福有りの里(2023.12)
不思議の木「イチョウ」
秋も深まり、あちこちでイチョウの黄色い炎が見られるようになった。
山間部で車を走らせていると、「ああ、あそこにお寺があったのか」と、黄色い炎が教えてくれる。
イチョウは不思議な植物である。
まず、イチョウは分類学上、一綱、一目、一科、一属、一種というたぐいまれな生きものである。
そして広葉樹でもなく針葉樹でもない。
誰一人仲間はおらず、たった一人ぼっちの植物なのだ。
たった一人で1億5千万年もの間、形を変えずに生きてきた「生きる化石」なのだ。
次の驚きは、イチョウには精子があるということだ。
これは大学生の時、野外実習で東京の小石川植物園に行ったとき初めて聞き、ぶっとんだ。
植物(種子植物)に精子があるのかと。
精子というと動物のものと普通思われると思うが、
コケ類やシダ類などの原始的な植物には精子があり、鞭毛で泳いで受精するのだ。
それらより進化した種子植物である裸子植物のイチョウに精子があるとは。
種子植物では、花粉が雌しべの頭につくと花粉管をのばして雄の細胞を卵に届けて受精する。
イチョウなどの裸子植物では、雄しべや雌しべで構成される花はなく、
種子の元となる胚珠がむき出しになっている。
イチョウでは、受粉した雌花は花粉を一旦花粉室に入れ、数か月かけてそれを精子に育てる。
精子は鞭毛で泳ぎ回り、胚珠の中の卵に到達して受精する。
というような解説付きの野外実習をなぜわざわざ小石川植物園でしたかというと、
イチョウの精子が発見された樹が、まさに目の前にあるイチョウの樹だからなのだ。
そしてそれは平瀬作五郎という日本人によってなされたのだ。
余談だが、イチョウなどの裸子植物には実はできない。
しかし、イチョウにはギンナンがなるではないか。
ギンナンのあの臭いぶよぶよした黄色い部分は実ではなく、種を覆う皮なのだ。
裸子植物であるイチョウには実はできず、ギンナンという種ができるのだ。
雄木の悲しみ
このようにイチョウは雌雄異株である。
雌木にはギンナンという恩恵があるが、雄木には何もない。
たぐいまれな精子を持つだけだ。
それ故か、イチョウの雄木には悲しい伝説を持つものがある。
市の天然記念物に指定されている島根県江津市有福の「上有福のイチョウ」がそれである。
推定樹齢千年、樹高12m、幹周10m、有福八幡宮の御神木「銀杏大明神」であるこのイチョウには、
次のような伝説がある。
神代の昔、天の神様が雄雌二粒の種子を落とし、雌木の生えた所を都にするといわれたが、
この木は雄木だった為に種の落ちた有福は都になれなかった。
では、もう一粒の雌の方はどうなったか。
雌の種は京都の西本願寺に落ちたそうである。
言うまでもなく京都は千年の都である。
そして実際に西本願寺には確かにイチョウの大木があるそうだ。
この話には続きがある。
都になれずがっくりしている雄イチョウを見て神様は、
「華やかな都が幸福とは限らない。
豊かな自然に囲まれ静かに暮らしていくことに本当の福が有るのだ。」と言ったそうだ。
それ以来、この地を「有福」と呼ぶようになったという。

上有福のイチョウ。根元には「銀杏大明神」の祠がある。
泣くな雄木よ。君のおかげでここには本当の福が有るのだ。
福有るはずだったのに・・・
有福温泉は山陰の伊香保といわれる。
川筋の傾斜地に旅館や外湯が立ち並び、
その間を細い階段の小路で巡っていくのはまさに伊香保の趣だ。
登ったり下ったりの小路の途中には、
大正浪漫の御前湯、小さな薬師堂、湯の町神楽殿、善太郎餅本店などがあり、
こぢんまりとしているがレトロな風情があった。

