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福有りの里(2023.12)

不思議の木「イチョウ」

秋も深まり、あちこちでイチョウの黄色い炎が見られるようになった。
山間部で車を走らせていると、「ああ、あそこにお寺があったのか」と、黄色い炎が教えてくれる。

イチョウは不思議な植物である。
まず、イチョウは分類学上、一綱、一目、一科、一属、一種というたぐいまれな生きものである。
そして広葉樹でもなく針葉樹でもない。
誰一人仲間はおらず、たった一人ぼっちの植物なのだ。
たった一人で1億5千万年もの間、形を変えずに生きてきた「生きる化石」なのだ。

次の驚きは、イチョウには精子があるということだ。
これは大学生の時、野外実習で東京の小石川植物園に行ったとき初めて聞き、ぶっとんだ。
植物(種子植物)に精子があるのかと。

精子というと動物のものと普通思われると思うが、
コケ類やシダ類などの原始的な植物には精子があり、鞭毛で泳いで受精するのだ。
それらより進化した種子植物である裸子植物のイチョウに精子があるとは。

種子植物では、花粉が雌しべの頭につくと花粉管をのばして雄の細胞を卵に届けて受精する。
イチョウなどの裸子植物では、雄しべや雌しべで構成される花はなく、
種子の元となる胚珠がむき出しになっている。
イチョウでは、受粉した雌花は花粉を一旦花粉室に入れ、数か月かけてそれを精子に育てる。
精子は鞭毛で泳ぎ回り、胚珠の中の卵に到達して受精する。

というような解説付きの野外実習をなぜわざわざ小石川植物園でしたかというと、
イチョウの精子が発見された樹が、まさに目の前にあるイチョウの樹だからなのだ。
そしてそれは平瀬作五郎という日本人によってなされたのだ。

余談だが、イチョウなどの裸子植物には実はできない。
しかし、イチョウにはギンナンがなるではないか。
ギンナンのあの臭いぶよぶよした黄色い部分は実ではなく、種を覆う皮なのだ。
裸子植物であるイチョウには実はできず、ギンナンという種ができるのだ。

雄木の悲しみ

このようにイチョウは雌雄異株である。
雌木にはギンナンという恩恵があるが、雄木には何もない。
たぐいまれな精子を持つだけだ。
それ故か、イチョウの雄木には悲しい伝説を持つものがある。

市の天然記念物に指定されている島根県江津市有福の「上有福のイチョウ」がそれである。
推定樹齢千年、樹高12m、幹周10m、有福八幡宮の御神木「銀杏大明神」であるこのイチョウには、
次のような伝説がある。

神代の昔、天の神様が雄雌二粒の種子を落とし、雌木の生えた所を都にするといわれたが、
この木は雄木だった為に種の落ちた有福は都になれなかった。
では、もう一粒の雌の方はどうなったか。
雌の種は京都の西本願寺に落ちたそうである。
言うまでもなく京都は千年の都である。
そして実際に西本願寺には確かにイチョウの大木があるそうだ。

この話には続きがある。
都になれずがっくりしている雄イチョウを見て神様は、
「華やかな都が幸福とは限らない。
豊かな自然に囲まれ静かに暮らしていくことに本当の福が有るのだ。」と言ったそうだ。
それ以来、この地を「有福」と呼ぶようになったという。

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上有福のイチョウ。根元には「銀杏大明神」の祠がある。
泣くな雄木よ。君のおかげでここには本当の福が有るのだ。


福有るはずだったのに・・・

有福温泉は山陰の伊香保といわれる。
川筋の傾斜地に旅館や外湯が立ち並び、
その間を細い階段の小路で巡っていくのはまさに伊香保の趣だ。
登ったり下ったりの小路の途中には、
大正浪漫の御前湯、小さな薬師堂、湯の町神楽殿、善太郎餅本店などがあり、
こぢんまりとしているがレトロな風情があった。

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山陰の伊香保・有福温泉のたたずまい。
正面右のアーチ状の窓が御前湯、正面左の石州瓦の建物が湯の町神楽殿。


今、「レトロな風情が『あった』」と書いたのは、今はもうないからだ。
ほとんどの旅館は空家か改装中である。
どうしてこんなふうになっちゃったんだ。
その昔、神様から「福有り」と寿がれた有福だが、近年の有福は福どころか「有災」続きだった。

