には「しりしり」を作るための「しりしり」という道具があるのだ。

道具の「しりしり」は、沖縄の一般的な家庭には必ず1つはある必需品だ。
「しりしり」は、早い話が大きなおろし金である。
しかしその表面は針状の突起ではなく、穴の開いた突起が並んでいる。
このおろし金状の物で人参などをおろすと、
「おろし」ではなく、細い棒状に切断されたものが簡単にできる。

「しりしり」の語源は「すりすり」であり、
また、このおろす時の動作や音からきているといわれている。
というわけで、「しりしり」は「しりしり」する動作や作業のことも言う。

人参が定番だが、沖縄では人参以外の野菜も「しりしり」する。
小生は、パパイヤしりしりが好きである。
沖縄では、パパイヤは果物の前に野菜である。
青いパパイヤの皮を剥いて種を除き、「しりしり」してそのままサラダや炒め物にする。
サラダにして砕いたナッツ類や庭のレモングラスやペパーミントを散らし、
ナンプラーなどをかければエスニック風味抜群の一品が出来上がる。

「しりしり」は、料理の名称であり、調理法の名称であり、道具の名称であり、
また、その道具を使う動作や作業の名称でもあるのだ。
一つの言葉で、関連するものをすべて表す。
日本語にはこんな便利な言葉はなかなかない。
電子レンジで「チン」するが、電子レンジのことを「チン」とは言わないし、
電子レンジで温めたものを「チン」とは言わない。

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わが家の「しりしり」。サラダの彩りに人参をちょっと「しりしり」するのに手間いらずだ。

「ちゃんぷるー」と「じゅーしー」

「しりしり」の話をしたので、沖縄料理の話をしなければならない。
ところで、沖縄では炒め物には3種類あるそうだ。
すなわち、「ちゃんぷるー」と「たしやー」と「いりちー」である。

「ちゃんぷるー」は、ごちゃまぜという意味で、
色々なものが入った炒め物と理解していたが、これは違うようだ。
沖縄の家庭料理に精通したおばぁが言うには、「ちゃんぷるー」は、豆腐が入った炒めの物ことを言うそうだ。

「たしやー」はデンプン質が入った炒め物のこと、「いりちー」は炒め煮のことを言うそうである。
「くーぶーいりちー」は昆布(くーぶー)の炒め煮なので、「いりちー」はすんなり理解できる。
問題は「ちゃんぷるー」である。

車麩の入った「ふーちゃんぷるー」やそうめんの入った「そうみんちゃんぷるー」は、
「ちゃんぷるー」ではなく、「たしやー」だそうだ。
僕がわざわざ那覇で買った沖縄料理の本には、
堂々と「ちゃんぷるー」の部に「ふーちゃんぷるー」と「そうみんちゃんぷるー」がこの名前で載ってるけど。

ということは、豆腐の入らない「ごーやちゃんぷるー」は、「ちゃんぷるー」ではないということになる。
ゴーヤとスパムと卵の「ごーやちゃんぷるー」は、「ごーやちゃんぷるー」ではないのだ。

沖縄の食べ物の名前は面白い。
もしあなたが沖縄で具だくさんの麺が食べたくて「ちゃんぽん」を頼むと目を剥くこととなる
運ばれてくるのは野菜炒めがご飯の上にのった「野菜炒め丼」とでもいうべきもので、
麺のかけらもない。

定食の付け合わせに汁ものが欲しくて、
軽い気持ちで「味噌汁をつけてください」などと言おうものなら大変なことになる。
お椀ではなく、大量の具が入った丼が出てくる。
沖縄の味噌汁は「汁」ではなく「おかず」なのである。

定食の付け合わせと言えば、最初に沖縄に行った時驚いたのは「じゅーしー」である。
定食屋でみんな「じゅーしーをつけてね」などと言っている。
さすが亜熱帯の沖縄。
昼ごはんにもマンゴージュースなどつけるのかなと思っていたら、
「じゅーしー」とは炊き込みご飯のことだった。

なんで炊き込みご飯のことを「じゅーしー」って言うんだ?
ご飯のかけらも感じられない。

このことを知ってもさらに衝撃を受けたのは「ぼろぼろじゅーしー」である
ボロボロになった炊き込みご飯って何だ?
腕のいいコックが作るチャーハンのように、米がぱらりとほぐれるのかなと思っていたら、
「ぼろぼろじゅーしー」とは雑炊のことだった。
なるほど、雑炊だから米がボロボロにほぐれるのかと一人勝手に解釈した。

いちゃればちょーでー

以前、沖縄の田舎町であるところに行きたくでバスに乗ったのだが、
どうやら逆方向のバスに乗ったことに気づき、
終点近くなってバスを降りて、道路の反対側の停留所でバスを待った。

しばらくするとさっき乗ったバスが折り返してやってきた。
乗り込むと運ちゃんが僕を覚えていて、どうしたのかと聞く。
事情を話すと降りるバス停を教えてくれて、料金はいらないという。

何で?と聞くと、
あんたは間違えて乗っただけで、既にその分のお金は払っているのでいらないという。
ありえない!

