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卒業(2019.4)

やあ、暗闇くん。僕の古い友だち

やあ、暗闇くん。僕の古い友だち。
また君と話しに来たよ。
だって、僕に忍び寄ってきたそいつは、
僕が寝てる間にかけらを残して僕の中に潜んだまま、
未だ静寂の音の中に潜んでいるんだ。

僕らの世代には懐かしい、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
聞き慣れたギターのアルペジオとともに、♪Hello darkness, my old friend~と歌い始める。

何とも哲学的な歌詞だ。
いや、歌詞以前に曲のタイトルだ。
「静寂の音」なんて、仏教でいう「不二」そのものである。
「不二」とは、例えば生と死、有と無など、
互いに相反する二つのものは別々にあるのではなく、一つのものであるという教えである。

ところで、「サウンド・オブ・サイレンス」といえば、
これはもう、映画「卒業」である(映画のテーマ曲である)。

ダスティン・ホフマンが「エレーン!」と叫びながら、
教会で結婚式を挙げている花嫁(キャサリン・ロス)を略奪する最後のシーンは、
アメリカン・ニューシネマを象徴する名シーンである。
ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンは、
この時初めて一人の男としてそれまでの自分を「卒業」するのである。

ダスティン・ホフマンは、この「卒業」がほぼ最初の出演映画だ。
僕は、昔から彼が非常に好きで、
その演技力の高さと背の低さ(167cm)がとてもナイスだ。
余談だけど、僕は、ダスティン・ホフマンとアル・パチーノはとてもよく似ていると思うのだけど。

心にしみる

前置きが長くなったけど、つい先日まで「卒業」の季節だった。
卒業式の歌と言えば、僕たちの頃は小学校からずっと「仰げば尊し」だった。
これしかなかった。

ところが、昨今は、「旅立ちの日に」である。
この曲は埼玉県秩父市の中学校の先生たちが作った合唱曲で、
今時の卒業式の定番ソングになっている。
聞いてみると、これは確かにいい曲だ。
他にも、海援隊の「贈る言葉」なども実際の卒業式で歌われているという。

近頃では「卒業ソング」というジャンルがあり、
この時期には様々な「卒業ソング」のランキング等が発表されている。
「卒業ソング」を眺めていると、ひとつの傾向があると思う。
卒業には一般論として小・中・高・大学校があるが、
歌の中心となっているのは中学校だと思うのである。

先の「旅立ちの日に」も中学校の先生によるものだが、
アンジェラ・アキの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」(これもいい曲だ)や
尾崎豊の「卒業」なども中学卒業のことを歌っている。
中学生から高校生へという二度と戻ってこない多感な思春期のど真ん中で、
未来に向かっての別れが彩られるのは、よく理解できる。
だから、心にしみる曲が多いのだ。

「卒業ソング」というジャンルの中には、卒業式で歌うことは多分ないけれど、
別れや旅立ちをテーマにした曲が多い。
長淵剛「乾杯」、荒井由実「卒業写真」、赤い鳥「翼をください」、中島みゆき「時代」、
森山直太朗「さくら」、イルカ「なごり雪」、柏原芳恵「春なのに」などなど。
みんないい曲ばかりだ。
どれも心に引っかかってくる。

これは、春という季節が、
冬から目ざめ、光にあふれ、花が咲き、暖かさに包まれ、希望に満ちた季節であるとともに、
必然的に訪れてくる別れというやるせない季節であることがその背景にあると思う。
上記の最後の2曲、「なごり雪」と「春なのに」はまさにそれを歌っている。

特に、僕の場合、「春なのに」だ。
この歌の歌詞はごくありふれたものなのだが、
なぜか我が身に焼き付けられる部分が多く、何でだろうと思っていた。
実はこの曲は、中島みゆきの作詞・作曲なのだ。
どうりでねと、納得したものだ。

卒業式の記憶

卒業式というものは、子どもより親のためにあるように思えてならない。
自分の卒業式など何も覚えていないのに。
子どもの卒業式には幼稚園の卒園式から始まり、妻が必ず行った。
幼稚園の卒園式で、子どもは一人も泣いていないのに、
新任の若い男の先生(保育士)が一人で泣いていたとか、
自分は行かなかったが、いつも妻から式の様子は逐一聞いた。

