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一筋の光(2016.12)

成長の限界

先日、2015年国勢調査の確定値が発表された。
95年前の調査開始以来、国勢調査での初めての人口減少となった。
いつかはとは思っていたが、ついに来た。
あらためて、わが国はいよいよ本格的な少子・高齢化に突入した
という現実を突きつけられた。
変曲点を迎え、国の成長が止まったのである。
2015年はわが国の成長の限界だったのである。

「成長の限界」といえば、ローマクラブが1972年に発表したレポートである。
「成長の限界」ではいくつかのシナリオを上げ、
「なんら抑制のないまま成長を続ける」シナリオでは、
「やがて世界の資源供給は行き詰まり、2030年までには経済破綻に続き人口減少が起こり、
人類衰退が始まる」と予測した。
その2030年まであと14年である。

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1972年(昭和47年)に発表された「成長の限界」は、
同年に国連で採択された「人間環境宣言」とともに地球環境問題の端緒となった。
その衝撃的な内容に世界中で賛否両論が巻き起こり、
1992年の地球サミットのリオ宣言、気候変動枠組条約、生物多様性条約、アジェンダ21
につながる大きな流れとなった。

オーストラリアの物理学者グラハム・ターナーという人が、
「成長の限界の検証」というレポートでこのシナリオを検証し、
ほぼシナリオどおり推移していることを明らかにした。
「成長の限界」の予測どおり、
東京オリンピックの10年後には経済破綻が起こり、人類衰退が始まるのだろうか。

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1970~2000年(グレーの部分)の実測値(太線)と、
「成長の限界」での予測値(破線)とを重ねてみると、
ほぼシナリオどおりとなっている。
出典:Graham Turner.Looking Back on the Limits of Growth(成長の限界の検証)

なんか、ちぐはぐなんだよなあ

ところで、先日11月8日、我が国はばたばたと、そしてようやく、パリ協定に批准した。
2030年度に26%削減との目標である。
TPPなどそれに優先する政治課題があるということで、
なかなか対応できなかった(しなかった)。
早くしなければという声がやっと政府内に起こったが、
その理由は、今後COPでわが国がイニシアティブをとれないから、
わが国が関与できないシステムがグローバルスタンダードになると困るからだという。
ちょっと違うんじゃないかなあ。ちっちゃいよね。
それに優先して取組んだTPPは、
あっと驚くトランプさんの大統領就任で吹き飛んでしまったのも皮肉なことである。

2014年4月、東日本大震災後初の懸案の「エネルギー基本計画」が閣議決定された。
そこでは原子力発電を「重要なベースロード電源」とすることなどがうたわれ、
2030年の電源構成案では原子力の比率を20~22%としている。
一方、政府は原子炉等規制法で原子炉を40年で廃炉と定めた。
例によって、条件を満足すれば20年の延長可能の但し書き付きである。
(日本の法律は本文よりも但し書きが重要である)

問題は、この40年寿命で計算した場合、
2030年度の原発比率は15%以下となり、前述の20~22%に届かないのである。
明らかな齟齬があるのである。
これを例外規定の20年延長の確信犯とみるか、政府内での調整不足とみるか。
しかし、日本の官僚はそんなにバカじゃないからねえ。
そして本年3月、政府は地球温暖化対策推進本部(本部長:安倍首相)において、
2050年になんと!80%削減の「地球温暖化対策計画(案)」をようやくとりまとめたのだ。

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電力需要に対応した電源構成。原子力は「重要なベースロード電源」なのだ。
出典:経済産業省HP

本当にできると思っているのか

しかし、今世紀後半に温室効果ガス排出量を実質ゼロを目指すというパリ協定や、
2050年に80%削減する「地球温暖化対策計画(案)」について、
みんな本当に実現できると思っているのだろうか。
温室効果ガス排出量ゼロということは、イコール化石燃料を使わないということである。

発電は原発か再生可能エネルギーとなる。
原発を何十基も稼働させる状況が今の日本で今後本当に可能なのだろうか。
原発に匹敵するだけの再生可能エネルギーを整備するのは本当に可能なのだろうか。
原発1基分の発電量を得るためには、
太陽光発電ならば東京の山手線の内側とほぼ同じ面積を必要とする。
原発は強力、再生可能エネルギーは微力なのだ。

内燃機関の自動車はなくなり、都市ガスやプロパンガスは家庭からなくなる。
そんなことができるのだろうか。
石油メージャー、ガス会社、鉄鋼メーカーなどなど、消えていくのだろうか。
OPECの動向が世界経済を左右し、
かつて「黒いダイアモンド」「鉄は国家なり」といわれた
これらの巨大な産業が崩壊していくのだろうか。

これはまさに第二次産業革命だ。
エネルギーのあり方、ひいては社会・経済のシステムが根本的に変わるのだから。
石油・石炭・天然ガスがない社会は、正直なところ今の僕には想像できない。
みんなどう思っているんだろう。
本気でそう思っているのか。

かすかな光

「我々は利益のためにクルマをつくっているのではなくて、
クルマをつくることによって世の中の役に立ちたいと考えています」

トヨタ自動車の会長の言葉である。
最近接した言葉の中で最も心に響いた言葉である。

そうなのだ。「世間よし」なのだ。
僕たちは、世の中の役に立にたつために生きているのだ。
一人ひとりも、会社も、国家でさえも、存在理由は同じだ。
一人は全てのために、全ては一人のために。

