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みちのく一人旅(その1):みちのく食紀行(2019.6)

ついに みちのくへ

平成から令和に移る10連休。またとないまとまった休みだ。
「どこかに出かけよう」と妻に言うと、
「腰の具合が悪いので動きたくない。一人で好きな所へ行ってくれば」と言う。
うちの夫婦は(というか奥さんは)「相手のために自分を我慢しない」が原則なのだ。
ならば、前から漠然と行きたいと思っていた岩手に思いきって行くことにした。

行くと決めたら、何はともあれ飛行機の手配だ。
東京のはるか向こうまで新幹線で行きたくない。
広島~仙台便をネットで調べると、連休2日目になんと!1座席だけ空いていた。
即、予約。もう決まった。岩手に行くんだ。

なぜ岩手か。
それは、敬愛する宮沢賢治のふるさと花巻と、
柳田国男の「遠野物語」の舞台の遠野に行ってみたかったのだ。
僕は昔から、感性や好みや志向が賢治と共通・共感するところが多々あり、
賢治が生まれ育ったところを見て、感じてみたかったのだ。
そして、ザシキワラシやカッパなどが棲んでいた遠野、
民俗学の原点となった遠野とはどんなところなのか、この目で見てみたかったのだ。

6泊7日の旅は盛りだくさんだったので、数回に分けてそのお話をしようと思う。
「知らない所へ行ったら、食べたことのないものを食べる」の大原則にのっとり、
まず最初は、「みちのく食紀行」から始めようと思う。

人も樹も青葉の街・杜の都

4月28日、僕は初めて仙台という街に降り立った。
仙台は若者が多い。なので、活気がある。
仙台駅前から広島の本通りのようなアーケード街がずっと続いている。
本通りよりもずっと距離が長い。そこに若者があふれている。
「札仙広福」と言うが、仙台に行って、これはヤバイと思った。
地下鉄のある札幌と福岡が広島を上回っているのは明白で、仙台はどうかと思っていたのだが。

仙台は駅前から繁華街である。
そして長いアーケードを中心にそれが延々と続く。
広島のように駅と繁華街が離れていない。
そして街の中に東北大学と東北学院大学がある。
若者の多さがそれを物語っている。
やはり、大学が街の中にあり、街と空港が軌道系で結ばれていなければだめだ。

そして、仙台という街の大きな魅力は、
広瀬川と青葉城(仙台城跡)だということがよくわかった。
まさに、杜の都だ。いい街だ。街はかくあるべし。

その長いアーケードを食べ物屋やお店を冷かしながら歩いていると、あった、あった。
露店で蒸しホヤを売っている。
広島では絶対見れない、まずは食べれないものだ。

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ホヤは、東京では普通に魚屋で売っている。刺身はコノワタよりも磯の香りが強い。
この蒸しホヤは、旅館の夕食で出た。


今度は八百屋が店舗の外にも台を出して何か売っている。
これは!と思って見てみると、すべて山菜だ。
フキノトウ、タラノメ、コゴミは広島でもあるが、行者ニンニクやコシアブラはあまり見ない。
それに、このウコギだ。
ウコギを売っているのは初めて見た。どうやって食べるんだろう。
後日知ったのだが、東北では「ウコギのほろほろ」という料理があり、春の風物詩のようだ。
これは、ウコギの新芽を茹でて刻み、
これに東北では定番の大根の味噌漬けをみじん切りにしたものと
炒ったクルミをみじんにしたものを混ぜて、ご飯にのせたりして食べるのだ。

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上段中央:行者ニンニクとタラノメ、下段中央:大根の味噌漬けとウコギ

そして、仙台といえば、牛タン。
これはテールスープと麦飯の3点セットがお約束だ。
そして、牛タンの付け合わせには青菜の塩漬けと青唐辛子の味噌漬け、
テールスープにはたっぷりの細切り白ネギがこれもお約束だ。
これで2千円弱。高いが美味い。美味いが高い。
しかし、テールスープのテールには肉がたっぷりついている。

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普通の感覚なら、付け合わせは千切りキャベツとなるところだが、菜物の塩漬けと青辛子の味噌漬けというところに東北を感じる。

岩手三大麺

岩手には三大麺といわれる麺がある。
すなわち、わんこそば、岩手冷麺、じゃじゃ麺である。
実はこれが目的で岩手に行ったと言われても仕方がない。

わんこそばは、ソバを入れる大きめのお椀とツユ、それにいろいろな薬味というか具というか
―ネギや海苔はもちろん、とろろ、なめこおろし、イクラ、山菜、漬物、はては天ぷらや刺身などなど―
がのったお膳がまず運ばれてきて、
次に例の小さいわんこに盛られたソバがお盆にのって出てくる。
1枚のお盆には、わんこが24~30杯のっていて、まずはこれが2枚出てくる。
大きめのお椀にツユを入れ、わんこのソバと薬味を放り込んで一口で食べる。これを繰り返す。
食べ放題の店だと、後ろに立ったおねえさんが食べた端からわんこにソバをどんどん放り込む。
ギブアップの時は、ツユの入ったお椀に蓋をするのがお約束だ。