過疎化・高齢化とレクリエーション活動の変化、
加えて平成22年の大火災、平成25年の豪雨災害により、
最盛期は20軒近い旅館があったものが、平成29年には3軒だけになってしまった。
寂れる→客が来ない→施設の劣化・サービスの低下→ますます客が来ない という、
温泉街の地盤沈下の典型である。

仕事で毎年結構島根に行く小生は、
年を追うごとにどんどん寂れていく有福温泉のあり様にずっと心を痛めていた。

今時、普通の温泉旅館に泊まれば1泊2食付きで安くても1万5千円だ。
ビジネスホテルなら5千円で泊まれるのに。
固定費抑制のため平日は営業していない、
施設は古い、トイレはウォシュレットじゃない、フロントに人はいない・・・

「当館の魅力は温泉と海の幸・山の幸です」―供給側が考える売り「プロダクト・アウト」。
「安くて便利でそこにしかない魅力があって」―需要側が求める価値「マーケット・イン」。
客商売であれば、売り手の理屈ではなく、買い手の要求に応えるべきだろう。
かつて斬新で高性能なモノを作れば売れたわが国のプロダクト・アウトの成功体験は、
売る側の独りよがりのプライドだと気づかないまま社会は成熟し、
気づいたときにはそれを一方的に押し付けられた消費者のマインドはもうそこにはなかったのだ。

福有りの里 再び

有福温泉の再生は令和3年度に始まった。
観光庁などの補助により、空家や既存旅館の改修が進められている。
そのコンセプトは温泉街全体をあたかも一つの宿としてとらえる「まるごとホテル」だそうだ。
すなわち、食事はレストランのお店で、神楽は神楽殿で、
自然体験、農業体験、工芸体験、料理体験・・・
そして、「何もしない」・・・ができる場所をホテルの中(まちの中)につくる。
人が求めているもの(マーケット)をつくる(イン)。
令和3年10月に温泉街の中心に温泉街の食を担うレストラン「有福ビアンコ」が開店した。

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温泉街の中心にできた「有福ビアンコ」は福有るまちの新たな中心だ。

温泉街の建物は今、あちこちでシートや足場がかけられ改装中である。
これは風景を阻害するものではなく、明日への脱皮のための蛹の姿なのだ。
上有福のイチョウよ、安心してくれ。
これだけマーケット・インの思いを込めて人々が打ち込んでいるんだ。
神様が言ったように、本当の福はきっと有るのだ。
ブルーシートの蛹が美しい蝶になって飛び立つのはもうすぐだ。

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有福温泉街の全貌。シートや足場やクレーンは蝶になる前の蛹の姿だ。

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紅葉狩り(2023.11)

モミジとカエデ

紅葉の季節になってきた。
紅葉は「こうよう」だが「もみじ」でもある。
モミジは、もみじ饅頭は、言わずもがな広島県の木であり、広島県の花でもある。
県によれば、県の花は正式に決められていないが、
宮島などで県民になじみが深いことから、モミジを県の花としているそうだ。

しかし待てよ、モミジに花なんかあったっけ。
プロペラのような実がなるから、花はあるのだろうけど。
モミジは風媒花で、花は咲くけど小さく目立たない。

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饅頭になるぐらいモミジは広島のシンボルなんじゃけぇ。

モミジはムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属の植物である。
では、モミジとカエデはどう違うのか。
両者は植物学的には同じもので、
一般的には葉の切れ込みが深いものをモミジ、浅いものをカエデと呼んでいる。

しかし、そもそもは、カエデは葉の形がカエルの手に似ていることから、
「カエルテ」転じて「カエデ」となったもので、昔はモミジもカエデと呼んだようだ。

モミジという言葉は「揉み出づ」からきたそうだ。
すなわちモミジとは何の関係もないベニバナの花を水の中で揉んで生地を染めたことに由来する。
昔から染色に使われるベニバナの花は黄色いが、灰汁の作用により生地は赤く染まる。
すなわち、黄から赤に色が変化するのだ。まさに紅葉だ。
モミジの初出は万葉集で、万葉集ではモミジのほとんどに「黄葉」の字があてられたそうだ。
当時は赤変より黄変に光が当たっていたのかな。