ただ、次男の場合は、中高が小生の出身校だったため、
高校の卒業式は妻ではなく、小生一人で自ら希望して行った。
当校の卒業式には、卒業生が式の途中で「ちょっと待った!」と注文をつける有名なイベントがあり、
それを見たかったこともある(小生の頃にはなかった)。

小生はというと、来し方を振り返って卒業式のことを思い出してみようとするのだけど、
これがほとんど思い出がない。
小学校の卒業式のことは遠い遠い忘却の彼方で、全く覚えていない。
中学校は、中高一貫校だったので、これもほとんど卒業式をしたという記憶がない。
高校は、大学受験(当時は押し迫って二期校もあった)と予備校受験で
3月末まで右往左往しているうちに同級生とはバラバラとなり、
これも卒業式をやったという記憶がほとんどない。
大学は大学で、1年余分にやった関係で同級生はほとんどいない卒業式など全く行く気もせず、
これも卒業式に行った記憶がない。

しかし、当然と言えば当然だが、なぜか卒業証書はすべてあり、
いつどのようにしてもらったか、すべての学校で全く記憶がないからひどいものである。

卒業証書はただの紙ではない

まだ昭和だった頃(なんと、今日で平成も終わる)、
伝統和紙を地場産業にもつ地方都市で、「手づくり卒業証書」に取り組む自治体があった。
子どもたち自らが体験学習で工房で和紙を漉き、
自分で漉いた和紙で卒業証書を作るというものである。

まちづくりの仕事をやっていた僕も、いくつかのまちで提案した。
自分で作った、自分だけの、どこにもないオンリーワンの卒業証書。
卒業証書は賞状ではない。
「ナンバーワンよりオンリーワン」なのだ。

数年前、出前授業で広島市の小学校に伺った際、
校長先生と話をしていて、千羽鶴で作った卒業証書の話を聞いた。
広島の平和公園の「原爆の子の像」などにささげられる千羽鶴は毎年約10tにものぼり、
そしてそれは2000年までは「ごみ」として焼却処分されていたという現実を、
広島市民でさえ認識している人は少ない。

誰が悪いのでもない。
仕方のないことではあるが、
世界中の人の祈りや善意の塊である折り鶴の末路がこれでは、
何ともやるせない話である。
このことが報道されて世論が高まり、広島市は以後、折り鶴を「永久保存」することとしたのである。

しかし、毎年約10tのものが積み上がっていくのである。どうするんだろう?
このような現実に問題意識をもった人が設立したのが「NPOおりづる広島」である。
「NPOおりづる広島」は、「おりづる再生プロジェクト」を立ち上げ、
折り鶴を回収し、授産施設の協力により「おりづる再生紙」としてリサイクルし、
ハガキや名刺等の製品作る活動を展開している。

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平和公園の「原爆の子の像」と折り鶴収納ケース(後方)

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折り鶴収納ケースの中には、もはやタペストリーというべき折り鶴で作られた作品がぎっしり詰まっている。

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広島市職員の名刺は、おりづる再生紙の名刺だ。
おりづるのロゴと共に「この名刺は平和記念公園の『原爆の子の像』に捧げられた折り鶴の再生紙「おりひめ」を使用しています」とある。


さて、最初の話に戻ろう。
このような中、広島市では、2015年から
「本市で育った園児児童生徒が、卒園・卒業の節目に、平和と希望の象徴であるヒロシマに捧げられた折り鶴を再生した卒園証書・卒業証書を手にすることにより、改めて、世界の人々の平和への思いや願いを共有し、そして継承していくとともに、郷土広島への愛着や誇りを一層強くすることが期待できる」
として、全ての市立幼稚園・小学校・中学校・高校・特別支援学校で
折り鶴を再生した卒園証書・卒業証書を授与することとしたのだ。

仙台では2017年、東日本大震災からの復興を祈って仙台市の小中学生が作り、
仙台七夕まつりで飾り付けられた折り鶴から作られた卒業証書が
市内の中学校の卒業式で卒業生に手渡されたそうだ。
この折り鶴の再生紙は、同市出身の羽生結弦選手への市特別表彰にも使われたそうである。