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せっかちな僕が1時間行列に並んだ成果。これはインスタ映えする。

岩手冷麺は、いわゆる焼肉屋で食べる冷麺と同じものだ。
しかし、名物と言われると、普通の冷麺と比べ、何やらスープが深く、美味く感じてしまう。

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キムチによって適度に辛みがつく。スープが深い。

そして、特筆すべきは、じゃじゃ麺である。
これは中華料理でいう炸醤麺とはまったく異なるものだ。
まず、麺が独特である。
少し縮れて太くコシがあり、温かい。見た目はうどんのようだが、全く違うものだ。
そして、曲者は上に乗る肉みそである。
甜面醤の味ではない。
何とも形容しがたく、小生ともあろうものが、食べても材料やレシピが分からない。
肉みその下にはキュウリと白ネギ、皿の縁には薬味のおろしショウガと紅ショウガ(刻んでない1枚もの)。
これをよくかき混ぜて食べるのだが、最後のお楽しみが「チータンタン」である。

「チータンタン」とは「白卵湯」で、略して「チータン」という。
「チータン」を食べるのには独自のお約束がある。
まず、麺を一口だけ残し、カウンターの入れ物に入っている生卵を丼に「勝手に」割入れてかき混ぜ、
箸を添えて「お願いします」とカウンターのおばちゃんに差し出す。
おばちゃんはそれに少しの肉みそを加え、添えられた客の箸で卵と肉みそをさらにかき混ぜ、
それに熱い麺のゆで汁をお玉一杯注ぎ、客に返す。
これが「チータン」である。

早い話が肉みその残り汁で作るかき玉汁である。
広島で、汁なし担々麺の残り汁にご飯を入れるようなもんだ。
「チータン」を食べないと、確かにじゃじゃ麺を食べたような気がしない。

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現地の相場は600円。見た目は地味だけど、これがなかなかどうして・・・

岩手の三大麺を食べて、わが広島のことを考えた。
広島の三大麺って何だろう。
少なくとも、うどんとソバは入らない。
トンコツ醤油の広島ラーメンもあるが、九州ラーメンや札幌ラーメンほどのインパクトはない。
最近は影が薄いがラー油の効いた広島風つけ麺と汁なし担々麺、
そして「麺」と言われると少し苦しいが、やはりお好み焼きだろうか。

何につけ、オリジナリティというものは大切で素晴らしいものだ。
それは、その地域の人が独自にあみ出し、育んできたものだからだ。
僕は、そういうものが、とても好きだ。

次回は、つわものどもが夢の跡―平泉のお話をしたいと思う。

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すぐれたなごみ(2019.5)

テレビが劣化している

4月になって新年度が始まり、色々なものが新しく衣替えをして始まった。
特に、冬がシーズンオフのものは、その感が強い。
その最たるものが、プロ野球である。
「球春」という言葉もあるくらいだ。
カープファンとしては、待ちに待った春だ。
そのシーズンオフ、すなわち冬の間に気がついたことがある。
それは、「テレビが劣化している」という事である。

シーズン中は、移動日以外は野球中継がある。
今時は、広島ではジャイアンツの放送はなくても、カープの放送はほぼ毎日あるのだ。
しかし、シーズンオフの間は、夕方から夜にかけてのゴールデンタイムを
ほぼ毎日何かの番組で埋め合わせなければならない。
野球が始まり、やっとあの騒々しいだけのバカ番組から解放される。

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待ちに待った野球シーズンだ。
やっとあの騒々しいだけのバカ番組から解放される。


秋の終わりから春の初めの間は、どのチャンネルも毎日毎日バラエティー番組だ。
お笑い、クイズ、紀行もの、ジャンルは様々だけど、
どれもこれもスタジオの雛段に芸人を並べてのスペシャル番組だ。
雛段に並ぶ芸人も、お笑い芸人を中心に、またあいつかという輩が多い。

これは、ものすごく安直な番組の作り方だ。
テレビ局は自分で自分の首を絞めている。
お笑いのバラエティー番組でも、昔の「俺たちひょうきん族」などは、
出演者はもとよりプロデューサー自体が芸達者で、
番組制作にかかわる人みんなが面白がって番組を作っていた。
こんな番組が面白くない訳がない。
が、今は、ない。