モミジあれこれ

日本の古典で紅葉といえば、まず思い出すのが百人一首の次の歌である。

 奥山に 紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
 
鹿と紅葉はこの歌により、完全にセットになった。
まさに花札の鹿、「猪鹿蝶」の鹿である。そして、モミジとは鹿肉のことである。
一方、ボタンは猪肉で、サクラは馬肉だ。

ところがである。
花札ではモミジは鹿だが、ボタンは蝶で、サクラは幕だ。
花札では馬は出てこず、猪は萩だ。
猟師のジビエと庶民の花札が違うのはあたりまえか。

食材としてのモミジはもう一つある。
それは鶏の足だ。
これは主にダシを取るのに使うが、
とある中華料理店でモミジだけがいっぱい入ったビニール袋を見たことがある。
もしもカエルの手でダシが取れたらそれをカエデと言ったかもしれないね。
余談だが、イチョウの別名は「鴨足」だ。これもその葉の形からきている。

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「猪鹿蝶」は、花札のルールは知らない人でも言葉は知ってる出来役だ。
しかし、なんでこの3つの生きものの組み合わせなんだろう。

紅葉狩

さて、そのモミジを見に行くことを「紅葉狩り」という。
なぜ「紅葉見」と言わないんだろう。だって、花見とか月見とか言うじゃないか。
梨狩りとかリンゴ狩りは対象を得ることが目的だが、
紅葉狩りはモミジを持って帰るわけじゃないのに。

実は、紅葉は狩られたのだ。それはこんな話だ。
長野に鬼無里(きなさ)というところがある。
文字どおり鬼がいなくなった里なのである。
時は平安時代、紅葉という美しい女性が京から流されてこの地にやってきた。
紅葉は京が恋しくてたまらず、兵を集めて京に上がることを考えるようになった。
このような紅葉を人々は鬼女と呼ぶようになった。
それを知った朝廷は平維茂(たいらのこれもち)を差し向け、鬼女を討った。
紅葉は狩られたのだ。
それ以来、以前は「水無里」と呼ばれていたこの地は「鬼無里」と呼ばれるようになった。

この鬼女伝説は、室町時代に創作された能の演目「紅葉狩」から作られたようだ。
能の紅葉狩はさらに複雑な内容だ。
身分の高い女性(実体は鬼)が紅葉狩りをしているところに
鹿狩りに来た平維茂が出くわし宴に加わる。
酒に酔った維茂は寝込んでしまい夢を見る。
夢の中に八幡宮の神が現れ、美女に化けた鬼神を討てと告げて神剣を授ける。
目覚めた維茂の前に鬼が現れ、戦いの末に鬼を討伐する。

「紅葉狩」といえば、広島では神楽の演目だ。
前段では美しい女性だった鬼女が、後段では恐ろしい鬼に変身し、平維茂と大立ち回りを演じる。
広島の神楽は石見神楽が伝わったものだが、
戦後、安芸高田市で起こった「新舞」とよばれるものは、
豪華な衣装、スピードの速い舞、ドライアイスを使った演出など演劇性が高く、
独自の進化を遂げた。
紅葉狩はまさにそういった演目だ。

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安芸高田市の神楽門前湯治村にある紅葉狩の平維茂と鬼女の舞の人形展示

五穀豊穣の神に捧げる

広島の神楽は出雲流神楽の石見神楽が伝わったもので、
出雲流神楽は大元神楽をルーツとする。
江津市桜江町に伝わる大元神楽は、神職によって舞われ、
託舞とよばれる神がかり託宣の古儀が伝承されている古い形を持つ神楽であり、
五穀豊穣をもたらしてくれる土着の農耕神である大元神に奉納するものである。
大元神を祀る大元神社は石見地方で多く見られる。
しかし、広島にも大元神社があるのだ。

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大元神楽伝承館の舞殿。中央の祭段には大元神の象徴の藁で作った蛇が祀られている。