通り過ぎていったこと

「卒業」とは、ある段階や時期を「通り過ぎる」ことだ。
卒業証書は、そのひとつの証だ。
「通り過ぎる」とは、必ずしもステップアップとは限らない。
時がいかように通り過ぎようとも、暗闇は僕の古い友だちで、それはこれからも変わらない。
ただ、通り過ぎていったことは、経験と記憶として残る。

あと何度自分自身卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう
(中略)
この支配からの卒業
闘いからの卒業

  ~尾崎豊「卒業」より~

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ゆかいなことを いっそうゆかいに(2019.3)

井上ひさしが教えてくれた

年度末がやってきた。
仕事に追い立てられながらも今年度の仕事をふりかえってみる。
やはり、やった感があるのは小中学校に行って出前授業を行う「再生可能エネルギー教室」だ。
早いもので、今年度でもう9年目になる。

今年は新しい展開があった。
小学校の放課後児童クラブでの教室が今年度から始まったのだ。
この話があった時に、これは困ったことになったと思った。
小学校の放課後児童クラブというのは、基本的に小学1~3年生なのである。

研修やワークショップなどの講演者やファシリテーターというものは、
場数を踏み、慣れてしまえばそんなに難しいものではない。
慣れてしまうと逆に、
今日はどんなジョークで笑いを取ろうかなどとつまらない下心さえ芽生えてくる。
それは大人が対象だからだ。
ところが、相手が子ども、それも小学校低学年になると途端に難しくなる。

人前で話すのが好きで、自分は専門知識が豊富だと思っている人ほど面白くない話になる。
以前、某大学教授が
小学校の出前授業で悲惨な状況になったのを目の当たりにしたことがある。
講演やファシリテートは年齢が下がるほど難しくなるのである。
子どもの気持ちになり、子どもの目線で話し、子どもと一緒に盛り上がっていく必要があるのだ。
さあ、どうするか。
そこで思い出したのが、井上ひさしの名言である。
すなわち、

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」

さすが井上ひさしだ。
何というすごいコピーだ。
こんなことを考えて言葉に―それもリズムにのって展開していく言葉に―することができるなんて。
最後の「ゆかいなことをいっそうゆかいに」では唯一「いっそう」という副詞がついている。
このことによって、楽曲がトニックで終結するように、すっとおさめているとこなんか、ニクイ。

「むずかしいことをやさしく~」は、実際にやろうとすると、どれもこれも難しい。
そして、実際にやるためには、実は、多くの知識と、センスと、
そして何より「おもしろがる心」が必要だと思うのだ。
たとえば、「再生可能エネルギー教室」で考えてみる。

むずかしいことをやさしく

発電の原理は、電磁誘導である。
電磁誘導の原理は、磁界が変化するとコイルに電気が流れるというものだが、
小学生には難しい。
なぜ難しいか。
一番の原因は、磁界も電流も見えないからだ。
しかも、磁界だの電流だの言葉が難しい。
先生の話を聞いても何も分からない。
見えないものや触れないものは、イメージや概念を形成することができない。

ここに巣を守っている見張役の魚と侵入者の魚がいるとする。
侵入者が近づいて来たら見張役は侵入者に反発し、追い払おうとする(A)。
ところで、魚にはNとSの性質があり、NとN、SとS同士は反発し、NとSは吸着するとする。

Aの場合、
見張役は侵入者を追い払うために侵入者と同じ性質(N)になって反発しようとする。
侵入者は磁石で、見張役はただの電線(コイル)である。
しかし、電線は追い払うためにNになる(磁界をつくる)のである。
この時、だだの電線が電磁石になるのである。
そして、磁界をつくり出すために、SからNに電気が流れるのである。

では、Bはどうか。
侵入者は相手が強いとみて遠ざかる。
相手が弱いとみた見張役は、
今度は逆に侵入者を引き込むために異なる性質(S)になって吸着しようとする。
この時、上記と同様に、SからNに電気が流れるのである。

