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畳がもたらしたもの(2022.5)

宴会は座敷に限る

なんと、4月29日は「畳の日」だそうである。
以前は「みどりの日」だった4月29日を
イ草の緑色に因んで「全国畳産業振興会」が制定したそうである。
今月はその畳の日に因んで、畳の話をお話しようと思う。

ところで、洋風の宴会はどうも好きじゃない。
食べ物の問題じゃなくて、席の問題だ。
なぜなら、椅子によって席が固定されてしまって、自由に動けないから。
宴会に招かれた時、結婚披露宴のように厳格に席が決まってない時、
隣に誰が座るか気をもむのは誰もが経験することだと思う。

立食じゃない椅子席だと、宴会が始まってから終わりまで、隣の人は原則固定されてしまう。
あまり得意じゃない人に隣に座られると、「あ~あ」である。

その点、居酒屋などの和風の宴会はいい。
最初席が決まっていたとしても、
宴が盛り上がってくればあちこちでグラス(と箸と皿)を持って移動が始まる。
話したい人の横に座ってお酌し合って話をして、後はみんな花から花へとめぐる蝶と化す。
それを可能にしているのは畳だ。
どこでも自由に座れて、好きな場所で2,3人で輪を作ることもできる。
横になることもできる。
すべて畳の力なのだ。

敬愛する宮本常一の本を読んでいて、目からうろこが落ちた。
それは畳と食べものについての話だった。

自分だけのテーブルと食器

テーブルと椅子での食事では、それなりの格式のコース料理は別として、
料理は前菜、スープ、肉料理、魚料理、デザートなど
決められた順に大皿に盛り付けてテーブルまで運び、都度銘々が取り分ける。
中華料理はその最たるものである。

ところが、畳に座っての食事では、
大皿に盛り付けてこられ、それを銘々が取り分けるということは、
立ったり座ったりを伴い現実的ではない。
そこで作った料理を予めテーブルに並べておくということになる。
旅館での食事や畳の宴会場での宴会がその最たるものである。
では、昔はどうだったか。
それは「箱膳」である。

箱膳はパーソナルユースの食器セットである。
箱膳は、一人分の碗や皿や箸を四角い木箱に収めたもので、
使うときは蓋を裏返しにして箱の上に載せ、
そこに入っている食器を並べて料理を盛り付ける。
料理は基本的にお代りなしの食べきりである。
旅館での食事がご飯以外のおかずは食べきりであるように。

食事が済んだら食器を洗って箱に入れて蓋をして保管する。
昔の日本は貧しく質素で、飯碗と汁椀と皿。まさに一汁一菜の箱膳だった。
箱膳は昭和初期まで使われていたようだが、
それが消滅したのは卓袱台(「巨人の星」で星一徹がひっくり返したあれ)
の出現によると言われている。

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箱膳。ごちそうさまをしたら、食器は各自で洗って箱の中に入れ、蓋を閉める。

恐るべき幕の内

宮本常一の眼力が鋭いのは、この箱膳の名残・進化が「幕の内」だというのだ。
これには目からうろこがぼろっと落ちた。
いろんなものを少しずつコンパクトに、
一人の食べきりサイズでまとめてあるのが幕の内である。
まさに箱膳の進化形だ。

そこでお弁当というものを考えてみた。
畳の文化がない欧米での弁当に当たるものは何か考えてみた。

まず思い当たるのはランチボックスである。
たとえばハイキングに行く。バスケットの中から出てくるのは、おにぎりではない。
丸いままのパンにチーズ、あとはローストビーフとか、そしてワイン。
イギリスならフィッシュ&チップスかな。地域によってはサンドウィッチもあるかもしれない。
近年ならハンバーガーやホットドックといったところだろうか。
この手の洋物のファーストフードは、主食のパンに「おかず」の肉や野菜を挟んだものである。

これらに比べ、幕の内にぎゅうっと凝縮された日本のお弁当の美しさ、多様性、複雑さはどうだ。
幕の内は、日本の食文化がたどりついた驚くべき凝縮である。

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幕の内にはいろんなおかずが少しずつ入っているからいいよね。
出張先のビジネスホテルでの夕食の友。

食卓進化論

さて、宮本常一によれば、箱膳が進化して幕の内になったと前に書いたが、
小生はその間にもう二段階あるんじゃないかと思っている。
それは、「懐石」と「松花堂」である。

懐石は茶の湯の食事であり、一汁三菜で構成される。
三菜とは、向付(即ち刺身)、煮物、焼き物である。
茶懐石では、最初に出されるのは飯と汁と向付で、
三菜のうち煮物、焼き物は後から提供される。

