FC2ブログ

≫ EDIT

なかったことにする(2021.1)

2歳児の超絶技

今は4歳になった孫が、2歳半の頃覚えた技がある。
何かのはずみに突然目を固くつむって下を向くのだ。
そしてしばらくその状態のまま固まっている。
「どうしたの?何やっとるん?」と父親である息子に聞くと、
「なかったことにしとるんよ」と言う。
「?」

「何か嫌なことがあると、あれをやるんよ。
つまり、何か嫌なことがあった時、自分はそれを見てないし、知らないし、
ということを態度で示して、それをなかったことにするんよ」

これはすごい技だ。
始めて見た。
瞬間ワープだ。瞬間タイムマシンかもしれない。
聞けば、最近彼一人で編み出した技だそうだ。
どういうことがきっかけで、こんなすごい技を編み出したんだろう。
いいなあ、起きてしまったことを、なかったことにできるなんて。

それを見て知っているから目をつむるんだろうに、というのは大人の理屈で、
目をつむって見えなくなることで、起きたことを寸断するという気持ちはよく分かる。
本人にすれば、見えなくなって隔絶されているわけだから、もうそれとは関係ないんだ。
うらやましい。

子どもの頃、もし魔法や超能力が使えて、一生に1回だけ時間を止められる、
もしくは瞬時に別の場所にテレポーテーションすることができれば、
どんな時にそれを使うだろうかと一生懸命考えたことがある。

例えば暴漢に襲われて絶体絶命の時。
例えば無実の罪を着せられて死刑になる寸前とか。
時間よ止まれ!と念じて、はるか彼方に脱出するのだ。
ただ、そんな局面は絶対来てほしくないなと思ったところで、
いつも思考中断になってしまうのだ。

吸い込まれる・・・

うまくしたもので、魔法には必ず穴がある。
ディズニー映画の実写版「アラジン」では、主人公のアラジンは王位を狙う悪者の宰相に
どんな願い事も3つだけ叶えてくれる魔法のランプを奪われてしまう。
宰相は魔法のランプに2つの願い事をし、国王の地位を手に入れ、
また、世界で一番強力な魔法使いになった。

今や国王となった彼は、世界で一番強力な存在になるという最後の願い事をする。
するとそのとたん、彼は魔法のランプに吸い込まれてしまう。
ランプに閉じ込められていた魔人は世界で一番強いのである。
世界で一番強力な存在になるという事は、
すなわち、ランプに閉じ込められるということなのである。
そのおかげで、魔法のランプの前の住人の魔人は解放されて自由人となった。
めでたし。めでたし。

入れ物に吸い込まれる魔法というと、西遊記の金角・銀角の瓢箪の話を思い出す。
魔王の兄弟の金角・銀角は、
呼びかけた相手が返事をすると中に吸い込んで溶かしてしまう瓢箪を持っている。
孫悟空は呼びかけられて返事をし、瓢箪の中に吸い込まれてしまうが、
自分の毛で分身を作ってうまく脱出し、逆に瓢箪を奪ってしまう。
瓢箪を奪った孫悟空は金角・銀角に呼びかけ、
逆に彼らは瓢箪に吸い込まれて溶かされてしまうという話だ。

袋状の物の中に生きものを吸い込んで溶かしてしまうイメージは、まさにウツボカズラだ。
ウツボカズラは東南アジア原産だが、
三蔵法師のモデルの玄奘三蔵が歩いたルートはいわゆるシルクロードの中央アジアである。
ウツボカズラとは遭遇するはずもないのだが。
未だ不詳の西遊記の作者が東南アジアに生息する奇異な植物の話を聞いていたのだろうか。

image002_2021010513380725e.jpg
西遊記の金角・銀角の瓢箪はウツボカズラではないかと思うのである。

結界をまたぐということ

古今東西の物語には、穴に吸い込まれる以上に、穴に落ちる話が多い。
すぐ思い出すのが、「おむすびころりん」と「不思議の国のアリス」だ。
穴に落ちる話に共通なのは、吸い込まれる話と違って、半ば自ら進んで穴に落ちることと、
穴の先に不思議な世界が広がっていることだ。

「おむすびころりん」は、おじいさんが落したおむすびが転がって穴の中に入り、
それを追っかけて行ったおじいさんも誤って穴の中に落ちると、
そこにはたくさんのネズミが住んでいて、
おむすびのお礼として財宝が入った箱をくれるという話だ。
それを聞いた悪いおじいさんは自ら穴に落ちて乱暴狼藉を働き、散々な目に遭う。

「不思議の国のアリス」は、服を着て言葉をしゃべるウサギを追っかけていったアリスが穴に落ち、
様々な不思議な世界を経験するという話だ。

結局、穴に落ちるという事は、結界を越えるということなのだ。
結界から先の世界は、普段は人の行くことのできない異界で、
世の中の常識や時間の流れを越えた世界なのだ。
そして、落ちた穴から戻ってくるということは、
結界を越えて別の世界から「この世」に戻ってくるということなのだ。