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やさしいことをふかく

電線(コイル)の中で磁石を動かせば(回せば)、コイルに電気が起こる。
発電とは、要は何かの力で磁石を取り付けた軸を回せばいいのだ。
ここまでくれば、小学生でも具体的にイメージできる「やさしいこと」になる。
水の力で回る水車。風の力で回る風車。
それが再生可能エネルギーだ。
太陽光はちょっと難しいけどね。

ところで、川の水はどうして流れるんだろう?川の水はどこから来たんだろう?
この問いは、小学生でも答えることが可能だ。
川の水が流れるのは雨が降ったから。
じゃあ、雨はどこから来るんだろう?
雲から来る。
じゃあ、雲はどうしてできるんだろう?
海の水が太陽で温められてできる。
じゃあ、風はどうして吹くんだろう?
(太陽で海の水が温められて)雲ができたり、太陽での温まり方が陸と海では違うから風が吹く。

じゃあ、石油や石炭のエネルギーはどこから来たんだろう?
石油や石炭は昔の植物などの生きものだ。
昔の植物はどうやって大きくなったんだろう?
太陽の力で光合成をして大きくなった。

そう、太陽光発電はもとより、水力発電も風力発電も火力発電も、
エネルギーの元をたどっていけば、みんな太陽にいきつく。
この地球にいる限り、すべてのエネルギーの源は太陽なんだ。
これは、子どもたちに気づいてほしい自然の大きな大きなしくみなのだ。
そしてそれは、深い深いことなのだ。

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ふかいことをおもしろく

再生可能エネルギーがいいって言うけど、ほんとにそうかな。
だって、夜は太陽は出ないじゃないか。
一日の半分は太陽光発電はできないっていうことだ。
残念!

ところで、何で昼と夜があるんだろう。
・・・そう、地球は回っているからだ。
一日かけて自分で回っているから、昼と夜があるんだ。

まてよ、でも太陽はいつもある。
いつも太陽が照っている場所に行けば、ずっと太陽光発電ができるんじゃないか?
じゃあ、いつも太陽が照っている場所―昼と夜がない場所―はどこにあるんだろう?
昼と夜ができるのは地球が回っているからなら、
地球の外に行けば、昼と夜がない場所、
すなわちいつも太陽が照っている場所があるんじゃないか。
地球の外に出ればいいんだ。

地球の外で太陽光発電―宇宙太陽光発電。
既にJAXAやNASAが研究を初めてるんだよ。
地球の外で発電するなんて、宇宙で発電するなんて、面白いじゃないか。
ワクワクするねえ。

おもしろいことをまじめに

しかし、ちょっと考えてみよう。
宇宙太陽光発電って、メガソーラーだろうな。
多分相当コストがかかるだろうから、大規模なものになるだろうな。
どのくらい太陽光パネルがいるんだろう。
相当な枚数だろうな。

ちょっと待てよ、宇宙に運んでいかなきゃいけないんだろ。
多分ロケットで打ち上げるんだろうけど、そんなに太陽光パネルが積めるのかな。
ロケットってほとんどが燃料タンクで、貨物を載せるスペースってすごく狭いんだろう。

また、仮にそれなりに積めたとして、
宇宙空間でどうやって太陽光パネルを広げるのかな。
話によれば、宇宙太陽光パネルは、1辺が数kmあるそうだ。
まさか宇宙飛行士が何キロも宇宙遊泳して作業するわけじゃないだろう・・・

と、ことほど左様に「おもしろいことをまじめに」考えれば、次から次へと壁にぶつかっていく。
ひとつの新しい技術の背後には、たくさんの関連技術がある。
それらを一つひとつ解決していかなければ新しい技術は生まれない。
そのはるかな道のりにくじけそうになる。
やっとられんぜ。

まじめなことをゆかいに そして・・・

そこで求められるのが、「あそび心」だ。
山高く、道険しければ、まじめに考えるとやっとられんが、
ゆかいに考えるとやる気も出てくる。
「あそび心」とは、「おもしろがる心」だ。

突然だが、僕は、赤塚不二夫を昔からとても尊敬している。
実は赤塚不二夫こそバカボンのパパなのだ。
なぜバカボンのパパがすばらしいか、なぜ赤塚不二夫がすばらしいかというと、
それは、いつも「おもしろがる心」を持っているからだ。
そしてそれは、とてもピュア―な心だ。