沖縄の人はゆるくて、こっちがバタバタしていると正直イラっとくることもある。
だけど、僕は沖縄の人が好きだ。
つまらないことをいろいろ考えても仕方がないじゃないか「なんくるないさー」。
一度出会い行き会えば、誰でも兄弟みたいなもんなんだ「いちゃればちょーでー」。

首里城はきっと再建できる。

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おかずでご飯を包んでもいいじゃないか(2020.9)

関東にあって関西にないもの

「生協ではなかなかないんだけど、今週はあったから、あんこ玉を注文したの」
「冷凍してあるから」と嬉しそうに妻が言う。
あんこ玉は、金づばと並んで妻の大好物である。

あんこ玉は、知る人ぞ知る(知らない人は知らない)東京は舟和の和菓子である。
上品なこしあんが直径3センチほどの団子に丸められて寒天で薄く包まれた和菓子だ。
美味しいけど高い。
一番の弱点は日持ちがしない事で(間違いなくそれがまた有難味を増す要因である)、
わが家では冷凍庫に直行となり、都度解凍してちびちび味わって食べる。

決して甘党ではない小生も、あんこ玉は美味しいと思う。
何より味と佇まいが控えめで上品だ。
なめらかな豆の味がする。
関東の和菓子の銘品だと思う。関西ではこの手の和菓子は見た事がない。

関東の和菓子といえば、「すあま」をご存知だろうか。
広島では、関西では、「すあま」と言っても普通はまず通じない。
小生は学生時代に関東に行くまで、見たことも聞いたこともなかった。
多分、関西に住む人は、一生、見ることも聞くことも、食べることもない人が多いのではないかと思う。

「すあま」は、見た目はほとんどピンク色のカマボコだ。
くっつく感じの柔らかさがあり、味は控えめな甘さだ。
食感と味は「ういろう」が最も近い。
昔は関西には全くと言っていいほどなかった納豆がこんなに一般的な食べ物になっているのに、
なんで「すあま」は関西で広がらないのだろう。

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これが「すあま」。見た目はほとんどカマボコだが、全然違うものだ。ピンクが多いが、緑色などのものもある。

そういえば、お菓子ではないが、「ちくわぶ」も同じだ。
「ちくわぶ」は、小麦粉を練って太いちくわの形に成形したもので、
「竹輪『麩』」とあるが、麩ではなく、「そばがき」に近いものだ。
おでんに入れ、味が染み込んだもちもちした食感を楽しむものだ。

この「ちくわぶ」も関東出身で練りもの好きの妻の好物なのだが、
(厳密には「ちくわぶ」は練りものではない)
以前は広島では売っていなかった。
最近は一部のスーパーで見かけるようになったが、まだこちらでは一般的な食材ではない。

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これが「ちくわぶ」。ちくわとは似て非なるもの。小麦粉のかたまりだ。

ねりものはくせもの

練りものというものは要注意である。
練りものは千変万化である。
例えば、広島なら「がんす」である。

「がんす」は野菜を混ぜたすり身を長方形に成形し、パン粉をつけて揚げたものである。
早い話が、パン粉がついた揚げカマボコ(平天)である。
唐辛子を入れた島根は浜田の赤天、じゃこを骨や皮ごとすりつぶした愛媛は宇和島のじゃこ天も、
同様の揚げカマボコの系統に属する。

カマボコと竹輪は整形のし方が違うだけで、ほとんど同じものである。
すり身を板に盛り上げて加熱すればカマボコ、すり身を竹に巻き付けて加熱すれば竹輪となる。
すり身に豆腐を加えた揚げカマボコが日南の飫肥天で、
すり身に豆腐を加えた竹輪が鳥取の「とうふちくわ」である。