そして、ドラマの劣化が著しい。
昨今のテレビドラマで、名前が残るようなドラマがあるだろうか。

逆に、改めてNHKの番組のすごさが分かる。
NHKの番組には、この1本の番組を作るために、
どのくらい企画を練り、構成を考え、どのくらい取材して、どのくらい撮影したのか
と思わず考える番組が多い。
そういう番組を見ると、画面には出てこないが、
プロデューサーをはじめとする制作に携わった人の熱意と誠意と努力が感じられ、
その人たちに思いをはせる。

でも、これは、仕方がないことと言えば、仕方がないことだ。
NHKは資金力が違うし、受信料が計算できる。
スポンサーに気を使い、必要以上に視聴率に縛られることもない。
民放の基盤と言える地上波テレビの広告費は減少を続け、
増加を続けるインターネットの広告費に、今やほぼ同額まで迫られているのである。

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2018年のインターネットの広告費は、前年比116.5%と5年連続で2桁成長となっている。
一方、地上波テレビの広告費は減少傾向にあり、2018年はインターネットの広告費とほぼ同額となっている。
資料:電通.2018年 日本の広告費


テレビが溶けていく

前から思っていることがある。
それは、みんなそんなにテレビを見る時間があるのだろうか、という事である。
普通のサラリーマンなら、テレビを見るのは平日は夕食から寝るまでのほんの数時間だろう。
休日といったって、それぞれそれなりにやることや行くところがあり、
日がら一日中テレビを見ているわけではないだろう。
昔と違って、今は働く女性も多い。

まあ、休日に撮りためたビデオや映画をのんびり見る事もあるかもしれないが、
それとて休日はいつもそうではないだろう。
WOWOWや有料チャンネルなど好きで見る人もあるとは思うが、
多くの人はそんなにテレビを見る時間はないのではないかと思うのである。

そして、スマホである。電車やバスでどれだけの人が下を向いて固まっているのだろう。
多分、家に帰っても、食事の時もずっとスマホを傍らに置いて、
着信があれば指を動かしでいるのだろう。

子どもたちは、自分の部屋で、
今やなくてはならない体の一部となったスマホと絡み合って家での時間を過ごす。
(小生は日本人が劣化していると思えてならない。いつ、本を読むのか)
いつ、テレビを見るのか。

そして、ここのところずっと話題になり、その結末に注目が集まっていたのが、
NHKのテレビ番組のスマホ視聴に受信料を取ることの是非である。
政府はさる3月に、
NHKによるテレビ番組のインターネット常時同時配信を認める放送法改正案を閣議決定した。
これは、受信料を支払っている人であれば、
ネット視聴のための追加負担は求めないということである。

しかし、これは、もし家にテレビがなくても、
スマホなどのネット環境があるだけで受信料を請求されるということなのだ。
テレビとスマホの境はますます曖昧になっていく。

ここ数年、出張でビジネスホテルに泊まると、テレビはすぐには見られない。
テレビのコントローラーの「電源」ボタンを入れると、まず、ホテルの案内などの画面になる。
知らないうちは、思わず部屋に置かれた「コントローラーの使い方」のカードを見る事になる。
最近テレビを買われた方は良く分かっておられると思うが、
「電源」の後に「地デジ」のボタンを押さなければならないのだ。
これまでのテレビは端的に言えば、「地デジ」(やBS・CS)を見るためのものだった。

今時のテレビは、番組視聴はテレビの一部の機能であって、
テレビはインターネットに接続して映像コンテンツを楽しむものなのだ。
小生の息子は、家にいる時はテレビはYou Tubeに接続し、ずっと音楽付きの画像を流している。
特に画面を見るわけでもなく、早い話が画像付きBGMだ。
番組を見るというテレビの使い方が、どんどん変わってきている。
テレビが溶解し始めている。

自動車も溶けて・・・

液晶だ、プラズマだと言っているうちに、東芝が、日立が、テレビから撤退した。
(日立ほど黒がきれいなテレビはないと思っていたのに残念だ)
そうこうしているうちに、今度は有機ELだ、4Kだ、8Kだ、AMはやめてFMだ、
基幹の通信技術では5Gだなどといっている。
ほんのここ10年の話だ。
テレビというものはどうなるんだろう。

テレビだけじゃない。
例えば、自動車というものはどうなるんだろ。
いかにレシプロエンジンが車の正統であろうと、
低炭素社会の潮流の中で電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)の流れは抗いようがない。
イノベーションの潮流の中で、自動車安全技術・自動運転技術の流れは抗いようがない。

そして、それらの技術開発には巨大な資金力と技術力が必要で、
とても一つのメーカーで対応できるものではない。
一方、需要側を見てみると、カーシェアリングの流れが大きな流れになるように見える。
それはすなわち、自動車を持つ人が減少することを意味する。
そしてそれは、自動車業界とIT業界が溶けあっていくようにも見える。