異界でどんなに長い時間をかけていろいろな経験をしようとも、
それは現実世界ではほんのひと眠りの夢なのだ。
アリスが穴に落ちて経験したすべてのことは、
土手の上で寝ていたつかの間の白昼夢だったのだ。

image003_202101051338093cd.png
「不思議の国のアリス」の登場人物とストーリー展開は支離滅裂でハチャメチャだ。
あの変人コンビのティム・バートンとジョニー・ディップが好むはずだ。


「結界」といってまず思い出すのは、映画「フィールド・オブ・ドリームス」である。
ケビン・コスナー演じる主人公が、ある日「それを作れば、彼が来る」という不思議な声を聞き、
トウモロコシ畑をつぶして野球場を作る。

野球場には八百長疑惑で大リーグを永久追放されたシューレス・ジョーなどがやってくるが、
その姿は彼とその家族にしか見えない。
実は、この野球場には、人々の失われた夢を実現させる不思議な力が宿っていたのだ。
そう、叶う事のできなかった現実を「なかったことにする」ことができるのだ。

現実の世界で野球に対する様々な夢を叶えることができなかった人が次々登場し、
最後は主人公とケンカ別れのうちに亡くなった主人公の野球好きの父親が若い頃の姿で現れ、
主人公とキャッチボール始める。
カメラはフィールドからぐっと引いていき、
上空からナイター照明で浮かび上がる野球場とその周辺を写し出す。
照明に照らされた野球場に向かう一本の道には長蛇の車の列の光がどこまでも続く
(夢を叶えることができなかった人がまだ次々とやってきていることを暗示している)
印象的なシーンで終わる。
と、文字でストーリーの概要を書くと何のことはないが、とても感動的な心にしみる映画だ。

ところで、この野球場にいろいろ現れる人はファールラインを越えない。
必ず外野後方のトウモロコシ畑から現れ、去っていく。
ファールラインが死者と生者、夢と現実を隔てる結界になっているのだ。
結界は限られた者しかまたぐことができない。
そして、結界をまたぐということは、こっちの世界とあっちの世界を行き来するということなのだ。

結界をまたいでいった母

亡くなる1年ぐらい前から、施設に入っていた母の言うことがおかしくなってきた。
これまで一度も話したことがなかった父との結婚前後の話。
昔々の話を自分からいろいろ話し出す。

「お父ちゃん(自分の夫)が昨日来たじゃろう」
父はもう20年も前に他界している。
その時の喪主は母である。
「お父ちゃんはもうずいぶん前に死んで、ここに来ることはないよ」と諭すように話しすと、
じっと聞いているのだが、釈然としない様子でいる。
そして、また翌日も同じことを言う。

母は毎日結界を越え、そして時間と空間を越え、
あちら側とこちら側を行き来していたのだと思う。
現実はいつか白昼夢となり、白昼夢はいつか現実となり、両者は交じり合っていったのだ。
そんな母を見ていると、人生はまさに夢だと思う。

自分自身のこれまでの人生を振り返っても、夢のようだ。
あっという間のことだ。

新たな年を迎え、寿ぎたいところだが、コロナは続くよどこまでも。
トンネルをぬけないので、雪国にはなかなかたどりつけない。
うっとうしいマスクを外し、前のようにみんなと楽しくお酒を飲みたいのだけど。

再び盛り上がるコロナ禍の中、
夢を見ながら逝った母の3世代後のひ孫が編み出した超絶技「なかったことにする」の一撃を
コロナのやつにあびせてやりたい。

| コラム | 13:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

漢字に寄せて(2020.12)

漢字はすごいぞ

突然だが、12月12日は何の日かご存知だろうか。
12月12日は「漢字の日」なのである。
なぜ、漢字の日か。
12・12を「いい(1)じ(2)・いち(1)じ(2)」、すなわち「いい字・一字」と読んで、
漢字の日なのだそうである。
「2」を「じ」と読ませるのはちょっと苦しいように思うが、まあいいか。

漢字の日というより、
京都は清水寺の貫主が清水寺の大舞台で、
大きな筆で大きな紙に「今年の漢字」一字を書く日と言った方が、
分かりやすいかもしれない。

漢字といえば、その京都のど真ん中、四条は祇園にある「漢字ミュージアム」に行ったのだ。
1年前ぐらいのことだ。
本博物館は、正式には「漢検 漢字博物館・図書館」といい、
(公財)日本漢字能力検定協会が設立・運営する、
漢字に触れ・学び・楽しめる日本初の施設で、面白い仕掛けが満載である。

例えば、漢字にも「方言」があり、
地方によって独特の字体を持つ「方言漢字」とよばれるものがあることを知った。

知人に垰田(たおだ)さんという人がいる。
この「垰」をよく見て欲しいのだが、普通「とうげ」(古い言葉で「たお」)は「峠」と書く。
文字どおり山の上下の分岐点だからだ。
だが、「垰」は土偏だ。
前から不思議だったが、「垰」は中国地方の方言漢字だそうだ。

しかし、この本来の「峠」という漢字自体が、元々の中国にはなく、日本でできた漢字だそうで、
これを「国字」もしくは「和製漢字」というそうだ。

漢字は面白い。
同じ文字を表す「々」は記号であって漢字ではないそうだが、
(ちなみにワープロでは、「おなじ」と入力して変換)
同じ文字が続く「子子子子子子子子子子子子」は何と読むか。