カマボコのバリエーションの筆頭は「削りカマボコ」だろう。
「削りカマボコ」は、カマボコを日持ちさせるために乾燥させて削ったもので、
愛媛の南予が発祥らしいが、小生は山口の宇部で初めて見た。
削り節のようにトッピングして使うのが一般的だ。

しかし、カマボコの最強のバリエーションは、
沖縄の「バクダンおにぎり」にとどめを刺すのではないだろうか。
一般に言われる「バクダンおにぎり」というものは、シャケやオカカなどの定番ネタを入れたものではなく、
おかずの残りや何やかや、いろんなものを入れた大きな海苔巻きおにぎりのことを言うが、
沖縄のそれは、全く違うものである。

小生はこれを沖縄で初めて見た時いったい何かわからず、説明してもらってぶっ飛んだ。
ウチナンチューの何でも採り入れて新しいものを生み出すチャンプルーな発想と能力
(タコライスにしかり、ポークたまごにしかり)にただただぶっ飛んだ。

「バクダンおにぎり」は、ジューシー(炊き込みご飯)をすり身で包んで揚げたものだ。
見た目は色の薄い大ぶりなさつま揚げの丸い玉なのだが、なんと!中には御飯が詰まっているのだ。
肉巻きおにぎりは知っているが、よりによってご飯をカマボコで包むという発想がすごい。
考えてみてほしい。カマボコの中にご飯が詰まってるんだよ。

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これが「バクダンおにぎり」。初めて見た時、えらい大きい練り製品だと思ったが、まさか中にご飯が入っているとは。

バクダンおにぎりはなぜすごいか

そこで、なぜ沖縄の「バクダンおにぎり」が特異なのか考えてみた。
ポイントは以下の2点、すなわち、①練りもので包んでいること ②ご飯を包んでいること の2点だ。

まず、①について考えてみた。すり身に色々なものを混ぜ込んだ食品はたくさんあるが、
練りもので包んだ食品というものは、
細長く切ったゴボウを芯にしたゴボウ天やウズラの卵を芯にした玉子天などのおでんネタに限られる。

饅頭などのお菓子を除いても、洋の東西を問わず、「包む」食品はたくさんある。
日本なら「おやき」、中国なら餃子や包子や焼餅、欧米ならピロシキなどである。
しかし、これらの食品は、小麦粉を主材料とするでんぷん質の皮で包んでいて、
練りものなどのたんぱく質で包んだものではない。

たんぱく質で包むためには、たんぱく質をシート状にしなくてはならない。
変形自在なシート状にできるたんぱく質というものは、薄揚げや湯葉などの植物性たんぱく質以外のもの、
すなわち、動物性たんぱく質では卵を除いては難しいのである。
しかし、練り製品はそれを可能にした。
そして、たんぱく質は、別の言い方をすれば「おかず」なのである。

次に、②であるが、先に述べた「包む」食品の中身(餡)はすべて肉や野菜などの「おかず」である。
おむすびやいなりずし以外に主食であるご飯を包んだ食品は、
「いかめし」やサムゲタン以外には思い浮かばない。
しかし、「いかめし」やサムゲタンは、全体として完結したひとつの料理だ。
生米を素材に詰めて煮て、素材の味を米にしみこませながら炊くという料理法であって、
炊いた米を包むという二次加工を施すものではない。

「包む」食品は、普通、でんぷんでたんぱく質を、すなわち、主食でおかずを包んでいる。
「バクダンおにぎり」のすごいところは、
「おかずでご飯を包む」という逆転の発想を実現していることなのだ。
結果としてそういうことになっているが、順を追って考えると、これは実にすごいことなのだ。

冬に食べるアイスクリームがあってもいいじゃないか。
切れなくなっても新しい刃がすぐ出てくるナイフがあってもいいじゃないか。
逆転の発想がないと、雪見大福もカッターナイフも生まれなかった。

もう一度頭の中をリセットして白紙で考えてみよう。
どこに穴があるか常識というやつを疑ってみよう。
ひらめくこともあるけど、たぶんそれは稀なことだ。
十分考える事が必要だ。

そして、みんなに言おう。
「○○な○○があってもいいじゃないか」

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京(みやこ)エコロジーセンターで感じた1200年の京(みやこ)(2020.8)

