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ドラクエとウルトラマンが教えてくれた(2017.8)

平和公園の異空間

また夏が来た。去年の夏の日を思い出す。いつものように暑い日。
元安橋。平和公園のど真ん中。
原爆資料館で沈痛な衝撃を受け、原爆慰霊で素直な気持ちで手を合わせ、
その気持ちを胸に抱いたまま、平和の灯や原爆の子の像から原爆ドームに向かう元安橋。
あの日、その下を亡くなったおびただしい人が流れていった元安橋。

その元安橋の橋の上や橋のたもと。
スマホを手にしたたくさんの人。
ある者は地べたに座り込み、ある者は車座になって、
みんなそれぞれ別々の方向を向き、物も言わずにスマホに見入っている。
原爆の日を間近に控え、この連中をどうするんだ。
平和公園でこんなことが許されるのか。
そんな異様な、場違いな光景がなくなって久しい。

ついにゲームは野外でやるものになった。それ自体はいいことだと思う。
引きこもりを外に引っ張り出し、運動不足の人に適当な運動を与え、いいことだと思う。
TPOをわきまえ、人に迷惑をかけなければ。

しかし、たかがゲームがここまで進化するとは。
ゲームの創成期が青春時代と重なる小生達の年代は、
ゲームとともに歩んだ世代と言えるかもしれない。
大学生の頃登場したのが、ブロック崩しとインベーダーゲームである。

当時の喫茶店には必ずインベーダーゲームのゲームテーブルがあった。
1人もしくは2人がけのブラウン管が埋め込まれた小さなテーブルで、
100円を入れてゲームをするのである。
今の若者は知らないだろうなあ。
熟達者がやる必殺技「ナゴヤ打ち」には目を見張った。
当時出始めた150円のポカリスエットを飲みながらやったもんだ。

そして、次に登場したのが、ファミコンである。
エンジとクリーム色の今から思えばちゃっちいゲーム機だった。
ファミコンと言えば、まず、スーパーマリオだろう。
しかし、こちらは手先の器用な子どもたちに譲って、ファミコンと言えば、
それはもう、ドラクエだ。

そして伝説へ・・・

小生は友人から勧められ、ドラクエⅢから始めたのだが、これは、はまった。
ロールプレイングというスタイルがぴったりはまった。
自分の分身である主人公と一緒に様々な街や城を訪ね、
様々な人と話をし、山や森や洞窟を冒険し、
様々な体験を通じて主人公を成長させていく。
これには、はまった。

あのテーマソングが耳に入ったり、「アリアハン」(主人公の故郷の街)と聞くだけで、
今も胸が熱くなる。
ラスボス(実は違うのだが)魔王バラモスを倒して「やったー」と思ったら穴に落ち、
別の世界が広がり本当のラスボス・ゾーマとの戦いが始まるという、
9回裏の逆転ストーリーにも感心した。

Ⅲをやった後、Ⅰ・Ⅱをやったが、落ちた穴の下の世界はⅠ・Ⅱの世界だと後から知った。
Ⅰ・Ⅱをやった人がⅢをやったら、感動することは容易に想像できる。
そして初めて「そして伝説へ・・・」というサブタイトルが腑に落ちる。
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲは勇者ロトの伝説物語なのだ。

しかし、Ⅰ・Ⅱの「ふっかつのじゅもん」は辛かったね。
書いた紙きれをなくした経験は、やった人ならみんな持ってるんじゃないかな。
今じゃありえんね。
しかし、それがまた、ゲームを大切にすることにつながるんだよね。

攻略本は決して買わず、
落とし穴のあるタンジョンは何回も歩いて落とし穴から落ち、
すべての落とし穴の位置を自分で探し出して方眼紙に記録したり、
武器を持たず、素手でラスボスに勝てるまで成長させたりとか、
信じられないことをやる尊敬すべき猛者がわが社にはいる。

それと、主人公の名前は自分の子供の名前にし、
パーティーは自分と妻の名前にしていた人が多かったね。
懐かしいなあ。

ドラクエに惹かれるのは、戦いや謎解きだけじゃない。
そのストーリー展開やちょっとしたセリフにある。
ドラクエⅤで、主人公と妻が石にされ、10年間ほっておかれる場面がある。
石となってうち捨てられた彼の上に淡々と雪が降り積もるシーンは、
たかがゲームとはいえ、胸が張り裂けそうになった。

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ドラクエⅢ。僕の中では最高のゲーム。
CGやVR全盛の今でも、RPGの要素が詰まった原点、バイブルだ。

ドラクエだけでなくFF(ファイナルファンタジー)はもちろん、
当時はいろいろなRPGをやったけど、
特に心に残っているのは「MOTHER」である。
「MOTHER」は糸井重里の作品で、
アメリカの田舎町を舞台にした宇宙人襲来という異色のストーリーだ。
随所に糸井重里流のウィットに富んだ社会批評や言い回しがある。

