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常識と非常識の間(2019.10)

色と環境

環境の分野では、特定の色がよく持ち出される。
そしてその表現は必ずカタカナ(英語)である。
その一番手は「グリーン」だ。
グリーン購入、グリーンコンシューマー、グリーンインベスター、グリーン電力、グリーンツーリズム、
そして、緑のカーテン、緑の党。

グリーン=「環境に優しい」という良い意味で使われる。
グリーン→植物→自然→環境というロジックの流れだ。
唯一、昨年アカデミー賞をとった映画「グリーンブック」では、
人種差別下の黒人専用のガイドブックだったけど。

辞書を引いてみると、
国語辞典、英和辞典とも「グリーン」に「環境に優しい」という意味は記載されていない。
比較的最近新しい意味をもたされた言葉であることがうかがえる。
いろいろな環境ラベルにも緑色を使用したものが多い

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そのものズバリ「グリーンマーク」は、原料に古紙を規定の割合以上利用していることを示す環境ラベルだ。
(資料:公益財団法人 古紙再生促進センター)


グリーンの補色のレッドはどうだろうか。
環境の分野で「レッド」といえば、これはもうレッドリスト、レッドデータブック(RDB)だ。

余談だが、昔、社内の人間とRDBの話をしていてどうもかみ合わない。
情報システム担当の彼にとっては、
RDBとは「リレーショナル・データベース」のことだと分かるまでに多少の時間を要した。

環境のシンボルともいえる緑と異なり、
赤は、信号機や標識に象徴されるように、人間にとっては本能的に停止・禁止のサインである。

青は、ブルースカイ、ブルーシー、ブルーアース、ブループラネットなど、
空や海の美しさや深みを象徴する色であり、地球を代表する色である。
従って、「宇宙船地球号」の概念が語られる時は必ずと言っていいぐらい採用される色で、
環境とのかかわりは深い。

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地球(ブルーアース)をだっこした「エコマーク」は、当然、ブルーだ。
(資料:公益財団法人 日本環境協会)


形容詞と環境

特定のカタカナ形容詞も環境の分野で最近よく使われる。
その動きは「クール」から始まった。そう、「クールビズ」である。
「クール」が出れば「ウォーム」が出てくるのは世の常だが、
「クール」が出た時、「ウォーム」はセットではなかった。

「家の作りやうは、夏をむねとすべし」(徒然草)なので、
「クール」がまず出てくるのは当然の理なのだ。
羽田首相が半袖のスーツで登場した「省エネルック」は、今となれば「ちょっとね」と言う感じだが、
あれは勇気がいったことだと思う。

最近では暑い夏に家でクーラーをかけるのではなく、
公共施設や商業施設等に出かけて涼む「クールシェア」という取り組みを環境省が推奨している。

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(資料:ひろしまクールシャア特設サイト(広島県))

「クール」という英語には、「冷静な」「理知的な」という意味もあるが、
これに似た意味で近年よく使われるカタカナ形容詞が「スマート」である。

「スマート」とは、「かっこいい」という意味ではなく、「賢い」という意味である。
典型的なのがスマートフォンで、小さなパソコンでもありカメラでもある「賢い」電話という意味なのだ。
スマートキーは、持っているだけで施錠・開錠できる賢い鍵なのだ。
環境の分野では、主にエネルギーに係るまちづくりに関して使われる。
スマートシティ、スマートコミュニティ、スマートグリッドなどなどである。

クールビズの戦い

クールビズは、2005年に、
そもそも小泉内閣の環境大臣であった小池百合子が首相からアドバイスされて始まったものだ。
余談だが、マータイさんの「もったいない」のアピールなど、
当時の小池さんは頑張っていて新鮮だったよね。
クールビズも進化をとげ、今では「スーパークールビズ」まである。

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環境省におけるクールビズの服装の可否(資料:環境省)
スーパークールビズでは、Tシャツやジーパン、サンダルも「TPOに応じた節度ある着用に限り可」としている。
う~む。「TPO」「節度ある」がミソだなあ。


しかし、クールビズが出た当時は、すんなりいかなかった。
特に政界において賛否両論というより反発が多かった。
亀井静香は「だらしがない」として酷評した。
有権者には礼儀正しく接しなければならないとう彼の気持ちは間違ってないと思う。
彼が閣議で閣僚のクールビズが申し合わされても、
最後までネクタイ・スーツ姿で通したことは、信念を貫きまことにあっぱれである。