だから私は京都へゆくの

ここのところ、飛び石連休に振休や有休を押し込んで連休にし、京都に行っている。
いや、京都に通っている。

数Ⅲ・物理・化学が受験の必須科目だったにもかかわらず、
得点源は日本史・古典・漢文だった小生にとって、
古くからの日本が詰まった京都は特別なまちである。

行けば行くほど、次から次へと新たな発見が生まれ、
その文化と歴史の厚みにからめとられてしまう。
今回は、京都のお寺や仏像、庭や建物、美術館や博物館、食べ物の話ではなく、
本来の環境の話である。

京は環境活動のみやこ

京都は日本の環境活動のメッカである。
なぜなら、京都は「環境市民」の発祥の地だからである。

環境市民は、環境NGOとして1992(平成4年)年に設立された。
ちなみに、当時はまだNPO法人という制度はなく、環境市民は2003年にNPO法人になった。

1992年という年は、環境に関わる者にとってとても重要な年だ。
なぜなら、1992年は、リオ宣言やアジェンダ21が採択され、
気候変動枠組条約や生物多様性条約の署名が開始された地球サミットが開催された年だからだ。
世界が環境に向けて大きく軸足を動かすまさにその流れの中で、環境市民は生まれたのだ。

以後現在に至るまで、環境市民は多彩な活動を続けている。
特に、2001年から10年間実施された「環境首都コンテスト」は、
多くの自治体を巻き込んで社会的に大きな影響力を発揮した。
環境市民代表の杦本育生さんは、知る人ぞ知る環境活動の大御所である。
先方は記憶のかけらもないだろうが、小生も広島で一度だけお会いしたことがある。

京都には他にも多くの環境活動団体があるが、そのひとつに「ふろしき研究会」がある。
ふろしき研究会も環境市民と同様、1992年に設立されたNPOである。
小生の持ちネタのひとつであるふろしき講座は、
このふろしき研究会に所属されていた方から個人的に学んだものである。

京はエコロジーのみやこ

その京都の環境活動の中心拠点が、
京都市環境保全活動センター「京(みやこ)エコロジーセンター」である。
以前からその存在は知っていたのだが、
環境活動のメッカ京都の普及啓発施設には是非一度行ってみたかったのだ。
そして、この度、ようやく訪ねることができた。

京エコロジーセンターは、
1997年に開催された地球温暖化防止京都会議(COP3)を記念して、2002年に開設されたもので、
この経緯からもメモリアルな施設だ。
本施設は、COP3開催の前年の1996年に策定された「新京都市環境管理計画」でうたわれた
「COP記念センター構想」を実現したものなのだ。

本施設には、京都市の環境行動計画「京(みやこ)のアジェンダ21」を
市民・事業者・行政のパートナーシップで実行していくために1998年に創設された組織
「京(みやこ)のアジェンダ21フォーラム」も事務局を置いている。
現在は、(公財)京都市環境保全活動推進協会が指定管理者となって運営を行っている。

本施設で来訪者のガイドや活動のサポートを行っているのは、環境ボランティア「エコメイト」である。
本施設で市民への普及・啓発を図ると同時に、
併せて環境ボランティアの活躍の場の創出も実現しているところを見過ごしてはならない。

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京エコロジーセンターは、京都市街地の南、伏見区深草にある。

実物の訴求力

京エコロジーセンターの展示は、「実物」というコンセプトに貫かれている。
環境に関する事柄は、文章よりも絵、絵よりも写真、写真よりも実物を見せる事が非常に重要である。
特に、実物で量的な質感を直接見せる事は大きな効果がある。
加えて、実際にそれに触れることができれば完璧である。

小生は、水に係る環境学習では、
いかに私たちが無意識に多くの水を使っているかという話をまずする。
私たちが一人一日に使う水の量は、200~300リットルといわれている。
そんな、何リットルもの水なんか飲めやしないと思われる方が多いと思うが、
水は飲むだけではないのだ。

私たちが水を多く使うのは風呂とトイレである。
風呂の浴槽はだいたい200リットル前後、トイレで使う水は、大は6リットル、小は5リットル弱である。
200~300リットルは、2リットル入りのペットボトルだと100~150本である。

口で200~300リットルと説明するのと、
百数十本のペットボトルを実際に見せるのは大きな違いがある。
百数十本のペットボトルを教室などの環境学習の場にもってくることはできないので、
小生はいつも歯がゆい思いをしていたのだが・・・
京エコロジーセンターでは、その実物が展示されていたのである。やられた!