自動車メーカーが化石燃料から脱却し、
資源採取・運搬・製造・使用・廃棄の全てのライフサイクルでCO2排出をゼロにする
という不可能と思われることを目指すべき目標として打ち立てている。

「今」から発想するのではなく、「今」にとらわれず、本来あるべき姿を設定し、
そのために必要なことを考えていく…バックキャスティング。
そして、そのために必要な、一番大切にしなければならないものを表明し、それを確認する。

捨てたもんじゃないよ。
世界を代表するメーカーの会長が言ってるんだ。
第二次産業革命はできるんじゃないかと、少し思い始めている。
来年も、このかすかな光が消えることなく少しずつでも確かなものになっていけばと思う。

来年もよい年でありますように。

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胸にしみる言葉(2016.11)

知るか、そんなもん

日本シリーズは、とてもとても残念な結果に終わったが、
「まだ早い。もっと修行して出直してこい。必ず来年」・・・
野球の神様の声が聞こえたような気がしたので、前向きに気持ちを切り替えよう。
初優勝した昭和50年、ファンもチームも盛り上がったまま日本シリーズに突入したが、
山口高志の阪急に1勝もできず敗退した。
しかし、ここからカープの黄金時代が始まったのである。
引き続き、われらのカープの話をつなごう。

去年の「カープ女子」に続き、
「神ってる」が今年の流行語大賞になるかどうかはわからないが、
「神ってる」は緒方監督の小学生の子どもが日常会話で使っているのを
お父さんが思い出してインタビューで使ったのだそうだ。

このように、最近の若者言葉は常に新種が登場し、
あっという間に周りにあふれんばかりである。
「tkmk」「リア充」「あざす」「なうしか」・・・
これらはみんな最近の日本語だが、ご覧になったり、お聞きになったことがあるだろうか。
妻が大学生の愚息とのやりとりのLINEを見せてくれるが、
こんな言葉のオンパレードである。
これはどういう意味?と妻に聞いては、「それも知らんのん」と返される。
知るか、そんなもん。

ちなみに、「tkmk」は「ときめく」。
この手の子音だけの記述がひとつのパターンになっている。
「リア充」は、リアル(現実)が充実していること。
すなわち、ネットゲームなどの仮想の世界でいくらステイタスを上げても
実際の現実の世界では全く風采が上がらないことと、
仕事や恋愛などの現実の世界でバリバリやっていることを対比させていうのだそうだ。
「あざす」は、「ありがとうございます」。
「なうしか」は、風の谷とは全く関係なく、「今(NOW)しかない」という意味だそうだ。
知るか、そんなもん。

スラングの部類に属する若者言葉は進化が早い。
同じ若者でも、大学生は高校生が使う若者言葉が分からないそうだ。
「ヤバイ」は、今ではまずい状態をいうのではなく、
非常に良い状態をいうことの方が多いのである。
「このラーメン、マジヤバイっす」は、
「このラーメンは、感動的に美味いです」という意味である。
LINEやTwitterでは、チャット状態で瞬時に言葉が交わされる。
そこで使われる言葉は、どんどん省略され、そこだけで通じる記号になる。

小生達も高校生の頃はツッパッた独自の言葉をしゃべっていた。
広島弁で「Very」という意味の接頭語に「ぶち」というのがある。
「とても美味しい」を「ぶち美味い」というのである。
若者はこの「ぶち」をさらに変形させて、「ぶり」とか「ぶちこっぱ」とかいうのである。
「あいつの彼女、ぶちこっぱ美人じゃけぇ」
しかし、そんな用法も大人になったら使わない。
若者だから許してもらえる品の良くないツッパリ言葉だからだ。

方言も、年寄りが使う方言というものがある。
年寄りが使う広島弁に「がんす」がある。
「今日はええ天気でがんすのう」というふうに使うのだが、
この「がんす」をここ数十年聞いたことがない。
「がんす」は言葉の絶滅危惧種なのである。
食べ物の名前だけにその名を残して。

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これが「がんす」だ。要は、揚げ蒲鉾。
練り製品にタマネギのみじん切りや一味を加え、パン粉をつけて揚げたものだ。
広島のスーパーならどこでもある。グリルで炙ればビールが進む。

灯台の下は暗い

こういう若者が苦手なのが、漢語と大和言葉である。
日本語の言葉は漢語と大和言葉と外来語の3つに大きく分類されるが、
前2者が弱点であるのはとても悲しい。

例えば漢語なら、頼山陽の漢詩に基づく詩吟「川中島」の有名な出だし
「鞭聲粛々夜河を渡る」の「鞭聲」「粛粛」は何のことかわからない。
古典に出てくる漢語は日常的に使う言葉は少なく、かつ言葉が固く難しい。
また、日頃活字に親しんでないので、
「鞭聲」の意味を漢字から推測することも出来ず、「粛々と」という言葉自体を知らない。
若者の語彙力が急速に落ちているのである。
若者よ(若者だけじゃないけど)、スマホはしまって本を読め。