人を食ったようなこれはちゃんとした文章で、
「猫の子仔猫、獅子の子仔獅子」と読むのだそうだ。
嘘か誠かその昔、嵯峨天皇がこれを問題としてひねり出し、それを小野篁が解いたという。
漢字には、一つの字で音読み・訓読みと多くの読み方があるということの
気の利いた証左である。

こんな漢字がほんまにあるんかいな

漢字はこの方言漢字や国字など世界中で様々なものが作られており、選定基準が必要である。
世界では、世界中のすべての文字に固有の番号をつけ、
すべてのコンピューターで共通に文字を表示できる「ユニコード」がスタンダードであり、
日本では、JIS第1水準・第2水準等の規定がスタンダードである。
しかし、依然として確固たる権威をもっているのが
世界最大といわれる大修館書店の「大漢和辞典」での掲載の有無である。

漢字ミュージアムで驚いたことのひとつが画数の多い漢字である。
画数の多い漢字は、すなわち、読めるけど書けない漢字である。
薔薇、躑躅、檸檬、燦燦、魑魅魍魎などなどである。

最も画数が多いのは、
ユニコード・大漢和辞典ともに掲載されているものでは以下のA,Bの2つの漢字で、
両字とも64画である。

Aimage010_20201130091419f50.jpg
Bimage011_20201130091421369.jpg
Aは「テツ」、Bは「セイ」と読む。

こんな字は普通に打ち出しても潰れて見えないよね。
画数は多いけど、×4で構造は簡単だ。
しかし、同じ漢字を4つも重ねてわざわざ難しくすることもないだろうにと思うのだけど。

ちなみに、Cのような漢字もある。4つと3つでどう違うのだろう。
漢字の意味は、Aが「言葉が多い」、Cが「龍の行くさま」と、断然Cの方がかっこいいのだけど、
この違いはどこから来たんだろう。

Cimage005_202011300914152bd.png

さて、そこでいよいよ問題の漢字である。
下の56画のこの漢字は「ビャン」と読むが、標準の中国語には存在しない発音だそうだ。
この字は残念ながらユニコード・大漢和辞典ともに掲載されていない。
前の3つの漢字と違って、構造は複雑だ。

image012_202011300914222a3.png
この字の構造は口頭ではちょっと説明できない。どうしてこんな漢字ができたんだろう。

この字を使う局面はただ一つ。
「ビャンビャン麺」という麺の名前に使われるそうだ。
「ジャージャー麺」はよく知っているが、ビャンビャン麺とはいったいどんな麺だ?

ネットで調べてみると、ビャンビャン麺はきしめんをもっと幅広にしたような麺で、
東京は八丁堀の「西安麺荘 秦唐記」という店がどうやら有名なようである。

西安麺荘 秦唐記のホームページによれば、
「ビャンビャン麺は中国の陝西省で一般的な幅広の麺で、
咸陽市周辺では「油溌麵」とも言われ、
ゆでた麺の上に唐辛子や刻み葱をかけ、
それに熱したピーナッツ油などの油をかけて香りを出し、
あえて食べる方法が主流」とある。
麺は切って成形するものではなく、長さは伸す台の長さによって決まるそうである。

image013_202011300914242aa.jpg
油溌麵。資料:「西安麺荘 秦唐記」ホームページ

漢字から探るコナモンの変遷

ところで、上記の文章では2つの「メン」という漢字を使い分けたのだが、お気づきだろうか。
「油溌麵」の「メン」の字は、われわれがよく使う「麺」とは少し違っている。
実は、「麺」は俗字で、正式な漢字は「麪」だそうである。

これらの漢字の部首は麦偏であるが、
そもそも「麦」という漢字自体が俗字で、本来は「麥」と書くべきなのだそうだ。
麦偏の漢字は少なく、小生の漢和辞典には、
麪(メン)、麩(フ)、麭(ホウ)、麰(オオムギ)、麹(コウジ)の5字が載るのみである。
ちなみに麭(ホウ)はパンで、麦偏の漢字はすべて麦に由来する食品である。

小麦から作った麺は、我が国にはうどんやそうめんがあるが、
もしパスタが早い段階で中国に伝わっていたら、どんな漢字ができていただろうか。
デュラム小麦の腰が強いセモリナ粉だから、麦偏に「強」という漢字だったりして。
また、どんな中国化された形ができ、レシピができたかと想像すると楽しい。

小麦粉を練って細く伸ばせば「麺」であり、
丸くまとめた平べったいものが「餠」、高さがあるものが「饅」である。
丸くまとめると、麦偏が急に食偏になってしまう。
小麦粉を丸くまとめるということは、粉と食品の間の一線を越えるという事なのだろう。

「餠」はこねた粉に熱を加えるが、
世界にはこねたり発酵させたりせず、卵など別の物を加えるにしても、
チヂミ、トルティーヤ(タコス)、クレープなど、溶いただけの粉を焼く料理が非常に多い。