各家庭に置かれたテレビ風の侵略者の配布物を「幸せの箱」といったり、
戦闘でモンスターに勝利すると、
「○○はわれにかえった」とか「○○はおとなしくなった」など表示され、
敵を殺したわけではないことを示唆するのも心憎い。
「MOTHER」は、ずいぶん前に「MOTHER3」が出た後続編はなく、
ぜひ続編を作ってもらいたいシリーズだ。

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「MOTHER」1・2・3。
「指輪物語」をその源流とするような勇者や魔法が活躍するファンタジーではなく、
現代社会に宇宙人が襲来するというストーリーは、斬新である。
さすが、糸井重里。


ウルトラマンの苦悩

RPGにせよ、シューティングにせよ、アドベンチャーにせよ、
モンスターが登場する映像の原点を遡ると、ウルトラQとウルトラマンにたどり着く。
ウルトラQやウルトラマンには、一筋縄ではいかないいくつかの物語がある。

そもそもウルトラマンは、地球を救うためにやってきたのではなく、
宇宙の正義を守るためにやってきたのだ。
従って、もし、人類が結果としてこれらに反するような行動をとれば、
ウルトラマンは自分の行動と宇宙の正義の狭間で苦悩するのである。
だからウルトラシリーズは、単純な勧善懲悪の物語ではなく、
怪獣を含む他の生物や環境問題に対する人間のエゴのありようをにじませるのである。

最も心に残る話が「故郷は地球」のジャミラである。
ジャミラは元々人間の宇宙飛行士だった。
宇宙飛行士はある惑星に不時着するが、
宇宙開発競争にしのぎを削る祖国に見捨てられ、
水のない惑星に順応するうちジャミラという怪獣に変身し、
復讐のために地球にやってくるのだ。
ジャミラは、科学特捜隊本部の指令により、
元人間だったということは秘され、怪獣として葬り去られる。

ウルトラマンシリーズに登場する様々なウルトラマンは、
時に怪獣との戦いを後悔したり、戦いの中で大切なものを失ったりして苦悩する。
ひとつの命の中に、人間とウルトラマンの二つの命を有するウルトラマンは、
二つの体と心のギャップに苦悩するのだ。
ウルトラマンは、地球では孤独だったろうと思う。

自立と自由

日本語では単に「孤独」だが、英語では「loneliness」と「solitude」がある。
この2つは明らかに違う。
「loneliness」は、疎外され、孤立して、友達や仲間がおらず、
「一人ぼっち」なのであるが、
「solitude」は「solo」、つまり「一人」なのである。

「一人ぼっち」は自分でその状況を改善することはなかなか難しいが、
「一人」は自分が希望すれば二人にも大勢にもなることができる。
逆に言えば、一人でいたいから「一人」なのだ。

「一人」とは即ち「群れない」ということである。
自分のやりたいことを自分の意志と自分の責任でやるということだ。
すなわち、自立と自由ということである。
自立した自由な人とはなんと素晴らしいことだろう。
だから僕は「孤独(solitude)」を愛する。
それは決して一人ぼっちじゃない。

「おひとりさまの〇〇」・・・最近よく聞く言葉である。
晩婚化の中で、シングルの人だけが「おひとりさま」のように言われるが、それは違う。
人は誰も自分の意志で生まれてはこれない。
自殺以外は自分の意志で死ねない。
そして、どんなに多くの家族に囲まれていても、生まれてくる時と死ぬ時は一人である。
「おひとりさま」で生まれ、「おひとりさま」で死ぬのだ。
だったら、せっかく生まれてきて生きている時は自立した自由人として生きたい。
「孤独(solitude)」な人間で生きていたい。

大丈夫だ、ウルトラマン。
君は誉れ高き「孤独(solitude)」にあったのだ。
決して「一人ぼっち」なんかじゃなかった。
ゼットンとの戦いの後、君は、そして伝説になったのだ。
ドラクエとウルトラマンは、僕に自立と自由、そして「孤独(solitude)」を教えてくれた。

もちろん、7月29日発売のドラクエⅪは発売日に買い、
一人「孤独」な楽しみに浸っている。

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永遠を数える(2017.7)

長い名前

夏になると思い出す。
子どもの頃、海(瀬戸内海)で泳ぐと、岸から少し離れたところに藻が群生していて、
その藻の切れ端が足にまとわりついて、気持ち悪かった。
それが「海のゆりかご」といわれる藻場の主役のアマモであることは、今なら分かる。
子どもの小生の足にまとわりついたアマモの切れ端、
アマモの別名は、植物では日本一長い名前なのだ。
「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」がそれである。
細いテープ状のアマモの切れ端を、竜宮の乙姫の元結の切り外しに見立てたのである。

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これがアマモ。これがちぎれたものがリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ。

長い名前といえば、これはもう、落語の寿限無である。
生まれた子供にめでたい名前をつけてもらおうと思った父親がお寺の和尚さんに相談に行き、
和尚さんから教えてもらっためでたい言葉を脈絡なく全てつなげて子供の名前にしてしまう、
という話である。
その名前は、「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ~」
と仮名で136文字に及ぶ名前である。
さて、ここで問題にしたいのが、上の3句目「ごこうのすりきれ」である。