実は、そのものズバリ「井上ひさし×赤塚不二夫の笑劇場」という本があるのだ。
その昔「オール読物」に連載されていた幻の名作が単行本となって数年前に出た。
井上ひさしが書いたコントに赤塚不二夫がマンガを描いたという、
もうそれだけでハチャメチャなトンデモ本であることは想像に難くない。

落ち着くところは、そう、「ゆかいなことをいっそうゆかいに」

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河出書房新社より2015年に発行

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ボヘミアン・ラプソディ(2019.2)

愚息からの伝言

先日、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の興行収入が、
今年度唯一100億円を超えたことが報道された。
「ボヘミアン・ラプソディ」は、小生も見に行って衝撃を受けた。

そもそもは、バンドをやっている大学生の愚息が、
「自分は感動して2回も見た。母さんも是非見に行ったほうがいい」と言ったというので、
夫婦で見に行ったのだ。
高校の同級生をはじめ多くの友人が、SNSで「泣けた」「感動した」と言っているが、
小生も全く同感である。

エイズで亡くなるフレディー・マーキュリーを主人公にその葛藤とバンドの成長を描き、
ストーリーの最後の山場を大規模野外コンサートの「ライブ・エイド」にもっていく。
このライブ・エイドのシーンが圧巻で、圧倒的な迫力と訴求力で迫って来る。

小生から言わせれば、
最初から最後まで早弾きやラウドな一本調子の「動」ばかりのヘビメタ系をやっている愚息が、
ボヘミアン・ラプソディという懐メロ・ロックに興味を示し、
そして、ボヘミアン・ラプソディのようなバラードから入る曲に心を動かされたということが、
少しの驚きとともに、嬉しかった。
ロックという音楽が、歴史を積み重ねるようになったんだなと思った。

あの頃

クイーンがボヘミアン・ラプソディを発表したのは1975年(昭和50年)、
ライブ・エイドが1985年(昭和60年)である。
昭和50年はカープが初優勝した年で、小生が高校を卒業した翌年である。
昭和60年はバブル経済の真っただ中で、小生は狂乱の東京にいた。

1970年代は、まさにロックが極まった時代で、
ディープ・パープルからレッド・ツェッペリンで頂点を迎え、
その後、ロックはメタルやパンク、プログレに分化していった(と小生は考えている)。

今も昔も、ロックバンドと言えばリードギターに注目が集まるが、
小生はロックバンドの訴求力はボーカルが持つと強く思っている。

当時のロックのボーカルと言えば、
ディープ・パープルのイアン・ギランとクイーンのフレディー・マーキュリーが双璧で、
(と小生は考えている)
絶叫型のイアン・ギランに対し、フレディー・マーキュリーは音域が広く、高音が伸びた。

しかし、当時のクイーンの印象は、
ブリティッシュ・ロックのロック・オペラというステレオタイプな認識しかなかった。
ボヘミアン・ラプソディは、出だしは抒情的だが、
突然早回しのテープのようなオペラ(と称するもの)が始まり、
ギンギンのハード・ロックになだれ込む、よーわからん曲という記憶だ。

しかし、今回映画を見て、ボヘミアン・ラプソディを何十年ぶりかに聞いてみて、
とても印象深いよく作られた曲だと感じた。
これは、映画の持つ威力だ。

売れないバンドが車を売ってスタジオを手に入れ、
そこで常識外れのダビングを重ねてボヘミアン・ラプソディを完成させる。
6分超という長尺の曲はレコード会社に拒絶されるが、
知り合いのDJのラジオ放送から火が付き大ヒットとなる。
その辺の経緯を映画は事細かく語る。

ガールフレンドとの別れ、同性愛、そしてエイズ感染・・・
やがてビックになった彼らから、フレディー・マーキュリーは一本釣されそうになり、
彼らの間には隙間風が吹き始める。
だが、ライブ・エイドがそれを救う。

そして、ハイライトのライブ・エイドでのボヘミアン・ラプソディになだれこむ。
うねるようなライブの熱気がそのまま直撃する。
これは、作られた映画なのに。
そして、みんな知っているのだ。
その後、フレディー・マーキュリーがどうなったかを。
鼻の奥がツンとする。
不覚にも・・・