そういえば、溶いた粉を鉄板で焼くという料理は中国ではあまり聞かないなあ。
中国料理では、北京ダッグを包む皮(薄餅)くらいしか思いつかない。
料理法が単純すぎて、中国では発達しなかったのかなあ。
しかし、わが国では、お好み焼き、たこ焼き、明石焼き、もんじゃ焼きなどなど、
この方面、すなわち「コナモン」のバリエーションは豊かである。

今年一年お疲れさまでした

さて、そんなたわごとを言っている間に、あっというまに晦。

今年一年を思い起こせば、
年明け早々1月に中国・武漢で発生した新型肺炎は、
武漢でのドタバタやダイヤモンド・プリンセスに耳目を奪われているうちに、
あっという間に欧米で、わが国で広まり、
東京オリンピックは延期され、選抜高校野球は初の中止、
春は過ぎてもプロ野球もJリーグも開催のめどは立たない中で、
緊急事態宣言、アベノマスク、クラスター、テレワーク、三密、ソーシャル・ディスタンス・・・
今年の流行語大賞は難しいよ。

2020年は、その語呂のよさとともに、「ああ、あのコロナの年ね」と記憶されるんだろう。
そんな中で京アニ事件、河井夫妻選挙違反事件、安倍首相の辞任と菅首相の登場、
締めはバイデン大統領の誕生と、
振り返れば目まぐるしくも、結局コロナウイルスは第3波を迎えて来年にバトンタッチ。

さあ、「今年の漢字」は何だろう?
小生の予測は「禍」。
あまり気持ちよくないね。

いずれにしても、今年一年お疲れさまでした。来年は、いい年になりますように。

| コラム | 09:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

桃太郎はオズの魔法使いと戦えるか(2020.11)

桃太郎の多様性とは

新聞を見ていたら、絵本のような一面広告がある。
タイトルは、「桃太郎はなぜこの3匹を仲間にしたのか」。
何じゃこりゃと、それに続くコピーを読んでいると、
「おそらく桃太郎はチームに多様性を取り入れ、
ある種のケミストリーを起こそうとしたのではないでしょうか うんぬん」とある。
どうやら多様性の重要性をアピールする広告のようだ。

image002_20201105101336f81.png
桃太郎はなぜこの3匹を仲間にしたのか。

で、どんな会社がこんな広告を載せたんだろうと見ると、なんと、「JT」とある。
しかし、近年何かと目の敵にされがちなタバコを作っている会社が、
アピールしたい「多様性」とは、何が言いたいんだろう。
ちょっと戸惑ってしまった。
金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の「みんなちがって、みんないい」は、
すっと心に落ちてくるのだけど。

 私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。
 私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんな唄は知らないよ。
 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。


3人の従者の物語

桃太郎の多様性については、そこで思考停止してしまったのだけど、ふと思ったのだ。
何で家来は3匹で、それも犬、猿、キジなんだろう。
そして、そういえば、世界の物語で冒険の旅をするチームは、主人公プラス3人?
(人間ではない場合、そしてほとんどがそうなのだが、この場合、数詞は何て言えばいんだろう)
であることにふと気がついたのだ。

 【桃太郎】桃太郎+犬、猿、キジ
 【西遊記】三蔵法師+孫悟空(猿)、猪八戒(豚)、沙悟浄(河童)
 【オズの魔法使い】
  ドロシー+脳みそのないかかし、心のないブリキの木こり+勇気のないライオン
 【スター・ウォーズ】
  ルーク・スカイウォーカー、ハン・ソロ+C-3PO、R2-D2、チューバッカ

桃太郎の場合、諸説あるが、十二支方位を根拠とする説が有力だそうだ。
風水では、災いをもたらす鬼を鬼門―北東すなわち丑寅(うし・とら)。これを表鬼門という―
の方角とすると、その対極にあるのは申未(さる・ひつじ)で、
そこから考えられたという説である。

しかし、ここで2つの疑問がある。
南西の申未の方角は、丑寅の表鬼門に対して裏鬼門といい、
表鬼門と同様不吉な方角なのである。
また、丑寅の対極にあるのは申未で、酉と戌は相対しない。
ちょっと苦しいんじゃないかな。

岡山の吉備津彦命の温羅退治伝説に出てくるという
犬飼部 犬飼健・猿飼部 楽々森彦・鳥飼部 留玉臣の3名の家来からの由来説の方が
まだありそうな話だ。

image004_20201105101337a6f.png
表鬼門の丑寅の対極にあるのは裏鬼門の申未である。

西遊記の場合は、これはもう実質的に孫悟空物語だが、
孫悟空は「火」、猪八戒は「土」、沙悟浄は「水」をイメージさせることから、
中国の物語でもあり、
万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという五行説を必然的に想起させる。
とすれば、三蔵法師は「木」「金」となるのだろうか。

3人?の従者の物語で小生が一番心惹かれるのがオズの魔法使いである。
なぜって、他の物語と違って、
オズの魔法使いの3人?の従者たちは最初から「ヘタレ」なのである。

ドロシー+3人?で力を合わせて旅をしてついに帰ってきた彼らに、
オズの魔法使いは望みどおり
かかしには脳みそを、ブリキの木こりには心を、ライオンには勇気を与える。
しかし、実は、オズは魔法使いでも何でもなく、ただの人間だった。