広島の大元神社は宮島にある。
そう、その名のとおり宮島の大元公園ある神社だ。
大元神社は平清盛が厳島神社を再建する前からある古い神社なのだ。
宮島の大元神社の祭神は、土着の神である大元神ではなく、
保食神(うけもちのかみ)、国常立尊(くにのとこたちのかみ)、大山祇神(おおやまずみのかみ)だ。
しかし、そもそも保食神は五穀豊穣の神である伊勢神宮外宮の豊受大神のことであり、
農耕神である大元神と何ら変わりはない。

宮島といえば、紅葉だ。
宮島には五穀豊穣の神がいることも分かった。
秋も深まる頃、紅葉狩りの後、
宮島の紅葉谷でかがり火をたいて夜神楽をやってみたらどうだろうか。

 夜神楽や 焚き火の中へ 散る紅葉(一茶)

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命の中の命(2023.10)

「牛」とは何か

突然だけど、10月22日は「土用の丑の日」だ。
土用の丑の日は夏だけではないのだ。
丑の日は、日にちを十二支で数えたとき、丑に該当する日のことだ。
だから、丑の日は12日周期で回ってくる。

一方、土用は、季節の変わり目の立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間を指す。
12日周期と18日なので、土用の丑の日は年に4回以上ある。
今年の土用の丑の日は,
1月19日、1月31日、4月25日、7月30日、10月22日、11月3日だそうである。
というわけで、「牛」の話がしたくてここまでの前振りなのだ。

牛は4つの胃を持っていて、食べた草を吐き出して反芻しながら消化している。
4つの胃は、焼肉屋では順に、ミノ、ハチノス、センマイ、ギアラである。
第4胃の「ギアラ」はあまり聞かない。
正確に言うと第4胃だけが胃液を分泌し、反芻するのは第3胃までだ。

4つの胃のうち第1胃は「ルーメン」といい、容量は150Lと最も大きい。
このルーメンには多くの種類のバクテリアや原生動物が棲んでいて、消化を助けている。
その数は、バクテリアが1mL中に100億匹以上、
原生動物が1mL中に50~100万匹もいるそうである。

これらの微生物が持つ酵素のおかげで、牛はセルロースを消化できるのである。
さらに、これらの微生物は死ぬと分解され、重要なタンパク質として吸収される。
草だけ食べていてもタンパク質が摂取できるのだ。

われわれ人間の腸にも多くの細菌が棲んでいる。
その数、1000種類、100兆個だそうである。
それを表現する「腸内フローラ」という言葉もある。
健康のためには、ビフィズス菌や乳酸菌などの善玉菌を増やすこと、
善玉菌を増やすためにはヨーグルトやオリゴ糖を摂取することはよく言われる。

「牛」という動物は何なんだ?
食べ物を消化し、牛が生きるエネルギーを生み出しているのは、牛の胃の中に棲む微生物だ。
牛が食べているのではなくて、微生物が食べてるんじゃないのか。
牛が生きている以前に微生物が生きている。

外から形が見えるから牛だけど、
この「牛」と称するものは、便宜上「牛」と言っているけど、
その実体は微生物のかたまりではないのか。
牛は、微生物のただの入れ物にすぎないのではないか。

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牛が草を食べているのか、微生物が草を食べているのか

ミトコンドリアは呼吸している!

話は全く変わって、ミトコンドリアをご存じだろうか。
ミトコンドリアは核を持つ細胞(真核細胞)の中にある直径0.5 µm程度の小さな器官だ。
人間では、ミトコンドリアは1つの細胞に300~400個あり、
全身では体重の約1割を占めているそうだ。
60kg弱の小生の体の中には6kgのミトコンドリアがいるということだ。

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こんな小さなつぶつぶが僕たちの体の約1割を占めているなんて

ミトコンドリアは細胞の中で何をやっているのかと言うと、エネルギーを作り出している。
どうやってエネルギーを作り出しているかというと、
僕達が食べた食べ物は消化されて糖分(グルコース)などになるが、
これを分解して複雑な工程を経てATPなるものを大量に作るのだそうだ。
ATPは、アデノシン三リン酸というもので、あらゆる生物の細胞に存在し、
リン酸の分子がくっついたり離れたりする事でエネルギーを貯蔵したり放出したりしているそうである。

放出されたエネルギーは、アミノ酸などの生物に必要な分子の合成や運動、
細胞膜を介した分子の輸送などに使われるのだそうだ。
すなわちミトコンドリアは、
酸素や栄養素からATPとして化学エネルギーを取り出し、老廃物を排出している。
なんと、これは呼吸なのだそうだ。