20世紀を席巻した自動車産業は、
21世紀はGAFA(グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェースブック( Facebook)、アマゾン(Amazon))
のIT産業にとってかわられるのかもしれない。
いや、溶け合って、また別の物が生まれるのかもしれない。

優れた和み

4月になって新年度が始まり、今月から年号も新しく衣替えをして始まった。

 初春の令月にして 気よく風和らぎ

人間がこれまでつくり出したいろいろなものが、その垣根を超えて溶け合い、
融合して人々の日々の幸せにつながる新たなものを生み出していけるのなら、
こんな素晴らしいことはない。

来るべき時代が、どうか、
すぐれたなごみ-令和-でありますように。

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卒業(2019.4)

やあ、暗闇くん。僕の古い友だち

やあ、暗闇くん。僕の古い友だち。
また君と話しに来たよ。
だって、僕に忍び寄ってきたそいつは、
僕が寝てる間にかけらを残して僕の中に潜んだまま、
未だ静寂の音の中に潜んでいるんだ。

僕らの世代には懐かしい、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
聞き慣れたギターのアルペジオとともに、♪Hello darkness, my old friend~と歌い始める。

何とも哲学的な歌詞だ。
いや、歌詞以前に曲のタイトルだ。
「静寂の音」なんて、仏教でいう「不二」そのものである。
「不二」とは、例えば生と死、有と無など、
互いに相反する二つのものは別々にあるのではなく、一つのものであるという教えである。

ところで、「サウンド・オブ・サイレンス」といえば、
これはもう、映画「卒業」である(映画のテーマ曲である)。

ダスティン・ホフマンが「エレーン!」と叫びながら、
教会で結婚式を挙げている花嫁(キャサリン・ロス)を略奪する最後のシーンは、
アメリカン・ニューシネマを象徴する名シーンである。
ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンは、
この時初めて一人の男としてそれまでの自分を「卒業」するのである。

ダスティン・ホフマンは、この「卒業」がほぼ最初の出演映画だ。
僕は、昔から彼が非常に好きで、
その演技力の高さと背の低さ(167cm)がとてもナイスだ。
余談だけど、僕は、ダスティン・ホフマンとアル・パチーノはとてもよく似ていると思うのだけど。

心にしみる

前置きが長くなったけど、つい先日まで「卒業」の季節だった。
卒業式の歌と言えば、僕たちの頃は小学校からずっと「仰げば尊し」だった。
これしかなかった。

ところが、昨今は、「旅立ちの日に」である。
この曲は埼玉県秩父市の中学校の先生たちが作った合唱曲で、
今時の卒業式の定番ソングになっている。
聞いてみると、これは確かにいい曲だ。
他にも、海援隊の「贈る言葉」なども実際の卒業式で歌われているという。

近頃では「卒業ソング」というジャンルがあり、
この時期には様々な「卒業ソング」のランキング等が発表されている。
「卒業ソング」を眺めていると、ひとつの傾向があると思う。
卒業には一般論として小・中・高・大学校があるが、
歌の中心となっているのは中学校だと思うのである。

先の「旅立ちの日に」も中学校の先生によるものだが、
アンジェラ・アキの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」(これもいい曲だ)や
尾崎豊の「卒業」なども中学卒業のことを歌っている。
中学生から高校生へという二度と戻ってこない多感な思春期のど真ん中で、
未来に向かっての別れが彩られるのは、よく理解できる。
だから、心にしみる曲が多いのだ。

「卒業ソング」というジャンルの中には、卒業式で歌うことは多分ないけれど、
別れや旅立ちをテーマにした曲が多い。
長淵剛「乾杯」、荒井由実「卒業写真」、赤い鳥「翼をください」、中島みゆき「時代」、
森山直太朗「さくら」、イルカ「なごり雪」、柏原芳恵「春なのに」などなど。
みんないい曲ばかりだ。
どれも心に引っかかってくる。

これは、春という季節が、
冬から目ざめ、光にあふれ、花が咲き、暖かさに包まれ、希望に満ちた季節であるとともに、
必然的に訪れてくる別れというやるせない季節であることがその背景にあると思う。
上記の最後の2曲、「なごり雪」と「春なのに」はまさにそれを歌っている。

特に、僕の場合、「春なのに」だ。
この歌の歌詞はごくありふれたものなのだが、
なぜか我が身に焼き付けられる部分が多く、何でだろうと思っていた。
実はこの曲は、中島みゆきの作詞・作曲なのだ。
どうりでねと、納得したものだ。