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やられた!この実物の量的な質感が大事なのだ。
しかも、クイズ形式で意外性を誘う見せ方も心憎い。

「ごみ」は一般市民にとって最も身近で分かりやすいテーマである。
どの自治体でも、一昔前に比べてごみは大きく増えている。
その原因は、容器包装である。特に、プラスチックである。
小生が子どもの頃は、豆腐も納豆も卵も肉も魚も容器には入っていなかった。
今はみんなプラスチックの容器に入っている。

一般家庭から排出されるごみの量の変遷は、普通ならグラフなどの図で表すところだが、
京エコロジーセンターでは実際のごみによって見せている。
それは、量の変遷だけでなく、質の変遷も容易に見てとることができる。

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家庭から排出されるごみの量だけでなく、その種類の変遷も一目瞭然である。
実物だから。


しかし、いちばん感心したのはごみバケツである。
コーナーにごみバケツが無造作に置いてある。
蓋には「ごみ箱の中はどうなってるかな?」と書いた紙が貼ってある。
こうあれば、誰だって蓋を取るよね。蓋を取ってみると・・・

えっ!ごみバケツの中は万札(模造品)が詰まっているのだ。
わが国のごみ処理にかかる費用は年間一人当たり14,000円といわれている。
当たり前だけど、これはすべて税金でまかなわれている。
僕たちは、ごみではなく、実はお金を捨てているのだ・・・
ということを、分かりやすく、しかも意外性のあるドラマ仕立てにして説明している。
何という訴求力のある展示方法だろう。

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ショック!ごみバケツの中には万札が・・・

恐るべし! 1200年の京(みやこ)

京エコロジーセンターには小・中学校の授業で使用する環境学習の副読本が置いてある。
この副読本は、本施設の指定管理者である(公財)京都市環境保全活動推進協会が制作し、
京都市が発行しているものである。
環境学習の副読本を作成している自治体はいくつか知っているが、
京都市は学年別に3種類を毎年作成していることは特筆すべきことである。

小学校4年生のものは、社会科でごみの単元があることから内容はごみであるが、
小学校5年生のものは京都の自然、中学生のものは地球環境から説き起こしている。
そして、そのどちらにも共通なのが「わたしたち」「くらし」というキーワードである。

あたりまえのような副読本のタイトルと
さりげない「〇〇と私たちのくらし」という目次建てがそれを物語っている。
しかし、「わたしたち」という言葉は、「ひとごと」ではなく「わがこと」ということ、
「くらし」という言葉は、イコール実践、しかも日常的な実践ということを象徴している。
“Think globally, Act locally”そのスタンスが子どもの時から貫かれ、積み重ねられている。

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右から小学校4年生、5年生、中学生用の環境学習の副読本。

京都という土地柄は、独創的な技術を持った企業のインキュベーターである。
島津製作所しかり、京セラしかり、オムロンしかり、そして、京アニしかり。
京都というまちには人と文化と歴史によって積み重ねられた不思議な力がある。

恐るべし!1200年の京(みやこ)。
だから私は京都へゆくの。

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ALWAYS 舟入の夕日(2020.7)

包むものは石油からできている

この7月1日からレジ袋が有料化される。
小中学校での出前授業で、ごみやエネルギーをテーマに行う場合、
われわれの身の回りにはいかにプラスチックがあふれているかを子どもたちにまず見せる。
いわゆる容器包装の実物を見せるのである。

プラスチックは、
可採年数50年といわれる石油というエネルギー源としても重要な枯渇資源を原料としながら、
消費者の手に渡れば、即、ごみとして捨てられてしまう。

どの家庭でも日常的に買う食品である納豆、豆腐、卵、肉や魚、飲み物・・・
これらを包む容器包装はすべてプラスチック、すなわち石油から作られている。
そして、中身を取り出した後は、ごみ箱へ直行・・・ということを再認識してもらう。
貴重な資源は、一瞬にして、何のためらいもなくごみになるのだ。

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もしもあと50年して石油がなくなったら、これらの食品は何で包むのだろう・・・

みんなが大人になった頃、もしかして石油がなくなっているかもしれない。
そうしたら、納豆や豆腐や卵や肉や魚や飲み物は何に入れたらいいんだろう?
みんなを包んでいる服だって、化学繊維といって石油からできているんだよ。
(本当はそれより電気がない事の方がずっと深刻なのだけど)

そこで、昔は、小生が小さい頃は、何に包んでいたんだろう、どんな生活だったっけ、
と少し考えてみたのだ。
齢がわかって切ないが、
小生が小学生の頃、今から半世紀前、すなわち昭和40年頃(1960年代)、
そう、前の東京オリンピック(昭和39年(1964年))の頃の話である。
場所は広島市の舟入だ。