天の羽衣は削岩機か

小生の通った高校は自由な校風の私立校だったので、
生徒も生徒だが、先生も先生で、ほんと、いろんな先生がいた。
教科書なんかほとんど使わない先生とか、ほとんど脱線した話に終始して授業する先生とか、
公立校ではまずいないと思われる先生が少なからずいて、
そんな先生の授業の話は、教科書の話よりずっと面白かった。
日本史のH先生は後者の典型で、印象深い脱線話を今もいくつか覚えている。

そのひとつがインド哲学や仏教での時間の概念という哲学的な話である。
インド哲学や仏教では、時間の単位を「劫(こう)」という。
「未来永劫」の「劫」、「亀の甲より年の劫(「功」ではない)」の「劫」である。

では、その劫は具体的にどのくらいの時間かというと、
こちらは竜宮の乙姫様ではなく、天女が100年に一度天から下りてきて、
40里四方の岩を天の羽衣でひと撫でし、
ついにその岩がすりへってなくなってしまう時間だという。

というような話を日本史の授業の中で延々とやるのである。
日本史のどの部分でそんな話になったのかは全く覚えていない。
そもそも天の羽衣で岩をすり減らすことからしてありえないのに、
40里四方の岩だとか、100年に一度のひと撫でとか、
具体的な数字を伴うことによって、逆にその非現実性というか、
とてつもない時間の長さが強調される。

具体的に考えるため、40里四方という大きさをちょっと真面目に考えてみる。
40里四方とは、縦・横・高さがそれぞれ4km×40=160kmということである。
ちなみに大きな岩といえば、オーストラリアのエアーズロックだろう。
エアーズロックは比高335m、周囲9.4kmだそうだから、
計算してみると、40里四方の大きさの岩は、エアーズロック130万個分となる。
とんでもない大きさである。
そして、削岩機・天の羽衣による岩の消滅に要する時間など、
想像することもできないとてつもない時間である。

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エアーズロックは世界で二番目に大きな一枚岩である。
世界最大の一枚岩は同じくオーストラリアにあるマウント・オーガスタスで、
エアーズロックの2.5倍の大きさだそうだが、40里四方には遠く及ばない。

宇宙的時間スケール

1劫は1つの世界(宇宙)が生まれて消滅するまでの時間で、
生まれた世界(宇宙)は1劫たつと火(劫火)で破壊され、無の状態がその後1劫続くのだそうだ。
1劫は43億年だそうだから、宇宙誕生から138億年なので約3劫、
太陽・地球誕生から46億年なので約1劫ということになる。

地球の最後は、40~50億年後、
末期を迎え赤色巨星となった太陽に呑み込まれて終わりとなる。
無から宇宙が生まれ、火で破壊され、その後また無が続くという宇宙観は、
現代の科学的な宇宙論に合致しているではないか。
しかし、この1劫が梵天にとっては1日だというのだから、戸惑ってしまう。

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「劫」の単位で宇宙の年表を作るとこのようになる。
なにか、ざっくり当てはまっているように見える。

結局、「劫」とは早い話無限ということだ。
しかし、インド哲学や仏教では「劫」はあくまで時間の単位であって、
さらに1劫、2劫、3劫…というふうに数えるのである。無限×Tである。
よくそんなことを考えるなあ。
まだ高校生だった小生は、日本史の授業の中でそんなことを聞きながら、
古代インド人や仏教の考え方にシビレた。

話を元に戻して、寿限無の3句目「ごこうのすりきれ」とは、「5劫の擦り切れ」なのだ。
5劫を費やして岩が擦り切れる長い時間のことなのである。
なんで5劫なのかというと、
突然だが、阿弥陀如来は如来になる前は法蔵菩薩という菩薩だった。
法蔵菩薩が如来になるために行った思惟の時間が5劫だったことによる。
先にちょっと触れたように、宇宙誕生のビックバンからまだ3劫しかたっていないのだ。
5劫とは、気の遠くなるような時間だ。

おっくうな考え

こんなことを考えていると、もうめんどうくさくて「おっくう」になるが、
この「おっくう」が実はさらに大変なことなのだ。

「おっくう」を漢字で書けば「億劫」なのである。
もうお分かりのように、1億の劫である。
と言いたいところだが、これが違うのだ。

億劫は、百千万億劫の略なのだ。
すなわち、億劫は、100×1,000×10,000×1億劫=10の17乗劫
=43×10の25乗年なのだ。

現代の宇宙論では、宇宙の終わりについていくつかの説があるが、
最も有力な説のひとつを熱的死説というそうだ。
「熱的死」とは、なんともおどろおどろしい名前だが、
その説によれば、宇宙の最終局面では恒星は全て燃え尽き、
銀河はブラックホールに呑み込まれ、そのブラックホールは蒸散してしまうそうだ。
そしてそのようになる宇宙の寿命は、10の18~25乗年だそうである。
先のめんどうくさい「億劫」は43×10の25乗年だった。
ここでもなにか、ざっくり当てはまっているように見える。

恐るべし。インド哲学、そして仏教。
Return to Forever.