歴史は少しずつ創られる

フレディー・マーキュリーは45歳で亡くなってしまったけど、
クイーンのギタリストのブライアン・メイはまだ現役である。
先のイアン・ギランもまだ現役である。

ポール・マッカートニーは昨年秋に日本公演を行ったし、
リンゴ・スターは来月、広島にもやって来る。
不良老人の典型のミック・ジャガーは、73歳にして子供を作った。
みんな70代の老人である。

しかるに、わが国のミュージシャンはどうか。
わが国でのロックの歩みは、グループサウンズの歩みである。
しかるに、当時のグループサウンズのメンバーで、
今も(芸能活動ではなく)音楽活動をしている人はいるだろうか。
あえて挙げれば、沢田研二ぐらいだろうか。

わが国の高齢のミュージシャンといえば、84歳の小澤征爾、82歳の北島三郎あたりが筆頭だろう。
残念ながら、いわゆるJ-POPには見当たらない。
「芸能界」という業界が、わが国ではまだ上滑りで、
ミュージシャンとして十分根を張っていなかったのだと思う。

しかし、シンガーソングライターの出現により「歌謡曲」というカテゴリーが溶解し、
ここ半世紀は様々なかたちが生まれているように思う。
それを積み重ねていくことにより、ライブ・エイドのような伝説や絵になるシーンが生まれ、
少しずつ歴史が創られていくのだろう。

琴線に触れる

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、見終わった後、何か心に少し痛みのある傷のようなものを残す。
それは、苦しいものではないのだが、せつなさを伴ってじわっと感じてくる。
見終わった後、これと同じような感覚を持たせるのが「この世界の片隅に」である。
小生の知り合いがそれを「低温やけど」と言ったが、まさに言い得て妙である。

何かの事象が起きて明らかな傷ができたのではなく、
全体の結果として、じわじわと感傷的な痛みがしみじみと心に広がるのである。
その痛みは普段は感じないことが多いが、ふとしたことで現れて、しみるのである。
そういうものは、心に残る。

「琴線に触れる」とは、そういうことなのだろう。

| コラム | 17:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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希望ある未来であってほしい(2019.1)

昭和から平成へ

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

約30年続いた平成が終わる。
私事で恐縮だが、
平成という時代の始まりは、小生の人生にとってひとつの大きな区切りだった。
勤めていた東京の会社を辞め、
学生時代を含めて12年間過ごした首都圏の生活に別れを告げ、
意を決して郷里の広島に帰ってきたのは昭和63年の12月だった。
しばらくはゆっくりしようと実家でのんびりしている時に聞いたのが、
昭和64年1月7日の昭和天皇の崩御だった。
そして、平成が始まった。
故郷の広島での、今の会社での新しい生活が始まった。

ふり返れば、60余年にわたった昭和という時代に、
戦争は経験せず、
高度成長期からバブルに至る後半だけを経験した僕たちの世代は幸せ者だったと思う。
前の東京オリンピックも大阪万博も、その熱い熱気と共にはっきり覚えている。

ところで、昭和という年号には忘れられない年がある。
昭和○○年という字面が僕の心にイメージとして刻み込まれている年がある。
それは、昭和32年と昭和50年である。
前者は小生の誕生年、後者はカープの初優勝の年である。

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忘れもしない昭和50年10月15日の後楽園。グランドになだれ込むファン。覆いかぶさるシェーン。感動のあまりテレビ画面を写したカメラもブレまくり。

平成という時代

翻って、平成である。
平成にはこのように字面が僕の心にイメージとして刻み込まれている年はない。
では、平成には大きな出来事がなかったかというと、そうではない。
そして、平成でのキーワードの数字は、平成ではなく西暦での「1」である。

小生が思う平成での最も大きな出来事は、
アメリカ同時多発テロと原発事故を含む東日本大震災である。
発生した日付から、前者は「9.11」、後者は「3.11」と呼ばれる。
前者は2001年(平成13年)、後者は2011年(平成23年)のことである。
西暦でいうと01年もしくは11年の奇しくも11日なのである。