以前、会社の若者に「灯台下暗し」という言葉の意味を知っているかと聞いたら、
文字通り「灯台の下は暗い」と答えるので、
その意味するところはと再度尋ねるとやはり「灯台の下は暗い」という。
「灯台下暗し」というのは、「身近なことは案外知らない」という意味だよと教えると、
「なるほど」という。
ちなみに、「灯台」は船の航行を守る建築物ではなく、
室内で油を燃料に芯に火をともす昔の灯具である。

えらそうに言っているが自分の家庭も似たようなもので、
愚息が高校生の頃、母親(小生の妻)に
「『ざっくばらん』のスペルはどうじゃったかね?」と聞いたそうだ。
彼は「ざっくばらん」は英語だと思っていたようだ。
その時は大笑いしたが、困ったもんだねえ。

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君は原爆資料館に行ったことがあるか。
灯台の下は暗いのだ。身近なことは案外知らないものなのだ。

もっと大和言葉を

漢語以上に問題なのが大和言葉である。
たおやか、ひねもす、ことほぐ、うまずたゆまず・・・などなど。
まず意味がわからない。わかったとしても使えない。
これらは結構難しい大和言葉だけど、普段の会話で使う大和言葉はたくさんある。

「チョー感動した」もいいけど、
「いたく胸にしみた」と言いうことができる人であってほしい。
「感動」も「胸にしみる」だけでなく、
「胸に迫る」こともあるし、「胸を打つ」ことも、「胸が裂ける」ことも、「胸が躍る」こともある。

ひとつのことにたくさんの言葉があるのは、
その文化がそのことを大事にしていることに他ならない。
何も日本だけではない。
余談になるが、日本料理では「焼く」という言葉で表される料理の動作も、
中国料理では焼・炒・爆・煎・烤と様々に書き表され、
それぞれ料理法とういか、熱の加え方が異なる。
中国料理のすごさがこのことからもうかがえる。

大和言葉の豊富な分野は自然や気候に関する分野である。
「夜明け」を表す言葉は、あけぼの・ありあけ・あかつき・しののめ、
「月夜」を表す言葉は、おぼろづき・もちづき・いざよい・まつよい・・・といった具合である。
「河川」や「道路」というのは役所で話すときだけにして、
普段会話する日本語は、「かわ」・「みち」と言った方がやさしく、たおやかではないか。

大和言葉が衰退している原因には、まず、若者の言葉の乱れや語彙力の低下があげられる。
いつも「チョー○○」と言っている者は、
「このうえなく」という美しい大和言葉が存在することを知っていても使うすべを知らない。
しかし、何も若者のせいだけではない。
われわれもかなりそれに寄与していると思う。

手っ取り早く思いつくのがメールである。
メールの文章というのは、要点をおさえて手短にというのが鉄則である。
やさしい曖昧さに包まれた長めの大和言葉は、それにそぐわないのである。
畢竟、漢語中心の固い言葉になってしまう。
ちなみに、「お世話になっております」で始まり「了解いたしました」で終わるメールを
大和言葉で書き直せば、
「お引き立ていただき ありがとうございます」で始まり「かしこまりました」で終わる。

言葉には魂が宿る

言葉は世につれ変わっていくことは歴史が証明している。
元々、「ありがとう」は「有り難い・・・ありえない」であり、
「ごちそうさま」は「馳走・・・走り回る」であった。
言葉は人間の社会生活で使用される道具だから、
社会生活が変化すれば移り変わっていくのは当然の理である。
だから、「ヤバイ」や「ウザイ」が社会生活を反映したものであることは、
ちょっと悲しいことだと思うのである。
僕が一番好きな日本語「ありがとうございます」がちゃんと言えず、「あざす」とは、
そういう社会になっているということは、かなり悲しいことだと思うのである。

私たちの祖先は言葉の持つ力を知っていた。
それは霊的なもので「言霊(ことだま)」といった。
日本は言霊の力によって幸がもたらされる国であった。
よい言葉はよい事を招き、よくない言葉や偽りの言葉はよくない事を招く。
よくない言葉というものは、天に唾を吐くようなもので、結局、全部自分に返ってくる。

以前、環境学習の発表会で、中学生が環境に関する散文を作り、
数十人で舞台で語るだけのステージを見た。
部分的に一人で語ったり、数人で語ったり、全員で語ったりするステージだった。
始まる前は、ただ語るだけか、と思っていたが、ステージを見て驚いた。
語るだけだが、訴えるインパクトは想像以上だ。
言葉の力がどれほど訴求力があるか思い知った。
この時、「言霊」という言葉を思い出し、それは本当にあると思った。
胸にしみた。

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一人は世界のために、世界は一人のために(2016.10)

「おめでとうございます」

おめでとうございます。
こうなったら、先月号の続きを書かざるを得ない。
カープの優勝についてである。

優勝当日の夜は、41年前の初優勝の時と同様の光景が繰り広げられたが、
今回は女性と若者が多かったように思う。
それだけファン層が広がったのだと思う。
あんなにぎっしり人の詰まった本通りは初めて見た。
独走態勢の優勝だったから、デパートやスーパーも準備する時間がたっぷりあった。
41年前は、誰にとっても初めてのことで、どうしていいかわからず、
思い思いに場当たり的に盛り上がったが、
前号で紹介した千人針や古葉ちゃん人形など、
優勝が近づくにつれ、市民による手作りの盛り上がりがあった。

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同じ金座街の飾りつけでも25年の月日でこんなに変わるもんだ。
上)1975年の初優勝 下)2016年のV7