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バードランド(2017.6)

埴輪の家

「埴輪に鳥が出入りしよるよ」
飯を食っていたら、妻がこう言う。
どういうことかと思ってしばらく庭に置いた埴輪を見ていたら、
小さな鳥が埴輪の穴の開いた袖口から勢いよく飛び出した。

わが家の庭には、父が昔どこからか買ってきた高さ数十cmあまりの埴輪が点景物として置いてある。
この埴輪には手はなく、両肩に直径2,3cmぐらいの穴が開いている。
去年はこの穴からハチが入って中で巣を作って大騒ぎしたが、
今年はなんと、小鳥が巣を作ろうとしているのだ。
そうか、何で今まで思いつかなかったのだろと思い、
早速ネット通販で巣箱を購入し、庭のソロの木(アカシデ)に掛けた。

シジュウカラだ。
灰色の羽に白い頬、頭から胸にかけて黒いラインが走る。
電線や木に留まってよく通る大きな声で「ツッピー・ツッピー・ツッピー」と鳴く。
春先から鳴き声だけはよく聞いたが、まさか小生の庭で巣作りを始めるとは。

5月に入り、埴輪の袖口からより頻繁に出入りするようになった。
観察していると、つがいで何処かに行っていることもあるが、
たいてい1羽は中にいて、かわるがわる外に飛び出しているようだ。
面白いことに、埴輪の両肩の2つの穴は、出口と入口がそれぞれ決まっているようだ。
そして、入る時は、まず庭のバラアーチにまず止まり、
それから埴輪の横のブラックベリーの木に移って侵入する。

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巣箱となった埴輪とピーちゃん。埴輪の前の植物はセージ、左はカモミール。
さて、ピーちゃんはどこにいるでしょうか?

ピーちゃんがわが庭で巣作りを始めてくれてとてもうれしいのだが、困るのは庭仕事だ。
埴輪はハーブ類を植えたロックガーデンに置いてあり、
近くで作業をしていると帰ってきたピーちゃんが「ジュク・ジュク・ジュク」と警戒の鳴き声を発する。
早くそこをどけと言われているようで気が引ける。
そういう時は、埴輪近くでの作業を早々に切り上げる。

ある時、埴輪の横に植えてあるルッコラを摘んでいて、誤って埴輪を倒してしまった。
アッと思う間もなく中にいた1羽がすごいスピードで飛び去って行った。
しまったと思い、埴輪を起こして観察していると、
2羽で帰ってきて電線に止まり、延々「ジュク・ジュク・ジュク」とやっている。
ごめんね。気をつけてもう二度と倒さないから。大丈夫だよ。中に入りな。
頼むから入ってくれよ。
しばらく「ジュク・ジュク・ジュク」とやっていたが、中に入ってくれた。
ああ、よかった。

シジュウカラは仲間同士で通じる言語を持つという。
確かに「ジュク・ジュク・ジュク」と鳴いている時は、仲間とコミュニケーションしているようにみえる。

しかし、ソロの木に掛けた巣箱には一向に誰も来ない。
どう考えても地べたに置いた埴輪より、高い位置に掛けた巣箱の方が安全だと思うのだけど。
いろいろ調べていると、
シジュウカラは地面にさかさまに臥せて置いてある植木鉢にも巣を作るのだそうだ。

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ソロの木に掛けた巣箱。左下に小さく埴輪の頭が見える。

ピーちゃんは、5月中旬に別のシジュウカラと埴輪の上で縄張り争いと思われるバトルを繰り広げ、
以後、もう二度と来ることはなかった。

横に歩く鳥

去年の今頃だったか、このコラムでホトトギスのことを書いた。
小生の家は、山が近い住宅地なので、春から夏にかけては様々な鳥がやって来る。
春は、ウグイスとシジュウカラ。
ゴールデンウィークを過ぎるとそれにツバメが混じり、やがてホトトギスの季節になる。
スズメはもちろん、ヒヨドリもわが家の常連である。
スズメは畑で砂を浴び、スイレンの水鉢で水を飲む。
ヒヨドリは庭の畑の芽キャベツやブロッコリーをついばむ困ったちゃんではあるが。

そんなこんなしていると、今度は妻が、
「キツツキみたいなのが来た。
キツツキみたいにソロの木をつついて、幹につかまってグルグル横に歩くんよ。
あんな歩き方をする鳥は初めて見た」と言う。
どんな鳥かと聞くと、あまり大きくなく、縞々があったと言う。
話している絶妙のタイミングで、点けていたテレビの自然紹介番組にコゲラが写っていた。
「おい、あれじゃないか?」と聞くと、「そうそう、あれあれ」。
へえ、こんな住宅地にもコゲラが来るんだ。