呼吸は、肺やエラで酸素を取り込むこと(これを外呼吸という)だけでなく、
生物の細胞内で酸素や栄養素からATPとして化学エネルギーを取り出し、
老廃物を排出する一連の代謝反応を内呼吸(細胞呼吸)と言うそうだ。
自分で呼吸しているなんて、ミトコンドリアはまるで一個の別の生物のように見える。

その昔、地球には酸素はごくわずかしかなかった。
やがて藻類、そして植物が出現したことで、光合成により酸素が生み出された。
酸素というものは、酸化という言葉があるように、本来、物を破壊する性質の強いものだ。
しかし、このことは逆に言うと、強力なエネルギーを持っているということである。

植物が作り出した酸素の豊富な水や大気の中で、
生物はこの強力な酸素をエネルギー源として活用するように進化していった。
では、どうやって酸素をエネルギー源として活用することができたか。
それは、ミトコンドリアを細胞の中に取り込んだからである。

細胞内でミトコンドリアは呼吸する。
すなわち、炭水化物を酸化して二酸化炭素と水を排出し、その過程でATPが生産される。

ミトコンドリアはDNAを持っている!

ミトコンドリアは、細胞内で伸び縮みして動いているそうだ。
ミトコンドリアは別の生きものなのか。
ミトコンドリアは、細胞核とは異なる独自の遺伝情報-ミトコンドリアDNA-を持っており、
細胞内で分裂して増殖するそうである。
このミトコンドリアDNAは、ミトコンドリア内部だけに限らず、
生物の細胞全体の生命現象にも関与しているというから驚きだ。

さらに、細胞のアポトーシス(自殺)においても、ミトコンドリアは司令塔としての役割を担っている。
「細胞の自殺」と言うと物騒だが、
それは個体をより良い状態に保つためにあらかじめプログラムされ、積極的に引き起こされるもので、
例えばオタマジャクシがカエルに変態する際に尻尾がなくなることなどがこれにあたる。

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かの有名な二重らせん構造。たった4つの塩基で生物の遺伝情報が決まる。

命の中の命のつながり

ミトコンドリアは、ある種のバクテリアが別の生物の細胞の中に入り込んだことが始まりだそうだ。
ミトコンドリアが入り込んだのか、別の生物が採り込んだのか。
「共生」という言葉で済ませるには、その後の結果があまりにも大きすぎる。
だって、真核細胞を持つほとんどの生物はミトコンドリアなしでは生きていけないのだから。

人間はもとより、生きものってなんだ?
人間-私たち-が生きているのか、ミトコンドリアが生きているのか。
私たちのひとつひとつの細胞の中で、別の生きものが呼吸し、増殖して生きている。
胃の中に棲む微生物どころじゃない。
ありとあらゆる細胞に別の生物が棲んでいる。

一つの大きな命の中に、また別の多くの小さな命がある。
大きな命の命運は小さな命が生み出すエネルギーに委ねられている。

「私」って何だ。
「個」って何だ。
生きものの個体って何だ。
生きものの命って何だ。

全ての生きものの命は、生まれた時からその生きものだけじゃない。
命の中に命があって、みんなつながっている。

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漢字を分解して「生きる」意味を知った(2023.9)

重陽の節句

9月9日は重陽の節句である。
中国では奇数は「陽」といってめでたい数字である。
だから奇数が並ぶ日はすべてめでたい節句である。

すなわち、元旦にはじまり(但し、1月の節句は七草の1月7日である)、
桃の節句、端午の節句、七夕、そして重陽である。
9月9日は一桁の最大の奇数が並ぶから、すなわち最も大きい「陽」が重なるから「重陽」といい、
特にめでたい日である。

節句はそれぞれ植物が象徴的にあてはめられる。
すなわち、七草、桃、菖蒲、笹、菊である。
重陽の節句は菊を楽しむ日でもある。

しかし、菊は大変恐れ多い花である。
それはご存じのように、
菊は天皇および皇室の紋章―菊花紋章(十六葉八重表菊)―であるからだ。

菊花紋章が法的にどのように位置づけられているか調べてみると、
戦前は論外として、菊花紋章を天皇および皇室の紋章、日本の国章と定める法令はなく、
「慣例的に」用いられているようだ。