余談だけど、前の東京オリンピックの聖火は赤いアーチの住吉橋を渡っていったんだよ。
(今の国道2号線はまだできていなかった)
住吉橋のたもとまで聖火を見に行って、鮮明に覚えている。
今度の聖火はコロナさえなければ5月18日に広島市を通る予定だったけど。

「もはや戦後ではない」頃の生活

あの頃、まず、日常的な食品だが、納豆というものは残念ながら当時の広島にはなかった。
小生は、納豆は大学生になって関東に行くまで食べた事がなかった。
小生の妹は子どもの頃から食べ慣れていないので、未だに納豆が食べられない。

豆腐は豆腐屋さんに鍋を持って買いに行った。
豆腐屋さんでは水に入った豆腐を切り分け、鍋に入れてくれた。

卵は近所に養鶏業者がいて、豆腐と同様に鍋などの入れ物を持って買いに行った。
ちなみに、お好み焼き屋に行く時は、家から卵だけ持って行って入れてもらった。
今じゃ考えられん。

当たり前だが、肉は肉屋、魚は魚屋に買いに行った。(今ではスーパーにいくのが当たり前だ)
肉は、竹の皮やごく薄い木の板(これを経木(きょうぎ)という)に包んでくれた。
経木というのは、タコ焼きの入れ物のあの薄い木のやつだ。
魚は魚屋で新聞紙に包んでくれた。

飲み物は当時、ベットボトルはもとより缶や紙パックもなかった。
飲み物は毎朝配達される瓶に入った牛乳に代表されるように今でいうデポジットで、
唯一、小遣いで駄菓子屋でラムネを飲むのが、
いや、ラムネの栓を開けるのが楽しみだった。

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タコ焼きが入っている入れ物が船形にした経木。

エネルギーに目をやると、そもそも家電製品が少なかった。
最も電力を消費するクーラーなどの空調機器はもとよりなく、
夏は扇風機、冬は石油ストーブとこたつだ。
こたつ自体も最初は電気ではなく、炭団(たどん)や豆炭だった。

炭団や豆炭といっても、みんな知らないだろうなあ。
炭団や豆炭は、木炭などの粉を結着剤で固めて成形した固形燃料で、
火を起こして専用の容器に入れ、こたつの火種とした。

冷蔵庫も最初は電気ではなく、いちばん上に大きな氷の塊を置く箱だった。
近所には氷屋さんというものがあって、大きな氷を大きなノコギリでじゃりじゃり切ってもらい、
塊を買ってきて冷蔵庫に入れたものだ。

洗濯機はかろうじて電化されていた。
しかし、一槽式で、洗った後は洗濯物を一旦取り出して再度水を張ってすすぎをし、
洗濯機の横に取り付けられた手回しのローラーで洗濯物を挟んで絞った。
今の洗濯機からは想像もできない手間がかかるものだったが、
それでも洗濯板から解放された主婦にとっては革命的だった。

風呂は五右衛門風呂で、屋外の焚口で薪を焚いて沸かした。
なので、当然、薪は一般家庭でも必需品だった。
ほんの50数年前のことである。

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」と言われたのは、
小生の生れた昭和30年代(1960年頃)で、「神器」とはイコール夢ということである。
その頃の人は、夢を追いかけて少しずつそれらを手に入れていったのだ。
一気にすべて手に入ったものではないのだ。

日本政府が「もはや戦後ではない」と経済白書に記したのは昭和31年(1956年)。
それから昭和39年(1964年)の東京オリンピックに向かって、
日本は高度成長の坂道をひたすら登っていくのだ。

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これが豆炭。底に穴の開いた専用の器具で火にかけ、火を起こしてからこたつに入れた。

エネルギー消費の未来

わが国のエネルギー消費の変遷を見てみると、
上に書いた生活をしていた頃、すなわち昭和40年(1965年)の一次エネルギー消費量は、
石油換算で40億tに満たなかった。
それが20年後の昭和から平成に移るバブル景気の頃に倍、
40年後のリーマンショックの平成20年頃に3倍になり、現在(2018年)は138.6億tになっている。

わが国のエネルギー消費の変遷をたどれば、
まず昭和48年と昭和54年のオイルショックが重要なターニングポイントと言える。
この2度にわたるオイルショックにより石油に依存するわが国のエネルギー構造に目が向けられ、
非石油エネルギー、すなわち原子力への転換が始まったのだ。