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コゲラ。わが国最小のキツツキ。

キツツキ人間

ところで、キツツキは漢字ではどう書くかご存知だろうか。
「啄木鳥」と書くのである。
そう、歌人の石川啄木の「啄木」である。
石川啄木はペンネームで、本名は石川一である。

何故彼は「啄木」をペンネームにしたのだろうか。
キツツキといえば、何といっても嘴で小刻みに木を叩く「ドラミング」である。
結核を発病し、療養のために故郷の岩手に帰った17才の啄木は、
病の床で静かな森に響くキツツキが木を叩く音に慰められたという。
この自宅療養以降、彼は「啄木」のペンネームを使うようになる。

啄木には、キツツキが木を叩く音が、まるで半鐘をつく早鐘のように聞こえた。
早鐘は、すなわち警鐘である。
啄木は、世の中に警鐘を鳴らす存在でありたいという願いを込めて、
自分をキツツキになぞらえたといわれている。
自らをキツツキになぞらえてから9年後、啄木はわずか26才でこの世を去ってしまう。

啄木が鳴らした警鐘とは何か。
大逆事件などの思想弾圧により閉塞感に包まれた社会への異議であり、
即物的で自然への尊厳が失われた社会への異議だった。
啄木が生きたのは100年前の明治時代だが、
管理社会の閉塞感や地球環境問題が進行する現代社会でも、啄木が鳴らした警鐘は十分通用する。
いや、より一層響かせなければならないのではないだろうか。

歌集「一握の砂」の有名な次の歌の歌碑は、故郷岩手の陸前高田の高田松原にあった。
が、今はない。

 いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ

歌碑は、2011年3月11日、東日本大地震の津波で流失したのである。
啄木が鳴らした自然への尊厳の欠如への警鐘を、まさに身をもって鳴らしたのだ。

いのちある人のかなしさよ さらさらと 驕ればむなしくまことより落つ
行動するキツツキであれ!

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光陰矢の如し(2017.5)

中年御三家

若い時はあまり気に留めなかったのだが、最近は訃報に目が行く。
ああ、あの人が、という想いだ。
今年に入って、1月の松方弘樹、3月のかまやつひろし。
特に昨年は、一時代を築いた人たちの訃報が相次いだ。
永六輔(7月7日)に続いて、大橋巨泉(7月12日)。
数年前まで広げれば、野坂昭如(平成27年12月)、愛川欣也(平成27年4月)、
大島渚(平成25年1月)、小沢昭一(平成24年12月)。
この人たちに共通なのは、焼け跡派ということであり、
テレビ創成期を担った人たちということである。

駅で衰弱死した戦争孤児の少年が持っていたドロップ缶を駅員が投げると、
そこから妹の小さな骨が転げ落ち、
その周りを蛍が飛びかうというシーンから始まる「火垂るの墓」は、
とてもやりきれない物語である。

焼け跡派は、多感な子供時代に、
敗戦(あえて「終戦」といわない)とその後の混乱を経験している。
焼け跡派の名付け親の野坂昭如の自伝的鎮魂小説「火垂るの墓」は、
まさにその実録である。
あのハチャメチャな野坂昭如が書いた、
持って行きようのないやるせない悲しみに満ちたリアリズムである。
この人たちが言う「どんなことがあっても戦争をしてはいけない」という言葉は、
過酷な実体験に基づく重い重い言葉である。

あれから70年。
あまりに安易に安全保障やら積極的平和主義なるものを口にする
「戦争を知らない子どもたち」の政治家は、
そのことを強く強く受け止めてほしい。

野坂昭如は、こういう胸に迫る物語を書いたかと思うと、
大島渚の結婚30周年のパーティーで、
些細な行き違いから泥酔状態で大島渚と殴り合ったり、
ハチャメチャなCMを作ったりと、
そのシュールな狂気は何物にも代えがたい。

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「火垂るの墓」のDVD(スタジオ・ジブリ)。
原作者の野坂昭如自身が、「私はこの映画を二度と見たくない」と言ったというエピソードがある。


この野坂昭如と「中年御三家」を作ったのが永六輔と小沢昭一だ。
「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか」と歌うシャンソン歌手でもあった野坂昭如に対し、
永六輔と小沢昭一は日本文化、
それも庶民の文化を継承しなければという信念に貫かれていた。

ヒューマンスケールである尺貫法の復権を訴え、
安易な動物愛護運動に対して日本の伝統文化としての捕鯨を訴えた
「男のおばさん」永六輔。
一貫して大道芸や放浪芸、見世物小屋、ストリップなどの庶民の芸能を愛し、
ライフワークとしてそれを追いかけ続けた小沢昭一。
余人をもって代えがたい人達である。