山陰の伊香保・有福温泉のたたずまい。
正面右のアーチ状の窓が御前湯、正面左の石州瓦の建物が湯の町神楽殿。
今、「レトロな風情が『あった』」と書いたのは、今はもうないからだ。
ほとんどの旅館は空家か改装中である。
どうしてこんなふうになっちゃったんだ。
その昔、神様から「福有り」と寿がれた有福だが、近年の有福は福どころか「有災」続きだった。
過疎化・高齢化とレクリエーション活動の変化、
加えて平成22年の大火災、平成25年の豪雨災害により、
最盛期は20軒近い旅館があったものが、平成29年には3軒だけになってしまった。
寂れる→客が来ない→施設の劣化・サービスの低下→ますます客が来ない という、
温泉街の地盤沈下の典型である。
仕事で毎年結構島根に行く小生は、
年を追うごとにどんどん寂れていく有福温泉のあり様にずっと心を痛めていた。
今時、普通の温泉旅館に泊まれば1泊2食付きで安くても1万5千円だ。
ビジネスホテルなら5千円で泊まれるのに。
固定費抑制のため平日は営業していない、
施設は古い、トイレはウォシュレットじゃない、フロントに人はいない・・・
「当館の魅力は温泉と海の幸・山の幸です」―供給側が考える売り「プロダクト・アウト」。
「安くて便利でそこにしかない魅力があって」―需要側が求める価値「マーケット・イン」。
客商売であれば、売り手の理屈ではなく、買い手の要求に応えるべきだろう。
かつて斬新で高性能なモノを作れば売れたわが国のプロダクト・アウトの成功体験は、
売る側の独りよがりのプライドだと気づかないまま社会は成熟し、
気づいたときにはそれを一方的に押し付けられた消費者のマインドはもうそこにはなかったのだ。
福有りの里 再び
有福温泉の再生は令和3年度に始まった。
観光庁などの補助により、空家や既存旅館の改修が進められている。
そのコンセプトは温泉街全体をあたかも一つの宿としてとらえる「まるごとホテル」だそうだ。
すなわち、食事はレストランのお店で、神楽は神楽殿で、
自然体験、農業体験、工芸体験、料理体験・・・
そして、「何もしない」・・・ができる場所をホテルの中(まちの中)につくる。
人が求めているもの(マーケット)をつくる(イン)。
令和3年10月に温泉街の中心に温泉街の食を担うレストラン「有福ビアンコ」が開店した。

温泉街の中心にできた「有福ビアンコ」は福有るまちの新たな中心だ。
温泉街の建物は今、あちこちでシートや足場がかけられ改装中である。
これは風景を阻害するものではなく、明日への脱皮のための蛹の姿なのだ。
上有福のイチョウよ、安心してくれ。
これだけマーケット・インの思いを込めて人々が打ち込んでいるんだ。
神様が言ったように、本当の福はきっと有るのだ。
ブルーシートの蛹が美しい蝶になって飛び立つのはもうすぐだ。

有福温泉街の全貌。シートや足場やクレーンは蝶になる前の蛹の姿だ。
秋も深まり、あちこちでイチョウの黄色い炎が見られるようになった。
山間部で車を走らせていると、「ああ、あそこにお寺があったのか」と、黄色い炎が教えてくれる。
イチョウは不思議な植物である。
まず、イチョウは分類学上、一綱、一目、一科、一属、一種というたぐいまれな生きものである。
そして広葉樹でもなく針葉樹でもない。
誰一人仲間はおらず、たった一人ぼっちの植物なのだ。
たった一人で1億5千万年もの間、形を変えずに生きてきた「生きる化石」なのだ。
次の驚きは、イチョウには精子があるということだ。
これは大学生の時、野外実習で東京の小石川植物園に行ったとき初めて聞き、ぶっとんだ。
植物(種子植物)に精子があるのかと。
精子というと動物のものと普通思われると思うが、
コケ類やシダ類などの原始的な植物には精子があり、鞭毛で泳いで受精するのだ。
それらより進化した種子植物である裸子植物のイチョウに精子があるとは。
種子植物では、花粉が雌しべの頭につくと花粉管をのばして雄の細胞を卵に届けて受精する。
イチョウなどの裸子植物では、雄しべや雌しべで構成される花はなく、
種子の元となる胚珠がむき出しになっている。
イチョウでは、受粉した雌花は花粉を一旦花粉室に入れ、数か月かけてそれを精子に育てる。
精子は鞭毛で泳ぎ回り、胚珠の中の卵に到達して受精する。
というような解説付きの野外実習をなぜわざわざ小石川植物園でしたかというと、
イチョウの精子が発見された樹が、まさに目の前にあるイチョウの樹だからなのだ。
そしてそれは平瀬作五郎という日本人によってなされたのだ。
余談だが、イチョウなどの裸子植物には実はできない。
しかし、イチョウにはギンナンがなるではないか。
ギンナンのあの臭いぶよぶよした黄色い部分は実ではなく、種を覆う皮なのだ。
裸子植物であるイチョウには実はできず、ギンナンという種ができるのだ。
雄木の悲しみ
このようにイチョウは雌雄異株である。
雌木にはギンナンという恩恵があるが、雄木には何もない。
たぐいまれな精子を持つだけだ。
それ故か、イチョウの雄木には悲しい伝説を持つものがある。
市の天然記念物に指定されている島根県江津市有福の「上有福のイチョウ」がそれである。
推定樹齢千年、樹高12m、幹周10m、有福八幡宮の御神木「銀杏大明神」であるこのイチョウには、
次のような伝説がある。
神代の昔、天の神様が雄雌二粒の種子を落とし、雌木の生えた所を都にするといわれたが、
この木は雄木だった為に種の落ちた有福は都になれなかった。
では、もう一粒の雌の方はどうなったか。
雌の種は京都の西本願寺に落ちたそうである。
言うまでもなく京都は千年の都である。
そして実際に西本願寺には確かにイチョウの大木があるそうだ。
この話には続きがある。
都になれずがっくりしている雄イチョウを見て神様は、
「華やかな都が幸福とは限らない。
豊かな自然に囲まれ静かに暮らしていくことに本当の福が有るのだ。」と言ったそうだ。
それ以来、この地を「有福」と呼ぶようになったという。