アメリカ同時多発テロは、航空機が超高層ビルに激突するという
信じられないような映像とともに全世界に大きな衝撃を与えた。
そしてそれは、その後のアフガニスタン紛争、イラク戦争につながった。
そしてイラク戦争は、
中東各地で長期的独裁政権が次々に崩壊する民主化運動「アラブの春」につながった。
しかし、「アラブの春」は中東各地で大きな混乱を招き、
それはさらにリビアやシリアの内戦やISの台頭を招き、
後ろ盾となっているアメリカやロシアを巻き込んで、今も混乱が続いている。

東日本大震災も、たくさんの街が燃えながら津波に流され、原子力発電所が爆発するという、
これも信じられないような映像とともに大きな衝撃を与えた。
そしてそれは、直後の首都圏の計画停電と共に、FITや電力自由化の流れの中で、
国のエネルギー政策の根本的な見直しを促すこととなった。
さらに、そのような中でパリ協定が締結され、
社会の中で環境を基盤とした新たな価値観や概念がさらに大きな広がりを見せることとなった。

技術革新の時代・平成

平成という時代は、技術革新が加速度的にスピードアップしはじめた時代だと思う。
例えば平成が始まった頃、会社との連絡はポケベルで、
ポケベルが鳴れば公衆電話を探してテレホンカードで電話をかけた。

大きな会社の連中と一緒に仕事をすると、彼らは携帯電話というものを持っていて驚いた。
しかし、その頃の携帯電話はトランシーバーのような質感を持つ大きなもので、
それを彼らは専用のベルトで腰にぶら下げていた。
それがいわゆるガラケーとなり、あっという間にスマホになった。
この間、10年ぐらいだったんじゃないかな。

その背景としてWeb…すなわちサイバー空間…それはもう社会インフラである…
の誕生と発展がある。
インターネットというものができてからあっという間だった。
しかし、この見えないサイバー空間というものは、
全世界のみんなが加害者であると同時に被害者でもある地球温暖化と一緒で、
主体があいまいだが、社会を破壊することが可能なとてつもない力を秘めている。
宇宙空間の支配、情報通信網の攪乱、AI搭載の殺人マシン、AI認証による監視社会などなど…
とても恐ろしいことだ。と思うのである。

不機嫌な未来

正月は、やっと歩けるようになり、
人の言うことが分かってリアクションするようになった1歳の初孫を相手に、
一家でなごやかな時間を過ごすことができた。
ちっちゃな手を顔(目ではない)に当て、「いないいないばあ」をしたり、
自分が何かうまくできたら、ちっちゃな手をパチパチする一つひとつのかわいいしぐさに、
おばあちゃんである妻は声をあげて笑い、喜ぶ。
僕も、笑い、喜ぶ。

が、そんな無邪気な孫を見ながら僕は思うのである。
幸あれと。
大きくなってからも、幸あれと。

この子が社会人になるのは、あと20年後。2040年頃である。
その頃の日本の姿を皆さんは想像したことがあるだろうか。
平成29年版高齢社会白書(内閣府)によれば、
高齢者人口は増加が続き、2042年に3,935万人でピークを迎えてその後は減少に転じるが、
高齢化率は上昇を続け、
この子が社会の中核を担うようになる40数年後の2065年には38.4%に達して、
国民の約2.6人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来する。
その社会は、人口は8,808万人まで落ち込み、
現役世代1.3人で1人の高齢者を支えるというとんでもない社会である。

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資料:内閣府.平成29年版高齢社会白書

このような社会を皆さん想像できますか?
近未来では、AI搭載ロボットが人間の多くの仕事を担うというが、
例えば複雑な感情を持つ生身の人間の心身のケアや介護など
人と人との触れ合いが求められる仕事は無理だろう。
国内の労働力に限りがあるのはもうわかっているのだから、
今、いろいろと手を打っておかなくてはならないんじゃないか。

この子たちの未来が、僕は、とてもとても心配なのである。
どうか、この子たちに幸あれ。

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目のつけどころ(2018.12)