親友の永六輔が亡くなったことは、
病の床にあった大橋巨泉には知らされなかったそうだ。
永六輔死去の5日後の7月12日、大橋巨泉も亡くなるのだが、
昨年7月20日放送の徹子の部屋では、
どちらも黒柳徹子の親友だった永六輔と大橋巨泉が出演した
2月4日の放送分を放送した。

大橋巨泉は、約2年前の平成27年6月の愛川欣也の四十九日
「愛川欽也を偲ぶ会」で弔辞を述べている。
その1年後に自分の命が尽きるとは、思ってもみなかっただろう。
この世代の人のつながりの強さを思うとともに、やるせなくなる。

テレビ創成期

この人たちに加え、既に亡くなった向田邦子、渥美清、井上ひさし、森繁久彌、
まだ存命の黒柳徹子などの人達の
テレビ創成期のもろもろの話はとてつもなく面白い。
時代が自由だったのである。

高度成長期に入り、誰も経験したことのないテレビという新しいメディアに対し、
何でもありの状況の中で、
放送作家、プロデューサー、アナウンサー、司会者、タレント、
様々な新しい仕事が生まれていった。
毎日が新しいチャレンジで、未来は混沌と広がり、明日は何が起きるかわからない。
すごい時代だったんだろうなと思う。

向田邦子のエッセー「父の詫び状」を読むと、その頃の状況がよく分かる。
雑誌編集の会社勤めをしながらアルバイトで番組の台本を書き始め、
テレビの時代がやってきてアルバイトが本業になり、
やがて売れっ子作家になっていく向田。
ストレスをためた黒柳徹子の息抜きの場の向田のアパート。
何であんな飛行機に乗って死んでしまったのか。
悔しい。

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向田邦子の「父の詫び状」。昭和の香り満載である。
東京大空襲の時、一家で最後の晩餐をした話や、60秒で切れる出始めの留守番電話に連続9回ダイヤルして話し続けた黒柳徹子の話など、楽しませてくれる。


渥美清が最初にブレイクしたNHKのテレビ番組「夢であいましょう」の司会は黒柳徹子で、
「上を向いて歩こう」などの名曲を生んだ「今月の歌」は作詞を永六輔が担当し、
テレビの創成期を担う人たちが集結してバラエティ番組の走りとなった。

僕たちが子供の頃のNHKといえば、「ひょっこりひょうたん島」である。
「ひょっこりひょうたん島」の作者は井上ひさしであることを大きくなってから知った。
あのぶっとんだキャラクターの発想やストーリーの展開は、
僕の敬愛する赤塚不二夫に通じるものがある。
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」という井上ひさしの言葉は、
僕が常に心掛けていることであり、
また人の技量を見極める僕の重要な判断基準となっている。

森繁久彌は、戦前からNHKのアナウンサーなどとして活躍していたそうだが、
僕が知っている森繁は、
何といっても「七人の孫」や「だいこんの花」などのテレビのホームドラマだ。
これらのドラマの脚本を書いたのが向田邦子である。

よく知られている逸話だが、
「徹子の部屋」の第1回のゲストは森繁で、
この時、黒柳徹子の胸を触ったハプニングは有名である。

向田邦子、渥美清、井上ひさし、森繁久彌、黒柳徹子、みんなつながっている。
やっている方も楽しかっただろうな、あの頃は。
テレビに出る人間が楽しがってやっているのは最近じゃあタモリぐらいかな。

余談だが、
芸能界には「早稲田を中退したタレントは出世する」というジンクスがあるそうだ。
上に揚げた人たちのうち、中退はともかく、早稲田の出身者は「中年御三家」のほか、
大橋巨泉(中退)、森繁久彌(中退)、である。
こんなキャラが揃う当時の早稲田は、
活気があって混沌として、きっとすごかったんだろうな。

誰がテレビをつまらなくしたか

どのチャンネルを回しても、どれもこれもひな壇に芸人が並び、
わあわあ、ぎゃーぎゃーのバラエティ番組。
楽屋落ちや仲間内のバカ騒ぎ。
のべつ間もなく流れるうっとうしい擬音語・擬態語・解説のテロップ。
大げさな効果音。
スタジオ観客の強制拍手。
番組制作があまりにも安易ではないか。
あまりにも安っぽくないか。

タモリが「ブラタモリ」を除いてテレビから離れて行ったのは、
彼の認識と意志であったと思いたい。

ICTの発達とともに娯楽も多様化し、
テレビは自分で自分の首を絞めているのではないか。
このままでは、自らテレビ離れを促進していくことにならないか。
僕自体、時間がないのもあるが、
テレビは基本的にニュースとカープの試合しか見ない。

「今のバラエティは芸能界の内幕ネタばかりで、
芸能人が使い捨ての状態になっている」とは、
テレビ創生期の真っただ中を生き、「11PM」や「クイズダービー」など
既成概念にとらわれない番組を作ってきた大橋巨泉の言葉である。