そして、バブル景気の昭和60年頃からエネルギー消費量が増大していき、
現在はその頃(昭和60年頃)の倍となっている。
このままいけば、それはちょっとまずいんじゃないかな。

実に不都合な真実だ。
約半世紀前の1972年に警鐘が鳴らされた「成長の限界」を何ら「わがこと」としていない。
「ひとごと」の茹で蛙は、責任を他に転嫁したまま茹だっていくのだろうか。

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わが国のエネルギー消費の変遷。
出典:原子力・エネルギー図面集((一財)日本原子力文化財団 BP統計 2019)に加筆


昭和から平成に移る頃の生活をおくれば、エネルギー消費は今の半分で済むということだ。
あの頃の生活は、スマホもネットもなく、今のような便利な情報化社会ではないが、
そんなに悪い生活ではなかったと思う。

その頃と比べ、今は情報通信機器をはじめ身の回りの多くの機器が進歩し、
また多くの便利な機器が新しく生まれ、新たなエネルギー消費源となっている。
しかしその一方で、技術革新は進み、省エネ性能は向上し、
再生可能エネルギーも徐々に拡大している。
あとは、人の心の持ちようだけだ。

各家庭には高性能のソーラーパネルと蓄電池が設置され、
レジ袋の代わりにふろしきを持ってちょっとのところなら歩いて買い物に行き、
旬の野菜や魚を食べ、足るを知って生活する。

そんな暮らしが、いつでも、いつまでも・・・always。
子どもの頃に見た聖火ランナーの背景の舟入の夕日のように。

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コロナが教えてくれた(2020.6)

YOUは何しに日本へ?

少しずつ戻りつつあるが、
5月はコロナ騒動のおかげで、街の景色がさっぱり変わってしまった。

コロナ騒動の前、世界遺産を2つも持つ広島の街は、やたら外国人が多かった。
博多に住む友達が広島に来てびっくりしたこととして、外国人、特に白人が多いことをあげていた。
博多も外国人が多いが、アジア系ばかりで、白人は少ないそうである。

「平成30年 広島県観光客数の動向」(広島県)によれば、
広島県の訪日外国人の国籍のベスト5は、アメリカ、台湾、オーストラリア、中国、フランスで、
対前年の伸びは中国を除けばすべて十数%となっている。
では、彼らは広島のどこで何をしているか。
僕が毎日の通勤の道すがら、いつも目にしていた象徴的な光景がある。

その店は、お好み焼き屋だ
市街地中心部の商店街「本通り」のはずれにある。
いわゆる名の知れた老舗や名店ではなく、結構最近できた店で、
市販のガイドブックには載っていない。
日本人はあまり行かないが、なぜかいつも外国人だけが店の外まで行列を作っている。
どうしてこんなことが起きるのか。

それは、SNSだ。
何の宣伝もしていないのに、勝手に、
口コミがそれこそクラスター(こういうクラスターはいいよね)で拡散していく。
それが多くのフォロワーを持つその筋ではそれなりのインスタグラマーやユーチューバーなら、
あっという間に大変なことになる。
一銭も広告料のいらないその宣伝力をまざまざと見せつけられた。

観光庁がとりまとめた2018年の年次報告書
「訪日外国人の消費動向 訪日外国人消費動向調査結果及び分析」によれば、
訪日外国人が出発前に得た旅行情報源で役に立ったものの上位は、
「個人のブログ」(30.6%)、「SNS」(23.7%)で、
訪日前に期待していたこと(複数回答)は、「日本食を食べること」が70.5%と最も多かった。

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出発前に得た旅行情報源で役に立ったもの
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訪日前に期待していたこと(複数回答)
資料:「訪日外国人の消費動向 訪日外国人消費動向調査結果及び分析 2018年 年次報告書」(観光庁)

食に関するSNSでの発信は、かくのごとく重要なのである。
そして、インバウンドである。
そして、延期されたとはいえ、来年はオリ・パラの年である。
これがチャンスでなくて何であろうか。
コロナさえなければ・・・

ピンチをチャンスに

で、今回のコロナ騒動である。
コロナ騒動のおかげで多大な影響を受けている飲食店に対し、
after corona ・・・いや、with corona に向けて、今、取り組んでいこうという活動に縁あって関わっている。