「物を運ぶ」ということ

何が好きかって、ビールが好きだ。365日飲む。
いつも大瓶2ケース買って常備している。
底をついたので、酒屋に買いに行ったのだ。

いつもの一番搾りを頼むと、在庫がないと言う。
他のものでもいいかと言うので、黒ラベルとスーパードライを買って帰った。
晩飯を作り、いつものようにビールの栓を抜き、コップに注ぐ。
何かいつもと違うのである。

何が違うのかと考えたら、重いのである。
瓶が、重いのである。
改めて瓶を眺めてみると、厚ぼったい感じがする。
一番搾りはもっとスリムな感じだった。

ネットで調べてみると、どのビール会社も軽量化を図っているのだが、
キリンは最も軽量化が進んでいる。
瓶の肉厚は半分となり、大瓶で130g、約20%も軽量化されている。
これはすごいことだ。1ケース(20本)で2.6kgだ。

何が言いたいかと言うと、
瓶の原料が少なくて済むということより、運搬の負荷が少ないということだ。
それだけ燃料が、即ちCO2の排出量が削減されることになる。
キリンによれば、瓶の軽量化により、
製造・物流工程のCO2排出量が年間約930t削減されるそうだ。
環境負荷低減の切り口は様々なところにある。

日経エコロジーが「エコ&社会貢献商品ランキング」というインターネット調査を行っている。
2013年に行われた第4回調査の1位と2位はどちらも電気自動車で、
それぞれプリウスとリーフであるが、3位に飲料が入っている。
日本コカ・コーラの「い・ろ・は・す」である。

「い・ろ・は・す」は、ご承知のとおり、飲んだ後のボトルをくしゃくしゃと「絞る」ことができる。
これを面白いとかストレス解消とかという人もいるかもしれないが、
ペットボトルを圧縮できるということはすごいことなのだ。

製品の省エネやCO2削減というと、製造や使用の状況にまず気持ちが向くが、
必ず存在する「運搬」という工程にも目を向ける必要がある。
使用後のペットボトルの運搬は、よく「空気を運んでいる」と言われ、
LCA(ライフサイクルアセスメント)上の最大の課題だった。

しかし、容器としてある程度の強度が必要なペットボトルを
消費者が減容(圧縮)するなどということは無理なことで、誰もはなから考えもしなかった。
その常識にとらわれず、技術革新を図り、実現したことは称賛に値する。
ペットボトルを「絞る」ことは、環境負荷の低減につながるのだ。

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「い・ろ・は・す」は、「LOHAS」を掛けてある。「I(am)LOHAS」…「私はLOHAS」なのだ。(資料:日本コカ・コーラ株式会社)

「洗濯する」ということ

上記調査で毎回上位にあがってくる商品がある。
6位の花王の「アタックNeo」である。
なぜかというと、「アタックNeo」のウリは「すすぎ1回」である。

すすぎを2回から1回にすると、1回の洗濯で使用する水の量は28リットル、
電力は15kWh、CO2はトータルで約22%削減されるそうである(花王資料)。
製品そのものではなく、
洗濯の際に使われる「水」に着目したところがコロンブスの卵であり、秀逸である。

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今は「『ウルトラ』アタックNeo」だ。(資料:花王ホームページ)

洗濯といえば、洗濯板が密かなブームであるのをご存知だろうか。
いえいえ、熱心な環境活動家が電力に頼らない生活をしているわけではないのだ。
洗濯機に洗濯物を放り込んで洗濯してもなかなか落ちない汚れ、
即ち、食物や飲料の染みや襟元などの部分的な汚れを
ちょこちょこっと落とすのに使われているそうだ。

従って、昔のようにタライに大きな洗濯板なのではなく、洗面器に小さな洗濯板なのである。
これは便利だ。
しかし、そんな洗濯板あるんかいな。
それがあるのである。

高知の「とさこや」の「土佐龍」サクラの洗濯板である。
サイズはSからXLまであるが、120×260mmのSが秀逸である。
これはいい。
美しいし、気持ちがいい。
LOHASな生活は、身近な小さなできることから始めたい。

そして、常識に縛られず、
「こんなのあったらいいな」から自由に発想できる人間でありたい。

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水に強いサクラ材の洗濯板の大と小。
生地を傷めず、かつ汚れを落とす溝の独特のカーブが美しい。
(資料:とさこやホームページ)

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