しかし、パスポートの表紙、国会議員のバッジ、勲章のデザインなどに使われているように、
「慣例的に」国章に準じた扱いとなっている。
法的には国旗に準じた扱いを受けるため、
商標法によれば菊花紋章に類似した商標等は登録できないようだ。
ちなみに、自民党の党章は菊花紋(陰十四葉菊)である。

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パスポートの表紙には「国章に準じて」菊花紋章(十六葉表菊)が刻まれている。
これが八重になったもの(十六葉八重表菊)は天皇および皇室の紋章なので使えない。


と、ここまで書くと菊は日本を象徴するような花と思われがちだが、元々日本に菊はなかった。
よく引き合いに出されるのが、万葉集には菊の歌が一つもないのである。
日本に菊が中国から入ってきたのは奈良時代末で、菊は外来種だったのである。
但し、タンポポなどのキク科の植物は在来種としてあった。
これを区別するため、前者を家菊、後者を野菊という。

ではなぜ外来種だった菊が天皇および皇室の紋章になったかというと、
鎌倉時代、菊の花が好きだった後鳥羽上皇が菊花紋を自分の印とし、
以後それが継承されて慣例的に皇室で使われたからである。
江戸時代は、徳川家の家紋である葵紋は使用が厳しく制限されたが、
菊花紋は広く庶民に使われた。

ゾロ目のこじつけ

さて、「重陽」のゾロ目の99は何色かというと、白なのだ。
何を訳のわからんことを言っているのかと思われるだろうが、至って真面目な話である。
「白寿」というのをご存じだろうか。
白寿とは99歳のことを言う。

100-1=99である。
「百」という漢字から上部にある「一」を除くと「白」という漢字になる。
これが白寿のいわれである。

九十九と書いて「つくも」と読む。
なぜ九十九が「つくも」かというと、次が百だからである。
次が百、すなわち「次百」と書いて「つぐ・もも」と読む。
これが訛って縮んで「つくも」になった。

「つくも」の表記には、もうひとつ「付喪」というのがある。
これは付喪神だ。
付喪神というのは、古い道具に魂が宿って妖怪になったものを言う。
道具は100年たつと魂が宿るが、
それに1年足らずほぼ魂が宿っているものを付喪神(九十九神:つくもがみ)という。

次のゾロ目の88はどうだろうか。
先に99歳は白寿と言った。88歳はよくご存じの米寿である。
八十八の各字を上から重ねて一字にすれば「米」になる。
最初の「八」を上下さかさまに必要があるが。
このことは、またこじつけで、
「米を作るには八十八もの工程がある(それほど大変な作業なのだ)」とも言われる。

では、77はどうだろうか。77歳は喜寿である。
「七十七」は「喜」に見えないが。否、実は見えるのである。
「喜」の字の草書を楷書にすると「㐂」で、「七十七」に見える。
ということになっているが、どう見ても七百七十七だよね。

66はないけど、探したら111はあった。111歳は皇寿というそうだ。
「皇」の字を上から分解すると、「白」「一」「十」「一」である。
「白」の上に「一」があって、「一」「白」「十」「一」なら111になるのは分かるけど・・・
ここの「白」は先述した99なのである。
すなわち、「99」「一」「十」「一」で、全部足すとめでたく111になるというわけである。
しかし、好きだなあこじつけが。日本人は。

百万一心

「百」と「白」と同様の話が毛利元就の「百万一心」の話である。
百万一心の話とは、安芸高田市歴史民俗博物館によれば次のような話である。

元就が郡山城を拡張する際の伝説で、
当時のならわしである人柱に替え、礎石に「百万一心」と彫らせ、
「人の命は尊いもの、城の堅は人の和で、協同なくしては城は守れない」とこれを埋めさせた。

どういうことかというと、「百万」の各文字を分解すると、
「百」は「一」と「日」、「万」は「一」と「力」になる(ちょっと苦しい所もあるが)。
従って「百万一心」とは「一日・一力・一心」であり、
「一日一日を・一人一人が力を合わせて・心を一つにして」事を行うこと。
そのことを教えたものと伝わっている。
しかしながら、その礎石は現在においても発見されておらず、郡山城最大の謎となっている。