彼は、本当は、
かかしが賢く、木こりは優しい心を持ち、ライオンには勇気があることを知っていたので、
作り物の脳みそ、心、勇気を彼らに与えたところ、
彼らは本来の自分を取り戻し、願いがかなったと喜んだ。
そして、最終的には3人?ともオズの国の王さまになるのだ。

オズの魔法使いは、主役のドロシーだけでなく、3人?の従者がなぜそうなったか、
それぞれのうんちくある物語が重層的に語られる。
そしてそれは、知恵や人を思う心や勇気は、本人は気づいていないが、
本来誰もが持っているものであることを暗示しているのである。

image006_2020110510134014d.png
オズの魔法使いの3人?の従者たちは最初から「ヘタレ」だ。

さて、スター・ウォーズについての問題です。
1977年から2019年の40年以上にわたって続いたスター・ウォーズ全9作において、
ただ一人、全ての作品に出演した俳優さんがいます。
さて、誰でしょう。

それは、アンソニー・ダニエルズさんです…といっても分からないだろう。
C-3POを演じたイギリスの役者さんだ。
ロボットの役なので、本人の素顔をさらすことはないが、出演者には間違いない。

ちなみに、ジョージ・ルーカスは黒澤明を敬愛しており、
C-3POとR2-D2のキャラクターは、
黒澤明の「隠し砦の三悪人」のサブキャラクターともいえる、
藤原釜足演じる又七と千秋実演じる太平を元ネタにしていることは有名な話である。
スター・ウォーズの3人?の従者は、大きなストーリー展開には関係しないが、
物語の味付けには欠くべからざるキャラクターである。

「生物」多様性

ここで再び「チームの多様性」に立ち返れば、
3人?の従者の物語の中で、桃太郎が最も多様性が低いと思う。
だって、全員動物じゃないか。

てなことを言っていると、
フマキラー株式会社が運営する「For your LIFE」というオウンドメディアの「お役立ち情報」に
面白い記事を見つけた。
それは、「桃太郎の家来をキジの代わりに召集するとしたら、何にする?」という記事である。

鬼ヶ島に鬼を退治しに行く日が迫っているというのに、
キジが急遽、バイトで来れないということになってしまった。
そこで桃太郎と猿と犬が審査員となって、
鬼退治に参加するメンバーのオーディションを緊急開催することとなり、
最終的にはキジと同様、飛ぶことができるワシ、ニワトリ、蚊の3名?が残った。

結局、主役である桃太郎を脅かすことのない薄い存在感であること、
鬼を刺して痒くさせること、
桃太郎の好きなきび団子をほとんど食べないことなどから蚊が選ばれる。
(このへんのバカバカしさがいいんだよな。天才バカボンを彷彿とさせる)

そして、いざ鬼ヶ島決戦当日を迎えると、
バイトのシフトの調整がついて、なんとキジが急遽参戦できるようになり、
計5人(1人+4匹)で鬼ヶ島に行ったところ、いつもより多いメンバーだったので、
今まで以上に力を発揮することができ、無事、鬼を退治することに成功しました!
(バイトのシフトの調整がつくなんぞ、このバカバカしさがさらにいいんだよな)

という、実にいい話である。
さすがフマキラー、見えてないだけで、実はひっそりと蚊が参加していたというオチである。

蚊が入ることによって、「チームの多様性」はかなり向上したと思う。
しかし、「生き物」という枠を超えることはできない。
西遊記も、妖怪という生き物の枠の中での話だ。
スター・ウォーズは生き物の枠は超えているが、生き物に近いロボットと猿の怪人だ。

そういう意味からも、オズの魔法使いはすごいと思うのである。
しかもだ、脳みそ・心・勇気がないというものたちだ。
妖怪や怪物はどうやら生き物のようだが、
脳みそや心がないものは、はたして生き物なのだろうか(実は、本当は持っていたのだが)。
(ウィルスは生き物ではないという話を思い出す)

と、ここまで考えていてわかったことがある。
多様性と、は生き物に係ることなのである。
物がどんなに色々なものがあっても、多様性とは言わない。
しかし、風景や地形・地物、文化や風俗などは、生き物ではないが多様性という言葉を使う。
それは、風景や地形・地物は生き物の生育・生息基盤であり、
文化や風俗は生き物である人間がつくり出したものだからだ。

「多様性」は、実は「『生物』多様性」以外にあり得ないのではないかと、思い至ったのだ。

| コラム | 10:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

一度会えばみんな兄弟だ(2020.10)

沖縄ではシリトリができない

先月は沖縄の「バクダンおにぎり」の話をした。
沖縄の話を続けると・・・
コロナだ、新内閣だと話題に事欠かないので皆さんお忘れだと思うが、
ちょうど1年前、昨年の10月31日、あの首里城が炎上した。
テレビの画面を見ていて信じられなかった。

あれからはや1年。
特殊な資材や職人、150億円とも言われる費用など難題は山積し、再建は多くの困難が予想されるが、
紆余曲折しながらも、あの姿をもう一度見ることができるよう望むばかりである。