卒業式の記憶

卒業式というものは、子どもより親のためにあるように思えてならない。
自分の卒業式など何も覚えていないのに。
子どもの卒業式には幼稚園の卒園式から始まり、妻が必ず行った。
幼稚園の卒園式で、子どもは一人も泣いていないのに、
新任の若い男の先生(保育士)が一人で泣いていたとか、
自分は行かなかったが、いつも妻から式の様子は逐一聞いた。

ただ、次男の場合は、中高が小生の出身校だったため、
高校の卒業式は妻ではなく、小生一人で自ら希望して行った。
当校の卒業式には、卒業生が式の途中で「ちょっと待った!」と注文をつける有名なイベントがあり、
それを見たかったこともある(小生の頃にはなかった)。

小生はというと、来し方を振り返って卒業式のことを思い出してみようとするのだけど、
これがほとんど思い出がない。
小学校の卒業式のことは遠い遠い忘却の彼方で、全く覚えていない。
中学校は、中高一貫校だったので、これもほとんど卒業式をしたという記憶がない。
高校は、大学受験(当時は押し迫って二期校もあった)と予備校受験で
3月末まで右往左往しているうちに同級生とはバラバラとなり、
これも卒業式をやったという記憶がほとんどない。
大学は大学で、1年余分にやった関係で同級生はほとんどいない卒業式など全く行く気もせず、
これも卒業式に行った記憶がない。

しかし、当然と言えば当然だが、なぜか卒業証書はすべてあり、
いつどのようにしてもらったか、すべての学校で全く記憶がないからひどいものである。

卒業証書はただの紙ではない

まだ昭和だった頃(なんと、今日で平成も終わる)、
伝統和紙を地場産業にもつ地方都市で、「手づくり卒業証書」に取り組む自治体があった。
子どもたち自らが体験学習で工房で和紙を漉き、
自分で漉いた和紙で卒業証書を作るというものである。

まちづくりの仕事をやっていた僕も、いくつかのまちで提案した。
自分で作った、自分だけの、どこにもないオンリーワンの卒業証書。
卒業証書は賞状ではない。
「ナンバーワンよりオンリーワン」なのだ。

数年前、出前授業で広島市の小学校に伺った際、
校長先生と話をしていて、千羽鶴で作った卒業証書の話を聞いた。
広島の平和公園の「原爆の子の像」などにささげられる千羽鶴は毎年約10tにものぼり、
そしてそれは2000年までは「ごみ」として焼却処分されていたという現実を、
広島市民でさえ認識している人は少ない。

誰が悪いのでもない。
仕方のないことではあるが、
世界中の人の祈りや善意の塊である折り鶴の末路がこれでは、
何ともやるせない話である。
このことが報道されて世論が高まり、広島市は以後、折り鶴を「永久保存」することとしたのである。

しかし、毎年約10tのものが積み上がっていくのである。どうするんだろう?
このような現実に問題意識をもった人が設立したのが「NPOおりづる広島」である。
「NPOおりづる広島」は、「おりづる再生プロジェクト」を立ち上げ、
折り鶴を回収し、授産施設の協力により「おりづる再生紙」としてリサイクルし、
ハガキや名刺等の製品作る活動を展開している。

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平和公園の「原爆の子の像」と折り鶴収納ケース(後方)

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折り鶴収納ケースの中には、もはやタペストリーというべき折り鶴で作られた作品がぎっしり詰まっている。

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広島市職員の名刺は、おりづる再生紙の名刺だ。
おりづるのロゴと共に「この名刺は平和記念公園の『原爆の子の像』に捧げられた折り鶴の再生紙「おりひめ」を使用しています」とある。


さて、最初の話に戻ろう。
このような中、広島市では、2015年から
「本市で育った園児児童生徒が、卒園・卒業の節目に、平和と希望の象徴であるヒロシマに捧げられた折り鶴を再生した卒園証書・卒業証書を手にすることにより、改めて、世界の人々の平和への思いや願いを共有し、そして継承していくとともに、郷土広島への愛着や誇りを一層強くすることが期待できる」
として、全ての市立幼稚園・小学校・中学校・高校・特別支援学校で
折り鶴を再生した卒園証書・卒業証書を授与することとしたのだ。

仙台では2017年、東日本大震災からの復興を祈って仙台市の小中学生が作り、
仙台七夕まつりで飾り付けられた折り鶴から作られた卒業証書が
市内の中学校の卒業式で卒業生に手渡されたそうだ。
この折り鶴の再生紙は、同市出身の羽生結弦選手への市特別表彰にも使われたそうである。

通り過ぎていったこと

「卒業」とは、ある段階や時期を「通り過ぎる」ことだ。
卒業証書は、そのひとつの証だ。
「通り過ぎる」とは、必ずしもステップアップとは限らない。
時がいかように通り過ぎようとも、暗闇は僕の古い友だちで、それはこれからも変わらない。
ただ、通り過ぎていったことは、経験と記憶として残る。