懐石は、天正年間にその形ができたと言われているが、
基本的に箱膳の形から始まり、
茶の湯の精神性を高めた洗練された形に進化したんじゃないかと僕は思っている。
その懐石の形と思想を受け継ぎながら、美しくコンパクトにさらに進化したのが松花堂だ。

松花堂は、木でできた正方形の蓋のある弁当箱で、中には十字の仕切り板がある。
十字に仕切られた4つの区画に直接料理を置くこともあるが、
それぞれの区画に小さな四角や丸い小鉢を入れ、それに料理を盛り付けることが多い。
煮物、焼き物、揚げ物、和え物、飯などが独立した小鉢に入っているため、
混ざる事がなく見た目もよい。

料理も、飯は季節の炊き込みご飯を型抜きしたものや刺身が入ることが多く、
いわば高級箱膳だ。
松花堂もやはり茶事がきっかけで、
大阪のかの名料亭「吉兆」が昭和初期に始めたものと言われている。
そして、この松花堂の理念を受け継ぎながら、誰もが手に届く形にしたのが幕の内なのだ。

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松花堂。ちょっと高級なお弁当。

進化をつかさどるもの

箱膳から懐石へ、懐石から松花堂へ、松花堂から幕の内へ。
民家の居間から茶室へ、茶室から料亭へ、料亭からビジネスホテルへ。
日本人の食事は進化していった。
その進化をつかさどったものは、まぎれもなく畳だった。

畳に座って食事を共にしたからこそ、私たちは食材を、料理を、食事を進化させることができた。
畳とは何か。
それは藁を隙間なく詰めた敷物だ。
藁とは何か。
それは米を取った後に残った稲の本体だ。

同じ東アジアでも中国や韓国は土足で家に上がり、椅子とテーブルで食事する。
だが、日本は違う。
稲を余すことなく使う日本の風土、文化が畳を生み、豊かな食文化を生んだのだ。
畳が幕の内を生んだのだ。

ところで、いつも思うことがある。
それは、「俵はすごい」ということだ。
だって、稲の実を稲の体で包んでるんだぜ。
それ自体で完結している脅威の代物だ。
普通なら、実を取ったあとの残りのカスには用はない。
しかし、日本人は捨てずにそれを活かすどころか、それで包んだ。
その発想がクールでアメイジングだ。

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稲の実を稲の体で包んだ米俵は、それ自体で完結している脅威の代物だ。

実を取った後の残りの体。
最初はその稲の体、すなわち藁を丸く編んで座布団のようなものにしたんだろう。
それが次第に広く大きくなって敷布のようになり、
藁をもっと厚くしてイ草で表面を覆うなど充実させ、パーツとして畳ができたんだろう。

そのパーツは最初は部屋の隅に寝床としてあったが、
それを部屋中に敷き詰めるようになった。
畳の部屋ができたのだ。
板敷の部屋から進化した畳の部屋は保温と快適性を生み出し、
根本的に家屋の構造を変えた。
やがて書院造などの日本建築が進化し、一般庶民にも広がった。
そして、狭い長屋とはいえ、そこに座って家族や仲間と食事をとることを通して、
千年の月日をかけて、幕の内が生まれたのだ。

畳が世界に誇るあの幕の内を生んだのだ。

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なくなったものたち(2022.4)

超貴重品「石炭」

再生可能エネルギーの出前授業をもう10年もやっている。
「石油や石炭などの化石燃料は・・・」と言葉にするのは簡単だが、ある時ふと思ったのだ。
で、「石炭を見たことある人」と子どもたちに聞いてみたら、
ほとんどの子どもは石炭を見たことがないと言うのだ。

環境の授業で大事なのは、「実物」である。
本物の色や形、質感や量感、動くものならその動き、音や匂い。
それを目の前で見、触る。
絵や写真の説明は、そういう意味で「本物」ではない違うものなのだ。

で、石炭の実物を子どもたちに見せようと思ったのだ。
思ったのはいいが、すぐ困ってしまった。
石炭の実物はどうやったら手に入るのだろう。
灯油やガソリン、薪や木炭は売っている。
石炭はどこに行ったら買えるのだろう。

そこで考えた。今でも石炭を使っているところはどこだ?
SLはないし・・・いや、山口線では走っているか。
いろいろ考えても火力発電所以外考えられない。
中国電力に行って、「突然ですが、石炭ください」というのも現実的でないなあ。
などと悩んでいて、思い出したのだ。

当時、スマートコミュニティの仕事をしていて、
コンビナートを構成する大きな化学工業メーカーの工場は、自家発電所を持っていることを。
そしてそれは、石炭火力であることを。