ではなぜ「一日・一力・一心」とせずに「百万一心」としたんだろう。
「一日・一力・一心」は、倦まずたゆまず、一つずつ着実にといった地道な努力のイメージだ。
一方、「百万一心」は、あらゆるもの(百万のもの)を一点に集中だ。
しかもその一点は、ほかならぬ人の「心」だ。
目指すもの、言葉の勢い、迫力が全然違うのである。

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郡山城跡にある百万一心の碑。この碑は昭和6年に元就墓所境内に建立されたもの。

100万回生きたねこ

このように、百万とは百万という数にこだわるのではなく、想像を絶する多さという意味なのだ。
百万といえば、何といっても絵本「100万回生きたねこ」だ。
「100万回生きたねこ」は次のような話である。

死んでも生き返り、様々な飼い主のもとで100万回生まれ変わった猫がいた。
どの飼い主も猫が好きで、その死の度に嘆き悲しんだが、
猫は自分のことだけが好きで、どの飼い主も嫌いだった。
何度も生き返るので、死ぬ事も特に恐れていなかった。

多くの雌猫たちは100万回生きたことを自慢する彼にすり寄ってきたが、
ある白猫だけはそうではなかった。
彼は白猫のことが気になりはじめ、ついに一緒になる。
白猫はたくさん子猫を産み、彼は初めて自分以外のものである子猫を愛する喜びを知る。

子猫たちは大きくなって独立し、白猫もだんだん年を取り、やがて彼のそばで動かなくなった。
彼は生まれて初めて泣き、昼も夜も100万回泣き続け、
やがて白猫のそばで動かなくなり、もう二度と生き返ることはなかった。

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名作「100万回生きたねこ」(佐野洋子作 講談社)

100万回生きた猫は、本当に生きていたのは最後の1回だけなのだ。
残りの999,999回は形は生きていたけど、本当は生きてなかったのだ。

黒澤明の「生きる」を思い出す。「生きる」という意味。
重陽の3倍もの「陽」を重ねた時間は、生きてなかったのだ。

命は1回だけだから「生きている」のだ。
だから、「今を生きる」ことが大切なのだ。

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えびすだいこく(2023.8)

神楽めし

島根県の石見地方に「神楽めし」というものがある。
神楽めしは、「石見ツーリズムネット」が地元の飲食店等と共同開発した、
石見でしか食べられない「石見グルメ」だ。

神楽めしには、ノドグロやアナゴなどの石見の魚を使った「えびす丼」、
石見ポークや石見和牛などの石見の肉を使った「オロチ丼」、
石見の特産品や郷土料理をアレンジした「大黒めし」、
石見の名産・石州瓦で焼く瓦焼「瓦ぬご縁」、
健康長寿につながる体に良い「鍾馗めし」の5種類がある。

いずれも少々お高いのが玉にキズだが、材料がいいのでし方のないことか。
島根出張が多い小生は、間違いなく愛用者の一人である。

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島根県西部「石見地方定番グルメ」の「石見の神楽めし」パンフレット

今まで食べた中でのおススメは、
石見名物特大アナゴのアナゴ天丼(えびす丼)、
まる姫ポークのソースカツ丼(オロチ丼)かな。

アナゴ天丼はあの島根の大アナゴが丸まま2匹折りたたまれてご飯の上に鎮座する。
ソースカツ丼は薄切りとはいえロースカツが8枚も飯の上に櫓のようにのっかった代物だ。
こじゃれた盛り付けでごまかすんじゃなくて、こういうドカーンとしたの好きなんよね。

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これがオロチ丼(ソースカツ丼)だ。ビジュアルよろし、おなかも満足。
江津市の道の駅「サンピコごうつ」の大黒食堂で食べられる。店の名前も「大黒」だ。

鍾馗・恵比寿・大黒

ところで問題は、この5つのキャラクターのうち、
生き物ではない「瓦」と人型ではない「オロチ」を除いたあとの3人(本当は人ではない)だ。

まず、「鍾馗」だが、なぜここに鍾馗が出てくるかというと、
鍾馗は石見神楽の演目の定番中の定番なのだ。
演目「鍾馗」は、中国の玄宗皇帝が病気になり、毎晩夢に鬼が出てきて苦しめられていた時、
鍾馗が夢に現れてこの鬼を退治するというストーリーだ。