漫才、コントといえども台本がある。
台本に技能としてのアドリブが加わって、
初めて心からの笑い、感動する笑いが生まれる。
ヤスキヨの「甲子園」や笑い飯の「鳥人」は、
台本とアドリブが融合し、狂気(とみせる)との狭間から生まれた傑作である。
僕は、何とか向上委員会が眉を顰めるような下ネタやハチャメチャが大好きである。
バラエティ番組でも、革新的なハチャメチャさが際立った「おれたちひょうきん族」や
「笑っていいとも」には新しいスタイルの展開や斬新な笑いが常にあった。

そして、光陰如箭

既に歌謡曲というジャンルは自然消滅し、演歌を除けば最近はJ-POPという。
フランチャイズ制が進行し、
テレビでジャイアンツ戦が放映されなくなるのと期を同じくして
ジャイアンツは全国区ではなくなった。
NHKがテレビ放送を開始して64年、
テレビの創成期を担った人たちが次々といなくなる中で、
衛星放送やCATVなどの新しいメディアも定着した。
ゲームもあっという間に通信機能が定番になってスマホでやるものとなり、
据え置き型のゲーム機は衰退している。
10年、20年前はどうだったか考えてみてほしい。
あっという間である。

COP21で決まったように2050年にCO2を80%削減するのであれば、
ほんの三十数年後にはガソリンや軽油で走る車は皆無となる。
わが国で現在90%以上を占める化石燃料による発電は不可能になる。
もしほんとにそうなら、あっという間である。
その時、どうなるのか、どうするのか、まだ誰も考えることができない。

ほんの三十数年後のことである。
光陰矢の如し。

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自ずから然り・その2(2017.4)

蟻はどの足から歩き出すか

以前、トンボを擬人化したシンボルマークの制作に関わったことがあった。
最終案として提示された図案に意見を申し上げたのだが、
あまり真面目に受け取ってもらえなかった。
小生が何を申し上げたかと言うと、
図案化されたトンボは、1対の足が胸から、2対の足が腹から生えていたのである。

昆虫の足は6本だと知っていても、昆虫は頭・胸・腹の3節から成り、
6本の足はすべて胸から出ていることを、大人でも知らない人は多い。
さらに、なぜ昆虫の体は頭・胸・腹の3節でできているのか。
なぜ昆虫の足は6本で、胸から出ているのか。
6本もある足をどのようにして使って歩くのか。
専門家でも答えられない人は多いのではないかと思う。

仙人とよばれた画家・熊谷守一は、
日がな一日中地面にはいつくばってアリの足の動きを観察した。
アリは6本の足をどのように動かして歩くのか、観察したのだ。
高速度カメラなどではなく、自分の目で確かめようとし、
またそれができるところが尋常ではない画家の目だ。
彼の著作「へたも絵のうち」で彼は言う。

「地面に頬杖つきながら蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、
蟻は左の2番目の足から歩き出すんです」

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熊谷守一の代表作のひとつ「赤蟻」。
晩年に向かうにつれ、彼の絵は線と面だけで構成されるシンプルなものになってくる。
対象をとことんまで見つめ、凝縮して写しとったかたち。
彼の言葉を知っていると、つい蟻の左の2番目の足に注目してしまう。

生きものの体やその仕組みというものは、既成概念にとらわれていてはだめだ。
創造主のデザイン能力はわれわれの常識をはるかに超越している。
例えば、タコやイカである。

タコやイカは、分類学上は「頭足類」という。
なぜ「頭足類」というか。
それは、文字どおり、頭から足が生えているからである。
タコやイカは、足の位置を下とすれば、上から順に胴・頭・足である。
目の下、口のまわりから足が生えているのである。
何と不気味な!
そんな獣や人間がいたら、これは怖いよ。

そこまでじゃないけど、僕はゾウのデザインはすごいと思う。
鼻が手なんて、いったいどういう発想なんだ。
もし、ゾウの姿を知らなくて、その姿について、
「鼻が伸びて手になっている」と説明を受けたら、
あなたはその姿を想像できますか?

「飛ぶ」ということ

昆虫という動物は、太古の昔からずっと繁栄を謳歌してきただけあって、
驚異的なこと、わからないことが多い。
僕が一番わからないのは、「飛ぶ」ということだ。

飛行機が空を飛ぶのは鳥がモデルである。
飛行機の翼の断面は上部が膨らんだ形になっていて、
断面の長さが上部の方が下部よりも長く、
このため上部と下部とでは流れる空気の速さと圧力が異なる。
これにより、翼を上に持ち上げる力(揚力)が働き、浮上するのだ。
ただし、それには翼で空気を切る力、即ち推進力が必要となる。
推進力は、飛行機の場合はエンジン、鳥の場合は羽ばたきである。

image004_2017033109311320e.png
飛行の原理:翼の上部では下部と比較して空気が流れる距離が長いため、
流れる速度は速くなり、ベルヌーイの定理により圧力が低くなる。
この圧力の差により翼を上に持ち上げる揚力が働く。