で、スマートコミュニティの仕事の縁で、
そのメーカーに「石炭少し分けてもらえませんでしょうか」とお願いしたのだ。
するとそのメーカーの担当者は何に使うのかといぶかしがるので、
エネルギーの環境学習で使う旨を伝えたところ、
「いくらでもあげますよ」と言ってくれたのである。

改めて申し上げたい。
石炭は非常に入手困難な貴重品だ。
この何でも手に入る時代に、石炭は日本中探してもどこにも売ってないのである。
ネット通販でも豆炭(石炭などの粉を混ぜ、丸く成形した固形燃料)やコークスは売っているが、
いわゆる「石炭」は売ってないのである。

やっと手に入れた本物の石炭を使った授業。
「この辺を恐竜が歩いていた頃に生えていた植物の化石だよ」「これ石だけど、燃えるんだぜ」
と言いながら、授業で子どもたちに入れ物ごと回して見せていたら、
授業を重ねるたびにだんだん数が少なくなってきた。
子どもたちにとっては黒いダイヤに見えたのかもしれない。

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やっと手に入れた石炭。しかし、授業の度に減っていく・・・

出前授業を一緒にやっていた人(大人)が聞いてきた。
「僕はバーベキューをやるんですけど、石炭って、木炭のように燃えるんですか?」
うーん、気持ちは分かる。
石炭はつやつやした黒い石で、
木の形がそのまま残っててでこぼこした木炭のように、とても燃えるように思えないもんね。

「僕たちが小学生の頃は、冬になったらどの教室にも石炭ストーブがあって、
小さなスコップで石炭をくべて燃やしてたんだよ。
学校には石炭置き場があって、当番の子がバケツに入れて教室まで運んでたんだよ」

どうやら大人にとっても実物を見て触るということが非常に重要であるようだ。

懐かしいもの

思えば、あの頃学校で体験した色々なもので、
いつの頃からか忽然と消えていったものがたくさんある。
あれこれ考えていると、自分が体が小さく弱かったせいか、
どれも子どもの時経験したドラッグ(ヤバイ薬じゃないよ)関係のものばかりだ。

例えば、肝油ドロップだ。
給食の時、必ず食べさせられた。今でいうサプリメントの一種だ。
甘く味付けがしてあってまずくはないけど、
「油」と名付けられ得体がしれず、何か不気味だった。

次に、ギョウチュウ検査だ。
丸いセロハン紙の検査シートを学校でもらって、
家に帰ってお尻(肛門)にそれを一度ペッタンとくっつけてはがし、それを学校に持って行く。
検査機関が検査シートにギョウチュウの卵がくっついているかいないか調べるのである。

僕たちはそれを「お尻ペッタン」と呼んでいた。
調べてみるとギョウチュウ検査は結構最近(2015年)まで行われていたようである。
どうやら子どもの寄生虫感染率が激減し、
検査があまり意味をなさなくなったのが廃止の原因らしい。
しかし、寄生虫が減り、何でもかんでもきれいにしすぎたことが、
アレルギー体質の人が増えた原因のひとつであるという説には、僕は感覚的に賛同できる。

あと、何といっても赤チンだ。
転んでケガをして血が出たら保健室で泡の出る液体で消毒した後、赤チンを塗ってもらう。
泡の出る液体はオキシドール・・・即ち、過酸化水素水である。
膝をすりむいて血が出ても、泡の水で消毒してもらって赤チンを塗ってもらうと、
子ども心にも「もう大丈夫」という安心感は絶大だった。

赤チンは、正式にはマーキュロクロム液と呼ばれる消毒液だが、
製造過程で水銀を含んだ廃液が出ることから法律で製造が規制され、
国内生産は1970年代に中止された。

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すりむいて血が出たら即、赤チン。保健室必携の常備薬。子どもの魔法の薬。

学校ではないが、「てんかふん」も懐かしい。
「てんかふん」は漢字で書けば天花粉でシッカロールともいうが、早い話がベビーパウダーだ。
夏になればあせもにならないように、
風呂上りに母親が首筋やわきの下に天花粉をはたいてくれたものだ。
真っ白になった自分の体がうれしくて、裸で部屋の中を走り回った。
天花粉の匂いは懐かしい夏の香りだ。

しかし、ベビーパウダーはあるようだが、
天花粉(という呼び名)はなぜなくなってしまったんだろう。
なぜみんな使わなくなったんだろう。
今は見なくなった昭和の頃のいろんなことが、懐かしい。

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「てんかふん」。早い話がベビーパウダー。子どもはこれで首とかが真っ白になった。