鍾馗は、元々中国の道教系の神で、日本では魔除けの神とされる。
それがなぜ石見神楽かというと、神楽の鍾馗は茅の輪と宝剣で鬼を退治するが、
この茅の輪がミソなのだ。

昔、須佐之男命(スサノオノミコト)が旅の宿を求めた時、貧しい蘇民将来は喜んでもてなした。
数年後、再び須佐之男命は蘇民将来の家を訪れ、
疫病を避けるために茅の輪を腰につけることを教えた。
須佐之男命が去ったあと急に疫病がはやったが、
茅の輪の効力により蘇民将来は疫病から逃れることができた。

日本各地で行われる無病息災を祈願する「茅の輪くぐり」はこの逸話に基づくものだ。
そう、須佐之男命なのだ。鍾馗→茅の輪→須佐之男命なのだ。
須佐之男命は島根県が誇る最大のヒーローだ。
石見神楽のもう一つの定番演目「大蛇」(オロチ)の主役でもある。

後の二人(人?)、どちらも七福神である「えびす」と「大黒」がまた問題だ。
七福神の中で、寿老人と福禄寿と並び、えびすと大黒はセットなのだ。

まず、えびすだが、えびすは七福神の中で異彩を放っている。
なぜなら、彼だけが日本の神だからである。
えびすの出自にはいろいろな説があるが、
イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ヒルコノミコト)か、
大国主命(オオクニヌシノミコト)の子である事代主神(コトシロヌシカミ)とされることが多い。

後者の場合、えびすは大黒の子ということになる。
後述するが、大国主命はすなわち大黒だからだ。
ちなみに、松江の美保神社の祭神は事代主神だが、後にえびすを祀っている。

大黒は、元々ヒンドゥー教のシヴァ神が仏教に取り入れられたものだが、
後に大国主命と習合した。
習合とは、古くからある信仰と新しく来た信仰が、
接触して神々や教義などが合体、融合することである。

なぜ大黒と大国主命が習合したかというと、大国は「だいこく」とも読めるという単純な話だ。
大国主命は、高天原から地に下った国津神の筆頭で、
日本国を創った第一級の神、出雲大社の祭神でもある。

因幡の白兎は古事記に出てくる神話だが、童謡「いなばのしろうさぎ」では、
♪大きな袋を肩にかけ 大黒様が来かかると♪である。
古事記の話なのに、既に大黒様になっている。

えびす・だいこく

出雲大社の祭神で、
国作りや国譲りの舞台の島根で大活躍するヒーロー大国主命(大黒)とその子であるえびすは、
島根では切っても切れない縁があるのだ。

出雲大社と美保神社は「出雲のえびすだいこく」と総称され、
「大社だけでは片参り」と言われ、「両参り」が推奨されているそうである。
島根半島東端のえびす様(美保神社)から西端の大黒様(出雲大社)までを走る
「えびす・だいこく100kmマラソン」というウルトラマラソンまである。

石州瓦の鬼瓦には、素焼きの恵比寿と大黒の顔が付いているものをよく見かける。
これを石州では鬼瓦とはいわず、須山という。
よく見ないと分からないが、烏帽子をかぶっているので頭がとがっているのが恵比寿で、
頭が横に広いのが大黒なのだそうだ。
素焼きの恵比寿・大黒ではなく、大黒を象徴する小槌がレリーフされているものもある。
これを須山小槌付という。

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島根でよく見かける恵比寿・大黒の鬼瓦(須山)。
これは頭がとがっているので恵比寿かな。(瓦中央の素焼きの部分)


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こちらは須山小槌付。
これじゃあ鬼瓦じゃなくて福瓦だね。


恵比寿と大黒はセットだと先に述べた。
恵比寿は漁業の神、大黒は豊穣の神であり、両神とも福の神である。
恵比寿・大黒と揃えば、怖いものなしだ。
この二神がこれほど一体的に、これほど人々の生活に溶け込んでいる地域を知らない。
石州は恵比寿と大黒の国なのだ。

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