「おめでとうございます」
優勝インタビューで緒方監督は観客席に向かってこう言った。
4年前のこのコラムでもとりあげたように、
サンフェレッチェのJ1復帰後の初優勝が決まったインタビューで、
ぽいち(森保監督)は第一声でなんと、「ありがとうございます」ではなく、
「おめでとうございます」と言ったのだ。

ピッチに突っ伏したまま動かない寿人を見て、
J2に降格が決まった時、必ず自分の力でJ1に復帰すると言って移籍しなかった
寿人のピッチに突っ伏したまま動かない姿を見て、
彼の心中に去来するものを想像して、ぐっときていた時に、ぽいちが追い打ちをかけた。
何てことを言うんだ。
「ありがとうございます」が普通だろう。
なんでお前は俺たちに「おめでとうございます」と言うんだ。

11人のフィールドプレーヤーでやるサッカーには、実は12番という番号がある。
12番・・・それはサポーターなのだ。
サポーターも選手と一緒に戦っているのだ。
だからぽいちは、「ありがとうございます」と言うべき自分たちのことは後回しにして、
いちばん重たい12番にまず「おめでとうございます」と言ったのだ。
未だかつてプロスポーツの優勝監督インタビューでそんなことを言った人はいない。
立ち上がれない寿人の姿とともに、一気にあふれた。

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サポーターは大切な12番目のプレーヤなのだ。

緒方は最近よくぽいちと食事したりするそうだ。
その中で、いろいろな話が出たことは想像に難くない。
多分、緒方がぽいちの話を聞いて意を新たにすることが多かったんじゃないかと思う。
例えば、ぽいちは試合後のあいさつで、自分を営業部長だと言い、
とにかく試合を見に来てほしいこと、できたら年間指定席を買ってほしいこと、
あらゆる面で皆様の入場料がチームを支えていることを訴える。

今年のカープの試合後のインタビューは、監督だけでなく選手も、
「試合を見に来ていただいてありがとうございます。明日も見に来てください」と言う。
今年のチェケットは入手しづらく、プレミアムもついている。
そんな高価なチケットを買って見に来ている人に、負けという結果を見せていいのか。
「今日は負けました」とお客さんに簡単に言えるのか。
仮に負けたとしても、お客さんを納得させ、明日につながる負けにしないといけない。
多分、緒方は選手にそう言っているはずだ。

ホームゲームでの勝率が異常に高いのも、「神ってる」終盤の逆転が多いのも、
決して偶然ではない。
びっくりしたのは、ベイスターズがCS進出を決めた試合後のインタビューで、
ラミちゃんが「おめでとうございます」と言ったのだ。
この言葉に込められたものが理解され、共感を持って広がり始めている。

ファンが球団をつくる

「おめでとうございます」の言葉の背後には、
ファン(サポーター)によって自分たちの全てが成り立っているという認識がある。
自分たちの食い扶持(契約金)の源泉は、
チェケット販売料、放映料、グッズ販売料等である。
オーナー会社を持たない球団では、
これらはすべてファン(サポーター)が担っているのである。
大切にすべきものの順番は、まず、ファン(サポーター)であり、
次に、強くなって試合に勝つことである。
そして、試合に勝つには相手がいて初めて成り立つことであり、
リーグが栄えることが必要である。

Jリーグが発足した時、「百年構想」を立て、
地域でのスポーツ文化、即ちフランチャイズ制を育てようとした。
自分のチームばかりを見てリーグのことを考えなければ、そのリーグはやがて衰退する。
「自分よし」ばかりがあって、最も大切な「世間よし」がそこにはないからである。

どんな業界でも、業界全体の発展の中で自社がある。
他社を排除して自社の利益ばかり考える事業者では業界は発展せず、
その事業者はやがて方向修正を余儀なくされる。
どんな業界でも多くのステークホルダーによって社会につながっており、
「世間よし」があってはじめて「自分よし」になるからである。

以前、リーグそのものの設立に携わった某球団のオーナーが、
ドラフト制度は憲法違反であると訴えた。
人気と実力のある自分のチームに入りたい意志を持つ選手が入れないのは、
個人の基本的人権を侵しているというのだ。
1チームだけでリーグが成立するわけがないのに。

マスコミの盟主として創成期のテレビに自分の球団だけを写し、
必然的に全国的には自分の球団しか認知されず、
それを見る人をファン(サポーター)であると勘違いした。
ファン(サポーター)とは、そういう人たちを言うのではない。
彼は、テレビの向こう側にいる人に
「おめでとうございます」と言う気持ちは決して持ち得ないだろう。

球界自体がフランチャイズというあるべき形に変わっていき、
テレビ放映の独占が失われていくと、
育成という理念を持たない球団は、
金による選手の引き抜きでしかチームを強くすることはできなくなる。
そこには本当のファン(サポーター)はいない。

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広島銀行本店の巨大横断幕。これはすごい。
地元経済に支えられている地方銀行は、ファンが球団をつくっていることを肌で知っている。
よくやったぜ!広銀。