一般国民からいえば、機能的で省エネにつながるクールビズは、悪いことは何もないのだが、
表があれば裏があり、右があれば左があるのが世の常で、
クールビズは悪いことと考える人もいるのである。

例えば、ネクタイ業界。
小生の妻の親友が山梨のネクタイ製造会社の跡取り息子に嫁いだのだが、
(それで山梨がわが国のネクタイ製造業の一大集積地だという事を初めて知った)
日本ネクタイ組合連合会がクールビズの廃止を陳情したことはあまり知られていない。

しかし、決定打となったのは、
2011年の東日本大震災の福島第一原子力発電所の事故による電力不足である。
これ以降、クールビズは公務員が率先する形で社会的に認知され、
夏季はノーネクタイ・上着なしが常識になった。

夏でもネクタイ・スーツ姿の人を見ると、
暑がりの小生は、なんでそんな恰好をしてるんだろうと同情するとともに、
逆に暑そうで不快になってしまう。

クールビズから見える「常識」

というわけで、クールビズは社会的に認知されと思う。
ネクタイ業界は別にして、夏をむねとすべき日本で、
わざわざネクタイを締め、スーツを着て難行・苦行を続ける必要は全くない、
と小生は思うのである。
しかも、近年は夏が暑くて長い。
9月はもちろん、10月も30度近い日がある(今日もそうだ)。
一年の半分はクールビズ期間だと思う。

で、思うのである。
ネクタイ・スーツとは何かと。常識とは何かと。

皆が横並びになることが常識ならば、ノーネクタイ・上着なしも常識といえるんじゃないか。
いい例が沖縄だ。
かりゆしはカジュアルだが、沖縄では同時にフォーマルだ。
それが沖縄の常識だ。礼を失することはない。
ノーネクタイ・上着なしの方がネクタイ・スーツよりも気候に合うのなら、
それが常識になっていっていいんじゃないか。

そうせざるを得ない状況になったら今までの常識も変わる。
計画停電で目が覚めた省エネが不可欠のものであるならば、
それに反する今迄の常識は非常識になるんじゃないか。
常識に従い、横並びになっていれば道を誤らないのだろうか。

常識は結構もろいものだ。
クールビズという常識に礼の側面から疑問を挟み、
横並びになることを頑として拒んで信念を貫いた亀井静香は、その点で素晴らしいと思う。

常識に従い、横並びになっていることはとても楽だ。
しかし、それは、考える力を奪ってしまう。
常識を疑い、自分の考えに従って行動することはしんどい。

僕は、それは本当なのか、なぜそうなのかと、いつも考えることができ、
行動できる人間でありたいと、いつも思っている。

今日から10月。
まだ夏日だというのにクールビズは昨日で終了。
30℃なのに、長そでネクタイ。
暑がりの小生の常識や、如何にあらむ。

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みちのく一人旅(その4):盛岡(2019.9)

心に刻まれた風景

最初は特に行くつもりはなかったのだけど、せっかく岩手まで行くのだから、
多分もう行く機会はないだろうから、最後に盛岡まで足をのばしてみようと思ったのだ。
ガイドブックとにらめっこして、駅に近い「啄木新婚の家」から市内巡りをすることにした。

盛岡駅を出て、駅前の「開運橋」という縁起のいい名前の橋を渡っていて、
アッと思わず声が出そうになった。

大きな山が突然目の前に現れた。
5月だというのに雪をかぶった大きな山だ。
岩手山だ。
広島生まれ・広島育ちの僕にとって、こんな風景見たことない。

何という風景だ。
街の真ん中、しかも駅前。
流れる川は北上川だ。
何という風景だ。
これこそまさに「ランドマーク」だ。

こんな風景が日常にある盛岡の人にとって、
この風景が幼少の時から刷り込まれている盛岡の人にとって、
岩手山というものの存在は計り知れないだろう。
これこそがふるさとの風景だと思った。

開運橋の説明板を見ると、この橋は盛岡駅開業とともにできた橋で、由緒あるものである。
ということは、盛岡出身の石川啄木も、盛岡高等農林学校卒業の宮沢賢治も、
日常的にこの橋を渡り、この風景を見たという事だ。
当時はもちろんビルなどはなく、岩手山と北上川は今と変わらず、
今、僕の目の前にあるようにあったはずだ。
と思うと、より一層この風景が、啄木や賢治が通った道を今歩いているということが、心にしみる。

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ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな(啄木)


なんと痛ましい人生だろう

岩手山の衝撃の余韻に浸りながら、「啄木新婚の家」を目指す。
「啄木新婚の家」は市街地の中にぽつんとあった。

「新婚の家」というが、19歳で結婚した啄木は、その年に職を失った父と母、妹と同居し、
この狭い家で一家5人の新婚生活を始めたのだ。
しかし、そんな生活は長くは続かなかない。
たった3週間でこの家を離れ、2年後には北海道に移住し、
以後、東京などを転々とするのだが、生活は窮乏を極め、
この家に住んだわずか7年後に26歳で結核で亡くなる。

翌年、妻の節子も2人の子どもを残して結核で亡くなっている。
その2人の子どもも、それぞれ24歳と18歳で早逝している。
なんと幸薄い一生だろう、なんと痛ましい人生だろう。

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「啄木新婚の家」。 不幸を一家で背負ってったったような啄木の人生。
はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る(啄木)


岩手のヘソ

市街地の中に三ツ石神社という神社がある。
そこに「鬼の手形」というものがあるというので見に行くことにした。

なるほど、大きな岩が2つあってしめ縄が張られている。
三ツ石というが、3つ目の石は表からはよく見えない。
それ以上に、鬼の手形なるものがどこにあるのかよく分からない。

説明板によれば、昔、この地に鬼が棲んでおり、悪事の限りを尽くしていた。
困った人々がこの三ツ石に祈願したところ、たちまち鬼はこの巨石に縛りつけられた。
鬼は恐れをなし、二度と現れないと約束し、この巨石に自分の手形を押して立ち去ったそうな。

近くにいた地元の人らしき人が、手形の場所は苔が生えないからわかると他の人に解説しているが、
石はすべて苔で覆われているじゃないか。

岩に押された手形だから、「岩手」。
何と、この石が「岩手」の名の由来なのだそうだ。

盛岡の中心部に「不来方(こずかた)」という面白い地名がある。
この地名は、恐れをなした鬼が二度と来なくなった場所という意味だそうだ。
盛岡を代表する夏祭りに「さんさ踊り」というものがある。
この踊りは、鬼がこの地から去って民衆が喜んで躍ったことが始まりだそうだ。
ということは、ここが岩手の、盛岡の、中心、ヘソではないか。

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三ツ石神社の「鬼の手形」。
しかし、鬼の手形はどこにあるのかさっぱりわからん。


まちなかの名水は大いなる慈だ

盛岡は南部藩(盛岡藩)の城下町である。
その名残を残す町屋が連なる歴史的街並みを「もりおか町屋物語館」を目指して歩いていると、
「大慈清水」というものに出くわした。

大慈清水は、原敬の墓所がある近くの大慈寺を水源とし、
藩政時代から利用されている「盛岡三清水」のひとつで、
「平成の名水百選」にも選ばれている由緒ある名水だ。
今でも地元の人が用水組合を作って管理し、生活用水として多くの人に利用されているそうだ。

大抵の○○清水は、水源もしくは水源から引いたパイプを受けて桝が設けられているが、
大慈清水は、大きさが1畳もあるかと思われる桝が上流から下流に向かって4つも設けられており、
さらに上屋までかかっている。
こんな湧水地は見た事がない。
説明を読むと、上から順に、飲み水、米研ぎ、洗い水、足洗いだそうだ。
具体的な用途の明記は、今も生活の中で使われている証左だ。

流量が少ないのがひとつの要因だろうが、
逆に、それが故に、このように大切に細心の注意で水が使われているのだろう。
4つの区画をのぞき込むと、どの区画も澄んだきれいな水だ。
街の中に、今も人々の生活で普通に使われているこんな清水がある。
こんな清水があたりまえのようにある街。暮らしと自然の水の近さ。
いいな。うらやましいな。

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大慈清水。
上から順に、飲み水、米研ぎ、洗い水、足洗いと区画が区切られている。

二度泣かせる街

翌日、もう1日盛岡市内を見て回り、
夕方、再度むこうにそびえる雪をかぶった岩手山を見ながら、
冒頭ご紹介した開運橋を渡って盛岡駅に向かった。

この開運橋は、別名「二度泣き橋」と呼ばれるそうである。
異動で東京から遠く離れた盛岡に転勤を命じられた人は、初めて盛岡に来て開運橋を渡る時、
「こんな遠い所まで来てしまった」と自分の不遇に泣くそうである。

しかし、転勤期間を終えて盛岡を去ることになり、最後に盛岡駅に向かうこの橋を渡る時、
今度は盛岡を離れるのが辛くて再び泣くそうである。

ほんの2日間の盛岡滞在だったが、泣きはしなかったが、岩手山の風景と共に、いい街だと思った。
盛岡の街を心に刻んだ。

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みちのく一人旅(その3):遠野で考えたこと(2019.8)

遠野物語

「みちのく一人旅」の3回目は、
もうひとつの旅の目的である民俗学のふるさと遠野を訪ねる旅だ。

花巻を後にして、釜石線に乗る。
東北本線の平泉とは異なり、乗客は少ない。
どうやら渋滞や行列には巻き込まれなくて済むようだ。
この電車でこのまま行けば三陸まで行くんだなと思いながら花巻から約1時間。
遠野駅に着き、駅前でレンタルサイクルを借りる。

カッパ淵と伝承園が多分定番のサイクリングコースだが、
僕が目指すのは、「遠野物語」の舞台の心臓部、約10km先の土淵の山口地区だ。

柳田國男が書いた遠野物語は、遠野地方に伝わる伝承を記した説話集である。
カッパやザシキワラシやオシラサマは、この遠野物語で広く人々に知られるものとなった。
柳田國男は、遠野の山口出身の民話蒐集家・文学研究家の佐々木喜善を知り、遠野を訪れ、
彼が話す遠野地方に伝わる数々の伝承を記録・編集して出版したのが遠野物語なのである。

花巻と遠野を訪ねて初めて知ったのは、この佐々木喜善と宮沢賢治の関わりである。
その仲立ちとなったのがザシキワラシだ。
賢治の童話に「ざしき童子のはなし」という話があるが、
喜善はその内容を自著で引用しようとして賢治に手紙を送ったのが始まりで、
二人は何回か実際に会っていたようだ。

二人の生涯年表を見ていてハッと気づいた。
年は喜善がちょうど10歳上だが、
二人が亡くなったのは同じ年の同じ月、たった8日しか違わないのだ。
二人はほぼ同じ時を生きたのだ。

悲しい掟・「ダンノハナ」と「デンデラノ」

山口集落には佐々木喜善の生家も墓も残っている。
生家はいわゆる南部の曲屋で、
近くにある共同墓所は「ダンノハナ」といい、遠野物語にも出てくる。
山口集落のダンノハナは、集落を見下す斜面にあり、喜善の墓もある。
喜善の墓は、建立にあたって柳田國男が遠野物語の印税の一部をあて、
折口信夫が墓碑を揮毫したそうだ。

そして、山口集落を挟んでこのダンノハナの反対側にあるのが「デンデラノ」である。
デンデラノは、早い話が姥捨て山である。
昔、60歳となった老人は自主的に家を出てデンデラノに向かい、
そこで共同生活を送りながら寿命を待ったという。

深沢七郎の楢山節考のようなものだと思っていたが、かなり違っていた。
まず、里から遠く離れた奥山ではない。里のすぐ横の丘陵地だ。
そして老人たちは捨てられるのではなく、
朝、里へ出て農作業などを手伝い、夕方、デンデラノに帰ったという。
前者のことをハカダチといい、後者のことをハカアガリというのだそうだ。

デンデラノには茅葺の小さな小屋が建っていた。
「アガリの家」と言うそうだ。
そう、前述のハカアガリの「アガリ」である。
今あるアガリの家は忠実な再現ではないかもしれないが、
いずれにしても粗末なものだったのだろう。
こんなところで老人たちはどうやって冬を越したのだろう。
ここは岩手の山奥だ。
一冬越すたびに、何人も死んでいったのだろう。

そこで気がついた。
ダンノハナとデンデラノはセットなのだ。
デンデラノで死んだ人が、里をまたいでダンノハナに還っていったのだ。

ヤマセが吹き、凶作になった時、
里人が共倒れにならないように老人たちは自ら口減らしを行ったのだ。
しかしそれは、座して死を待つのではなく、
ましてや自殺などではなく、可能な限り生き延びようとする挑戦だったのだ。
残された里人も老人を捨てたのではない。
デンデラノに向かう肉親に、慙愧と尊敬の念を持ったに違いない。
そしてその運命は、遠くない将来の自分の姿なのだから。

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デンデラノ。茅場の隅に茅葺の小さな小屋「アガリの家」が建つ。

デンデラノの松蔭のアガリの家を見て、賢治の「雨ニモマケズ」を思い出した。
まさに、賢治が立っていたのは、こんな風景の中だったんだ。

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 (中略)
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
 (中略)
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 (中略)
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ


小麦団子はどう伝わったか

やはり最後に少し食べ物の話をしておかなきゃならない。
初めて知ったのだが、遠野はジンギスカンが名物なのだそうだ。
なので、ジンギスカンを食べようと思ったのだけど、時間と場所が折り合わない。
それで郷土料理を探してみると、どうやら「ひっつみ」というものが名物だということが分かった。

「ひっつみ」は岩手県北上地方の郷土料理で、早い話が「すいとん」である。
(と言っても、「すいとん」を知らない人が多いのではないかと思うけど)
「ひっつみ」は、小麦粉を練って団子にしてものを「ひっつめ」て(つまんで)薄く伸ばしたものと
鶏肉や野菜を煮た汁物である。

汁の中身のコナモンについてざっくりいうと、
小麦粉を練ったものが団子状のものが「すいとん」、
太い麺状のものが「ほうとう」、薄い皮状のものが「ひっつみ」である。

「ほうとう」は山梨(甲斐)の郷土料理だけど、「ひっつみ」と関係あるのかな?
盛岡藩(南部藩)の城主だった南部氏は、もともと甲斐出身なので、
同様の料理が伝わったんじゃないのかな。

「南部」が出たところでもう一つ言えば、岩手名物に南部煎餅というものがある。
南部煎餅は、よく考えてみれば小麦団子を焼いたものだ。
小麦団子を焼いたもの(南部煎餅)を、
上に列挙した「すいとん」系の小麦団子に置き換えれないだろうか。
この置き換え料理があるのである。
青森は八戸の「せんべい汁」である。

しかし、八戸は青森で、岩手ではない。
実は、盛岡藩(南部藩)から後に八戸藩が分かれ、八戸藩も南部氏が治めていたのである。
小麦団子を焼いて煎餅にしておけば、日持ちがし、非常食になっただろう。
ヤマセ吹く凶作への備えとして、より気候の厳しい青森で生まれた郷土料理だ。
郷土料理をひもといていき、
その後ろにある風土とそれに培われていった文化がどう伝わっていったか考えることが、
僕は好きだ。

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ひっつみ定食。右下が「ひっつみ」、右上が「けいらん」。(伝承園にて)
「けいらん」は「鶏卵」である。その色形からこう呼ばれる。
こしあんを餅粉の皮で包んで茹でて冷やしたもの。つるっと甘いデザートだ。


デンデラノとひっつみ。
雪や地震や台風が少なく、ヤマセの吹かない暖かな瀬戸内で育った僕たちにはなじみのない事々だ。
賢治と啄木。
どちらもこの厳しい風土で一生懸命生き、若くして結核で亡くなった。
瀬戸内とはまったく風土の異なる東北で、いろいろなことを見て、いろいろなことを考えた。

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みちのく一人旅(その2):平泉から花巻へ(2019.7)

中尊寺と毛越寺

「みちのく一人旅」の第2回目は、旅の目的のひとつである宮沢賢治を訪ねる旅だ。
しかし、その前に、目の前の平泉を素通りするわけにはいかない。
仙台から東北新幹線に乗り、ついに岩手県に入った。
一関で東北本線に乗り換え平泉へ。

さすがに大型連休で、ほとんどの人が平泉で降りた。
一抹の不安を覚えつつ、レンタルサイクルで平泉を探索だ。
平泉のメインストリートは午前中から大渋滞だ。
全部、中尊寺に向かう車だ。

中尊寺の入口まで行くと、今度は駐車場に入るのに大渋滞だ。
当たり前だが、出る車がないと車は入れない。
車で来た人は、中尊寺までたどり着くのにいったい何時間かかるのだろう。
チャリでよかった。
しかし、この思いは数十分後に無残に砕かれることになる。

中尊寺は、入口からハイライトの金色堂まで結構長い。
坂道を沿道の塔頭を見ながら延々歩く。
と、長い2つの行列に行きついた。

聞けば、1つは金色堂の入場券を買う列だという。
そして、もう1つの列は、金色堂に入る列だという。
つまり、まず、長蛇の列に並んで入場券を買い、
その券を持ってまた別の長蛇の列に並ばなければならないということだ。

2つの行列を見て、ここで金色堂を諦めた。
とても残念だが、ここで無為に何時間も過ごすわけにはいかない。
杉木立の奥にチラッと見える金色堂
(正確には、金色堂を覆う鉄筋コンクリートの覆堂)を横目に、帰路についた。

しかし、渋滞で中尊寺までたどり着いていない人たちはどうなるんだろう。
丸一日、渋滞の車内と行列で終わってしまうのではないだろうか。

平泉で見たいものは中尊寺だけではない。
次の大きな目的は毛越寺だ。
毛越寺には平成元年に再建された本堂のほかは、池を中心とした広々とした園地がただあるだけだ。

なぜ毛越寺か。
国の特別史跡・特別名勝、そして世界遺産に指定されているからだけではない。
それは、この復元された庭園が、
日本最古の造園書「作庭記」の技法を伝える貴重な浄土庭園としてつとに有名だからだ。
造園を志したものとして、この毛越寺庭園は一度は見ておきたかったのだ。
「作庭記」に書かれていることが、実際の造園としてどのように実現されているか、見ておきたかったのだ。

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鑓水の石組み。
作庭記:「遣水の石をたつるにハ底石 水切の石 つめ石 横石 水こしの石あるべし」


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亀石と出島の石組み
作庭記:「たちいでたる石 あまたおきざまへたてわたして はなれいでたる石も せうせうあるべし」


賢治のふるさと

一関に一泊した後は、いよいよ花巻だ。
新幹線を降りると、新花巻駅には野球の展示コーナーがあった。
楽天イーグルスは仙台なのにと思って見てみると、大谷翔平と菊池雄星だ。
そうか、二人とも花巻東だったね。
今や二人とも大リーガー。花巻の英雄だ。

宮澤賢治に関する施設―宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、宮沢賢治イーハトーブ館―は、
新花巻駅から少し離れているが、歩いて行ける距離だ。
雨は降っているが、新花巻駅から歩き始めた。

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宮沢賢治童話村は、賢治童話の世界で楽しく学ぶ「楽習」施設。
写真は、賢治の世界を5つのテーマゾーンで表現した「賢治の学校」の不思議な空間「ファンタジックホール」

宮沢賢治記念館はこれらの中心施設だ。
今更ながら、賢治の多才ぶりを認識する。
地学、農学、化学、天文学、音楽、絵画、詩・俳句・短歌、童話、宗教…関わったジャンルの多いこと。
法華経が彼を貫く柱だったのはよく知っていたが、
相対性理論も知って学んでいたことは知らなかった。

アインシュタインは、彼が24才の時、来日したのだ。
宇宙に目を向け、時間さえも伸び縮みすることを彼は知っていたのだ
―「銀河鉄道の夜」がすぐ連想される。

「セロ弾きのゴーシュ」―実際に彼が弾いていたチェロが展示されていて、
彼がすぐそばにいるような気がした。
「永訣の朝」―妹トシの臨終の際の詩の原稿は、よく知っているだけに胸に迫った。

 けふのうちに とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
 (あめゆじゅとてちてけんじゃ)


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宮沢賢治記念館。
多方面に及んだ彼の思想や活動を実物資料と共に解説・展示している。

驚いたのは、小生の元々の専門である造園とのつながりだ。
前日の毛越寺が思い出される。
大正から昭和にかけて活躍した造園家に田村剛という人がいる。
国立公園の制度を創設した人だ。
この田村剛と賢治が関わりがあったことを初めて知った。

田村剛は、造園を意味する英語「Landscape Architecture」を「装景」という日本語に訳し、
その概念をわが国に持ち込んだ人だ。
賢治は、その概念をふまえ、装景手記というノートにこう記したそうだ。

 この国土の装景家たちは
 この野の福祉のために
 まさしく身をばかけねばならぬ

彼は、造園(装景)という仕事の重要性を認識していたのだ。
そしてそれ―環境デザイン―は、
「ほんたうのさいはひ」(本当の幸い)につながるものだと認識していたのだ。

ここでふとSDGsが頭に浮かんだ。
ここで賢治が言っていることは、
「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」…ということじゃないか。
「誰一人取り残さない」というSDGsの理念が、
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という賢治の言葉と重なる。
改めて彼の言葉をかみしめた。

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みちのく一人旅(その1):みちのく食紀行(2019.6)

ついに みちのくへ

平成から令和に移る10連休。またとないまとまった休みだ。
「どこかに出かけよう」と妻に言うと、
「腰の具合が悪いので動きたくない。一人で好きな所へ行ってくれば」と言う。
うちの夫婦は(というか奥さんは)「相手のために自分を我慢しない」が原則なのだ。
ならば、前から漠然と行きたいと思っていた岩手に思いきって行くことにした。

行くと決めたら、何はともあれ飛行機の手配だ。
東京のはるか向こうまで新幹線で行きたくない。
広島~仙台便をネットで調べると、連休2日目になんと!1座席だけ空いていた。
即、予約。もう決まった。岩手に行くんだ。

なぜ岩手か。
それは、敬愛する宮沢賢治のふるさと花巻と、
柳田国男の「遠野物語」の舞台の遠野に行ってみたかったのだ。
僕は昔から、感性や好みや志向が賢治と共通・共感するところが多々あり、
賢治が生まれ育ったところを見て、感じてみたかったのだ。
そして、ザシキワラシやカッパなどが棲んでいた遠野、
民俗学の原点となった遠野とはどんなところなのか、この目で見てみたかったのだ。

6泊7日の旅は盛りだくさんだったので、数回に分けてそのお話をしようと思う。
「知らない所へ行ったら、食べたことのないものを食べる」の大原則にのっとり、
まず最初は、「みちのく食紀行」から始めようと思う。

人も樹も青葉の街・杜の都

4月28日、僕は初めて仙台という街に降り立った。
仙台は若者が多い。なので、活気がある。
仙台駅前から広島の本通りのようなアーケード街がずっと続いている。
本通りよりもずっと距離が長い。そこに若者があふれている。
「札仙広福」と言うが、仙台に行って、これはヤバイと思った。
地下鉄のある札幌と福岡が広島を上回っているのは明白で、仙台はどうかと思っていたのだが。

仙台は駅前から繁華街である。
そして長いアーケードを中心にそれが延々と続く。
広島のように駅と繁華街が離れていない。
そして街の中に東北大学と東北学院大学がある。
若者の多さがそれを物語っている。
やはり、大学が街の中にあり、街と空港が軌道系で結ばれていなければだめだ。

そして、仙台という街の大きな魅力は、
広瀬川と青葉城(仙台城跡)だということがよくわかった。
まさに、杜の都だ。いい街だ。街はかくあるべし。

その長いアーケードを食べ物屋やお店を冷かしながら歩いていると、あった、あった。
露店で蒸しホヤを売っている。
広島では絶対見れない、まずは食べれないものだ。

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ホヤは、東京では普通に魚屋で売っている。刺身はコノワタよりも磯の香りが強い。
この蒸しホヤは、旅館の夕食で出た。


今度は八百屋が店舗の外にも台を出して何か売っている。
これは!と思って見てみると、すべて山菜だ。
フキノトウ、タラノメ、コゴミは広島でもあるが、行者ニンニクやコシアブラはあまり見ない。
それに、このウコギだ。
ウコギを売っているのは初めて見た。どうやって食べるんだろう。
後日知ったのだが、東北では「ウコギのほろほろ」という料理があり、春の風物詩のようだ。
これは、ウコギの新芽を茹でて刻み、
これに東北では定番の大根の味噌漬けをみじん切りにしたものと
炒ったクルミをみじんにしたものを混ぜて、ご飯にのせたりして食べるのだ。

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上段中央:行者ニンニクとタラノメ、下段中央:大根の味噌漬けとウコギ

そして、仙台といえば、牛タン。
これはテールスープと麦飯の3点セットがお約束だ。
そして、牛タンの付け合わせには青菜の塩漬けと青唐辛子の味噌漬け、
テールスープにはたっぷりの細切り白ネギがこれもお約束だ。
これで2千円弱。高いが美味い。美味いが高い。
しかし、テールスープのテールには肉がたっぷりついている。

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普通の感覚なら、付け合わせは千切りキャベツとなるところだが、菜物の塩漬けと青辛子の味噌漬けというところに東北を感じる。

岩手三大麺

岩手には三大麺といわれる麺がある。
すなわち、わんこそば、岩手冷麺、じゃじゃ麺である。
実はこれが目的で岩手に行ったと言われても仕方がない。

わんこそばは、ソバを入れる大きめのお椀とツユ、それにいろいろな薬味というか具というか
―ネギや海苔はもちろん、とろろ、なめこおろし、イクラ、山菜、漬物、はては天ぷらや刺身などなど―
がのったお膳がまず運ばれてきて、
次に例の小さいわんこに盛られたソバがお盆にのって出てくる。
1枚のお盆には、わんこが24~30杯のっていて、まずはこれが2枚出てくる。
大きめのお椀にツユを入れ、わんこのソバと薬味を放り込んで一口で食べる。これを繰り返す。
食べ放題の店だと、後ろに立ったおねえさんが食べた端からわんこにソバをどんどん放り込む。
ギブアップの時は、ツユの入ったお椀に蓋をするのがお約束だ。

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せっかちな僕が1時間行列に並んだ成果。これはインスタ映えする。

岩手冷麺は、いわゆる焼肉屋で食べる冷麺と同じものだ。
しかし、名物と言われると、普通の冷麺と比べ、何やらスープが深く、美味く感じてしまう。

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キムチによって適度に辛みがつく。スープが深い。

そして、特筆すべきは、じゃじゃ麺である。
これは中華料理でいう炸醤麺とはまったく異なるものだ。
まず、麺が独特である。
少し縮れて太くコシがあり、温かい。見た目はうどんのようだが、全く違うものだ。
そして、曲者は上に乗る肉みそである。
甜面醤の味ではない。
何とも形容しがたく、小生ともあろうものが、食べても材料やレシピが分からない。
肉みその下にはキュウリと白ネギ、皿の縁には薬味のおろしショウガと紅ショウガ(刻んでない1枚もの)。
これをよくかき混ぜて食べるのだが、最後のお楽しみが「チータンタン」である。

「チータンタン」とは「白卵湯」で、略して「チータン」という。
「チータン」を食べるのには独自のお約束がある。
まず、麺を一口だけ残し、カウンターの入れ物に入っている生卵を丼に「勝手に」割入れてかき混ぜ、
箸を添えて「お願いします」とカウンターのおばちゃんに差し出す。
おばちゃんはそれに少しの肉みそを加え、添えられた客の箸で卵と肉みそをさらにかき混ぜ、
それに熱い麺のゆで汁をお玉一杯注ぎ、客に返す。
これが「チータン」である。

早い話が肉みその残り汁で作るかき玉汁である。
広島で、汁なし担々麺の残り汁にご飯を入れるようなもんだ。
「チータン」を食べないと、確かにじゃじゃ麺を食べたような気がしない。

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現地の相場は600円。見た目は地味だけど、これがなかなかどうして・・・

岩手の三大麺を食べて、わが広島のことを考えた。
広島の三大麺って何だろう。
少なくとも、うどんとソバは入らない。
トンコツ醤油の広島ラーメンもあるが、九州ラーメンや札幌ラーメンほどのインパクトはない。
最近は影が薄いがラー油の効いた広島風つけ麺と汁なし担々麺、
そして「麺」と言われると少し苦しいが、やはりお好み焼きだろうか。

何につけ、オリジナリティというものは大切で素晴らしいものだ。
それは、その地域の人が独自にあみ出し、育んできたものだからだ。
僕は、そういうものが、とても好きだ。

次回は、つわものどもが夢の跡―平泉のお話をしたいと思う。

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