希少種とは何であるか

今は見なくなった昭和の頃のいろんなことのひとつに生きものがある。

先日、生物多様性に関する業務の打合せがあった。
希少種(レッドデータブック掲載種)をもっと一般の人にアピールしなければならない
という話になった。
ヘソ曲がりな小生は、希少種ももちろん大切だけど、
身の回りにいるごく普通の一般種こそ大切だということを申し上げたら、
レッドデータブックに関する話をしているのだからと、即、ご意見を頂戴した。

しかしだ、
皆さんはトノサマガエルやイモリ、メダカなどが今は希少種だということをご存知だろうか?
子どもの頃からわりと最近まで、こいつらはどこにでもいる生きものだった。
昔は広島市内にもまだ田んぼや畑が残っていて、トノサマガエルは普通にいた。
イモリは、いる所にはたくさんいた。
小生の息子は小学生の頃、学校の帰り道に用水路でイモリを見つけ、
家まで持って帰ってきたこともあった。

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ツチガエルとともにどこにでもいたトノサマガエル。
最近確かに見ないけど、希少種と言われてもねぇ。


秋にはあんなにたくさんいた赤トンボはどこに行ったんだろう。
かなり前からとんと見ないでしょう。
普通種がいつしか希少種になってしまうという現実をもっと真剣に捉えた方がいんじゃないか。
希少種を大事にするとともに、
普通種をそれと同じぐらいに大事にすることが必要なんじゃないか。
レッドデータブックとそこに掲載されている希少種の重要性は疑う余地はない。
しかし、今日の普通種は明日の希少種なのだ。

| コラム | 14:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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笛吹き男が潜む国(2022.3)

消えた家、消えた子供

近所の邸宅が壊され、3軒の建売が建った。

小生は広島市郊外の住宅地に住んでいるのだが、
すぐ近所に庭を入れて300坪の弁護士だった人の大きな邸宅があった。
代替わりして小生と同い年の息子夫婦が住んでいたのだが、
両親が他界し、子供が成人すると、土地を売って中心市街地のマンションに引越していった。

あの大きなしっかりした家があっという間に庭ごと跡形もなく取り壊され、
土地は細切れにされて、その一部に30坪あまりの安っぽい建売住宅が3軒建ったのだ。
彼たちがいなくなって、
町内会の班では「アラ・シックス」の小生夫婦が一番の若者になってしまった。
そういえば、ここ数年、道路で遊ぶ子どもの姿をとんと見ない。

ろくむし

僕たちが子供の頃は、道路が子供の遊び場だった。
そこで何して遊んだか。
まず、何といっても「ろくむし」だ。

「ろくむし」は、まず、十数m離して直径2mぐらいの円を2つ書き、
(アスファルトの道路に線を描くのは「書け石(滑石)」で描くのだ)
2組に分かれ、1組(攻める側)は描かれた円の中に全員入り、バッターを1人決める。
もう1組(守る側)は2つの円の間に散らばり、ピッチャーを1人決める。

ボールは柔らかい小さいゴムボールである。
ピッチャーの投げたボールをバッターが打てば(手で打つ)ゲーム開始で、
円の中にいた者は全員向うの円に走り出す。

守る側は打たれたボールを拾い、走っている者に投げて当てる。
当たった者はアウトになり、ゲームから脱落する。
向うの円にたどり着けば、円の中は安全地帯だ。

アウトになった者以外が全員円にたどり着けば、
ボールを持った攻める側の1人が円の中に片足を入れ、
「1むし、2むし…」と数えながら真上にボールトスを繰り返す。

6回トス…即ち「6むし」になる前に円を出て向うの円まで走りださなければならない。
走り出せば、守る側はボールを投げ・拾いながら走っている者に当てる。
これを繰り返す。

2つの円を1回往復したら「1むし」で、
「6むし」・・・即ち、1人でも6回往復できたらその組の勝ちであり、また攻める側となる。
負けたら攻守を代える。

「ろくむし」は、他の地域ではあまり聞いた事がないので、
広島地方だけの遊びかと思っていたら、そうでもないらしい。
ネットで検索すると、結構各地で遊ばれていたようだ。
しかし、攻守の2グループに分かれ、ボールを打って走るのは同じだが、
いろいろな遊び方やローカルルールがあるようだ。

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「ろくむし」:2つの円を6往復。投げられたボールをよけれる子がヒーローだった。

元大小中

「ろくむし」の次によくやったのが「元大小中」だ。
これは全国的には「元大『中小』」というようだが、なぜか僕たちは「元大『小中』」と言っていた。

「元大小中」は、一辺が数mの正方形を描き、田の字に4分割する。
中央に小さく円を描き、4分割された扇形にそれぞれ「元大小中」の文字を書く。
(道路に描く時はもちろん「書け石」で)