誰に対して「おめでとうございます」なのか

「おめでとうございます」という言葉は、
何かを成し遂げた相手に対し、そこに至る努力に敬意を表し、
その成し遂げた成果に対して祝う言葉である。
では、カープやサンフェレッチェのファン(サポーター)は何を努力し、何を成し遂げたのか。
チケットを買い、グッズを買い、熱心に応援し、
選手や球団を奮い立たせ、優勝という成果を成し遂げた。
しかし、一義的に、優勝したのはファン(サポーター)ではなく、選手を中心とした球団である。

一般的に「おめでとうございます」と言われるケースを考えてみる。
優勝、合格、受賞、入学、卒業、結婚、出産などなど、
どれもそれを成し遂げた本人に対するお祝いの言葉であって、それ以外の何物でもない。
それにはそれをサポートした人も入る場合もあるが、それはあくまで副次的なもので、
対象は本人である。
応援してくれた人に当事者が「おめでとうございます」と言うのは、
あるようで、なかなかないケースなのである。

で、いろいろ考えた。
そして思い浮かんだのが「あけましておめでとう」である。
「あけましておめでとう」は誰に対して言っているのだろうか。
言う相手に対してだ。
ただし、その相手は自分の知り合いの数だけいる。
では、その相手は何を成し遂げたのだろうか。
何も成し遂げていない。
ただ自分と相手を含むこの世全体が新しい時間を刻んだだけだ。
そのことに対して「おめでとうございます」と言ったのだ。
では、自分のまわりともいうべき、自分と相手を含むこの世全体とは何だ。
それをまさに「環境(Environment)」と言うのではないか。

2050年のある日、35年前に締結されたパリ協定での約束が順守され、
各国の努力により温室効果ガスの排出がゼロになって地球温暖化にブレーキがかかり、
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は全世界に向けて
「おめでとうございます。これで地球の危機が救われます」と言った。
この「おめでとうございます」は誰に対して言っているのか。
地球上の人類すべてに対してである。
全世界の人の努力により、温室効果ガスの排出が抑制され、
その結果として大気中の二酸化炭素濃度の上昇が抑えられたという成果を生んだのである。
地球温暖化防止のため中心となって旗を振ったIPCCが、
努力したすべての国と人を対象に、その成果に対して「おめでとうございます」と言ったのだ。

「環境」は、自分と世界を含むすべてのものだ。
自分のしたことは、すべて世界に反映される。
とても小さいけれど、自分は世界を構成する一員なのだ。

一人は世界のために、世界は一人のために。
緒方とぽいちの「おめでとうございます」がそれを教えてくれた。

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空を泳げと天もまた胸を開く(2016.9)

昭和50年10月15日

「入った!入った!入った!」入る前からの絶叫。
今は亡き超カープ贔屓の金山次郎の実況解説。
RCCアナウンサーの上野隆紘との名コンビ。

時は、昭和50年10月15日の夕刻。
所は、秋の陽が長い影を引く後楽園。
試合を決定づけるホプキンスの3ラン。
最後は僕の大好きなピッチャー金城。
柴田のフライを水谷が捕る。
「広島カープ初優勝」のテロップ。
今ではありえないけど、内外野からどっとファンがグランドになだれ込む。
古葉ちゃんの胴上げが始まる。
ファンと選手と取材陣とでぐちゃぐちゃのグランドでコージのインタビューが始まる。
マイクを向けられたコージは両手を高くあげたまま言葉にならない雄叫びをあげる。
それを見て、テレビの前で母親と二人でもらい泣きした。

その夜、広島の街に8万人の人が繰り出したという。
現在120万都市の広島市の当時の人口は80万。
何と、10人に1人の人が街に繰り出したのだ。
これは、とんでもない数字だ。
80万は赤ちゃんやお年寄りも含めた数字だ。
巨人が優勝したからといって1,300万の東京都民のどれだけが、
新宿に、渋谷に、新橋に繰り出すというのだ。

優勝が決まった後、
行かにゃいけんとタクシーに乗って街に向かった人の話はよく聞いた。
当時、僕は広島で浪人していた。
東京や関西の大学や予備校に行っていた高校の同級生が、
翌日からただそのためだけに続々と帰ってきた。

それは、その日だけでは終わらなかった。
昭和50年10月15日は水曜日、これから週末に向かうのだ。
感動の夜が明けると、デパート、飲み屋を筆頭に、
どの店も堰を切ったように優勝記念セールだ。
僕は、とにかく、翌日のスポーツ新聞を全部買った。

夜になれば、繁華街では飲み放題0円のお酒を飲みながら、
そこらじゅうで知らない者同士が抱き合って泣いている。
商機と捉えて優勝記念セールをやってるんじゃない。
よその店がやってるからやってるんじゃない。
店をやっている誰もが、弾ける喜びを表したいのである。
それはもう、お金じゃない。
というか、お金で買えるものではない。

僕の記憶では、1週間ぐらいは広島の街はぐじゃぐじゃだったと思う。
その最初の熱い熱い熱気が冷めやらぬうちに、
選手が広島に帰ってきて優勝報告会でまたひと騒動。
わけのわからないうちに日本シリーズになだれ込み(負けはしたが)、
そして、優勝パレードでまたひと騒動。
結局、1ヶ月ぐらいは街中が熱病にかかったみたいだった。
とても素敵な熱病だった。

当時、そう、40年前の初優勝の時、撮った写真があるので、いくつか紹介したい。
ただ、まだデジカメもない40年前、
バカチョンカメラ(こういう言葉もなくなったなあ)で撮ったプリントだ。
ピントも甘く、画像も色あせているが、
初優勝の時はこうだったという素人の記録として眺めていただければと思う。

優勝の瞬間
優勝の瞬間のテレビ画像。
感動のあまり手ぶれしまくっている。
キャッチャー水沼の背中に飛びつくシェーン。

コージ
言葉にならない雄叫びをあげるコージ。若いなあ。そして、細いなあ。

市民球場
今はなき市民球場。

天満屋
こちらは今はなき天満屋。ほんま、待っとったんで。今回は25年じゃ。

金座街
本通り(金座街)もこのとおり。
アーケードは新しくなる前のもの。看板は手作り感満載。

石松
カープファンのたまり場だった新天地の焼き鳥屋「石松」。
個人経営の店でもこのとおり。

千人赤ヘル
千人針ならぬ千人赤ヘル。
街を歩く市民に呼び掛けて、一人ひとりが小さな赤いピンを布に貼り付け、優勝を祈願した。

山本・水沼
この千人赤ヘルのお披露目セレモニー。
三越前で行われた。ゲストは山本一義と水沼四朗。
例の近鉄との日本シリーズ「江夏の21球」は、僕は「水沼の21球」だと思っている。
こういうふうに、毎日街のどこかで色々なセレモニーやイベントが延々と続く。

だから、とてもとても楽しみで怖いのである。
今の広島は、あの初優勝の時のことを知らない人の方が多い。
初優勝から40年、最後の優勝から25年。
2回目の初優勝と言ってもいいんじゃないか。
もう、多くの市民にとって、初めてのことと言ってもいいんじゃないか。
その時、広島の街はどうなるんだろう。
そしてそれは、もうすぐだ。
ああ、楽しみで、怖い。

あの頃

昭和50年、1975年、カープが初優勝した時、僕は浪人生だった。
40年前のことである。
それは、僕にとって昨日のようでもあり、遠い過去のようでもある。
大学受験の時は、山陽新幹線はまだ岡山止まりで、
広島駅からブルートレインに乗って東京に行った。
母校の高校の食堂では、うどんが25円、カレーが50円だった。
百円はまだ板垣退助のお札で、聖徳太子はまぶしすぎた。
電卓は緑の蛍光管で、液晶はまだなく、当然、パソコンというものは存在しなかった。
電話は、テレホンカードさえもまだなく、10円玉を握りしめて実家に電話した。
たった40年前のことである。

そういえば、あの頃は、夏はこんなに暑くなかった。
30℃を超えるような日はめったになく、陽が落ちれば涼しかった。
お盆を過ぎれば空は高く澄んで足早に秋の気配がし、
カナカナと響くヒグラシの声に行く夏の哀しさが募った。
お盆を過ぎたら泳いではいけないとよく言われた。
クーラーはなかったが、
子どもの頃は夕方になるとおばあちゃんが打ち水をして涼しくなった。

今といえば、クールビズは6月に始まり、9月いっぱいはその期間である。
10月になっても猛暑日がある。
いったい、いつの頃からこんなに暑くなったのだろうか。

失楽園

話は変わるが、下の図をご覧いただきたい。
これは、わが国のエネルギーの推移を表した図である。
この図からは色々なことが読み取れる。

まず、近年話題の原子力であるが、
カープが初優勝した昭和50年頃から突如登場する。
これは昭和48年と54年の2度にわたってあったオイルショックにその原因がある。
オイルショックを経験して、世界の国々は石油の社会的な脆弱性を思い知り、
それへの依存からの脱却を図ったのである。
この時、原子力に大きく舵を切ったのがフランスで、
フランスは今でも原子力大国である。

で、日本はどうしたか。
原子力にも目を向けつつ、省エネと新エネに向かったのである。
この選択は正しかった。
特に、差し迫った省エネの必要性により、日本の技術力は磨きに磨かれ、
以後、世界を席巻するのである。

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資料:原子力・エネルギー図面集2014(資源エネルギー庁「平成23年度(2011年度)エネルギー需給実績(確報)」 他)に加筆

次に、昭和60年頃からエネルギー需要が急に増えている。
これはまず、この頃からバブル期に入ったことがその原因といえるだろう。
そして、パソコンをはじめとする技術革新である。
この頃からパソコンがどっと普及したのである。
それと並行して半導体の開発が進み、
それまでにはなかった様々な新しい電化製品が登場した。
炊飯ジャー、オーブンレンジ、各種レコーダーなどなど。

そして、バブルに乗って、車も電化製品も大型化していった。
技術革新によりエネルギー効率はどんどん良くなっていったが、
それゆえ、それ以上に大型化が進んだのである。
車は3ナンバーがどっと増えた。
14インチぐらいで満足していたテレビは、あっという間に40インチになった。
冷蔵庫は2ドアの200リットルのものが、3ドア・4ドアの400リットルになった。

次から次へと便利なもの、機能の高いものが出てきた。
CO2削減のために高効率のものに買い替えることが常識となった。
CO2削減のために廃棄物が増えていくとは、なんともブラックな話である。

そのエネルギー需要が急増する前が、昭和50年なのである。
カープが初優勝したあの頃なのである。
現在、わが国のエネルギー消費は約22,000PJであるが、
カープが初優勝したあの頃は、その7割程度の約16,000PJなのである。

あの頃の暮らしは、そんな悪い暮らしじゃない。ごく普通の暮らしだ。
生活に不便は感じなかった。貧しいという感じもなかった。
あらゆるところで、あまりに便利なものが揃っている今から見れば、
テレビも冷蔵庫も小さく不便かもしれないが。

しかし、その便利さと引き換えに、
われわれにはいつまでも続く夏の暑さがもたらされた。
まさに茹で蛙であることに気づかないまま不可逆的な地球温暖化がもたらされた。
禁断の果実と引き換えに、
アダムとイブは無垢の心を失い、出産と労働の苦しみを得たのだ。
僕たちは今一度、足るを知らなければならない。
既に、楽園から追放されかかっていることに気づかなければならない。

カープがそれを教えてくれた

高校3年の時、母校のカープファンの先生がこう言った。
「うちの野球部が甲子園に出るか、カープが優勝したら、わしは坊主になる。」
カープが初優勝したのは、その翌年だった。
カープが優勝するというのは、
今まで県大会での一度のベスト16が最高の母校の野球部が、
甲子園に出るということと同等、
即ち、≒不可能ということを、誰よりも広島人が認識していたのだった。

カープの初優勝は、それだけに「ありえない」超最重大事件だったが、
後から思えばそれは決して偶然ではない。
もちろん、ルーツが意識改革をし、古葉ちゃんがそれを受け継いだのだが、
優勝するチームの土台を築いたのはその前を担った根本監督であり、
彼が呼び寄せた小森・広岡コーチだったと僕は思う。
彼らがいたから、コージが育ち、衣笠が育った。

そして、「育成」という球団方針と、
そこから生まれるスカウトの目の確かさと努力が時間をかけて実った。
フリーエージェントでお金で引き抜き、高額な外人を揃えなくても、
それに勝てることを僕たちは知っている。

僕たちにはできるんじゃないかな。
そのことを知っているから。
大きな車や電化製品を買い揃えなくても楽しく生活できること。
明日の利益を生むことより、確かに存続していくことを大切にすること。
己を知り、足るを知ること。

カープがそれを教えてくれた。
栄冠手にするその日は近いぞ。

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30年後にBack to the future!(2016.8)

今年は、どうもおかしい

今年は、どうもおかしい。
梅雨が明けたというのに、まだウグイスが鳴いている。
鳴き込んだせいか、声も大きく、節回しも鋭く、ホロースルーも長い。
しかも、林ではなく、家のすぐ近くで鳴いている。
一方で、梅雨時を象徴するあの「ケッキョケキョキョキョ」のホトトギスの声をとんと聞かない。
5月の終わりごろ初鳴きを聞いたのみで、その後、全く聞かない。

セミもおかしい。
例年なら、梅雨明けの頃はもうジージー、シュワシュワうるさいのだが、
今年はいることはいるが、圧倒的に少ない。
しかも、夏の終わりを告げるヒグラシがもう鳴いている。
ウグイスとヒグラシを同時に聞くなんて、初めての経験である。

家庭菜園をやっている人はみんな、今年はタマネギの出来が悪いという。
玉が太らず、小ぶりなものしかできないそうだ。
野菜の卸をやっている知人の女性によれば、
今年のタマネギはべと病が流行して未だかつてないぐらい最悪だそうである。
入荷量も少なく、小ぶりで痛みが早い。
主産地の北海道ものが出回り始める夏以降まで待たないと今年はダメだと言う。
彼女が言うに、買ったタマネギは、皮をむいて冷蔵すれば痛むのが遅いそうだ。
ぜひお試しあれ。

梅雨の終わり方も、
例年なら小笠原高気圧が梅雨前線を日本海まで押し上げて終わるのだが、
今年は、梅雨前線は九州をかすめて太平洋に張り付いたままなんとなく梅雨が終わってしまった。
西日本では猛暑なのに、北海道は延々大雨だ。
今年は、どうもおかしい。

梅干しとカープ

梅雨はなぜ「梅」の雨と書くか。
ちょうどこの頃、中国は揚子江の沿岸で梅が実るからなのだそうだ。
梅は昔から中国人が非常に愛する花である。
「雪に耐えて梅花麗し」とはカープの黒田の座右の銘だ。

梅は中国が原産だが、梅干しは日本が原産?だ。
梅雨時、梅の実が出回る頃、めぐってきた年に一度の季節。
「梅仕事」―なんと素敵な響きだろう。
日本の手仕事は、何も柳宗悦や河井寛次郎だけではないのだ。
そのへんのおばちゃんやおばあちゃんこそが主役なのだ。
しかし、素人には、南高梅のように大きく柔らかい梅干しはなかなか難しい。
南高梅は日本の手仕事のひとつの極みだ。

どうもおかしいといえば、いや、かなりおかしい、というか、やっとまともにカープが強い。
ヤバイよ、これは。
今から、10月はどうして暮らそうか、うれしい悩みを想像しては快感に浸っている。
ちなみに昭和50年の初優勝の後、広島の街は1ヶ月ぐらいぐじゃぐじゃだった。
毎日毎日、たくさんの飲み屋が、
歓喜を形で表そうとする主人が大盤振る舞いの果てしなく続く優勝記念出血大サービス。
毎日毎日、街のそこらじゅうで、知らない者同士が乾杯している。

あの甲子園も東京ドームも神宮も横浜スタジアムもナゴヤドームも半分は真っ赤である。
で、カープグッズが半端じゃない。
各種食料品から身の回りの品まで、ありとあらゆるものにカープ坊やがついている。
昨日も、ランジェリーショップのマネキンが、
カープ坊やの入った艶めかしい赤い下着を身に着けていたのには驚いた。

友人がカープグッズのショップでカープ坊やが描かれているクッキーをみつけた。
こんな気の利いたものを作っているのはどんなメーカーだろう
と思って箱の裏側のラベルと見たら、
製造元が神戸のメーカーだった。
こいつは阪神の回し者かと途端に熱が冷めた。
で、そこらへんのいろんな箱を裏返してみたが、広島のメーカーは一つもなかったそうだ。

グッズが売れ、球団が潤い、ファンが広がるのは大変良いことなのだが、
なんともやるせない話である。
広島のメーカー諸君、チャンスじゃないか。
便乗便乗、もっともっと頑張ってほしい。

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今年のカープグッズカタログは一見の価値がある。
ありとあらゆる分野に、ありとあらゆるグッズがそろっている。
これはすごい!なんと、常識を覆す白・赤!のオセロ。
しかもゲーム盤はマツダスタジアムだ。
「白赤の戦いに白黒つけろ」のコピーも気が利いて秀逸だ。
ナイスな発想。
出典:2016カープグッズカタログ

再び、梅。そして、Made in Japan

南高梅の主産地の和歌山県の田辺市やみなべ町では、
御多分に漏れず梅農家の高齢化が進行している。
また、日本人の和食離れで、梅干しの消費は明らかに落ちている。
一方、この分野でも中国の低価格の梅が大量に輸入され、価格破壊が起きている。

で、なんと、かの南高梅も中国産だそうだ。
中国で塩漬けにしたものが日本に輸出され、
日本で本漬けと仕上げをして、南高梅として売られているそうだ。
さすがに最も重要な本漬けと仕上げは日本ということで少し安心するが、
原産地は紀州産ではなく中国産というのはちょっと悲しい。
しかし、田辺市やみなべ町で梅の栽培が盛んに行われているのも事実なので、
どのくらいの南高梅の加工業者が中国産の梅を使用しているのかは分からない。
少なくとも、本場の田辺市やみなべ町では紀州産の梅を使っていると思いたいのだけど。

昔、憧れの海外旅行の定番だったハワイに行った人の自慢のお土産が、
裏のシールをよく見ると「Made in Japan」とあったというのはよく聞く話だった。
原産地が中国の紀州名産。
タイガースの大阪やジャイアンツの東京が製造元や販売元のカープグッズ。
なんともやるせないねえ。

「Made in Japan」で思い出すのは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。
この映画はタイトルからして洒落ているが、
映画の中身もパロディ満載で、思わずニヤリとさせられるセリフが多い。

1985年(昭和60年)の未来から30年前の1955年(昭和30年)にタイムスリップした
主人公のマーティに1955年(昭和30年)のドクが、
「安物を使うからだ。見ろ、”Made in Japan”と書いてある」と言うが、
それに対して1985年(昭和60年)から来たマーティは、
「なに言ってんのドク。いいものはみんな日本製だよ」と言いい、
ドクが「信じられん。あの敗戦国が」と言うシーンがある。

昭和30年頃は、洗濯機・冷蔵庫・テレビを「三種の神器」といい、
一般家庭にはまだ普及していなかった。
力道山の空手チョップは、街頭テレビに群がるか、
見栄を張って買ったテレビのあるご近所の家に集まってみんな見ていたのだ。
一方、昭和60年はバブルの入り口で、
当時の日本製品といえば、ソニーのウォークマン、液晶のシャープに代表されるように、
世界を席巻していたのだ。

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ウォークマン片手に「音楽を聴きながら瞑想する猿」チョロ松。
ものすごい訴求力。誰もが感じ入ったCMの名作。
よくこんな演出を思いついたものだ。
あの頃のソニーは素晴らしかった。
1987年「全日本コマーシャル大賞」最優秀スポット賞、2000年「20世紀の殿堂入りCM」。
出典:Sony Walkman CM 1987 - YouTube

30年後の世界

30年という時間の区切りは、なかなか興味深い。
期せずして、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が作られた1985年から30年たった今、
30年前にはこの世の春を謳歌していた「It’s a」SONYも、
「目の付けどころがシャープな」シャープも見る影もない。

中国の実質GDPは、1985年は3.8兆人民元だったが、
2015年は、なんと15.6倍の59.2兆人民元になった。
中国の実質GDPは、大体8年で倍になる。
ちなみに、わが国の実質GDPは、1985年は332.7兆円で、2015年は528.6兆円だった。
いかにこの30年間で途上国を中心として世界は大きく動いたかがわかる。

30年後の2045年は、いったいどうなっているのだろうか。
以下のようなことを、あなたは想像できますか?

・世界の人口が100億人に達し、3~4人に1人が、インド人か中国人となる
・日本の人口は1億人を割り込み、3人に1人が高齢者となる
・CO2排出量は80%近く削減される(どうやって?本当にできるのだろうか?)

そして、30年後の2045年は、
終戦、すなわち広島・長崎に原爆が投下されてから、ちょうど100年目の年なのである。

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