で、突然だが、沖縄は不思議な所である。
沖縄ではシリトリができないということをご存知だろうか。
どうしてできないか。
それは、沖縄では何と!「ん」から始まる言葉があるのである。
それも結構たくさん。

小生も最初に「ん」から始まるものの名前を八百屋の店先で見た時、
結構ドギマギする軽い衝撃を受けた。
それは「んじゃな」である。

「うん、じゃあな」という別れの言葉ではない。
「んじゃな」は葉物野菜の名前である。
「んじゃな」は即ち苦菜(ニガナ)である。

また、「んすなばー」という野菜もある。
「んすなばー」は即ち、フダン草である。
最近は「うまい菜」の名前で売っているのを見かける。

料理でいえば、「んぶしー」。
これは味噌煮のことである。
「なーべらーんぶしー」はヘチマ(なーべらー)の味噌煮で、沖縄でのヘチマの代表的な食べ方である。

「んむ」はうなっているのではなくて、「芋(いも)」である。
単に「んむ」という場合には、サツマイモを指すことが多い。
沖縄で芋といえば、「たーんむ」。
即ち、田芋である。

image002_202010011027506a5.jpg
フダン草。「うまい菜」や「スイスチャード」という名前でよばれることもある。
「うまい菜」は茎が白くて太く、「スイスチャード」は茎の色がカラフルである。


調べてみると、世界には「ん」で始まるものの名前や地名・人名はたくさんあるようだ。
例えば、中国人の名字によくある「呉」さんは、
北京語では「ウー」さんだが、広東語では「ン」さんだそうだ。
しかし、どうしてわが国では沖縄だけこんなに「ん」で始まる言葉ができたんだろう。
んーむ。

しりしり

沖縄・シリトリとくれば、単に言葉が似ているだけで全く関係ないけど、「しりしり」である。
しりしりといえば、「にんじんしりしり」である。
「しりしり」は、千六本にした野菜を卵と一緒に炒めた沖縄の家庭料理である。
人参で作るのが一般的なので、「にんじんしりしり」なのである。

普通、野菜を千六本するには、まず野菜を薄切りにし、それを重ねて端から刻んでいく。
みじん切りの一工程前で止めるわけだ。
少量なら何という事もないが、大量に刻むとなるとちょっと面倒くさい。
そこで沖縄には「しりしり」を作るための「しりしり」という道具があるのだ。

道具の「しりしり」は、沖縄の一般的な家庭には必ず1つはある必需品だ。
「しりしり」は、早い話が大きなおろし金である。
しかしその表面は針状の突起ではなく、穴の開いた突起が並んでいる。
このおろし金状の物で人参などをおろすと、
「おろし」ではなく、細い棒状に切断されたものが簡単にできる。

「しりしり」の語源は「すりすり」であり、
また、このおろす時の動作や音からきているといわれている。
というわけで、「しりしり」は「しりしり」する動作や作業のことも言う。

人参が定番だが、沖縄では人参以外の野菜も「しりしり」する。
小生は、パパイヤしりしりが好きである。
沖縄では、パパイヤは果物の前に野菜である。
青いパパイヤの皮を剥いて種を除き、「しりしり」してそのままサラダや炒め物にする。
サラダにして砕いたナッツ類や庭のレモングラスやペパーミントを散らし、
ナンプラーなどをかければエスニック風味抜群の一品が出来上がる。

「しりしり」は、料理の名称であり、調理法の名称であり、道具の名称であり、
また、その道具を使う動作や作業の名称でもあるのだ。
一つの言葉で、関連するものをすべて表す。
日本語にはこんな便利な言葉はなかなかない。
電子レンジで「チン」するが、電子レンジのことを「チン」とは言わないし、
電子レンジで温めたものを「チン」とは言わない。

image004_20201001102753902.jpg
わが家の「しりしり」。サラダの彩りに人参をちょっと「しりしり」するのに手間いらずだ。

「ちゃんぷるー」と「じゅーしー」

「しりしり」の話をしたので、沖縄料理の話をしなければならない。
ところで、沖縄では炒め物には3種類あるそうだ。
すなわち、「ちゃんぷるー」と「たしやー」と「いりちー」である。

「ちゃんぷるー」は、ごちゃまぜという意味で、
色々なものが入った炒め物と理解していたが、これは違うようだ。
沖縄の家庭料理に精通したおばぁが言うには、「ちゃんぷるー」は、豆腐が入った炒めの物ことを言うそうだ。

「たしやー」はデンプン質が入った炒め物のこと、「いりちー」は炒め煮のことを言うそうである。
「くーぶーいりちー」は昆布(くーぶー)の炒め煮なので、「いりちー」はすんなり理解できる。
問題は「ちゃんぷるー」である。

車麩の入った「ふーちゃんぷるー」やそうめんの入った「そうみんちゃんぷるー」は、
「ちゃんぷるー」ではなく、「たしやー」だそうだ。
僕がわざわざ那覇で買った沖縄料理の本には、
堂々と「ちゃんぷるー」の部に「ふーちゃんぷるー」と「そうみんちゃんぷるー」がこの名前で載ってるけど。