あと何度自分自身卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう
(中略)
この支配からの卒業
闘いからの卒業

  ~尾崎豊「卒業」より~

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ゆかいなことを いっそうゆかいに(2019.3)

井上ひさしが教えてくれた

年度末がやってきた。
仕事に追い立てられながらも今年度の仕事をふりかえってみる。
やはり、やった感があるのは小中学校に行って出前授業を行う「再生可能エネルギー教室」だ。
早いもので、今年度でもう9年目になる。

今年は新しい展開があった。
小学校の放課後児童クラブでの教室が今年度から始まったのだ。
この話があった時に、これは困ったことになったと思った。
小学校の放課後児童クラブというのは、基本的に小学1~3年生なのである。

研修やワークショップなどの講演者やファシリテーターというものは、
場数を踏み、慣れてしまえばそんなに難しいものではない。
慣れてしまうと逆に、
今日はどんなジョークで笑いを取ろうかなどとつまらない下心さえ芽生えてくる。
それは大人が対象だからだ。
ところが、相手が子ども、それも小学校低学年になると途端に難しくなる。

人前で話すのが好きで、自分は専門知識が豊富だと思っている人ほど面白くない話になる。
以前、某大学教授が
小学校の出前授業で悲惨な状況になったのを目の当たりにしたことがある。
講演やファシリテートは年齢が下がるほど難しくなるのである。
子どもの気持ちになり、子どもの目線で話し、子どもと一緒に盛り上がっていく必要があるのだ。
さあ、どうするか。
そこで思い出したのが、井上ひさしの名言である。
すなわち、

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」

さすが井上ひさしだ。
何というすごいコピーだ。
こんなことを考えて言葉に―それもリズムにのって展開していく言葉に―することができるなんて。
最後の「ゆかいなことをいっそうゆかいに」では唯一「いっそう」という副詞がついている。
このことによって、楽曲がトニックで終結するように、すっとおさめているとこなんか、ニクイ。

「むずかしいことをやさしく~」は、実際にやろうとすると、どれもこれも難しい。
そして、実際にやるためには、実は、多くの知識と、センスと、
そして何より「おもしろがる心」が必要だと思うのだ。
たとえば、「再生可能エネルギー教室」で考えてみる。

むずかしいことをやさしく

発電の原理は、電磁誘導である。
電磁誘導の原理は、磁界が変化するとコイルに電気が流れるというものだが、
小学生には難しい。
なぜ難しいか。
一番の原因は、磁界も電流も見えないからだ。
しかも、磁界だの電流だの言葉が難しい。
先生の話を聞いても何も分からない。
見えないものや触れないものは、イメージや概念を形成することができない。

ここに巣を守っている見張役の魚と侵入者の魚がいるとする。
侵入者が近づいて来たら見張役は侵入者に反発し、追い払おうとする(A)。
ところで、魚にはNとSの性質があり、NとN、SとS同士は反発し、NとSは吸着するとする。

Aの場合、
見張役は侵入者を追い払うために侵入者と同じ性質(N)になって反発しようとする。
侵入者は磁石で、見張役はただの電線(コイル)である。
しかし、電線は追い払うためにNになる(磁界をつくる)のである。
この時、だだの電線が電磁石になるのである。
そして、磁界をつくり出すために、SからNに電気が流れるのである。

では、Bはどうか。
侵入者は相手が強いとみて遠ざかる。
相手が弱いとみた見張役は、
今度は逆に侵入者を引き込むために異なる性質(S)になって吸着しようとする。
この時、上記と同様に、SからNに電気が流れるのである。

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やさしいことをふかく

電線(コイル)の中で磁石を動かせば(回せば)、コイルに電気が起こる。
発電とは、要は何かの力で磁石を取り付けた軸を回せばいいのだ。
ここまでくれば、小学生でも具体的にイメージできる「やさしいこと」になる。
水の力で回る水車。風の力で回る風車。
それが再生可能エネルギーだ。
太陽光はちょっと難しいけどね。

ところで、川の水はどうして流れるんだろう?川の水はどこから来たんだろう?
この問いは、小学生でも答えることが可能だ。
川の水が流れるのは雨が降ったから。
じゃあ、雨はどこから来るんだろう?
雲から来る。
じゃあ、雲はどうしてできるんだろう?
海の水が太陽で温められてできる。
じゃあ、風はどうして吹くんだろう?
(太陽で海の水が温められて)雲ができたり、太陽での温まり方が陸と海では違うから風が吹く。

じゃあ、石油や石炭のエネルギーはどこから来たんだろう?
石油や石炭は昔の植物などの生きものだ。
昔の植物はどうやって大きくなったんだろう?
太陽の力で光合成をして大きくなった。

そう、太陽光発電はもとより、水力発電も風力発電も火力発電も、
エネルギーの元をたどっていけば、みんな太陽にいきつく。
この地球にいる限り、すべてのエネルギーの源は太陽なんだ。
これは、子どもたちに気づいてほしい自然の大きな大きなしくみなのだ。
そしてそれは、深い深いことなのだ。

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ふかいことをおもしろく

再生可能エネルギーがいいって言うけど、ほんとにそうかな。
だって、夜は太陽は出ないじゃないか。
一日の半分は太陽光発電はできないっていうことだ。
残念!

ところで、何で昼と夜があるんだろう。
・・・そう、地球は回っているからだ。
一日かけて自分で回っているから、昼と夜があるんだ。

まてよ、でも太陽はいつもある。
いつも太陽が照っている場所に行けば、ずっと太陽光発電ができるんじゃないか?
じゃあ、いつも太陽が照っている場所―昼と夜がない場所―はどこにあるんだろう?
昼と夜ができるのは地球が回っているからなら、
地球の外に行けば、昼と夜がない場所、
すなわちいつも太陽が照っている場所があるんじゃないか。
地球の外に出ればいいんだ。

地球の外で太陽光発電―宇宙太陽光発電。
既にJAXAやNASAが研究を初めてるんだよ。
地球の外で発電するなんて、宇宙で発電するなんて、面白いじゃないか。
ワクワクするねえ。

おもしろいことをまじめに

しかし、ちょっと考えてみよう。
宇宙太陽光発電って、メガソーラーだろうな。
多分相当コストがかかるだろうから、大規模なものになるだろうな。
どのくらい太陽光パネルがいるんだろう。
相当な枚数だろうな。

ちょっと待てよ、宇宙に運んでいかなきゃいけないんだろ。
多分ロケットで打ち上げるんだろうけど、そんなに太陽光パネルが積めるのかな。
ロケットってほとんどが燃料タンクで、貨物を載せるスペースってすごく狭いんだろう。

また、仮にそれなりに積めたとして、
宇宙空間でどうやって太陽光パネルを広げるのかな。
話によれば、宇宙太陽光パネルは、1辺が数kmあるそうだ。
まさか宇宙飛行士が何キロも宇宙遊泳して作業するわけじゃないだろう・・・

と、ことほど左様に「おもしろいことをまじめに」考えれば、次から次へと壁にぶつかっていく。
ひとつの新しい技術の背後には、たくさんの関連技術がある。
それらを一つひとつ解決していかなければ新しい技術は生まれない。
そのはるかな道のりにくじけそうになる。
やっとられんぜ。

まじめなことをゆかいに そして・・・

そこで求められるのが、「あそび心」だ。
山高く、道険しければ、まじめに考えるとやっとられんが、
ゆかいに考えるとやる気も出てくる。
「あそび心」とは、「おもしろがる心」だ。

突然だが、僕は、赤塚不二夫を昔からとても尊敬している。
実は赤塚不二夫こそバカボンのパパなのだ。
なぜバカボンのパパがすばらしいか、なぜ赤塚不二夫がすばらしいかというと、
それは、いつも「おもしろがる心」を持っているからだ。
そしてそれは、とてもピュア―な心だ。

実は、そのものズバリ「井上ひさし×赤塚不二夫の笑劇場」という本があるのだ。
その昔「オール読物」に連載されていた幻の名作が単行本となって数年前に出た。
井上ひさしが書いたコントに赤塚不二夫がマンガを描いたという、
もうそれだけでハチャメチャなトンデモ本であることは想像に難くない。

落ち着くところは、そう、「ゆかいなことをいっそうゆかいに」

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河出書房新社より2015年に発行

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ボヘミアン・ラプソディ(2019.2)

愚息からの伝言

先日、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の興行収入が、
今年度唯一100億円を超えたことが報道された。
「ボヘミアン・ラプソディ」は、小生も見に行って衝撃を受けた。

そもそもは、バンドをやっている大学生の愚息が、
「自分は感動して2回も見た。母さんも是非見に行ったほうがいい」と言ったというので、
夫婦で見に行ったのだ。
高校の同級生をはじめ多くの友人が、SNSで「泣けた」「感動した」と言っているが、
小生も全く同感である。

エイズで亡くなるフレディー・マーキュリーを主人公にその葛藤とバンドの成長を描き、
ストーリーの最後の山場を大規模野外コンサートの「ライブ・エイド」にもっていく。
このライブ・エイドのシーンが圧巻で、圧倒的な迫力と訴求力で迫って来る。