ジャンケンして勝った順に「元大中小」(ここは「元大『小中』」ではないのだ)のコーナーに入る。
「元大中小」はランクで、「元」が最上位、「小」が最下位である。
それ以外のものはジャンケンで勝った順に「小」の後ろの「ようちえん」のコーナーに並ぶ。

このゲームで使うボールはドッジボールだ。
まず、「元」の者がボールをワンバウンドさせる。
ワンバウンドしたボールは他の3つコーナーのどこかに向かう。

もし自分のコーナーでボールがワンバウンドしたら、
それを他のコーナーでバウンドするように打ち返す。
ワンバウンドで打ち返せなかったり、
打ったボールが田の字のコーナーの外に出ればアウトで、1ランク下がる。

「小」の者がアウトになれば「ようちえん」入りになり、その最後尾に並ぶ。
代わって「ようちえん」の筆頭者が「小」に昇格する。
「元大小中」の文字が書かれた真ん中の円のスペースでボールがバウンドしたら最悪で、
(かなり下品な特別の名前でよんでいたが思い出せない)
どんなランクにいても「小」に降格になる。

このゲームはボールの打ち方に作戦があって、
フェイントをかけたり、強く打って高く遠くへバウンドさせたり、
逆に「ちょっこん」といって弱く打って低くバウンドさせたりして返しづらいボールを打つのである。

このゲームには正式な終わりがない。
誰かがもう止めようと言い、みんなが同調すればそれで終わりである。
いつでも止めることができるので、小学校の休み時間にやるのにはもってこいだった。

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「元大小中」のコート。道路で、広場で、校庭で、飽きもせずよくやった。

「ろくむし」や「元大小中」だけではない、
あの頃何をして遊んでいたか思い出してみると、「たすけ」(いわゆる「けーどろ(警泥)」)、
「らむねっちん」(ビー玉遊びのこと。ラムネの玉だからこうよんでいた)なんかよくやったなあ。
そういえば、ふろしきを首のところで結んでマントにして走り回って遊んだな。
おそ松くんのイヤミの「シェー」もよくやって、バカな真似をするなと親に怒られたな。

駄菓子屋の思い出

近所には貸本屋も兼ねた駄菓子屋があって、
チューブに入ったゼリーとか、
先端にいろいろな飴がついている糸を束ねたものを引くやつとか、
ちっちゃなプラスチックの入れ物に入ったヨーグルトもどきとか、
今から言えば合成着色料と保存料の塊のような魅力的なお菓子の数々あった。

駄菓子屋
駄菓子屋さん。店に入る前からときめいた。

お菓子だけではなく、あれは何ていうものだったか忘れたが、
指につけてこすれば煙が出るものとか、紙石鹸とか、
10円玉を握りしめて買いに行ったなあ。

そういえば、紙芝居のおじさんもよく来たなあ。
子どものお目当ては紙芝居ではなく、紙芝居の後におじさんが販売する型抜きなのだ。

型抜きは、何で作られているかわからないのだが(食べられる)、
厚さ2ミリぐらいで数センチ角の小さなシートにいろいろな絵が線描されていて、
その線を針で少しずつなぞって削り、絵を切り離せば、水あめがもう1つもらえるのだ。
しかし、もう少しのところで、たいてい割れたりしてしまう。

型抜き
型抜き菓子。いつもあと少しのところで「パリン!」

水あめは短く切った2本の割りばしにおじさんが絡めてくれる。
水あめはすぐは食べない。
2本の割りばしを回すようにかなりの時間こねると、透明だった水あめは白く濁ってくるのだ。
みんな一生懸命こねる。
水あめを白く濁らせると、何か美味しいような気がした。

化学調味料とか合成着色料とかという言葉もない時代。
今から思えば、僕らが食べた駄菓子は、多分その塊のようなものだったのだろう。
しかし、今はもっとあざといものがたくさんある。
高血圧で中性脂肪が高く、痛風もちの小生であるが、何とか今まで生きながらえている。

そこにいる「笛吹き男」

「ハーメルンの笛吹き男」は史実に基づくグリム童話である。
ハーメルンの町にはネズミが大繁殖して人々を悩ませていた。
ある日、町に笛を吹く男が現れ、報酬をくれるならネズミを退治するというので、
ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。

男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まり、ネズミは残らず退治された。
しかし、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破って報酬を払わなかった。
笛吹き男は一旦街から姿を消したが、再び現れ、
人々が教会に集まっている時に笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、
町中の子供たちが男の後をついていき、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。

小生の住む住宅地でも、朝夕は通学する小学生や中学生が多くみられる。
しかし、下校した後、外で遊ぶ小学生や中学生はとんと見た事がない。
彼らは学校から帰って、どこで何をしているのだろうか。

僕らが子どもの時と違って、
今頃の子どもにとって家の周りの「まち」が遊び場にならないことも一因だろう。
ネット、SNS、塾…が直接の原因だろう。
しかし、明らかにおかしい。
とても異常なことだと思うのである。

「まち」に子どもがいるのにいないなんて。
少子化はやむを得ないとしても、子どものいない「まち」には、
何かとてつもなく大きなものが潜んでいるような気がしてならない。
見えない「笛吹き男」が、知らないうちにわが国に潜み、
明日を担う子どもたちを蝕んでいなければいいのだけど。

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日本人の忘れ物(2022.2)

花火の思い出

コロナ第6波は高止まりしたままである。
前のピークはいつだったかな?と考えてみたら、第5波は確か夏だった。
ああ、もう半年たったのか。
で、ふと夏のことを思い出したのだ。

孫と一緒にやろうとずいぶん前に買った花火が出てきた。
そういえば、近頃とんと花火というものを見なくなった。
花火と言っても、「たまや~」「かぎや~」の打ち上げ花火ではなくて、
線香花火などの家庭でやる手持ち花火である。

自分が子どもの頃、また自分の子供が小さい頃、
夏になると家の前の道路でよく花火をやったもんだ。
ロウソクに火をつけてロウを垂らし、その上にロウソクを固定する。
そして、水を汲んだバケツ。
花火を始めると近所の子供たちも親と一緒に家から出てきた。

昼間と同じ格好の子、もう寝間着を着た子、みんなでやった。
大きい子は大きそうなのを選んで、小さい子は小さいのを選んでやった。
流れ落ちる火の粉、火の粉が噴き出す音、煙の臭い。

誰かがねずみ花火に火をつけた。わっと上がる子どもの歓声。
あっちでは、ヘビ花火だ。もくもくと煙を出しながら、うねうねと黒いヘビが伸びていく。
ちっちゃい子がちっちゃい手に線香花火をもってやっている。
線香花火が出るようになると、そろそろ今日の花火はおしまいだ。

いよいよ打ち上げ花火の出番だ。
誰かが空瓶などを持って来て、打ち上げ花火を固定する。5連発とか7連発が多かったよな。
そして最後は待ちに待った「ドラゴン」だ。
誰が火をつけるかひともめした後、年長のお兄ちゃんが導火線に点火、
盛大な火花のシャワーはあっという間に終わり、而して本日の花火はこれにて打ち止めとなる。

懐かしい夏の思い出だ。
だけど、近頃とんと見なくなった。
近所に子どもはいるけど、花火をやっている人は皆無である。
どうしたんだろう。何が変わったんだろう。

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さあ、次はどれやる?

花火はどこでやればいいんだ?

間違いなく言えるのは、近隣騒音に対して人々が神経質になっていることだ。
家の前の道路で子供たちが花火をやると、
近所に住む特に高齢者から苦情が来ることは容易に想像できる。
一昔前と住宅事情が違うのはそのとおりだが、
こういうことに対して許容の範囲が必要以上に狭くなっているのではないだろうか。

バカな若者がコンビニの前でジベタリアンと化して騒いでいるのではない。
昔のお年寄りは子供がはしゃぐのを見ると頬が緩んだものだが、
今のお年寄りはクレーマーと化する人が多いように感じる。
(小生も前期初期高齢者だが)

自分はあくまでも正しく、自分の理屈だけで我を通し、
それから外れたものには容赦なく文句をつける。
許容量の狭い、世知辛い世の中になったものである。

打ち上げ花火については、広島市の場合、
公園や河川敷、港湾では条例により禁止されている。
周辺環境への配慮という大義名分で。
いったいどこで花火をして遊べばいいのだ。

行政というものは、とにかく間違いが起きないように、問題が起きないように、
「常識」という名の世間への忖度、同調圧力。
しかし、一歩引いて考えれば、
何か起こった際に、そのことの背後にあるもっと大きな、
もっと大事ないろいろなことまで思い至ることなく、
安易に責任を転嫁して批判の矛先を行政に向けるのは、
他ならぬ小市民の僕たちなのだ。

僕たちも、上っ面な「安全」よりも、
本来あるべき「遊び」はどのようなものかもう少し考えてみる必要があるんじゃないか。

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ああ、そういうことですか。

遊びはスリルだ!

「遊び」は本来スリル-安全でないもの-のあるもので、
そのスリルに挑む冒険心が「遊び」を通じて心身を成長させるのだ。
「遊び」はスリルを伴う安全でないものであるがゆえに、たまに、いや、よくケガを伴う。
ケガをするから、安全でないからいけないというのがそもそも大きな間違いである。

子供は(大人でも)危険な目にあってはじめて危険なことを学ぶのである。
痛い思いをして、痛みを分かる人間になるのである。
子供は叩き叩かれて、手加減することを学ぶのである。

僕は広島市の市街地で育った。
太田川(本川)は家から結構近かったので、一人で遊びに行くこともあった。
小学生の頃、本川にあった貯木場の丸太の上から水の中を覗いていたら、
エビがいるのを発見した。

僕は、エビを取ろうとして片方の足を別の丸太にかけた。
すると、足をかけた丸太は僕の体がのっているもう一つの丸太から離れていった。
股裂き状態となった僕は、あえなく川に沈した。
焦った。恥ずかしかった。
でも誰も見ていなかった。

何とか丸太にしがみついて復帰した。
浮いた別の丸太にそれぞれの足をかけたら丸太は離れていくこと、
川というものは、
自分の行動によって次に引き起こされることを予想しながら動かなければならないことを、
僕は身をもって学んだのだ。

僕は、それ以上やっちゃあいけない危険なこと、
手加減することを身をもって学ばずに大人になることの危うさを大いに憂う。
山に行けば「山に入るのはやめましょう」。
川に行けば「川で遊ぶのはやめましょう」。
公園に行けば「ここで遊ぶのはやめましょう」。
ちょっと、いや、かなりおかしくはないかい。

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公園は遊ぶところじゃないんかい。

日本人の忘れ物

ずっと前に書いたことがあるが、
ここ数十年、お相撲さんの四股名に「〇〇川」というのがほとんどないそうである。
例えば今時だったら、「照ノ富士」や「朝乃山」、「御嶽海」や「隠岐の海」など山や海は多いが、
川は本名と思われる西川や藤川以外に皆無である。

このことは、日本人がかつて生活や心のよりどころとしていた川から、身も心も、
そして文化も離れていっていることの証左である。
先に「背後にあるもっと大きな、もっと大事ないろいろなこと」と言ったのは、
例えばこういうことなのである。
われわれは、そうやって、
本来的に大切なほんとうのものを、じわじわと失っていると思うのである。

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広島の変な名前の食べ物からSDGsを考える(2022.1)

言葉の遺存種「がんす」

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
きっとコロナも収束してくれることを祈念して。

先月はキラキラネームの食べ物のいくつかをご紹介したが、
わが広島でも変な名前の食べ物がいくつかある。
その筆頭が「がんす」である。

「がんす」は、魚のすり身を長方形に成形してパン粉をつけて揚げたもので、
早い話がカマボコのフライもどきである。
昨今は「がんす」もいろいろ種類があるようだが、
味のポイントはすり身に練り込まれたタマネギとピリッと辛い唐辛子にある。

宇和島のじゃこ天、浜田の赤天などと同様の揚げカマボコの一種だが、
パン粉をつけたというところに差別化の工夫が見られる。
「がんす」は昔もないことはなかったが、スーパーで普通に売られ、
居酒屋のメニューにも登場するようになったのは結構最近のことである。

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これが「がんす」。がんすのがんそは呉の三宅水産といわれる。
(出典:㈱三宅水産ホームページ)

元々「がんす」というのは「~でございます」という広島弁で、
「今日はええ天気でがんすのぉ」というふうに使う。
小生が子どもの頃は「~でがんすのぉ」のと喋る年寄りはごく少数だがまだいたが、
ここ50年ぐらい生で聞いた事がない。
ほんど野生絶滅状態だが、アンガールズが「うまいでがんす」と言い出して、
飼育下での生息がかろうじて保たれている状態にあると思っていた。

ところがかなり前だけど、何と、「たそがれ清兵衛」で真田広之が「~でがんす」と喋っていたのだ。
藤沢周平の原作は架空の藩「海坂藩」が舞台で、
これは藤沢周平の故郷である庄内(山形県)がモデルであることはよく知られている。
「がんす」は広島だけではなかったのだ。
「がんす」が広島だけでなく、遠く離れた東北に生息していたとは。

生物の世界では、阿哲要素とか襲速紀(そはやき)要素といって、
氷河期の名残として限られた種が遠く離れた地域に遺っているものがある。
まさに「がんす」は言葉の遺存種なのだ。
保護上重要な希少種なのだ。