上有福のイチョウ。根元には「銀杏大明神」の祠がある。
泣くな雄木よ。君のおかげでここには本当の福が有るのだ。
福有るはずだったのに・・・
有福温泉は山陰の伊香保といわれる。
川筋の傾斜地に旅館や外湯が立ち並び、
その間を細い階段の小路で巡っていくのはまさに伊香保の趣だ。
登ったり下ったりの小路の途中には、
大正浪漫の御前湯、小さな薬師堂、湯の町神楽殿、善太郎餅本店などがあり、
こぢんまりとしているがレトロな風情があった。

山陰の伊香保・有福温泉のたたずまい。
正面右のアーチ状の窓が御前湯、正面左の石州瓦の建物が湯の町神楽殿。
今、「レトロな風情が『あった』」と書いたのは、今はもうないからだ。
ほとんどの旅館は空家か改装中である。
どうしてこんなふうになっちゃったんだ。
その昔、神様から「福有り」と寿がれた有福だが、近年の有福は福どころか「有災」続きだった。
過疎化・高齢化とレクリエーション活動の変化、
加えて平成22年の大火災、平成25年の豪雨災害により、
最盛期は20軒近い旅館があったものが、平成29年には3軒だけになってしまった。
寂れる→客が来ない→施設の劣化・サービスの低下→ますます客が来ない という、
温泉街の地盤沈下の典型である。
仕事で毎年結構島根に行く小生は、
年を追うごとにどんどん寂れていく有福温泉のあり様にずっと心を痛めていた。
今時、普通の温泉旅館に泊まれば1泊2食付きで安くても1万5千円だ。
ビジネスホテルなら5千円で泊まれるのに。
固定費抑制のため平日は営業していない、
施設は古い、トイレはウォシュレットじゃない、フロントに人はいない・・・
「当館の魅力は温泉と海の幸・山の幸です」―供給側が考える売り「プロダクト・アウト」。
「安くて便利でそこにしかない魅力があって」―需要側が求める価値「マーケット・イン」。
客商売であれば、売り手の理屈ではなく、買い手の要求に応えるべきだろう。
かつて斬新で高性能なモノを作れば売れたわが国のプロダクト・アウトの成功体験は、
売る側の独りよがりのプライドだと気づかないまま社会は成熟し、
気づいたときにはそれを一方的に押し付けられた消費者のマインドはもうそこにはなかったのだ。
福有りの里 再び
有福温泉の再生は令和3年度に始まった。
観光庁などの補助により、空家や既存旅館の改修が進められている。
そのコンセプトは温泉街全体をあたかも一つの宿としてとらえる「まるごとホテル」だそうだ。
すなわち、食事はレストランのお店で、神楽は神楽殿で、
自然体験、農業体験、工芸体験、料理体験・・・
そして、「何もしない」・・・ができる場所をホテルの中(まちの中)につくる。
人が求めているもの(マーケット)をつくる(イン)。
令和3年10月に温泉街の中心に温泉街の食を担うレストラン「有福ビアンコ」が開店した。

温泉街の中心にできた「有福ビアンコ」は福有るまちの新たな中心だ。
温泉街の建物は今、あちこちでシートや足場がかけられ改装中である。
これは風景を阻害するものではなく、明日への脱皮のための蛹の姿なのだ。
上有福のイチョウよ、安心してくれ。
これだけマーケット・インの思いを込めて人々が打ち込んでいるんだ。
神様が言ったように、本当の福はきっと有るのだ。
ブルーシートの蛹が美しい蝶になって飛び立つのはもうすぐだ。

有福温泉街の全貌。シートや足場やクレーンは蝶になる前の蛹の姿だ。
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