小生から言わせれば、
最初から最後まで早弾きやラウドな一本調子の「動」ばかりのヘビメタ系をやっている愚息が、
ボヘミアン・ラプソディという懐メロ・ロックに興味を示し、
そして、ボヘミアン・ラプソディのようなバラードから入る曲に心を動かされたということが、
少しの驚きとともに、嬉しかった。
ロックという音楽が、歴史を積み重ねるようになったんだなと思った。

あの頃

クイーンがボヘミアン・ラプソディを発表したのは1975年(昭和50年)、
ライブ・エイドが1985年(昭和60年)である。
昭和50年はカープが初優勝した年で、小生が高校を卒業した翌年である。
昭和60年はバブル経済の真っただ中で、小生は狂乱の東京にいた。

1970年代は、まさにロックが極まった時代で、
ディープ・パープルからレッド・ツェッペリンで頂点を迎え、
その後、ロックはメタルやパンク、プログレに分化していった(と小生は考えている)。

今も昔も、ロックバンドと言えばリードギターに注目が集まるが、
小生はロックバンドの訴求力はボーカルが持つと強く思っている。

当時のロックのボーカルと言えば、
ディープ・パープルのイアン・ギランとクイーンのフレディー・マーキュリーが双璧で、
(と小生は考えている)
絶叫型のイアン・ギランに対し、フレディー・マーキュリーは音域が広く、高音が伸びた。

しかし、当時のクイーンの印象は、
ブリティッシュ・ロックのロック・オペラというステレオタイプな認識しかなかった。
ボヘミアン・ラプソディは、出だしは抒情的だが、
突然早回しのテープのようなオペラ(と称するもの)が始まり、
ギンギンのハード・ロックになだれ込む、よーわからん曲という記憶だ。

しかし、今回映画を見て、ボヘミアン・ラプソディを何十年ぶりかに聞いてみて、
とても印象深いよく作られた曲だと感じた。
これは、映画の持つ威力だ。

売れないバンドが車を売ってスタジオを手に入れ、
そこで常識外れのダビングを重ねてボヘミアン・ラプソディを完成させる。
6分超という長尺の曲はレコード会社に拒絶されるが、
知り合いのDJのラジオ放送から火が付き大ヒットとなる。
その辺の経緯を映画は事細かく語る。

ガールフレンドとの別れ、同性愛、そしてエイズ感染・・・
やがてビックになった彼らから、フレディー・マーキュリーは一本釣されそうになり、
彼らの間には隙間風が吹き始める。
だが、ライブ・エイドがそれを救う。

そして、ハイライトのライブ・エイドでのボヘミアン・ラプソディになだれこむ。
うねるようなライブの熱気がそのまま直撃する。
これは、作られた映画なのに。
そして、みんな知っているのだ。
その後、フレディー・マーキュリーがどうなったかを。
鼻の奥がツンとする。
不覚にも・・・

歴史は少しずつ創られる

フレディー・マーキュリーは45歳で亡くなってしまったけど、
クイーンのギタリストのブライアン・メイはまだ現役である。
先のイアン・ギランもまだ現役である。

ポール・マッカートニーは昨年秋に日本公演を行ったし、
リンゴ・スターは来月、広島にもやって来る。
不良老人の典型のミック・ジャガーは、73歳にして子供を作った。
みんな70代の老人である。

しかるに、わが国のミュージシャンはどうか。
わが国でのロックの歩みは、グループサウンズの歩みである。
しかるに、当時のグループサウンズのメンバーで、
今も(芸能活動ではなく)音楽活動をしている人はいるだろうか。
あえて挙げれば、沢田研二ぐらいだろうか。

わが国の高齢のミュージシャンといえば、84歳の小澤征爾、82歳の北島三郎あたりが筆頭だろう。
残念ながら、いわゆるJ-POPには見当たらない。
「芸能界」という業界が、わが国ではまだ上滑りで、
ミュージシャンとして十分根を張っていなかったのだと思う。

しかし、シンガーソングライターの出現により「歌謡曲」というカテゴリーが溶解し、
ここ半世紀は様々なかたちが生まれているように思う。
それを積み重ねていくことにより、ライブ・エイドのような伝説や絵になるシーンが生まれ、
少しずつ歴史が創られていくのだろう。

琴線に触れる

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、見終わった後、何か心に少し痛みのある傷のようなものを残す。
それは、苦しいものではないのだが、せつなさを伴ってじわっと感じてくる。
見終わった後、これと同じような感覚を持たせるのが「この世界の片隅に」である。
小生の知り合いがそれを「低温やけど」と言ったが、まさに言い得て妙である。

何かの事象が起きて明らかな傷ができたのではなく、
全体の結果として、じわじわと感傷的な痛みがしみじみと心に広がるのである。
その痛みは普段は感じないことが多いが、ふとしたことで現れて、しみるのである。
そういうものは、心に残る。

「琴線に触れる」とは、そういうことなのだろう。

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