外出自粛要請の中、個人経営がほとんどの街中の飲食店は全て大きなダメージを受けている。
何せ客が来ないのだから商売あがったりである。
何に苦しんでいるか。
それは一にも二にも資金繰りである。
何もしなくても、売り上げがなくても、家賃などの固定費は出ていく。
今は、とにかくじっと耐えるしかないのか。そしてそれはいつまで続くのか・・・。

もちろんお金が入らないのは何よりもつらいけど、
何もできない中、じっと耐え、悶々としているだけじゃ何も生まれない。
本当に何もできないのかな?もしかして、今だからできる事があるんじゃないのかな?
発想を転換し、この時間、この機会を利用して、
気にはなっていたけど今までできなかったことを、あまりお金をかけずにやってみようじゃないか。

それは、お店のプチ改修であるかもしれないし、
新しい業態へのチャレンジかもしれないし、
SNSなどへの情報化への対応かもしれないし、
考えてみればやることは結構あるんじゃないかな。
それも、今。
このピンチをチャンスととらえ、今できる事を皆で話し合い、
行動に移していこうという飲食店さんの集まりに参加する機会を得た。

店に来てもらえないのなら、店ごと出かけていけばいいじゃないか。
「店」という固定観念から脱し、キッチンカーを購入してスーパーの駐車場を回り、
シェフが作った温かい食べ物を提供して売り上げをあげている人。
単なる思いつきではなく、
ウーバーイーツのサービス対象外の地域という冷静な販促戦略がそこにはあった。

食品メーカーとのつながりが今までなかったことに気づき、
食品メーカーと飲食店をつなぐ「つなぐプロジェクト」を始めたことにより、
店同士や広くサプライチェーンの仲間づくりの声かけを始めた店。

英語は話せないけど、”Come on!”と書いたボードを店の入口に掲げ、
写真入りの英語メニューを手作りして多くの外国人の来店に成功した店。
などなどの成功アイデアが披露された。

after corona はwith corona。
コロナが考えて行動するチャンスを与えてくれた。
ブランディングは何も高価なものではなく身近なものこそ必要なのだ。

給付や支援をただ待つのではなく、お金は考えて作るものだ。
コロナが考える事を忘れていた自分の甘さに気づかせてくれた。
今後どんな事態になっても大丈夫なように準備することの必要性に気づくことができた。
そして、そういうことに気づいていない人に気づかせることが必要だ。
・・・皆さん切迫した状況であろうはずなのに、愚痴や非難、行政や世間への批判ではなく、
話し合いはあくまでも前向きで建設的である。
敬意に値する。

人のつながり

話し合いを通じて見えてきたことがある。
重要なキーワードは、「SNS」と「人のつながり」である。

まず、SNSである。
先の「YOUは何しに日本へ?」でお話ししたように、SNSは今や最強の広告宣伝媒体である。
SNSでの情報発信能力がお店の価値を左右する。

Webの普及により店がビルの何階にあるかは関係なくなってきているという。
マスコミや紙ベースの広告媒体に頼っている店は確実に衰退するとさえ言われている。
そして、SNSでの情報発信のためには、情報機器のハードやソフトのスキルだけでなく、
インスタ映えするコンテンツの作成能力や写真撮影能力も必要になってくる。
それらスキルの習得の場が必要だ。

次に、「人のつながり」である。
ある店のデリバリーのお好み焼きの容器のふたを開けると、
ふたの内側に「どうもありがとうございます。心を込めて作りました」と手書きで書いてあったという話を聞いた。
注文した人は、またその店に頼むのが人情だわな。

また、ある店では、全面自粛要請が時間制になったとたん
「潰れるんじゃないかと心配しとったんよ」とすぐ来た客がいたという話を聞いた。
お店の人は、そりゃサービスするわな。

店と客の「人のつながり」。
また、店同士、サプライチェーンとの「人のつながり」。
結局は、「人のつながり」を大切にし、それを広げたところに神は微笑むのだろう。

多分、コロナは続く。強弱を繰り返しながら。
今後、途上国や紛争地域で蔓延すること、その中で強毒性のものが出現しないことを祈るばかりである。
が、ペストがルネッサンスを起こしたように、
パンデミックは世界の価値観をひっくり返し、新しい世界が、新しい価値観が生まれるかもしれない。
どんな世界が生まれようとも、人のつながりは失われない。

親しい友人や家族と向き合い、楽しい会話をしながらとる食事はまさに「人のつながり」である。
横並びに座り、仲間の裏切りを告げる「最後の晩餐」が新しい生活様式に決してなってはならない。

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写真:「最後の晩餐」(あさご芸術の森美術館)

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