捨てていたものが美味いことに気づいた「せんじがら」

次にあげなければならないのは、「せんじがら」である。
「せんじがら」は、見た目はビーフジャーキーのような感じのもので、
酒(ビール)のつまみとして最近人気である。

「せんじがら」は、
豚の胃袋(ガツ)を油でカリカリに揚げて(煎じて)水分を飛ばした物(殻)なのだが、
実はこれは逆で、
本来は、内臓から動物性油脂を抽出するために油で煎じた残渣なのである。

「がんす」と同様、「せんじがら」が話題になったのは割と最近の話で、
昔はそんなものはなかった。
昔は残渣として捨てられ、
一部の屠畜の解体に従事する人たちだけが食べることのできるソウルフードだったが、
近年になって変身を遂げたのだ。

「せんじ『殻』」ではイメージが悪いと思ったのか、最近は「せんじ肉」という名前に変身し、
広島名物の土産物として売り出されている。

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せんじ肉は土産物店だけでなく、最近はコンビニやスーパーでも売っている

似たようなもので昔からあるのが大阪の「油かす」である。略して「かす」という。
「かす」は、豚の胃袋の「せんじがら」に対し、牛の腸を油で揚げたものである。
「せんじがら」は酒のつまみとしてそのものを食べるが、
「かす」はそのまま食べるのではなく、お好み焼きや煮込みなどの料理に柔らかく戻して使う。
「かす」をトッピングしたうどんが「かすうどん」である。

本来なら捨ててしまう「がら」や「かす」を再利用して食材に変身させる。
持続可能、低負荷、多様性、資源循環・・・
わが広島の変な名前の食べ物は、
地域の人々が生活の中で育てたSDGsを地で行くエコロジカルでサスティナブルな代物なのだ。

「わがこと」ことに気づいた「おばいけ」

番外は「おばいけ」である。
なぜ番外にしたかというと、「おばいけ」は地域でいうと広島の食べ物ではなく、
下関などの捕鯨基地のある山口の食べ物だからだ。
「おばいけ」は漢字で書くと尾羽毛。
子どもの頃は、変な名前だなあ、なぜ「おばいけ」というんだろうと思っていた。

「おばいけ」は、鯨の尾びれと身の間の肉で、別名「さらし鯨」という。
黒い縁取りのある白く細かくちじれた薄い肉片で、
冷やしたものに酢味噌をつけて食べる。

今、肉片と書いたけど、肉というよりさっぱりした脂肪というかコラーゲンで、
くにゅくにゅ・もさもさ・ぷりぷりした食感は表現が難しく、
例えるべき類似した食材が見当たらない。

「おばいけ」は、子どもの頃よく食卓に上った。
嫌いではなかったが、子ども心には特に美味しいものだとは思わなかった。
感じからして子どもが食べるものではなく、酒のつまみのようなものだが、
父や祖母が好きだったのか、なぜかしら小生の家の食卓にはよく登場した。

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これが「おばいけ」。昔はよく食べたなあ。

この「おばいけ」は、昔はなくて今はある「がんす」や「せんじがら」とは逆で、
昔はよく見たが最近はあまり見かけない。
魚屋でたまに見かけることがあるが、
多分今の人はほとんどが見たことも食べたこともないのではないだろうか。
そして、高い!高級品だ。

なぜか。
それは捕鯨が禁止されたからである。
子どもの頃はステーキといえばクジラだったし(生臭いのでショウガを効かせて食べた)、
缶詰の定番はクジラの大和煮、給食でもクジラの竜田揚げが出た。
安かったのである。

逆に、牛肉が食べられるのは、
運動会の時のお弁当に申し訳程度に入っている赤身の焼肉ぐらいだったし、
すき焼きは何かの特別な記念日に食べるものだった。
牛丼などという食べ物は、まだそういう言葉さえなかった。
バナナがまだ高級品だった頃の話である。

時はめぐる。
給食にも出たクジラの肉は、今やサシの入った和牛並みの値段なのだ。
捕鯨が禁止されて鯨肉が高騰する。
貿易が自由化されてバナナがいつでも誰でも食べれるものになる。

安くものが買えるということ

安売り時には1パック100円程度で買える卵の背後にはアニマルウェルフェアの問題があったこと、
衣料量販店の格安製品の背後には新疆綿の搾取があったことを初めて知る。
エシカル(倫理的)・・・
安くものが買えることの背後にある社会の仕組みに僕たちはやっと教えられて気づき始めた。

他人ではなく自分たちが使うものは、「他人事(ひとごと)」ではなく「わがこと」なのだ。
「わがこと」だから、その改善のために、小さくても自分なりにできることをしていこう。
一人ひとりは小さいけれど、みんなが動けば山は動く。

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