ということは、豆腐の入らない「ごーやちゃんぷるー」は、「ちゃんぷるー」ではないということになる。
ゴーヤとスパムと卵の「ごーやちゃんぷるー」は、「ごーやちゃんぷるー」ではないのだ。

沖縄の食べ物の名前は面白い。
もしあなたが沖縄で具だくさんの麺が食べたくて「ちゃんぽん」を頼むと目を剥くこととなる
運ばれてくるのは野菜炒めがご飯の上にのった「野菜炒め丼」とでもいうべきもので、
麺のかけらもない。

定食の付け合わせに汁ものが欲しくて、
軽い気持ちで「味噌汁をつけてください」などと言おうものなら大変なことになる。
お椀ではなく、大量の具が入った丼が出てくる。
沖縄の味噌汁は「汁」ではなく「おかず」なのである。

定食の付け合わせと言えば、最初に沖縄に行った時驚いたのは「じゅーしー」である。
定食屋でみんな「じゅーしーをつけてね」などと言っている。
さすが亜熱帯の沖縄。
昼ごはんにもマンゴージュースなどつけるのかなと思っていたら、
「じゅーしー」とは炊き込みご飯のことだった。

なんで炊き込みご飯のことを「じゅーしー」って言うんだ?
ご飯のかけらも感じられない。

このことを知ってもさらに衝撃を受けたのは「ぼろぼろじゅーしー」である
ボロボロになった炊き込みご飯って何だ?
腕のいいコックが作るチャーハンのように、米がぱらりとほぐれるのかなと思っていたら、
「ぼろぼろじゅーしー」とは雑炊のことだった。
なるほど、雑炊だから米がボロボロにほぐれるのかと一人勝手に解釈した。

いちゃればちょーでー

以前、沖縄の田舎町であるところに行きたくでバスに乗ったのだが、
どうやら逆方向のバスに乗ったことに気づき、
終点近くなってバスを降りて、道路の反対側の停留所でバスを待った。

しばらくするとさっき乗ったバスが折り返してやってきた。
乗り込むと運ちゃんが僕を覚えていて、どうしたのかと聞く。
事情を話すと降りるバス停を教えてくれて、料金はいらないという。

何で?と聞くと、
あんたは間違えて乗っただけで、既にその分のお金は払っているのでいらないという。
ありえない!

沖縄の人はゆるくて、こっちがバタバタしていると正直イラっとくることもある。
だけど、僕は沖縄の人が好きだ。
つまらないことをいろいろ考えても仕方がないじゃないか「なんくるないさー」。
一度出会い行き会えば、誰でも兄弟みたいなもんなんだ「いちゃればちょーでー」。

首里城はきっと再建できる。

| コラム | 10:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

おかずでご飯を包んでもいいじゃないか(2020.9)

関東にあって関西にないもの

「生協ではなかなかないんだけど、今週はあったから、あんこ玉を注文したの」
「冷凍してあるから」と嬉しそうに妻が言う。
あんこ玉は、金づばと並んで妻の大好物である。

あんこ玉は、知る人ぞ知る(知らない人は知らない)東京は舟和の和菓子である。
上品なこしあんが直径3センチほどの団子に丸められて寒天で薄く包まれた和菓子だ。
美味しいけど高い。
一番の弱点は日持ちがしない事で(間違いなくそれがまた有難味を増す要因である)、
わが家では冷凍庫に直行となり、都度解凍してちびちび味わって食べる。

決して甘党ではない小生も、あんこ玉は美味しいと思う。
何より味と佇まいが控えめで上品だ。
なめらかな豆の味がする。
関東の和菓子の銘品だと思う。関西ではこの手の和菓子は見た事がない。

関東の和菓子といえば、「すあま」をご存知だろうか。
広島では、関西では、「すあま」と言っても普通はまず通じない。
小生は学生時代に関東に行くまで、見たことも聞いたこともなかった。
多分、関西に住む人は、一生、見ることも聞くことも、食べることもない人が多いのではないかと思う。

「すあま」は、見た目はほとんどピンク色のカマボコだ。
くっつく感じの柔らかさがあり、味は控えめな甘さだ。
食感と味は「ういろう」が最も近い。
昔は関西には全くと言っていいほどなかった納豆がこんなに一般的な食べ物になっているのに、
なんで「すあま」は関西で広がらないのだろう。

image002_20200831094934b09.jpg
これが「すあま」。見た目はほとんどカマボコだが、全然違うものだ。ピンクが多いが、緑色などのものもある。

そういえば、お菓子ではないが、「ちくわぶ」も同じだ。
「ちくわぶ」は、小麦粉を練って太いちくわの形に成形したもので、
「竹輪『麩』」とあるが、麩ではなく、「そばがき」に近いものだ。
おでんに入れ、味が染み込んだもちもちした食感を楽しむものだ。