難しいのは、空中で制止するホバリングである。
ある力が働けば、力を加えたものに対して必ず逆の力(反作用)が働く。
羽などで空気を押せば、体には反作用が働いて動いてしまう。
ヘリコプターは回転尾翼がなければ、
ホバリングすれば主翼の回転の反作用で機体が回転するだろう。
だから、ホバリングは飛翔や滑空などと違って、かなり難しい。
鳥でもホバリングができるのはハチドリぐらいではないだろうか。

虫のホバリングといえば、トンボである。
トンボは前後の羽がすごいスピードで上下逆に動くからホバリングできるのだ。
トンボは飛翔する虫の王者である。
オニヤンマの飛ぶ速さはとんでもない。
だからオニヤンマを捕まえるのは難しい。
佐々木小次郎なら百発百中だろうが。

昆虫の飛び方は様々であるが、
どうして飛べるのかわからないものばかりである。
しかも、俊敏にコースを変え、周りの空気の流れなどおかまいなしだ。

まず、チョウである。
あんな羽ばたきで、どうやって揚力を得るのだろうか。
また、軽いとはいってもあんな大きな羽を動かす力はどこからくるのだろうか。
鳥は胸筋が発達しているが、
チョウは筋肉もなく、羽が背中にただくっついているだけのように見える。

カブトムシなどの甲虫の飛び方も不思議だ。
固い羽を開いたかと思うと、その下の薄い羽を大きく広げ、いきなり飛ぶ。
助走や羽ばたきなど何もない。
しかも、チョウと違って、体は相当大きく重そうに見える。

「ブンブンブン」といえば、ハチが飛ぶ。
「プーン」はカだが、そばに来ると「キーン」といったような感じで、
その周波数は相当高いように思われる。
音からして相当細かく羽を動かしていることは想像できる。
ハチは1秒間に250回羽ばたき、小さい虫ほどその回数は多いそうだ。

カが近くを飛んでいても、
手や足にとまらない限り、空中で撃破するのは結構難しい。
何度も空振りで手をたたく。
もし、カが飛行機だったら大変なことである。
飛行機よりも何十倍も大きい巨人の手が周りで振り回されているのである。
この乱気流に耐えられる飛行機はあり得ない。

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クローバーにとまるヒメシジミ(広島県レッドデータブック・絶滅危惧Ⅱ類)
チョウはどうやって揚力を得て飛ぶんだろう。

ごく身近な虫たちを見てもわからないことばかりだ。
もし、虫たちはどうしてああいうふうにして飛べるのかがわかり、
それを人間の手で再現することができたら、
科学は相当進歩し、社会・文化に相当貢献できると思う。
人類の進歩は常に自然から学んだのだ。

物にはすべて理由がある

僕が好きな、そして尊敬する博物館の学芸員さんがいる。
彼がやる環境学習の様子を、
彼の下で毎年川の環境学習に取り組んでいる
小学校の校長先生に聞いたことがある。

川の環境学習では、カゲロウやカワゲラなどの水生昆虫を採取して、
シャーレに取り分けた虫をスケッチする。
子どもたちはルーペで見ながらそれぞれ虫の絵を描いていく。
絵が描けた頃、彼が言う。
「シャーレを持ち上げて、横から見てみよう」「どう?ペッチャンコだろ」

上から見ると、
目があって、触角があって、足があって、腹があって、虫の形をしているが、
横から見ると、何と!極薄である。
「うっすー」
子どもたちから驚きの声が上がる。

すかさず彼が聞く
「どうしてこんなに薄いんだろう?」「薄いと何かいいことあるのかな?」
子どもたちは考えるが、意見は出ない。
「この虫は、どこにいたっけ?どうやって採ったっけ?」
「石の裏に張り付いていたよね」

ここでやっと一人の子どもが言う
「石の隙間に入るためだと思います」
彼は言う
「そうだね。デブだと石の隙間に入れないよね。
じゃあ、なんでこいつらは石の隙間に入りたがるんだろう?」

川の魚たちはこれらの虫を餌にしていることを話し、
「川の流れにあおられて流れの中に出たらどうなるだろう?」
「食べられちゃう!」
体が薄ければ、石の間に入り込めるだけでなく、
水の抵抗も受けないことを話した後、彼は言う

「何で虫の体が薄いかわかっただろ。どうしてそうなったか、
『物にはすべて理由がある』んだ」

子どもたちに教えなければならないのは、虫の名前ではない。
授業の目的は、スケッチではない。
伝えなければならないことは、身近な自然の裏側にある自然の法則だ。

自然の法則は、思いつきではない。
自然界で起こるすべての「果」には必ず「因」があること。
それを気づかせ、気づくことによって自然のすごさを認識すること。
その認識の下に、
「果」の背後にある「因」を追い求めていくことの面白さに気づき、
その重要性を認識すること。
それが子どもたちに伝えるべき本質だと思う。
サイエンスの本質だと思う。

蟻はどの足から動き始めるか。
そして、それはなぜか。
自然は、われわれ人間がそうしたのではなく、
自ずからそうなっているのである。

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