この「ちくわぶ」も関東出身で練りもの好きの妻の好物なのだが、
(厳密には「ちくわぶ」は練りものではない)
以前は広島では売っていなかった。
最近は一部のスーパーで見かけるようになったが、まだこちらでは一般的な食材ではない。

image004_20200831094937c2b.jpg
これが「ちくわぶ」。ちくわとは似て非なるもの。小麦粉のかたまりだ。

ねりものはくせもの

練りものというものは要注意である。
練りものは千変万化である。
例えば、広島なら「がんす」である。

「がんす」は野菜を混ぜたすり身を長方形に成形し、パン粉をつけて揚げたものである。
早い話が、パン粉がついた揚げカマボコ(平天)である。
唐辛子を入れた島根は浜田の赤天、じゃこを骨や皮ごとすりつぶした愛媛は宇和島のじゃこ天も、
同様の揚げカマボコの系統に属する。

カマボコと竹輪は整形のし方が違うだけで、ほとんど同じものである。
すり身を板に盛り上げて加熱すればカマボコ、すり身を竹に巻き付けて加熱すれば竹輪となる。
すり身に豆腐を加えた揚げカマボコが日南の飫肥天で、
すり身に豆腐を加えた竹輪が鳥取の「とうふちくわ」である。

カマボコのバリエーションの筆頭は「削りカマボコ」だろう。
「削りカマボコ」は、カマボコを日持ちさせるために乾燥させて削ったもので、
愛媛の南予が発祥らしいが、小生は山口の宇部で初めて見た。
削り節のようにトッピングして使うのが一般的だ。

しかし、カマボコの最強のバリエーションは、
沖縄の「バクダンおにぎり」にとどめを刺すのではないだろうか。
一般に言われる「バクダンおにぎり」というものは、シャケやオカカなどの定番ネタを入れたものではなく、
おかずの残りや何やかや、いろんなものを入れた大きな海苔巻きおにぎりのことを言うが、
沖縄のそれは、全く違うものである。

小生はこれを沖縄で初めて見た時いったい何かわからず、説明してもらってぶっ飛んだ。
ウチナンチューの何でも採り入れて新しいものを生み出すチャンプルーな発想と能力
(タコライスにしかり、ポークたまごにしかり)にただただぶっ飛んだ。

「バクダンおにぎり」は、ジューシー(炊き込みご飯)をすり身で包んで揚げたものだ。
見た目は色の薄い大ぶりなさつま揚げの丸い玉なのだが、なんと!中には御飯が詰まっているのだ。
肉巻きおにぎりは知っているが、よりによってご飯をカマボコで包むという発想がすごい。
考えてみてほしい。カマボコの中にご飯が詰まってるんだよ。

image006_2020083109494043b.jpg
これが「バクダンおにぎり」。初めて見た時、えらい大きい練り製品だと思ったが、まさか中にご飯が入っているとは。

バクダンおにぎりはなぜすごいか

そこで、なぜ沖縄の「バクダンおにぎり」が特異なのか考えてみた。
ポイントは以下の2点、すなわち、①練りもので包んでいること ②ご飯を包んでいること の2点だ。

まず、①について考えてみた。すり身に色々なものを混ぜ込んだ食品はたくさんあるが、
練りもので包んだ食品というものは、
細長く切ったゴボウを芯にしたゴボウ天やウズラの卵を芯にした玉子天などのおでんネタに限られる。

饅頭などのお菓子を除いても、洋の東西を問わず、「包む」食品はたくさんある。
日本なら「おやき」、中国なら餃子や包子や焼餅、欧米ならピロシキなどである。
しかし、これらの食品は、小麦粉を主材料とするでんぷん質の皮で包んでいて、
練りものなどのたんぱく質で包んだものではない。

たんぱく質で包むためには、たんぱく質をシート状にしなくてはならない。
変形自在なシート状にできるたんぱく質というものは、薄揚げや湯葉などの植物性たんぱく質以外のもの、
すなわち、動物性たんぱく質では卵を除いては難しいのである。
しかし、練り製品はそれを可能にした。
そして、たんぱく質は、別の言い方をすれば「おかず」なのである。

次に、②であるが、先に述べた「包む」食品の中身(餡)はすべて肉や野菜などの「おかず」である。
おむすびやいなりずし以外に主食であるご飯を包んだ食品は、
「いかめし」やサムゲタン以外には思い浮かばない。
しかし、「いかめし」やサムゲタンは、全体として完結したひとつの料理だ。
生米を素材に詰めて煮て、素材の味を米にしみこませながら炊くという料理法であって、
炊いた米を包むという二次加工を施すものではない。

「包む」食品は、普通、でんぷんでたんぱく質を、すなわち、主食でおかずを包んでいる。
「バクダンおにぎり」のすごいところは、
「おかずでご飯を包む」という逆転の発想を実現していることなのだ。
結果としてそういうことになっているが、順を追って考えると、これは実にすごいことなのだ。

冬に食べるアイスクリームがあってもいいじゃないか。
切れなくなっても新しい刃がすぐ出てくるナイフがあってもいいじゃないか。
逆転の発想がないと、雪見大福もカッターナイフも生まれなかった。

もう一度頭の中をリセットして白紙で考えてみよう。
どこに穴があるか常識というやつを疑ってみよう。
ひらめくこともあるけど、たぶんそれは稀なことだ。
十分考える事が必要だ。

そして、みんなに言おう。
「○○な○○があってもいいじゃないか」

| コラム | 10:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT